第二十九話
完全に分断させられた。どれだけ掘っても光の刺さない壁にそう思う。私達は意図的に二手に分けられたのだろうか。もしそうだとしても、おそらく向こうはこちらをしっかりと認識出来ていない。最も体が小さく、最も体温が高いであろう私を。最も仕留めやすそうな私を孤立させて狙おうと言うのなら、まだ二人の安全は気にしすぎる程でもなさそうだ。
「……うっとおしい。退いてなさいよね」
五、六……奥にもう三頭。いや四頭。アギト達とは早めに合流したいけど、果たして道は繋がっているのだろうか。八、九……十、よし。焼いた魔獣の死骸を数えて、さっきの勘定と合っていたことに喜んでいる場合じゃない。
明かりを灯して私は走り出した。狭い通路での戦闘は、火力の勝る私が有利だ。だが、もし予測が外れていたのなら。二人から私を遠ざけて、纏めて仕留めようと言うのなら急がなくちゃならない。アギトには秘密兵器を預けてるあるけど、ゲン老人はおそらく集団を一人で相手するには向いていない。大軍を向けられる前になんとか合流して…………
「……あれ、私…………っ⁉︎」
アギトにアレの説明して…………してない? してない! またやらかした⁉︎
「お、おお落ち着くのよ。ご老人もいることだし、案外あれでアギトも察しがいいところも……」
マズいマズいマズすぎる! と言うかわざわざ作り貯めておいた霊薬の類も説明してない! 急げ急げ! もう! 急いでるってのに、なんでこんな鬱陶しい迷路なんて進まなくちゃなんないのよ!
「……一か八か…………いえ、落ち着きなさい。もし落盤なんて起こして、二人が巻き込まれたらどうするの」
魔力を込めた本気の蹴りなら、きっと壁をえぐりながらでも進めるかしら。と、考えたものの、リスクの大きさに練り上げた魔力を解消させる。道を閉じて窒息死させればいいものを、そうしていないのだから。きっと魔女は、これを余興か何かと思っている節があるのでしょう。ともかくその一点だけが救いだわ。
「……我らが父よ。どうか二人に大いなる施しを」
もう、祈りを捧げて走るしかできなかった。
——やはり彼は連れて来るべきではなかった————
違う、考えるな。迫る魔獣など余計なことを考え始めた私の頭を邪魔するものにもならない。彼は約束してくれた。私の帰る場所として、市長秘書として、あの場所を守ると。その言葉を疑うな。
「っ……お姉ちゃん——」
嫌な気持ちが嫌な記憶も呼び起こし始める。急げ急げ! 急げ‼︎ 頭の中をそれで一杯にしろ。何も考えるな。目の前の魔獣など意にも介さず走り抜けろ。彼と合流するか、魔女を討てば全てが解決する。
しばらく走って、ようやく明かりのある広い場所に出た。それは部屋と呼ぶべきものにも見えたが、果たしてどうだろう。ただ広い空間を松明に灯った火が照らしているだけ。さしずめ、生贄を捧げる簡易的な祭壇とでも呼ぼうか。
念の為に辺りを見回しながら、反対側に見える通路まで駆け抜ける。ゲン老人の言っていた若者達も、まだ気配すら感じない。老人は一週間は保つと言っていたが、或いはもう……と、さっきからどうも悲観的な事ばかりを考える。拳を握りなおして部屋の外、さっきまでとは違う通路に飛び込んだ。
「…………酷い……」
さっき祭壇などと考えた自分を呪う。そこに転がっていたのは刀剣や鎧、ベッタリと染み付いて腐臭を放つ血痕に砕けた人骨。そしてさっきまでより遥かに大型の蛙型魔獣が九頭、一斉にその重たい首を擡げてこちらを睨んでいた。
「無駄撃ちするつもりはなかったけど……せめてもの弔いよ!」
ノソノソとこちらを振り返り、重鈍な歩みで近づいて来る。大方捕らえられた獲物ばかりを与えられてきたのでしょう。まったく腹立たしい。そんな期待した目で私を見るな。
「揺蕩う雷霆——」
一頭、二頭と蹴り貫く。今このひと時だけは、私の体は雷電よりも疾く鋭い。傲慢と怠惰を溜め込んだような醜い肚を蹴破り、けたたましい鳴き声をあげる魔獣達を私は打ち倒し続けた。
「……あらぁ。いけないわ。可愛い坊や達にそんなことをして」
最後の一頭を貫いた瞬間、その声は聞こえた。すぐに声の出所を探ろうと辺りを見回すと、さっきまで私がいたあの部屋の方からこちらを見ている人型魔獣の姿があった。そして確信する。アレが標的だ。
「貴女小さいのに、随分獰猛なのねぇ。人間の子供はもっと大人しくて、食べさせやすいものだった筈だけど」
ぐちっ、ぐちっと湿っぽい足音と共にそれは近づいて来る。なるほど、蛇の魔女とはよく言ったものだ。チロチロと覗かせるその長い舌と、鱗に覆われた肢体。短く太い鉤爪を持ったそれを、人型だなどと思った自分を許せなくなる程薄気味悪い。不自然にも自然な形で、二足歩行する蜥蜴がそこにいる。
「また産み直しね。まったく……人間の分際で——っ!」
語気を荒げてそれは手を振るった。蛇の“魔女”というだけはある。今まで散々焼き潰してきたそれは、魔術による泥人形だったという訳か。
「行きなさい!」
洞窟に湧いていた蛙型がざっと十頭。強暴性や敏捷性こそあるものの私の敵じゃない。魔力も……あと二回分くらいはある。言霊を唱え、雷を纏い魔女めがけて突進する。一撃で仕留める——ッ!
「——っシャァアッ!」
繰り出した蹴りが蛇の右肩を貫く瞬間、虹彩が絞られその瞳に黒い縦線が走るのがわかった。腕一本。間違いなく手傷は負わせたが、アレは私の動きを目で追って致命傷を避けてきた。
「……厄介ね」
気を落ち着けてもう一撃。今度は外せない。呟いてすぐに私は新たな詠唱を始める。
「ッッッ! ァアッ! ァハッハッハッハ‼︎」
錯乱か、余裕か。何にしてもこれが最後。私を喰らおうと周りから飛びかかって来る魔獣諸共に魔女を仕留める。
「荒れ狂う雷霆————」
今の私の魔力で確実に仕留めるには広範囲を一気に蒸発させるしかない。言霊を切っ掛けに、私を中心として青い稲妻が迸る。稲妻は飛びかかってきた魔獣を貫き、全身を焼いてなお勢いを増す。無理矢理に通電させられた空気は雷鳴という悲鳴をあげながら、沸騰した魔獣の体温で爆発的にその体積を増していく。やがてそれは暴風となり、雷電という矛を纏った嵐として周囲一帯を焼き尽くし始めた。
「ァァア! キヒィッ! キキーッヒヒヒッ‼︎」
笑い声とは裏腹に、蛇の様に冷たい目をしたまま魔女は嵐の中へと飲み込まれていった。たとえどんなに硬い鱗に包まれていようと関係無い。土の中へ逃れようと容赦無い。この嵐は周囲のものすべてを飲み込んで——
「————なん……で……——」
「ヒヒッ——ギィーーッヒッヒッヒ——」
体を激痛が貫いた。さっきまで体を蝕んでいたリバウンドの痺れなんかよりずっと鋭い、これは……っ!
「狩の基本でしょう。狩りやすい獲物から狙うのは」
「……反射……でもどうやっ————」
してやられた。私の戦い方をしっかり観察していたのだ。その上で相性が良いと、御し易いと私を誘い入れたのだ。消えゆく意識の中ケタケタ笑う蛇の顔を睨みつける。
逃げて——アギト————