第二百六十五話
朝が来た。相変わらずミラは起きない。まぁ、今朝は許してやろうという気持ちにならんでもない。昨晩、マーリンさんの宿題にうんうん唸りながら頭を捻っていたからなぁ。それに……
「むにゃむにゃ…………アギトぉ…………」
「んー? なんだ? よしよし」
今日は珍しく首を噛まれてないからな! 目を覚ました時、やけに首元が涼しいもんだから少し焦ったくらいだ。文字通り抱き枕という役職すらクビになったんじゃないかって。人の腕をがっちり捕まえて、ミラはまだ尚難しい顔でうなされている。どれだけ難しい課題なんだろう。ポーション作りなんて今までも当たり前にやってたのに、分かんないもんだなぁ。
「……むにゃ……じゅる………………はっ⁈ あうっ……あうあう……ごめんなさいっ! あれ…………夢…………?」
「おう、おはよう。随分うなされてたけど、なんの夢みてたんだよ……?」
夢の内容に飛び起きるなんて珍しい。いつも起きてんのか寝てんのか分かんない時間があるってのに、もうぱっちり目を開いて辺りをきょろきょろ見回すミラの頭を撫でてそんな質問をする。ごめんなさいってことは、宿題がちゃんと出来なくてマーリンさんに怒られる夢とか?
「…………なんでもないわよ、もう」
「なんでもないって顔じゃないんだけど……」
なんでもないったらなんでもないの! と、ミラは僕の手を掴んで、もっと撫でろと頭の上に運んだ。はいはい、あざといあざとい。甘やかしついでにボサボサになった髪を整えてやると、タイミングを見計らったかの様にマーリンさんが部屋のドアを叩いた。
「おはよう、二人とも。ミラちゃん、早速だけど宿題を提出して貰おうかな」
「あぅ、はい……」
おや、随分自信無さげだね。マーリンさんは少し意外そうな顔でそう言った。僕も全く同じ意見だ。いつか聞いた話、ミラの錬金術の腕前は相当高位な筈だ。アーヴィンいちの錬金術師を自称するボガードさんと初めて出会った時の逸話や、クリフィアの術師が彼女に取った態度を思い出せば間違いなく。魔術師として、錬金術師として。それにみんなに愛される市長として。今は勇者候補という肩書きも得ているが、コイツはいろんな分野で突出している。まぁ、エンエズさんには敵わなかったみたいで、随分悔しそうな顔をしていたっけ。
「…………ふむ。初日は合格と言ったところかな。よく出来ました、ナデナデしてあげよう」
おずおずと手渡された薬瓶をジッと眺め、マーリンさんはすぐにニコニコ笑いながらそう言った。ぽんぽんと頭を撫でられると、ミラもほっと胸を撫で下ろして存分に甘えん坊な顔を彼女に向ける。うん、やっぱりミラの考え過ぎだろう。マーリンさんのことだ、そりゃあ言葉に裏の意図くらいあるだろう。けれど、ミラの作るポーションが不合格になるとは思えない。きっとこれは、完璧主義と評されたミラの、なんでも全力でとりくむ姿勢の矯正か何か……ブレーキの練習なんだ。魔力の少なさを自覚させて低燃費な魔術を練習している様に、材料の少ない時を想定して安上がりで不本意な錬成を身に付けさせようとしているんだろう。
「さて、じゃあご飯食べて出発だ。ほら、二人とも支度して」
はーい。と、二人揃って返事をすると、またニコニコ笑ってマーリンさんは自分の部屋に戻っていった。或いはもう支度は出来ていて、廊下か何処かで待っているのかもしれないけど。どちらにせよ待たせたらいけないと、急いで服を脱いで鎧を身に纏う。うん……あれだな。なんていうか…………装備だけは一丁前だな。最初の目標は、ミラに助けて貰わずに魔獣との戦いをやり過ごすこと。魔具は……ゆっくり使いこなしていこう。またミラを泣かせるなんて嫌だし、もう調子に乗らない様に。戒めじゃないけど、出来れば撃たない様に。
部屋を出るとやっぱりマーリンさんは待ち構えていた。よし行こう。と、案内されたレストランで朝食を済ませて、僕らは少し長居した街に別れを告げる。フラフラだったから名前を気にする余裕無かったよ……ごめんなさい。
「さぁ、このまましばらくは北上な訳だ。ミラちゃん、折角だから復習といこう。道中に出来る僕のお話のストックにも限りがあるからね」
「復習、ですか。えーっと、それは魔術の……? それとも……その、やっぱり宿題の件でしょうか……?」
やっぱりミラの様子が変だ。どちらかと言うとコイツは、ふふーん! 私が作ったんだから凄くて当然じゃない! 私が凄いんだもの! みたいな。高飛車とは違うけど、培われた経験と知識に裏打ちされた自信を前面に押し出していくタイプだった筈だが。普通なら自信過剰に聞こえる発言も、その努力と情熱を知っていれば当たり前に聞こえる。そんな頼れる錬金術師だったと思うんだけど……
「ミラちゃんはこの課題の意図をどう考えているのかな? アギトにも聞いてみよう。この課題、どんな意図をもってこのマーリンさんが出していると思う?」
「…………うえぇっ⁈ お、俺も……っ? そうだなぁ…………ミラに手の抜き方を教える、とか。コイツ、錬金術とか魔術とか、好きな分野だと見境無しに全力で突っ走るし……」
あはは、それもそれで大正解。と、マーリンさんは微笑ましそうに笑った。だが、対照的にミラは不服そうに頬を膨らませて僕の脇腹を突っついた。な、なんだよ。本当のことだろ。
「むぅ……二人して…………ごほん。そうですね……やっぱりこれも改の為の練習なのかと。環境状況に加えて、自身の状況……魔力残量だとか体力だとか、それに手持ちの魔具や置かれている状況なんかも。そういったものを瞬時に計算して、必要最低限の消費で事態を解決する為の。予想される気候や入手出来る材料を頭に入れて、手持ちと相談しながら最適解を導き出す。そういう練習なのかな、と……」
やはりミラはどこか自信無さげに見える。こんな姿は初めて……では無いかもしれないけど、あんまり見た覚えは無い。ミラといえば、やっぱり自信に満ちているものだ。そんな少し俯き気味な彼女に、マーリンさんはうんうん頷きながら何やら少し考え込んでいる風に見えた。
「…………君はどうにも真面目が過ぎるというか、やっぱりアギトの言う通り手を抜くことも覚えた方がいいかもしれないね。でも、君のその答えも正解だ。新しい力……そうだね、名前を付けてあげようじゃないか。そうだなぁ……可変術式、とかどうかな? 改と付け加えられたこの可変術式、その真価を発揮する為の練習。それも間違いなく正解なんだけど…………二人の答えを合わせてもまだ足りない」
まだ足りない、という言い方は少し引っかかる。いったいこの課題にどれだけの意味を持たせているんだ…………と、そう考えさせるミスリードな気がしてくる。実際、そういう意図もあるんだろうけど。でも、どちらかというと、真意には届いていないと言われている気がする。勿体付ける言い方するよなぁ、ほんと。
「ふふ、悩みたまえ若者よ。君達はこれからいっくらでも成長するんだ。悩んだら悩んだだけ。鍛えたら鍛えただけ。うふふ……楽しみだよ、やっぱり。君達みたいな若者が当たり前に成長出来る環境を僕は願うばかりだ」
「…………随分子供扱いするじゃないですか、今日は」
もう、拗ねないの。と、頭を撫でられた。うん……しょうがないのだ。アギトの外見は確かに、幼いというわけでは無いが、それでも十五、六の少年のものだ。ミラとそう変わらない、どんなにズレたとしても二十歳以上では無いだろうと言い切ってしまえる。の! だ! が! いかんせん中身はそうじゃない。まぁ……こんなの予想出来るわけも無いけど、中身は三十路のおっさんなんだ。子供扱いは…………なんだか特殊なプレイっぽくて、変な趣味に目覚めそうだ。
「……そうだよ。僕達はその為に頑張ったんだ。子供が夢を見て、いっぱい勉強して。戦う練習なんてせずに過ごせる国を、世界を。なのに…………」
「……マーリン様……?」
なんでもないよ、じゃあ次の問題を出そうか。なんて誤魔化して、マーリンさんはまたニコニコと笑った。なんだろう、今日は随分ミラを見つめるじゃないか。変な意味じゃなくてですね。いつもは直視出来なくてどこか遠くを見ているくせに、とかでもなくて。随分ミラを気にかけるというか、不安そうに見守っているというか。昨日ミラがやったアレ、そんなに危ないものだったんだろうか。
「問題です。君達も目にしただろうけど、この国には乾燥してしまった大地が多い。その中でも厄介なのは塩害だ。海沿いでもやっぱりパンを食べたいだろう? そうなった時、街の錬金術師に渡すべき術式はなんだろうね。これはアギトには分かんないかもだけど、一緒に考えるだけ考えてみようか」
「塩害、ですか。うーん、そうですね。私なら…………」
ほうほう、塩害ね。そりゃあ…………あれだよ。塩害を…………解決する…………やつだよ。なに? そうじゃない? 分かってるよ! 僕じゃ分かんないってとこも含めて分かってるってんです。二人はその後も歩きながらアレコレ議論を交わすのだった。うう……マーリンさんが気にかけてくれるものの、やっぱり居場所無いなぁ、こういう時…………




