第二百八十二話
僕らはマーリンさんの案内の元、キリエの街を観光していた。果たして本当にこんな呑気なことをしていて良いのかと疑問は尽きなかったが……マーリンさんが良いと言うのだから、まあ。ただ、可能ならば…………
「……あの、マーリンさん……?」
「うん? どうかしたのかな? もしかして退屈だったかい?」
退屈だなんて話は無い。これまでの旅ではおよそ目にしなかった物を並べて立てられて、何を見ても新鮮極まりない…………のだが、問題はそこではないのだ。問題なのは…………
「…………マーリン様だ…………」
「見ろ、巫女様だ……今日はいったいどうしたのだろう……」
「……ドレスも着ずに人前にお顔を晒すなど…………」
「あの少年少女は何者だ……? 従者というには見すぼらしすぎるが……」
周囲を取り囲む様にぞろぞろとついて来る騎士と、それから野次馬達。とどのつまりは…………だ。
「……どうしてこんなに注目される状態でくつろげると思ったんですか! いろんな意味で緊張が収まらないんですけど!」
「あ、あはは……それは…………うん、ごめん。でもしょうがないっていうか……どうしようもないっていうか……」
この街においてマーリンさんを知らぬ者は存在しない。とか、そんな事情があるのかは知らない。ただ、街外れで馭者のおじいさんが彼女を拝み倒していた様に、彼女を崇拝している人間が多いのは事実だ。それは経済的な、金銭的な意味でもあり……同時に、やはり星見の巫女様という権力的な意味もあり。もちろん、勇者の仲間、伝説の魔術師としての尊敬もあるんだろう。まあなんだ、結局のところ有名人なんだ。それに加えて……
「ほんと、バカにしてるよねアイツら。なんていうか過保護っていうか。僕の方が強いのに。こんなに護衛が付いて来なくったっていいんだって、いつもいつも言ってるんだけどね」
「…………いえ、マーリンさんの場合は………………いえ」
きっと彼らは彼女の護衛のために付いて来ているわけでは無いのだ。彼女から街を守る為に、何かと暴走しがちなマーリンさんを見張る為に隊を組んでまでこうしてぞろぞろと……
「……はあ、ちょっと怒ってくるよ。客人の前で不躾な真似をするんじゃないってんだ」
「客人って……まあまあ、別にみんな悪気があってやってるわけじゃないんですし」
今回、彼女の中で僕らは完全にゲストらしい。さっきから案内される観光地めいた美術館やら絶景スポットやらは、彼女のイチオシと言ったところかな。プンスコ怒って、僕らの後ろを遠巻きに歩いていた騎士達に向かっていくと、それがなんなのかを察してか彼らは大慌てで距離を取った。野次馬もひと睨みで退散させると、マーリンさんはまだちょっと不機嫌そうに眉間にしわを寄せて頭を抱えた。
「はぁ。僕は獰猛な獣か何かか。アイツら、帰ったら全員説教だ」
「どうどう……」
そんなゴタゴタの中でも、ミラはなにやら嬉しそうに彼女の後を付いて回っていた。こいつにとって外野は関係無いみたいだ。マーリンさんが……憧れの大魔導士が自分の為に何かをしてくれる。ただそれが嬉しいのだ。尊敬する人として……それから、ちょっとだけ遠慮して、口には出さないけど。多分、お姉さんの様に思っているんだろう。本当のお姉さんには向けて貰えなかった優しい顔を向けてくれる彼女に、僕と同じく家族の様な親しみを抱いている筈だ。
「…………マーリンさん、そろそろご飯にしませんか。ほら、そこのチビ助が……」
「おっと、これは気が利かなかったね。確かにそろそろご飯の時間だ。どこかで食べていくかい? それともまた、以前の様にうちで食べていく?」
そんな彼女の問いに、ミラはお邪魔しますと即答した。まあ、どこの高級料理店に入ったとしても、あの時のご馳走に勝るものはそう出てくるまい。それに周りの人の目を気にしなくていいのも利点だ。僕もミラの意見に賛同すると、なんだかちょっとだけ寂しそうな顔でマーリンさんは頷いた。
「ちぇっ、君達には是非行って貰いたいレストランがあったのに。まあそこはディナーに行こうか。落ち着いてご飯を食べたいという要望には応えてあげないと、未来を……人を見通す巫女の名折れってものだ」
「あはは、予定あったんですね。なら聞かなきゃ良かったのに」
それはフェアじゃないだろう? なんてよく分からないこだわりを見せ、マーリンさんはまた僕らを引っ張って自分の屋敷……別荘か。あの豪邸へと案内し直した。
「……そうだ、マーリン様。その……お屋敷に戻ったらひとつだけお願いがあるんですけど……」
「うへへ、なんだい? 僕に出来ることならなんなりと」
うへへじゃないが。可愛い可愛いミラのお願いにマーリンさんはもう骨抜きだ。っていうか本当にあざとい奴だなお前は。確信犯的に上目遣いでしおらしくしてみせるミラの、この計算され尽くされたおねだりスタイルに、なんだか少し不信感を抱いてしまう。お前は本当にこう…………小悪魔だよな。お兄ちゃんはそんなズルしなくっても甘やかしてやるぞ。でもそれはそれとしてお兄ちゃんにもやって!
「出来ればで良いんです。出来れば、書斎を見せていただけないでしょうか。マーリン様ほどの術師がどんな文献を読んでいるのか、それにアーヴィンには無い本も多いでしょうし。えへへ……ここなら田舎じゃ手に入らない様な資料も…………」
「……可愛い顔して大したこと言うね、君はまた。でもその性分は良いものだ。君は本当に真面目で勤勉で、他の何よりも研鑽を楽しんでいる。天性の術師と呼んで良いだろうね」
マーリンさんにべた褒めされて、ミラはまたえへへと頰を緩めた。まったくとんでもないこと言い出すなお前は。よりにもよって、ちょっと勉強がしたいだなんて。なんだか僕の周りの子、みんな優等生な気がしてきた。みんなって言っても数人だけどさ。
その後屋敷へと帰ると、僕らを出迎えたのは豪華絢爛とはこのことかと思い知らされる様なご馳走の数々だった。いつのまに連絡を入れたんだ、なんて疑問は抱かない。多分僕らのやり取りは筒抜けだったんだろう。その後も僕らの様子を伺っていたであろう騎士達によって…………
「ほら、アギトもお食べ。君だってまだまだ成長期だ、食べないと大きくなれないぞ。僕よりちょっと大きいくらいで満足かい?」
「っ! た、食べます! 頂きます!」
やめて! 小さいとか言わないで! もっと小さいミラがいて麻痺してるけど、僕も僕で小柄だからな。幅というか厚みというか、本体になればそういうのはあるんだけど、結局背は高くないし。微妙にコンプレックスというかなんというか。だが…………うむ。目線が近いのも悪くないんだよな。誰ととは言わないけど。
「いっぱいお食べ。食べて食べて、いっぱい遊んで。そうでなくっちゃ。まだ子供なんだから」
「…………マーリンさん?」
なんでもない。と、誤魔化すその顔は、なんだかとても儚げだった。前にも似た様なことをボヤいていた覚えがある。子供達がのびのび暮らせる様に。戦うことなんて考えずいっぱい勉強出来る世界に、と。彼女が勇者と共に戦った理由はそこに起因するのだろうか。子供好き……なんだろうか。それにしては少し…………
「むぐむぐ…………ごくん。アギト? 食べないなら……」
「食べるってば! 人のものを取ろうとするな、お前は! まだ自分の分がある…………無いじゃん⁉︎ もう食べたの⁉︎」
おかわりは幾らでもあるから慌てないの。なんてマーリンさんに笑われながら、僕らは遅めの昼食を堪能した。まったく油断も隙も無いやっちゃな……
僕らはお腹を満たすと、ミラの要望通りマーリンさんの書斎…………待って、お布団がある。ベッドルームじゃん、思いっきり寝室じゃん。いかん、ドキドキしてきた。どう見てもマーリンさんのプライベート空間に足を踏み入れているじゃないか。ミラはそんなこと御構い無しに、高い天井一杯にまで詰め込まれた本棚に目をキラキラさせていた。ほんとお前は…………
「…………もう、ミラちゃん。さては全部読む気だな? もっと一杯観光させたかったのに。あの子らしいけど」
「あはは、申し訳ないです。でも、丁度良いじゃないですか。マーリンさんだってまだ体力戻り切ってないでしょう?」
あらら、バレてたの? と、少しだけバツの悪そうな顔でマーリンさんは僕の顔を覗き込んだ。そりゃあバレてますとも。足取りに何の問題も無かった。魔術の威力も申し分無かった。この状態でどうしてこんなにも普段通りに振る舞えるのかと、正直な話驚き通り越してドン引きだ。でも……
「そりゃあれだけ血を流してましたから。やめてくださいよ、それで倒れるなんて。マーリンさんが倒れたら、アイツがどうなっちゃうか」
「…………面目無い。君に気を使われるとはね」
そう言ってマーリンさんは僕の肩に手を置いて少しだけ体重を預けてきた。あの時、見えない魔獣を相手にかなり無茶をしていた。村の人々を守り抜く為にかなりの量の血を流した。その事実はどうあっても覆せない。若いオックスですら、長い間体力が戻り切らなかったんだ。女性であるマーリンさんの体重を考えれば、そう易々と全快なんて無理だろう。
「………………おい、アギト。今君ちょっと失礼なこと考えただろ……? まだまだ若いんだからな、僕も」
「のえぇっ⁉︎ なんでネガティブな情報だけ読み取るんですか! 心配してるのは事実ですから! ほら、そこ座って安静にしててください」
はいはいとちょっとだけ拗ねたフリをして、マーリンさんはベッドに腰掛けた。その表情はどこか楽しそうで、僕がからかわれていたのだとやっと理解する。やめてよ、心臓に悪い。そしてすぐに、彼女は本棚の前で嬉しそうにあれこれ抱きかかえているミラへと視線を移した。本当にアイツは全部読み漁る気らしい。え……? ってことは……僕は何してたら良いの?
「アギトは読んでも面白くないかもね。ほとんど魔術書だし、たまにあっても戦争の歴史の記録だ。まあ僕が話し相手になってあげるから、君もこっちへおいでよ」
「うう……どうして俺は魔術が使えないんだ……」
どうしてなんだろうねぇ。なんて不思議そうな顔をするマーリンさんに手招かれ、僕も彼女の隣に…………?
「……アギト? どうかした?」
「…………いえ、私めは立っておりますので」
マーリンさんの隣に、マーリンさんのベッドに。そんなの………………そんなとこ気安く座れるかッッ‼︎ なんでそういうとこは察しが悪いんだお前はッ‼︎




