第二百七十六話
村を出て数時間歩いた頃、僕らは思いもよらぬところで足止めを食っていた。と、言うのも……
「……なんて言うか……」
「…………やっぱり、お前もそう思うよなぁ……?」
僕らが足を止めた場所は、先の騎士達の駐在する屯所だった。なんのことはない、通りがけにマーリンさんが捕まったのだ。いえ、悪いことをしたから逮捕された、のではなくて。あの村で起こった出来事、その現場に残された痕跡。それらと符合する何かがあると、情報を届ける為にどうやら僕らが通るのを待っていた様だ。さて、それはともかくとしてだ。
「巫女様、こちらを。ここから以西、似た様な事件、事故報告が少数ですが上がっています。古いものでは五年前から、つい最近まで。規則性は見られず、予測は困難かと」
「確認した。キリエの警備を厚くしろ。それで何が防げるでも無いが、いち早く情報を仕入れることが肝要だ。ああなってしまっても重要都市だ、意図があるなら避けられない。意図が無いのなら避ける理由も無い。必ず何かが起こる。複数人、出来れば四名以上の集団での見回りを徹底させろ」
僕もミラも、その背中にいつもの彼女の面影を感じられないでいた。分かっている、これが本来の彼女……星見の巫女マーリンの姿なのだ。昨晩も見た、あの時キリエでも見た。騎士を従え、指揮を執るこの姿こそ、まごうこと無く彼女の社会的な表の顔。だが……いつもの優しげな顔とのギャップに少しだけ寂しく思ってしまうのだ。
「…………今、西とかキリエとか。言ってたよな?」
「ええ、ついこの間、とも。それって多分……」
僕達が引き起こしてしまったあの事件だろう。ユーリさんの手紙を受け取ってフルトを旅立ち、キリエに向かう途中不調をきたしたミラを庇って逃げ込んだあの街で。エンエズさんを巻き込んでしまったあの悲しい事件。見えない魔獣との因縁はその頃まで遡る。きっと今あの屈強な騎士達は、その見えない脅威に対する打開策を、ひと際小さく見える彼女と共に打ち立てているのだ。
「ともかく最優先は元凶を突き止めること。魔獣は可能なら殺すな。住処を特定して従えているものがいるのかどうかをキチンと確認する様に。尤もまともな獣じゃなさそうだ、逃げ帰る素振りを見せないのならその時は仕方ない」
駐屯所はその機能に対してさして大きくない。僕らの身近なところで例えれば、アーヴィンの神殿の半分くらいの大きさ。そこには騎士達が十余名寝泊まり出来る施設と、それから馬小屋と馬車庫。食料貯蔵庫に今マーリンさんが大立ち回りを披露している会議室みたいな部屋。いわゆるパトロールに出る者、書類を纏める者、情報を手紙に記す者、それを各所に配る者。それから休む者。文字通りシフト制で、ここら一帯の安全の為に頑張っている男達が住まうには、どう見ても手狭な建物だ。
「どうぞ、お飲み物でも。おもてなしをする余裕はありませんが、騎士として最低限の礼だけは尽くさせていただきます」
「あっ……い、いえ。ありがとうございます。お疲れ様です」
ありがとうございます。と、オックスよりもさらに一回り大きい屈強な男は、和かに笑って僕らに冷たい紅茶を淹れてくれた。僕もミラも別にお客さんでもなんでもない、ただマーリンさんと一緒にいただけだって言うのに。ありがたさと同時に申し訳無さが湧いてくる。
「……なんか、すごいな。そういえばアーヴィンの辺りじゃこんな場所見かけなかったよな。実はどこかに自警団でも潜ませてたりするのか?」
「…………悪かったわね、田舎の小さな街で。さっきも言ってた通り、ここはキリエが近くて、そのキリエが大切な場所だからこうして屯所があるんでしょう。片田舎の平和な街に割く人員がいるなら徴兵なんてしてないわよ。だからこそ結界のあるアーヴィンに避難民が集まってる訳なんだから」
あ、なるほど。言われて納得、そりゃその通りだ。これまで通ってきた街が全部小さいというのもあって、僕の見た中では結構大きな街なのだ、アーヴィンは。だが、実際にはそうでも無いらしい。いや、多分ミラも情報として知ってるだけなんだろう。この旅以前にあの街から出たことが無い以上、彼女が自分の目で見たことのある景色は僕と共通なのだから。
「しかし……暇だなぁ。大事な話してるって分かってるんだけど……いや、むしろ逆。今マーリンさんと騎士の人達が真剣に大変な話をしてるからこそ……自分が無力だなぁって。なんで何も出来ないんだろうなって、感じるというか……」
「随分殊勝なこと言う様になったわね、アンタも。でもそれは違うわよ。何も出来ないならこうしてこの場所に来ていない。あの村を救ったからこそ此処に居るんだから。出来ることはそりゃ少ないけど、何も出来ないなんてあってたまるもんですか」
おっと、これは失敬。そうだなとミラの頭を撫でてやると、少し拗ねたような顔で僕にもたれ掛かってきた。きっとコイツはアーヴィンを出てすぐに訪れた廃村のことから、あの幻の林のことまで。自分が救えなかったこれまでを全部思い出しているんだろう。背負い過ぎな気もするけどなぁ、ほんと。
「ごめん、お待たせ。それからもうひとつごめん。予定変更だ、少し進路を西へ逸らすよ。君達も知っているキリエの街、その周辺の状況を見ておきたい。あの見えない魔獣……というよりも魔人の集いというべきか。どうやら国内に転々と存在するみたいだ。まったく、厄介な因縁を持ってしまったね、君達も」
「西……キリエ周辺、ですね。分かりました。因縁については……まあ、ある程度覚悟はしてましたよ。フルトで魔人の“集い”なんて単語を目にした時点で」
そう、ある程度は。あの時はまさかアーヴィンにまでその魔の手が伸びるとは思わなかったし、その一件……ひとり目の魔竜使いのゴートマンを倒した後にまで続く因縁だなどとは思いもよらなかったが。さらに言ってしまうなら、アーヴィンを出て一週間も旅をして、王都で観光しつつ色んなものを見て。サクッと帰ってそのまま市長とその秘書になる予定だったんだけど。ああ……最初に思い描いてた旅とはかけ離れてしまってるなぁ。
「……ありがとう。それと……ほんとごめん。しばらくは僕の案内に従って進んでくれ。君達の旅の行方を……なんて言っておいて、思い切り公務に巻き込んでしまうことを許して欲しい」
「いえいえ! そもそも私達の都合でマーリン様を振り回す方がおかしな話なんですから。むしろこれまで公務の邪魔をしてしまっていたことを私達が謝罪しなければいけないくらいで……」
おい。私達って、僕も巻き込むなよ。東へやたらと突き進んだのは全部お前の独断だろ。などと突き放すのは寝覚めが悪い。一蓮托生は初めて出会った時から決まってたんだ、本当に。だって……こいつ居なかったらアーヴィンでもひとり引きこもり生活だったわけで。だから、ミラに続いて僕も黙って頭を下げる。マーリンさんは慌てて僕らに顔を上げてと言ったが……正直それは予想通りだ。
「ごめんね、二人とも。王都に着いた暁にはキチンと報酬を出すから。君達には今から少しの間、巫女付きとして公務に携わって貰う。本当に報酬は弾むから許しておくれ」
「あはは、楽しみにしてます。しかし……公務、か。それも星見の巫女様直属…………あれ、責任重大なのでは……?」
っていうか僕にとってはこれがこっちに来てからの初仕事なのでは? 市長秘書ごっこは文字通りごっこだったわけで。クエストも大概ミラがこなしてきたわけで。フルトでちょいと病院の屋根の補修を手伝った……のも、殆どエルゥさんがやってくれた思い出が。あれ……僕本当に何にも仕事して無い…………?
「じゃあ行きましょう。マーリン様、指示をお願いします」
「……うん。まずはこのまま北上。しばらくすれば西へ道が続いているから、そこからキリエを目指そう。まあ、本当に周辺を確認したいだけだから、もう一度あの街に立ち寄るつもりは無いんだけど……うん、無い…………無いと思う……」
なんでそんなに不安げなんだ。というか別にいいじゃないか、キリエにもう一回立ち寄ったって。マーリンさんがいるってことは、もう一度VIP待遇で寝泊まり出来るんだろう? 大歓迎なんだけど。もしかしてあれか? クリフィアを出る前に、ミラが見たこと無いもの、行ったこと無い場所にとか抜かしたからそれを気にしてるのか? こんなおバカさんのおバカ発言はいちいち気にしなくても良いんですよ!
「アギトーっ。置いてっちゃうわよーっ」
「……あっ、おい! 出発が早いんだよ、お前は! マーリンさんも声くらい掛けてくださいよ!」
気付けば屯所を出てもう百メートルほど先で手を振っているミラと、きっとそれに着いて行かざるを得なかったであろうマーリンさんを追って僕も慌てて走り出した。キリエ……キリエ、かぁ。良い思いもしたし、良いものも食べさせて貰った。だが嫌な思いもしたし、嫌なものも見た。富と貧困、格差の街という印象を抱いたあの街へ。叶うのなら僕はもう一度立ち寄って、しっかりとその実情を見極めたいと思った…………り、思わなかったり。あのおばあさんは元気かなぁ。




