第二百九十三話
マーリンさんはその後も観光名所らしい場所をいくつも案内してくれた。成る程、キリエの昔の姿……湖に囲まれたオアシスのような街の名残を感じさせる。それは高台から眺めた街外れの桟橋であったり、小さな造船所の残骸だったり。でも、でもだよ。でも……あのぅ…………
「…………あの、こんなことしてる場合じゃないんじゃ……」
「あはは、その心配はごもっともだ」
ごもっとも、じゃないが。ただでさえ魔人の集いについて調べなきゃならないのに、ここへきて魔術翁の探し物にも付き合う流れになっている。だというのに! どうして貴女は呑気に観光名所巡りなんてしているんだ!
「まあまあ、落ち着きなよ。さてマグル、ここまで来てみてどうだった?」
「…………残念ながら、と言うべきか。いいや、いい弟子を持ったと喜ぶべきだろうか」
マーリンさんは僕の頭を撫でて宥めると、今度はゆっくりとまた街を眺めながら老人に声をかけた。いい弟子を持った、とはどういうことだろう。答えは尋ねるまでもなく、彼女の口から切り出された。
「錬金術師エンエズは、少なくともキリエには何もしていない。あの馬車も、見えない魔獣も、もちろん魔人の集いとも関係なさそうだ。君達の話ではレイガス……ひとり目のゴートマンと彼が接触したのは、僕とここで出会う数日前だろう? なら間違いない。あの魔人はレイガス以外の集いとは無関係だった、レイガスの独断だったと言えよう」
なるほど、とはならない。いやいや、それはなんとなく分かって…………なかったや。僕らの中での時系列が基準になっているから、どうにもあの新しいゴートマンとエンエズさんは無関係である前提で考えてしまっていた。それが本当に無関係であるかどうかの確証を得られたのは大きい。でもね、でもだよ。それってつまり……
「…………ってことは、エンエズさんの隠し工房の手掛かりは……」
「ばっはっは! そんなに簡単に見つかる様な工房を作るバカなら、弟子になど取っておらんわ! ばーっはっは!」
アンタは何に威張ってんだ…………ではなく。つまりはあの馬車と見えない魔獣……それに魔人の集いとエンエズさんの工房探しは、全く別物になるってことか。手間ばっかり増えてるじゃないか…………
「……じゃが、いいものを見れた。マーリン、感謝する」
「水臭いな、約束だっただろう? 間に合わなくてごめんって、むしろ僕が謝らなくちゃいけないのに」
約束? と、問うと、こっちの話。と、ちょっと意地悪に笑って、マーリンさんはまた僕の頭を撫でた。あの…………あんまり撫でないで貰えます……? 多少慣れたけど、まだボディタッチとかスキンシップは緊張するんですよ。さっきの一件もあるから余計に。マジで許さん……
「さて困った。マグルの用事を優先するなら、今から西へ行くことになる。でも僕らの進路は北だ。元魔術翁とはいえ、こんな耄碌したジジイをひとりにするのも気が引けるしなあ」
「ばっはっは! 言いおるな、小娘! 尻ばかりか態度もデカくなりおって!」
お尻は関係ないだろう! と、顔を真っ赤にしてマーリンさんは杖で老人に殴り掛かった。分かる、分かるよ。ムチっとしてるよね。無防備だから、スカートの下……いやまあズボン履いてんだけどさ。それでもラインは見えるから。いいよね…………じゃなくって。
「安心せい、西へはひとりで行く。たまたま梟を見かけたから立ち寄ったに過ぎん。お前さんの邪魔をする気は無いさ」
「そういう訳にはいかない。僕らも魔人の集いに下手な力を与えたくないって事情がある。マグルが取りこぼせば、こっちも迷惑するんだから」
おや、これは……もしかして、また進路が変わる流れかな? 王都にはいつ着くんだ。なんて、ぼやいても仕方ない。じゃあ……ここは一番手っ取り早くて、確実にふたりが納得するやり方を選ぼう。僕にはその為の切り札がある。
「えー、ごほん。おふたり方、ここはうちの可愛いミラに決めて貰ったらどうかな? それならその、マーリンさんの進路を変えるのはお爺さんじゃなくてミラになるし。マーリンさんはどうせミラの意見を無視出来ないでしょ?」
「君って本当に僕を敬う気が無いよね。度が過ぎるとまたお仕置きだぞ?」
お仕置き…………っ‼︎ や、やめ…………おぐっ……思い出しただけで立っていられない。うっ…………なんだかもう既に吐き気が……
「……でもまあ、そうだね。この旅の目的はミラちゃんの見定めだ。ここでどちらを選ぶかというのも見ておかないといけない。見るまでも無いけどね」
「え、えへへ…………はい、私も一度西へ……エンエズさんの隠し工房を探すべきだと思います。もしかしたら、西に何か手掛かりがあるかもしれませんし。完全に無駄足とはならないでしょう」
そうだね。と、ちょっと呆れたように笑うと、マーリンさんはミラの頭を撫で、魔術翁にも了承を求めた。彼もまた少し困った様子で笑って頷いた。うんうん、予想通り。分かれ道で困ったら原点に戻ればいい。この旅の原点はミラだ。コイツが立派な市長になる為に、助けたいと思ったのなら全部助けるという遠回りな道を選ぶのが正道。ただまあ……
「……ほんと、いつになったら王都に着くんだろうな。エルゥさん先に着いてたりして。っていうか、すれ違いでフルトに帰っちゃって、王都でも会えないなんてことないよな……」
「っ⁉︎ そ、それは困るわ! マーリン様! お爺さん! 急ぎましょう!」
あはは、困るか。そうだよな。大切な友達との約束だもんな。バタバタと慌ただしく僕ら三人を急かすミラを、マーリンさんはなんだか少し不満げに見つめていた。ははぁ、さては貴女嫉妬してますね?
「あはは、大丈夫ですよ。マーリンさんはどうあがいてもアイツの中で特別なんだから。別にエルゥさんと再会しても、マーリンさんから離れて行くなんてことは無いですって」
「……別にそんなこと気にしてないけど。でも……うん、ありがとう」
はいはい、大丈夫だよ。エルゥさんもとびきりの美少女だから、きっと大丈夫。貴女なら……ミラの猛攻に耐えられるようになった今の貴女なら、きっと耐えられる。いや、どうだろう。ミラには無い、柔らかな感じがあるからなぁ。いやでも、それこそ自分の身体で嫌という程見てる筈だ。うーん、どうだろう。でも……きっと仲良くなれるだろう。ミラちゃん可愛い同盟か何かで。
「よし、じゃあ西へ向かおう。ミラちゃん、案内をお願い出来るかな?」
「うっ……その……キリエに来る道は気絶してて…………」
はいはい、僕が案内するから。とは言えない。正直それどころじゃなかったから、道なんて覚えてない。いつ魔獣が襲って来るか分からない、ミラは戦闘不能で魔弾もゼロ。そんな状況だったからこそ、意外とルートは頭に焼き付いている……なんて都合のいい展開に期待するしかないか。
「ああ、そっか。ま、ここからフルトまで基本的には一本道……道なんて無いけどさ。まっすぐに行けば着くから大丈夫だろう。荷物だけ確認したら街を出よう。マグルもそれでいいかい?」
「ああ。なら、儂は街の外で待っていよう。どうにもこの街は好かん」
そう言って老人は姿を消してしまった。文字通りスゥっと、世界の表面からいなくなってしまったように。アーヴィンの神殿に施されていた結界みたいなものなのかなぁ。自然の再現とかなんとか、ミラもマーリンさんも言ってたけど……絶対嘘だよなぁ。完全にファンタジーの、なんでもありな魔法と同じことやってるよ。
「ほらアギト、行った行った。それとも抱きかかえて運ばれる方がいいかな?」
「っ⁉︎ あ、歩くから! なんですかその脅し方! もし本当に抱きかかえてって言われたらどうするつもりですか!」
君くらいなら抱っこも簡単だよ。と、スパッと言われてしまった。えーっと……それは、僕が小柄で軽いから、マーリンさんの細腕でも大丈夫って話だよね? それは……それは決して、絶対に手を出されないから何しても平気だよとか、そういう…………その…………男としての尊厳を踏みにじる様な発言では無いんだよね…………? 普段の行動が行動だけについ疑ってしまう。そうだよ、マーリンさんがそんな酷いこと言うわけ……ぐすん。
「……いつか本当に襲われても知りませんからね」
「あはは、頑張れ男の子。ほら、ミラちゃんに置いてかれる。急ごうか」
恨み言をぼそりと伝えると、あっさり笑われてしまった。うう……本気の本気だからなぁ。本気の本気でこっちは困ってるんだからなぁ……うぅぅ……
一度屋敷に戻り、荷物を纏めて西へ……あの時街に入った砦の門へ向かおうとすると、後ろから呼び止められた。なんだろうと僕もミラも振り返ると、あーとかえーとか言いながら目を泳がせるマーリンさんの姿があった。
「……あー、っと……そっちは人通りが多いから別の道を行こう。この街は僕の庭みたいなものだ、任せてよ」
「……? はい、お願いします……?」
ミラと顔を見合わせて首を傾げていると、マーリンさんは僕らの手を取ってずんずんと歩き始めた。さっき大臣さんと話をした後みたいに冷たい手をしていたから、何か嫌な……その道を避けたい事情があったんだろう。例えば……その大臣がいる可能性が高いから避けて通ろうみたいな。そんなネガティブな事情が。
僕らは少しだけ遠回りをして街を出ると、先代魔術翁と合流し、そのまま西へと旅を再開した。少しだけ見覚えのある道を逆に進みながら。




