第二百五十八話
ああ、背中が寒い。背中だけじゃ無い、全身が……なによりも心が寒い。どうして…………どうして………………っ!
「どうしてここには歳下のきょぬうおねえたまが居ないんだ…………っ!」
僕の心は、あのクソポンコツ童貞魔導士の思惑通りの結論を得てしまっていた。くそう…………あんなの忘れられるわけがない。焦がれずにいられるわけがない。だって! いい匂いがしたんだもの! この世のものとは思えぬほど柔らかかったんだもの! 一度として感じたことの無い程の幸福感に包まれてしまったんだものッ! くそう……あのポンコツ、にぶちんな癖に自分のポテンシャル自体は自覚してんのかよ……っ。卑怯過ぎる、卑怯過ぎるぞそんなの…………っ。男の子が逆らえるわけ無いじゃないか…………
「………………はあ。虚しい……」
今日は日曜日だ。世間はお休み、僕はお仕事。しょうがないね、日曜日はお客さんいっぱいだから。だが……せめてこの悶々とした気分だけはなんとかしたかったなぁ。うう……本当になんてことしてくれたんだ。
朝早くにお店に向かうと、既に花渕さんも居て忙しなく働いている様子だった。まだお客さんが来ている、って感じでは無いけど……なんだろう。営業回りに行くのかな。てなると、あのピークタイムに店長がいない可能性も…………?
「ああ、アキトさんおはよ。早く着替えといでよ」
「おはよう花渕さん……………………っ⁉︎」
なんで驚いてんの……? と、怪訝な顔をされてしまった。そりゃあ驚きますとも……だって貴女…………アキトさんって…………っ!
「……アキトさ…………っ⁉︎ な、なんで泣いてんの…………?」
「…………やっと…………やっとおっさんから卒業出来たんだ…………っ!」
なんだかんだ花渕さんの中で僕の名前がおっさんで定着してしまって久しい今、デンデン氏にまた余計なこと言わない様にと気を払ってのことかもしれなくても! おっさんから! 名前呼びに! 昇格っ! いえ……出来れば原口さんでお願いしたいんだけどね。女の子に下の名前で呼ばれるのって…………えへへ。照れ臭いや。おいそこ。キモいって言ったやつ、出てこい。体臭嗅がせてやる。おっさん舐めんなよ。ぐすん。
サクッと支度を済ませた僕が表に戻る頃にはお客さんもちらほらと訪れ始め、これぞ日曜日と言わんばかりの賑わいを見せるようになった。うん……これぞ…………日曜……………………?
「あれ……花渕さん……? いつも日曜日はちょっと遅めじゃなかった? 忙しくなってきたから気を使ってくれてるの……?」
「ああ、いや……それが無いわけじゃ無いけどさ。うん……まあ、ね。色々あったから」
色々とは……? なんだろう……まさかとは思うけど、ニチアサ見る為に今までは時間遅らせてたけど、もうそういうのは卒業。十六歳らしく恋に生きます。みたいなことを考えてるとか……? いや、花渕さんがデンデン氏をどう思っているかは別として、ニチアサ見てる説がそもそも苦しいじゃないか。がんばえー、なんてテレビの前でやってる花渕さんは想像出来な…………え…………? 普通は見てても応援しない…………? 嘘だ! ニチアサだけは……っ! 大人も子供も揃って、テレビの前で拳を握って応援するのがジャパニーズスタイルじゃなかったのかッ‼︎
「おーい、アキトさーん。じゃんじゃん働いてよー。手抜きされると私にしわ寄せ来るじゃん。それとも尻叩かれなきゃ動けない? 蹴っ飛ばしてあげようか?」
「うわぁん! 手抜きなんてしてないもん! 考えごもしてましたごめんなさい! 集中しますぅっ!」
素直でよろしい。と、なんだかとても上から目線でお許しを頂けた。おかしい。コレは何かがおかしい。今更何をとか言う奴は放っておいて、子供のそれも後輩の言いなりになってるこの状況。何かがおかしい。おかしいのはお前の職歴だろって? それは本当にやめてください…………
お昼頃になると、元々多かったお客さんの数は更に増えた。うう……忙しいなんてもんじゃ無い。ただ……それでもなんだか充実感がある。ふとかつての、掃除をして、ポップを並べ直して、掃除をして帰るだけ、みたいな頃を思い出すと……
「おーい、アキトさーん。さっさと動いて。邪魔だし」
「うう……っ! おちおち感傷にも浸れない…………っ」
考えごとなんて許される状況では無かった。うう……忙しいのは分かる。けれど……どうして僕はこんなにもノロマなんだ。もうひと月以上はここで働いてるんだぞぅ。そろそろ花渕さんの手を借りなくてもひとりで出来るってとこ見せないと…………首が涼しくなってしまう…………っ!
少ししてお客さんの数が減ると、店長は箱いっぱいに商品を並べて車に乗り込んだ。やはり配達があったのだな。だから朝早くからあんなに慌ただしく……
「じゃあ行ってくる。出来るだけ早く戻るから、頑張って」
「任せるじゃん。アキトさんもだいぶ使い物になってきたし、お土産買うくらいの余裕は見せても良いよ」
なにそのファンキーな返し⁈ ちょっとかっこいいじゃん! ではなくって。もっと重要なこと言ったよね⁉︎ うへへぃ、だいぶ使い物になった、か。うへへへへぃ……あれ? 使いもの…………あれ? 僕の方が先輩…………?
「さて、アキトさん今のうちにご飯食べてきなよ。私は今日ご飯食べないし」
「あ、ありがとう。お客さんいっぱい来たらすぐに戻るから、呼んでね」
意地でも呼ばんし。と、なんだか意地悪な顔で僕の背中を押して花渕さんは笑った。うう……なんだか今日の花渕さんはいつも以上に頼もしいぞ……? っていうかご飯食べないって、ダイエットかな……? 拙者的にはちょいぽちゃ……と言うか、あんまり痩せぎすなのはかわいそうで嫌なのですな。いっぱいご飯を食べる元気な子が………………うちの妹のことじゃない? コレ。まあ……幸せそうな顔してるのが一番だって、それはなによりもの前提条件だよね。というか…………
「…………デンデン氏も罪な男よなぁ」
僕より歳上なくせに。文字通り倍違う歳の女の子を誑し込むとはなぁ。いや、顔はいいからなぁ。身体つきとか、逞しい肉体からのパティシエなんてギャップもいいのかも。うう……どうしてあんなダメ人間みたいな、ソフトだけなら僕の相互互換みたいなスペックしてる筈の男に、あんなにもいいハードが与えられているんだ……っ! というかあの見た目でどうして僕と同じ中身してるんだ……っ! でも親友だからな、悪くは言わんさ。ただ…………場合によっては通報しなくてはならなくなるかもしれんが。
急いでご飯を食べて、花渕さんの手伝い…………もとい自分の仕事をして。店長が帰って来てからもひたすらにお客さんの相手をして。うん……この店、軌道に乗ったんじゃない? なんて顔を綻ばせたのは、閉店後に店長と花渕さんが、何やら嬉しそうに売り上げとにらめっこしている時のことだった。
「いやぁ、いい感じだ。日曜日だからってのもあるけど、それにしたって前までと比べたら天と地ほどの差だよ。二人のおかげだ、本当にありがとう」
「ま、私が手を貸したんだからね。まだまだ繁盛させるから、アキトさんももっと体力つけてくるし」
はは、なんて頼もしい。でも……彼女の功績は確かに大きそうだ。だって、彼女の打ち出した改善案のほとんどが機能している。一番大きいのは、廃棄になるパンが半分以下になったことだろう。いや、三分の一程にまで減少している。だって! あんまり持ち帰れなくなったもんね!
「……頼もしいよ、本当に。十六歳って凄いね」
「なにそれ? 十六歳でも女子高生でも無くて、私が頼もしいんだし。そこんとこ間違えないでよ、アキトさん」
そうだね。と、上機嫌で僕の胸を小突く花渕さんの言葉に同意する。うん……そうだ。十六歳であるとこだけなんだから、共通点は。二人を重ねるのはあまり良くないんだろう。でも……ああ。ああ! もう! どうしてこう二人ともかっこいいんだよ! 僕も…………僕ももっと頼られたいです…………っ! あーあ、ちょっと抜けててぽけーっとしてて、ドジでほっとけない感じのお姉さん(歳下)のアルバイト入ってこねーかなー。そんで、原口先輩! なんて慕ってくれねーかなーーーっ! うう……どうあがいても花渕さんの弟子になって、僕は兄弟子……それもすぐに追い抜かれる役割になりそうだ…………
さて、と。お疲れ様と店の前で別れた花渕さんは、いつもとは別の方向へ——昨日と同じ方向へと歩いて行った。ああ……ご飯食べないって、もっとハイカロリーなもの食べる予定があるからだったのね。うふふ、かわいいなぁ、十六歳。違うんです通報しないでください。可愛らしいなぁ、いじらしいなぁ。と、そういうですね。はたから見た感想であってですね……なんて。家に帰って、ご飯を食べて。もう花渕さんも家に帰った頃だろう。じゃあ……そろそろいいだろうか?
「デンデン氏―。ゲームしよー」
送ったメッセージに既読がついたのは数秒後のことだった。返答はもちろんイエス。ふふ……今日の僕はひと味違うぜ……? なにせあの花渕さんに褒められた……褒め…………褒められたかなあ? ともかく、使い物にはなったと太鼓判を押されたのだ。どんな野菜だろうが……育てて見せるさ…………っ!
「デンデン氏。クラサガってサービス開始いつだっけ」
『まだ当分先ですな。体験版……アギト氏がミラちゃんと遊ばせてくれないんですもの……』
べ、別にいいだろ! 色々あんだよ! こっちにも! 僕らはいつも通りチャットに花を咲かせながら、夜更けまでゲームをするのだった。うん……平和だ、こっちは。ぐすん。おねえたま…………




