第二百六十四話
ミラの新しい力……は、一度マーリンさんに没収されてしまった。まあ、なんのデメリットも無しに前以上の威力なんて出せるわけが無いと、そんな当たり前に気付けなかったのはただ僕が間抜けだったから……だと良いんだけど。この期に及んで、ミラに過度な期待を……重荷を背負わせてやしないだろうか。憧れるのと依存するのは違う。それだけは念頭に入れておかないと、だ。
「……さて、ミラちゃんなら理論はとっくに把握しているだろう。じゃあ、また楽しい書き取りの時間だ。何ごとも基礎を怠ること無かれ。いくら君が優秀だと言っても、そこを怠っているといつか転んだ時に大怪我をしかねないからね」
「うぅぅ……っ。うう……やっぱりそうなりますよね……」
書き取りって……そんな漢字の練習みたいなことするんだ。魔術って僕が思ってる以上にとっつきやすいんだろうか……? さて、今ミラはマーリンさんにお墨付きを貰った方の新しい力——改と名付けられた魔術…………の、式だろうか。それをうんざりした顔で何度も書き殴っていた。それって……どんな勉強なんでしょう……? 僕には分からないけど、マーリンさんがやらせてるんだからきっと意味はあるんだろう。さて、そのマーリンさんだが……
一度は……いや、何度か取り乱したりはしたものの、最終的にはいつものふにゃふにゃ系お姉さんとして、ミラに魔術の手ほどきをしてくれている。そのマーリンさんの説明はこうだ。壊と追加した魔術式は無駄を……無駄ではないか。必要最低限の機能以外を削ぎ落とすことで目的の特性を保持する——例えば、射程や延焼力を犠牲に、貫通力と熱量を維持する、だとか。兎も角何かを犠牲に、目的の能力を維持するというものだった。だが、今回は違う。
「うぅー…………揺蕩う……雷霆…………改…………うぅぅ……」
「泣くほど嫌かい……? なんというか……感覚派だね、意外と」
改と追加された魔術式は、消費を調整して出力を調整するというもの。何が違うの? とは僕もふと疑問に思ったところだ。曰く、消費を調整することで、段階的に出力を調整する——つまり、コンロの火を小さくする様に、出力だけを抑えることが出来る……で、解釈合ってんのかな? 今までの魔術をそのままミニマイズするだとか、必要に応じてそこそこの火力を出すだとか。細かく調整が効いて都合がいいらしい。
「…………なんていうか、そんな簡単に調整出来るならみんなそうすればいいのに……」
「あっはっは、簡単じゃないさ。僕は出来るけど絶っっっっっ対にやりたくない。めんどくさ過ぎるんだよ、準備がさ」
そんな思いっきり嫌がる様なことさせてるの……? 訝しむ僕に、マーリンさんは笑いながらミラを指差してさらに笑った。な、なんて失礼なやつだ! うちの妹をバカに……
「ミラちゃんはそもそもそういうのが得意……というか、慣れ過ぎているからね。雷魔術だからといって、いちいち環境状況に応じて属性を微調整するなんて普通はやらないよ。それなら別の魔術を使うもの。現に僕だって強化魔術……揺蕩う雷霆を調整した式をいくつか持ってる。同じ魔術を最適に調整するより、持ってる魔術の中から最適に近いものを選ぶ方が簡単で早くて楽なのさ」
「……だから、じゃあなんでミラにはそんな……」
出来ちゃうからだよ。と、マーリンさんはなんだか羨ましそうにミラの小さな背中を見つめてそう言った。出来ちゃう……? でも面倒なんだろう? 出来るけどやらないって、今自分で言ったじゃないか。
「ああ、違う違う。出来ちゃうってのは、当たり前にやれてしまうって話。こればかりは人柄だとか性格に依る部分が大きいからね。ミラちゃんはその場で調整することに慣れていて、それが当たり前で。きっとレヴちゃんは常に最善を求められていたんだろう。次期当主を守るという役割を確実に果たす為に、面倒だとか手間だとか考える暇も無く、ね」
「…………ミラは……やっぱり凄いんですか……?」
ああ、凄いなんてもんじゃないとも。と、胸を張って…………っ! おお……ぽよんって…………ごほん、失敬。いや、これはしょうがないだろ? しょうがないんだよ。しょうがないんだって、目の前であんな……ごほんごほん。集中力が無くて脱線しがちな僕と違って、ミラは目の前の出来事に全力を出せるということだろう。
「……あの子……レヴちゃんはもちろん、ミラちゃんも非凡じゃ収まらない器だよ。魔力に枷が無ければきっと……いいや、間違いなく魔術翁と並び得る存在だろう。それと、話を聞いた限りでは、彼女のお姉さんは現魔術翁以上かもしれない。魔法に至ったと言っても過言では無いだろうからね」
魔術翁……か。いつかマーリンさんは、自分以上の魔術師だと現魔術翁ルーヴィモンド少年を評した。ってことは、だ。ってことは…………
「……もしかして、レヴってマーリンさんより凄い…………?」
「あはは……痛いとこ突くね。星見という特殊な能力や、勇者の仲間という肩書きがあるからこそ、僕はこうして持ち上げられてはいるものの、その実そこまで大した術師では無いんだよ。勿論、現段階ではこの国で一番だって自負はあるけど。あの少年翁もまだまだこれからぐんぐん伸びるからこその評価だし、ミラちゃんのお姉さんは…………きっともう戻らないから、ね」
ほーん、なるほどなぁ。と、適当に相槌を打つと流石に怒られるし拗ねかねない。やっぱり凄いんですねぇ、とかしみじみ言っておけば良いだろう。なんて考えもやっぱお見通しだったらしく、僕の気の無い返事にマーリンさんは不服そうに僕の腕をつねり始めた。拗ねないでよ…………
「ぶー。信じてないなぁ? まったくもう、凄いのは凄いんだ、僕だって。レヴちゃんやお姉さん、少年翁はそりゃまあ特別な逸材さ。でも、僕も間違いなく特別なんだ。大した術師では無いってのは、あくまでも謙遜の言葉であってだね」
「あー、はいはい。凄いのは分かってますし尊敬もしてますって。そういうとこですよ、威厳とか諸々無くなってくの……」
なんだよう! と、プンスコ怒ってマーリンさんは僕の腕を殴り始めた。そういうとこだよ……本当に。誰も貴女の凄さを疑う人なんていないだろうに、なんだか余裕が無いというか……子供っぽいというか。小物感が滲み出てしまうのだよなぁ。
「ふいーっ! マーリン様―っ! 終わりましたーっ‼︎」
「よしよし、お疲れ様。ああ……ミラちゃんは本当に良い子だなぁ。どこかの失礼な男と違って」
だから! わざとらしくそんな嫌味ったらしい言い方しなくても分かってますって! どうして素直に褒めさせてくれないんだ。というか自ら株下げ過ぎなんだよ、本当に。
「よし、じゃあ新しい課題を出そう。毎日一本、ポーションを作ること。ただし、ただ作るだけじゃ意味が無いからね。その日その時の状況に応じた物を作って来るように。毎朝提出としようか」
「ポーション……ですか。分かりました」
おや、なんだか……簡単そうな課題だな。その時々に応じた、ってのは……どういう意味だろう。でもそれはミラの得意分野なんだろう? 得意分野を伸ばす訓練……宿題だろうか。じゃあ今日はもう寝るよ、おやすみ。と、大欠伸をしながら部屋を後にするマーリンさんの背中を、ミラはなんだか小難しい顔で見つめていた。
「……ミラ? どうかしたのか? ポーションって、いつもお前が作ってたあの……」
「そう……だけど。うーん…………これ、結構難しいかも」
はい? いやいや、難しいって。いつもぽんぽーんと作ってたじゃないか。あ……っと、魔力結構使うとか……? だとすると……ポーション作りの魔力消費も計算に入れて、とかそういうやりくりの……?
「………………アギト、忘れたの? ポーション……錬金術は無から何かを生み出してるわけじゃない。ポーションだって、材料があって初めて作れるんだから。毎日一本となると、その材料確保も大変……だけど…………」
「そっか……そうだよな。いつだったかそれでお金稼ぎが頓挫したこともあったっけ」
微妙に嫌な思い出引っ張り出すわね……と、苦い顔で言われてしまった。まあ、あの時は大変だったよ。ミラが……可愛可愛いミラがお金の魔力に取り憑かれてしまった瞬間でもあるのだから…………
「……でも、多分それだけじゃ無い。その日、その時の状況に……ってのにきっと大きな意味があるんだわ。限られた材料で最適解を選ぶ練習、かしら。うぐぐ…………ってなると今日はまだ材料もある、魔力的な余裕もある。日持ちする最高クラスのポーションを作れば良いわよね……?」
そりゃあ、最高クラスなら文句は無い……とも限らないのか。これは納品では無く宿題。最適解を導き出すという過程にこそ意味があるのだろう。頭を抱えてウンウン唸るミラに僕が出来ることといえば…………ご飯の準備くらいなものか。保存食もまだあるからね、ミラがまた机と向き合っている間に準備くらいはしておこうかな。料理……出来るようにならないとな…………




