第二百四十六話
僕達の前に現れたのは、魔獣の林……とでも言うべきだったのだろうか。マーリンさんの手によって真っ黒に焼け焦げた大地を見ながらそんなことを思う。思ってる場合じゃない!
「そうだ……っ! 大丈夫だった? 一体どうしてあんな場所に……」
未だに恐怖に陥ったままの少女の手を握り、僕はゆっくりと息を吐くよう促しながら色々と質問をする。ここより東はもう人の住める環境では無いとマーリンさんには聞いている。それもユーリさんが時間をかけて確かめたのだと言うのだから、よほど間違いは無いのだろう。だったら何故、あの木々が魔獣であると知らなかったとしても、魔獣の住処になりやすい薄暗い林の中へ子供一人で赴いたのだろうか。東から逃げて来た道中というので無いなら、何か意図が無ければあんな場所には……
「こらこら、質問責めは後だよ。街までその子を連れて行こう。何はともあれ、暖かい食事と甘いものだ。恐怖に冷え切った心には暖かいホットチョコレートが良い」
「……そうでした。ごめんね、お兄ちゃん達と一度街まで行こう。君、家はどこ?」
カタカタと震えながら少女は首を横に振った。分からない、戻りたくない、戻れない。まだそれだけでは候補が多過ぎる。頭の中はしばらくパニックかもしれない、最寄りの街で落ち着いてからにしよう。だがしかし、やはり僕はどこか頼りなかったのだろう。マーリンさんは僕の肩を叩き、代わるよと言って少女を抱き上げた。うぐぐ……ボルツの時に比べたらずっと上手く立ち回ったと思ったんだけどなぁ。
「あはは、アギトは分かりやすいなあ本当に。君は頭で考え過ぎなんだよ。子供の相手をするにはそれじゃ煙たがられるぞ。あれこれ考えず、目の前のことをひとつずつこなせば良いのさ」
「うぐぅ…………まさかこんな所でも子供耐性の低さが露呈するなんて…………」
うう……あっちに戻ったらあの子にどやされそうだ。少女はマーリンさんの体温か声色か、それとも本能的に僕とは比較にならない頼もしさに安心したのか、次第に顔色も良くなっていった。不服であるが、この人の抱擁力は確かなものがある。どう見てもそうは見えないと思い続けてここまで来たが、やはりマーリンさんはもう立派な……というか、本来の僕と変わらぬ大人なのだ。あ? 本来の僕が大人とかけ離れてるだって? やめろよ。やめてくれよ……
道中で魔獣に出くわすことも無く、僕らは一時間と少し歩いた先で小さな村に辿り着いた。だが、少女が安堵の表情を見せるには至ら無い。どうやらこの村の子では無さそうだ。となると、戻ることになるのだろうか、それともやはり東から……?
「よしよし、大丈夫だよ。ミラちゃん、何処かから甘い匂いはしない?」
「甘い匂い……ですか。えーっと…………そこの路地を左に行ったところと、それからこのまま真っ直ぐ……あの見張り塔を右に曲がった先にありそうです」
うんうん、本当に分かるんだ。と、マーリンさんはどこか呆れたような顔で頷いていた。分かる……分かるよその気持ち。僕もかつてクリフィアで同じことを試した。こいつの食への執着心、そして人並み外れた嗅覚のなせる技だろう。そういうとこも含め、やっぱりミラはペット枠な気がしてくる。芸を仕込んで路銀を稼ぐ案、今ならもう少ししっかり練り上げられそうだ。
ミラの案内で訪れた先は、レストラン……では無いな。カフェ……? 甘味処……? えーと、あれだよ。僕なんかでは縁の無い、オシャンなお店があったんだよ。ス○バ的な、そういうやつだ。分かるだろう? 僕は一度、そのリア充オーラに負けて入り口で弾き出されたんだ。(被害妄想)
「うんうん、まさか本当にあるとは…………」
「…………聞いたの、マーリン様じゃないですかぁ……」
ああっ! ごめんごめん! ありがとうね! と、頬を膨らませて拗ねるミラに、マーリンさんは慌てて謝罪を繰り返していた。ミラはミラで、良いところを見せよう、この人の役に立とうと張り切ったつもりだったんだろう。なんて悲しいすれ違いだ。マーリンさんはあの時の僕同様ちょっとした冗談のつもりだったんだろう。普通は本当に分かるって思わないもんね、分かる。
なんでも好きなもの奢るから。と、マーリンさんは危険な方法でミラの機嫌をとって店に入った。どうなっても知らんぞ……頑張れよ、マーリンさんの財布……っ! 店内に漂うクリームの甘い匂いに、少女は少しだけ笑顔を見せた気がした。のだが……ミラがそれ以上に目をキラキラさせてはしゃいでいるもんだからちょっと良くわかんなくなる。人ってそんなに嬉しそうな顔出来るんだね。
「さて、何が食べたい? なんでも好きなものをお食べ。こう見えてお姉さんはお金持ちだから、好きなだけわがまま言って良いんだよ」
ああっ……それ、僕も言われたい……っ。歳下の歳上お姉さんに優しく甘やかされたい、養われたい…………では無く。少女はマーリンさんの顔色を窺いながら、小さなオレンジケーキを指差した。しかしマーリンさんはそれに対して、アレを見てごらんと少し困った顔でもう既に山程ケーキを買い込んで頬張っているミラを指差した。子供の前でくらいお淑やかに出来んのかお前は……などと考えないでも無い。だが、どうやら今はそれが良い方に働いたみたいで、少女は初めに見せていた遠慮や不安を脱ぎ捨てて、大きなチョコレートケーキとホットミルクをねだり始めた。
「うん、チョコが良いんだね。すいません、こっちのチョコレートケーキと、そこのオレンジをひとつずつ。それからホットミルクを。アギトは決まったかい?」
「えっ⁉︎ 俺も良いんですか⁉︎」
アレがオーケーなんだから君の分くらい平気だよ、なんて苦笑いしながら、またマーリンさんはミラの方を見た。アレ…………? 気の所為かな? 貴女、なんかお皿増えてない? 遠慮って言葉知らなかったっけ?
お言葉に甘える形で僕もミルクレープを注文した。ふふふ……こういうレイアウトは習ったからね。間違いなくこいつがこの店のテッペン、頂点に位置する商品だろう。マーリンさんもバタークッキーとアイスティーを頼んで、みんなで…………テーブルのサイズの都合、ミラと他三人とで別れて小休止をすることにした。
「ふふ、美味しいかい? ここらは牧畜が盛んだからねえ、乳製品は特級に良い。ほら、キリエから向かう時にも似た様な街に寄っただろう? 牧草が良いのとか、ダメでも買い付けが簡単なのもあって、質の良い牛乳が手に入りやすいんだ。王都の方だと山羊乳がメジャーだから、実は僕も牛乳製品はあまり食べたこと無いんだよねー」
子供を相手する時の優しげな表情は、いつか寝込んだ僕に向けられたものと変わらなかった。つまり、この人にとっては僕らもこの子と変わらない庇護対象なんだろう。嬉しいやら悲しいやら、だが今は僕らの話はいい。少女は少しずつ警戒を緩め、次第にマーリンさんとは会話をする様になっていった。やっぱり安心するんだろうか、お姉さんって。
「うんうん、美味しいか。さて、さっきお兄ちゃんが色々聞いてたね。それの続きと行こう。まずは……君の名前を聞いても良いかな?」
マーリンさんの言い回しに少しだけ不安げな顔を見せたが、すぐに笑ってユノと元気良く返事をする姿はもうなんの恐怖心も抱いていなさそうだった。少し目をやれば、ミラもケーキを平らげて興味深そうにこちらを見ているではないか。もう食ったのか……お前…………
「うん、ユノちゃんだね。ユノちゃんのお家はどこ? いつもはどこで遊んでいたの?」
成る程、まずは連れて帰ることを優先に考えないといけないものな。マーリンさんのそんな質問に、ユノちゃんは少し困った顔をした。はて、もしかして町の名前は知らないとか。それともやはり東から…………
「……ガラガダ」
「っ! そう、か。ガラガダから……」
ガラガダ……だって……? ちょっと待って欲しい、ガラガダと言ったらもうずっと南だぞ⁉︎ アーヴィンからさらに南東、クリフィアへ向かう僕らと別れたオックスと同じ様に反対に進まなくちゃならない。馬車か何かで家族みんなでどこかへ向かっていた……? いや、ならその家族はどこへ行ったってんだ。
「…………ねえ、ユノちゃん。君はどうしてあそこにいたんだい? まさか遊びに行ったわけじゃないだろう? もしかして、君……」
「……マーリンさん?」
ユノちゃんはまた首を傾げた。分からない……? どうしてあそこに、魔獣の林にいたのか分かってないって言うのか?
「……うん、これ以上は嫌なこと思い出すから無しだ。さ、ミルクが冷めるよ。慌てないで良いから、味わってお食べ」
そう言ってマーリンさんはユノちゃんをギュッと抱き締めて頭を撫でた。ミラが何やら羨ましそうに見ている…………のは一度置いておこう。これ以上の詮索は無しと言いたいのだろうが、正直なところ重要な情報の殆どが欠如している気がした。だが……この小さな女の子の負担を考えての配慮だよね。それなら……うん。仕方ないか。
「……さあて、ガラガダかあ。どうしたものかな」
嬉しそうにケーキを頬張るユノちゃんと、それを見て頭を抱えるマーリンさんと。まだ食べ足りないのか、恨めしそうにユノちゃんの手元のチョコケーキを見つめているミラ……は、ちょっと置いとこう。僕らの旅はまだまだ北へと続いている。ここでまさかのUターン……とは、マーリンさん的には痛手なのかもしれない。ともかく一度策を練ろう。と、マーリンさんはこの街でまた宿を取ると決め、絶望のお会計フェイズへと進入した。耐えてくれ……マーリンさんのお財布と精神……っ!




