第二百七十八話
ごうごうと顔のそばを冷たい空気が抜けていく。僕らを乗せ、ザックは西へと走り去った馬車を追って飛び続けていた。
「……速いな。いったいなんなんだ、アレは。もしかして、僕が考えているより東の方は大事に至っているのか……?」
マーリンさんはイライラした様子で遠方に見える馬車を睨んでいた。自らの部下達の甲冑を砲弾代わりに使われたのが相当腹に据えかねているらしい。当然だ。あの村でのやり取りを見るに、彼女と騎士達は深い絆で繋がっている。少なくとも彼女は彼らを信頼しているし、愛情を持って接している様に見えた。彼らもまた、彼女を尊び、敬意を持って仕えてる……風には振舞ってなかったけど、それでも間違いなく彼女への忠誠心は強く感じられた。
「ザック、後ろに着け。それから低く。あんなものそこらに撒き散らされたんじゃたまったもんじゃない。出来るね?」
彼女の言葉にザックは低く鳴き、その通りに低空飛行で馬車のすぐ後ろまで迫った。さて、こうして近付いて走っているところを見ると、全くと言って良いほど意外なものでは無かった。馬車の話だ。機械仕掛けの馬というものを隠してしまうと、三両編成と少し列車に近い性質を持ってはいるものの、普通の馬車にも見える。まあ……砲塔がチラチラ見えているから、マトモであるとは口が裂けたって言えないけれど。
「……足を止めないとな。まずは馬を落とそう。ザック、このまま追い抜いて前に……」
「馬ですね、任せてください!」
ちょ、ちょっと待って⁈ なんて慌てたマーリンさんの制止など聞かず、ミラはザックから飛び降りてしまった。うん、思い立ったら即行動。うちの可愛いバカ妹らしい決断力だ。だ……が、うん。マーリンさんが真っ青な顔してるから、やっぱり話は聞いた方が良いと思うぞ。
「——揺蕩う雷霆・壊ッ!」
バチバチッ! と、雷鳴を残してミラの姿は僕らの視界から消えた。ザックの真下、僕らの死角を通ってそのまま馬車の上へと飛び乗り、何が出るとも分からぬ敵陣の真上を全力で駆け抜ける。だが、逆にそれが功をそうしたのかもしれない。
「…………砲塔の射角はどうやらそこを想定に入れていないみたいだね。よし、ザック。少し離れよう。ミラちゃんなら馬を止めるくらいはワケ無い。有事に彼女を回収出来る様、全体が見える位置へ」
バチッ、バチバチッ! と、未だに鳴り止まぬミラの猛攻を目と耳で確認しながら、ザックは高度を保ったまま少し離れて馬車の側面へと着いた。どうやらミラはもう先頭に辿り着いて馬と交戦中みたいだ。いや、走るしか機能を持たない機械相手に交戦も何もって話ではあるんだけど……
「こんのぉ…………ッ! 貫く槍灼!」
しかし、どうやらミラは苦戦しているみたいだった。馬が意外と硬いのか、それともミラの攻撃力がそれ程にまで下がっているのか。どちらもあるのだろうけど、炎の槍も雷を纏った回し蹴りも、その駆動を止めるに至らない。
「随分硬いな。ミラちゃん! 無理そうなら撤退して良い! あまり長居するのは危険だ!」
「くっ…………大丈夫です! 任せてください! ふう……っ! 揺蕩う雷霆——改ッ!」
パチッとミラが発していた音が変わった。先程までより荒々しさが薄れ、心なしか以前の様な青白い雷光を強く纏う姿に戻って見える。揺蕩う雷霆・改と銘打たれた新たな強化魔術。えーっと……可変術式、だったっけ。彼女はどうやら速度に特化した強化よりもバランスの取れた強化に活路を見出し————
「——これで——ッ! 倒れろッ!」
「ッッ⁉︎ あのバカ……ッ!」
違う、単に細かい動きがしたかっただけだ。馬の背からするりと体を滑らせ、ミラは足に絡みついてそのまま関節技をかけ始めた。いや、機械相手に関節技って…………っていうか危ない! 髪の毛巻き込まれるぞお前!
「……いやいや、どうやら君の可愛いミラちゃんはやり遂げそうだよ。見てらんないかもしれないけど、見てごらん」
「え……? いや、関節技で一体何を……」
バチンッ‼︎ と、突然これまでで一番激しく少女の体から青白い稲妻が走った。その後も何度か同じ様に放電を繰り返す姿に、僕はなかなか意味を見出せないでいた。しかし、それはすぐに成果として現れる。
「…………っ! あのバカ…………防護メガネくらいしなさい!」
「あ、あはは……まあ、目に優しいものでは無さそうだよね」
ぎゅんとミラの身体が飛び起きてそのまま離脱するのと、馬が転げて馬車が横転するのとはほとんど同時だった。ミラが求めたのは繊細な電力コントロールと自分の身体を保持する力だったらしい。炎魔術と合わせたのだろう、見れば機械の馬は可哀想なくらい関節を溶接されて、もうその機能の大半を奪われてしまっていた。
「さて、こうなればアレの中に潜んでいる問題も出て来ざるを得まい。ミラちゃん、ご苦労様! 戻っておいで!」
マーリンさんの呼びかけにミラは顔を綻ばせてパタパタと駆け寄って来た。ザックは横転した馬車のそばに僕らを降ろすと、マーリンさんに喉元を撫でられてからどこかへと飛んで行った。さあ、乗組員とのご対面だ。いったいどんなやばい奴が……うう…………
「…………? マーリン様、この馬車…………無人です。おかしい……確かに何か意図的な行動を取っていたのに……」
「……無人だって? そんなバカな話が…………いや、でも。君が言うのなら……」
ミラの感覚に全幅の信頼を寄せ過ぎだろう。だが、残念ながらそれは僕も同じだ。ミラが中に人や魔獣の気配を感じなかったと言うのなら、多分その通り中には何もいないんだろう。この感覚が外れたことは無かった。ただ……そうなるとひとつ気掛かりなのは……
「……機械仕掛けの兵隊……なんて、出て来ないですよね……?」
「………………どうだろうね。僕らの予想もしない技術と技師が魔人の集いに居たとすれば、そうおかしな話でも無いさ。機械産業に力を入れている国なんて、外に出ればそう珍しいものでも無いしね。うちだって王都の周辺では盛んなんだから」
え? あり得ちゃうの? そんなターミ◯ーター的な話が⁉︎ と、マーリンさんの話に心を少しだけ踊らせながらビクついていると、ミラはなんの躊躇も無く馬車の覗き窓を蹴破って中へと侵入して行った。だから! もうちょっと安全確認を!
しばらくするとミラは目を丸くして、何ごとも無かったって顔で出てきた。本当に何も無かったということを理解するのは、僕らも彼女の案内で馬車の中を調べた後だった。砲弾代わりの甲冑こそ積み込まれているものの、中には装填手も何も居た形跡は無い。どうやら魔術か何かでプログラミングされた自動迎撃システムだった……らしい。そんなこと出来るのかよ……
「……並外れてるわね。アギト、アンタにも分かりやすく説明するなら、これは一種の魔具よ。直進……いえ、キリエかその周辺か。目的地を定められて、それに向かって走るという命令式を書き込まれた馬と……」
「……道を遮る障害を撃ち壊すという命令式を備えられた砲塔、か。しかしこれは不可解だ。これはいったいどんな目的で走っていたのか…………っ。そうだ。いや、忘れていたわけじゃないんだけど、見えないってのは厄介だね」
見えない? ああ、あの魔獣のことか。なるほど、これはあの見えない魔獣を運搬する為の物、だったと。しかしそれならそれで更に疑問が出てくる。こんな大仰な仕掛けを作ってまで運搬しているあの魔獣が、どうして僕らに向かってあんな場所で出てきてしまったんだ?
「……考えられるのは、あの魔獣が人間を見つけ次第襲い掛かる様に調教されているか……」
「或いは僕らの攻撃にパニックになって飛び出してきた、だね。なんにせよ放っておけないな、コレは。ザックにまた人を呼んで貰ってる。回収はそっちに任せるとして、僕らはキリエに急ごうか。考えたくないけど……キリエに魔人とやらがいて、この馬車はあの魔獣を納品する為のものだったとも考えられる」
そう言ってマーリンさんは西へと視線を向けた。またあのゴートマン達が……と考えると、胃が痛くなるばかりだ。だがその推測には裏付けがある。そもそも発端のゴートマンと初めて会ったのもキリエから西へ行ったフルトの街だった。見えない魔獣と接触したのもそこからキリエへ向かう途中。更にその間にまたゴートマンと接触し、新たな魔人の誕生も目撃している。なによりあの男の工房があったのもその道のりの間だった。キリエを中心として魔人の集いとの因縁は繰り返してきたと言っても過言で無い。
「……アギト、大丈夫よ。エルゥは……フルトは強い街だもの」
「……分かってる」
ぎゅうと胸が締め付けられる。いったいあの男にどれだけ苦しめられればいいんだ。ぽんとマーリンさんに背中を撫でられ、僕もまた西へと目を向けた。この先……いいや、ここから後方、東では何が起こっているのか。不安に背中を押される様に、僕らはキリエを目指して舗装された道を進む。




