第二百四十二話
うう…………ううぅん…………寒い…………寒いわけじゃないっていうか、寒いわけは無いんだよな。ただまあ……うん。寒気では無いからヨシ。
「……はあ。依存とはよく言ったものだよ、マーリンさんも。僕の方も随分どっぷりなのね……」
背中が暑くない。ただそれだけで寒いと誤認してしまう。ミラが一緒にいて、噛み付いたり擦り付いたりしてるのが本当に普通になってしまったらしい。そしてもうひとつだけ……
「もう、あっちとこっちとでは別物みたいな気分になるよな。なんでだろ、身体が違うからかな……?」
あくまでもアギトも秋人も同じ、世界こそ違えど同じレールの上に続いている物だと認識していた。だってどちらの記憶も共有していて、それぞれの思い出のおかげでどちらの僕も成長出来たんだ。全く別のものでありながら互いに影響し合うのだと。だが……なんと言おうかな。影響はあるものの、どちらかと言えばその逆。同じものでありながら、互いに別の道を進んでいる……様な。
「…………アギトとしての生活が馴染んだからかなぁ」
どちらにいても、反対側の自分が前ほど主張してこなくなった。そりゃ全くじゃない、何かあれば全然影響は出る。でも、なんて言うんだろうなぁ…………こう、この…………ほら。うーん。ダメだ、こっちじゃイマイチ説明つかないや。
「まあいいや。それより大事なことがあるからな、今日は」
体調は万全……だと思う。胸の棘は全部綺麗さっぱりへし折られた。うん、あれは多分取り除いて貰ったんじゃない、へし折られたんだ。今ならわかる、あの子の言葉を俯瞰で捉えられる。大切な家族が倒れて、浮かれてた僕の心がその不安の波に攫われたんだ。ミラを守れた、だから次も守れる。次も守ろう、じゃない。守れると勝手に勘違いした。だから……守るべきものをきちんと見ずに、衝動的に突っ走ってしまった。
「……うう、耳が痛い。おこがましい、か。ほんとだよ……まったく…………」
全部理解した、うん完璧。なんてね。多分、分かった気になってるだけ、あの子の言葉を鵜呑みにしてるだけだ。だけど……それでいいんだよ。間違ってたらきちんと正してくれる奴がこっちにもいるんだから。
「アーギートー。起きてるかーい。入るよー」
「だぁぁっ⁉︎ だから! ノックしたら返事を待って‼︎」
今更もう二回も三回も気にしないよ。なんて冷たい目を向けられた。なんてこと言うんだ! というか貴女が気にしなくてもこっちは気が気じゃないの! 分かってくれ!
「おはよう、アギト。んん? んー……なんだか、今朝は良い顔してるね。うん、良い。ははーん、さてはお姉さんの励ましのおかげで吹っ切れたな?」
「おはようございます。まあ……マーリンさんの手柄が無い訳では無いですけど……」
そっか。と、嬉しそうに笑って、マーリンさんはベッドから立ち上がったばかりの僕の頭を撫でた。やめてください本気にしますよ。平気でボディタッチするんじゃない……ほんといつ襲われても知らないからな…………もう。
「じゃ、行こうか。ミラちゃんはもう準備出来てるよ」
「………………な、なんだって…………ッ?」
ほんと、驚いたよ。と、そう言ってマーリンさんは困った顔で僕の手を引いた。僕にはもう荷物なんて無い。共有の財布はもう空っぽ。魔力を失った短刀も、ホルスターに括り付けてあったから一緒にどこかへ行ってしまった。魔弾はもう惜しくない、いや……全然惜しいけど。でも……きっと、あの短刀は……
「……謝んないとな」
「そうだね、謝ってあげて。それから許してあげて。あの子はきっと、君が自分に腹を立てていると勘違いしてるだろうから」
僕がミラに、ね。腹を立てるどころか申し訳無さで一杯だ。きっとあの短刀……あの魔具はミラが作ったものじゃ無い。いつも聞こえていた言霊の声の主、彼女よりも更に高位の魔術師。そんなの、もう一人しかいないじゃないか。あれは……地母神様の——ミラのお姉さん、レアさんの作った魔具だったんだ。大切な家族との思い出の……レヴから貰った記録としての思い出だったとしても、アイツの大事な宝物。ああ……やっぱりもう一度探しに……
「…………っ。じゃあ、行きましょう」
「……ミラちゃん」
宿屋を出るとすぐにミラが待っていた。ああ……あんなにもクマを作って。顔色も優れない……いつもの様な溌剌さはどこにも見られない。こんなにも……こんなになるまで追い込んでしまったのか……僕は……
「……ミラ。その……」
「っ!」
話しかけようとすると、ミラは慌てて僕から距離をとった。今朝は一度も目を合わせてくれない。そんな様子を見て、マーリンさんはゆっくりで良いと僕とミラの間に立った。うぐ……いつもいつも鬱陶しいくらいじゃれついてくるミラが…………心臓が潰されてしまったんじゃないかってくらい胸が痛かった。
街を出てもミラは一向に僕との距離を詰めようとはしなかった。せかせかと歩きながら、時たまこちらを振り返っては更に歩幅を大きくして逃げてしまった。とてもじゃないけど耐えられないくらい辛い……んだけど…………
「……アギト。おい、アギト……はやく…………早く仲直りしておくれよ……。心がもたないよぉ…………こんなの見たくないよおぅ………………」
「うっ……そうは言っても…………」
もっと辛そうにしてるマーリンさんがいるもんだから、ちょっとマシな気がしてなんとか耐えられてた。けど、うん。やっぱり早いとこ切り出さないと。ロクに寝て無いんだろう、歩みも覚束無いし……もし魔獣なんて出ようものなら——
「アギトってば…………ッッ! ミラちゃん‼︎ 危ないっ‼︎」
「へ……? わ——っ⁉︎」
ああもう! 余計なフラグ立てるんじゃなかった! 現れたのは、別段厄介そうな魔獣って感じのものじゃない。ただ……一昨日の蟻地獄みたいな奴を思い出させる様に、ソレは地中から現れた。いつものミラならもっと早くに気付けた筈…………ああ! もうっ! バカ! これも僕の所為か! あの時、二人は平常でいられなかった僕を気にして注意が散漫だったんだ! 今回も僕の所為——だーもうっ!
「……っ! ミラっ!」
モグラでも無い、蠍でも無い。ミラの大嫌いな蛇でも無い。それはどちらかと言えばネズミの様な、それでもやたらと発達した前肢は猿の様にも見える。ディティールがキモい! ミラはその長い手に足を掴まれ、宙吊りになってしまった。
「この……っ! 今助け……助け…………」
腰に手を当ててもそこには何も無い。僕には戦う為の力が無い。ミラを助ける為の…………? 助ける為の…………力……?
「——ミラぁーーーっ‼︎」
「っ! アギト……っ⁈」
僕は無我夢中で足元に落ちていた石ころを投げつけた。効いてないって? 分かってるよ、そんなの。僕がミラを魔獣から守る? バカ言え、それがいわゆるおこがましいってやつだ。僕はただ、魔獣の注意を引けたらそれでいい。アイツが……アイツは…………僕の……
「なんとかしろーーーっ! 俺、手伝えることはあるかーーーっ!」
「……バカアギト。無いわよ、何も!」
——揺蕩う雷霆・壊。と、僕のヒーローは高らかに叫んだ。そうだ、そういう約束だった。キリエ以来ずっと弱り切った姿を見てきたから、僕を頼るようになったから。勘違いした理由はそりゃもう色々あるさ。そうだ、アイツは——ミラは僕を守ってくれる最強のヒーローで、僕はそんな彼女に憧れたんだ。だったら……
「アギト、ちょいちょい。あ、目は瞑ってね」
「へ? 目って……おうっ⁈」
言われるがままに目を瞑ると腰に手を当てられた。えっ⁈ いや、突然何をしてるの⁉︎ そんな、こんな道の真ん中で……それもあの子が見てる前でなんて! だめぇ!
「……これ…………っ! マーリンさん!」
「分かってるね? 僕がこれを君に返す理由は」
ぎゅっと腰をきつく締め付けられた。ああ、しっくりくるこの感触は……っ。右太もものあたりに手を添えれば、それが何かは目を開かなくったって分かる。腰の後ろ側に感じる冷たい感触とも長いこと付き合ってきた。そこら中補修された痕のあるホルスターを、マーリンさんは僕の腰に巻きつけてくれた。
「さ、行ってこい! 何度も言うけど、もうここは安全圏じゃ無いからね」
「……それ、情けなくなるんでちょっち言うのやめて貰っていいですか……?」
なんてやる気の削がれる檄だろう。けど、背中を押されて僕は魔獣に向けて駆け出した。腰のナイフを抜いて、散々練習した生き残るための構えを取る。情けなくていい、だらしなくていい。頼りっきりでも、今はいい。アイツが甘えてきた時が僕の本当の主戦場だ。だから……
「…………だからって…………その……出番が無さ過ぎやしないかい……?」
「ふーん。ばかアギト、この程度で苦戦するわけ無いでしょ?」
駆け出して……辿り着く時にはもう撃退し終えていた。ま、それでこそってもんだけど。ミラはこれからどんどん弱くなる。弱くなって戦えなくなったら……戦わなくていい様に。やっと笑って飛びついてきた可愛い妹に、僕はそれだけを胸に誓う。それまでは……この小さな英雄に助けて貰ってばかりでも、お兄ちゃんなんだから我慢しよう。




