第二百三十八話
「無い……なんでだ…………確かにこの辺に…………」
川に飛び込んでもう一時間近くは探しただろうか。だが、それでも魔弾は見つからなかった。ミラに貰った大切なもの。僕の身を案じて彼女が作ってくれたもの。ミラだけじゃない、レヴとの思い出も詰まった大事なもの。僕の……たった一つの——
「…………僕の所為だ…………っ」
もう一度川を下って懸命にその痕跡を探す。投げ捨てられた時に留め具が外れて、弾丸の一つでもそこらに転がっていないだろうか。どこかに引っかかって千切れた革の一片でも無いだろうか。なんでもいい、アレが無いと僕は……
——オマエの所為だ————
また、また誰かが頭の中で煩い。一体なんなんだ、どうしたって言うんだ。たった一度の成功に浮かれたか? たった一度、彼女を守れただけで自信過剰になったか? 違う、そうじゃない。ずっと決まってた、考えてた、求めていた、望んでいたことだろう。せっかく巡ってきた機会を掴み取って、それでどうして……
「…………なんで……なんでだよ、ミラ……っ」
ギリっと奥歯を噛み締めて彼女の顔を思い浮かべる。いつもいつも目にしていたキラキラした笑顔じゃない、最後に見た涙をいっぱいに浮かべた悲しげな顔ばかりが浮かんでくる。どうして……どうしてあんな顔をしたんだ。どうしてあんな顔をさせた、どうして、どうして。どうして……
体が冷えて怠くなっているのに気付いたのは、夕暮れにマーリンさんが迎えに来た時のことだった。
下がりきった体温を上げる為にとマーリンさんは暖かいスープを作ってくれた。牛乳と芋とチキンのポタージュを急いで掻き込んでまた川へと向かおうとする僕を、マーリンさんは必死に止めた。それ以上は身体に障る。明日に支障が出ては元も子も無い。君が倒れたらあの子が悲しむ。いろんな言葉で僕を押しとどめて、結局僕はそれに従って布団に入った。一人で眠る夜はいつ以来だろうなんて考える余裕も無く、僕の意識はぷっつりと切れた。
翌朝、僕は風邪をひいた。結局、また足を引っ張るのだな……。そう考えるともう笑うことも出来なかった。ミラは見舞いには来なかった。
「…………すみません。俺の所為で……出発が遅れて…………」
「いや、気にすることじゃない。旅ってのはそういうものさ。いつも順風満帆とはいかない、だからこそ僕達はこうして三人で旅をしてるんだから」
そう言ってマーリンさんはどこからか取り出したナイフで果物を剥いてくれた。まるで母親と子供だな。なんて情けない話だろう。
「……ひとつだけ約束してくれ。もう無茶はしないで欲しい。何度も言うけど、君があの子に与える影響は大きい。良い意味でも、悪い意味でも、ね」
マーリンさんの言葉に何か嫌な気持ちが湧いてきた。そうじゃない、僕がそんなこと思って良いわけが無い。そんな立場に無い、分かっている。だが……それでも…………
「…………結局……俺はミラの付属品なんですね……」
「……アギト…………?」
ああ、溢れた。ダメだ、溢れ出した気持ちは止まらない。収まらない、抑えられない。目の前の人はただ優しく僕を見つめるだけだった。それがまた悔しくて、悲しくて、僕の口は言いたくも無い酷い言葉ばかりを吐き捨て始めた。
「——マーリンさんは結局、ミラの機嫌を取る為に俺が欲しいだけなんでしょう。なんだったら俺じゃなくても良い。オックスや、それこそ神官様……アイツのお爺さんだっていい。誰でもいい、アイツの保護者が欲しいだけなんだ。俺の心配なんて何もしちゃいない、ミラの為に五体満足でさえいれば問題無いんだろ——っ!」
マーリンさんは目を伏せるばかりでそれを否定しないでいた。分かっている、彼女は本当に僕の心配もしてくれている。ただ、それ以上に精神的に脆いミラの心配をしているんだ。だからこそ僕もアイツを守るって……決めたのに……
「……そうだね、僕の行動はそう解釈されても弁明のしようも無いものばかりだ。だから僕はそれを否定しない。君の言う通り、僕はアギトという人物を軽んじてしまっているのかもしれないね」
違う。それは違う、貴女は確かに僕の身も案じてくれている。一国民として、頼りない少年として、旅の仲間として。でなければ何よりも大事なミラを放っておいて僕を迎えに来たりするもんか。こうして僕の看病に来たりするもんか。だから……そんなに悲しげな顔をしないで欲しい。謝りたいと何度強く念じても、僕の体はそうは動かなかった。
「アギト。それでもやっぱり僕はこう言おう。ミラちゃんには君が必要だ。あの子の為に力を貸して欲しい……いいや、僕が力を貸すからあの子を守ってやって欲しい」
ナイフを膝の上に置いて、彼女は僕の手を優しく握ってそう言った。とても真剣で真っ直ぐな目だった。昨日のミラと同じ目。強い信念を持った、誰かを守ると強く誓った瞳だった。
「……でも…………俺は………………」
「…………なんだい、一度の失敗で自信を失ったのかい。まったく呆れ果てるよ、君のネガティブさには」
手を握っていた手とは反対の手でマーリンさんは僕の顔を撫でた。頰を、耳を、そして頭を。ミラのとは違う、硬くて短い髪を指に絡めて彼女は優しく微笑んだ。そうだ、たった一度の成功に浮かれて……僕は…………
「大丈夫だよ、君はあの子を守ってきた。ずっと、ずっとずっとずーっと。あの子は君に守られてここにいる。君は君が思う以上に頼もしいんだぜ?」
それは違う……っ。たまたま……たまたまなんだ、やっぱり。たまたま事情を知らなかった、それでいて取り入りやすかった。たまたま仕事も無く暇していたから、たまたま……旅に出る決意をした時に手近にいただけだ。僕は……まだ何もアイツに…………
「……はあ。分かった。君がまだ自信を持てないって言うのなら、君には義務感を植え付けてあげよう」
「義務……感…………?」
コクリと頷いて、マーリンさんは僕の頭の上から引っ込めた手でナイフとリンゴを棚の上に戻した。そして、僕の襟元を掴み上げてぐいと顔を寄せた。それはさっきまでの優しいお姉さんの顔では無い。星見の巫女として、この国の重鎮として。怖いくらい冷たい目を向けていた。
「あの子を守れ。あの子の道行きに訪れるありとあらゆる災厄から身を守れ。あの子の縋るものとして、その身を彼女に差し出せ。その命を勇者候補一番の為に惜しみなく使え。君の意思や主義は全てかなぐり捨てろ。これは個人からの願いでは無い、星見の巫女マーリンとしての言葉だ」
それは文字通り命令というやつだった。僕はそれに逆らうことが出来ない、立場の差というものがある。ああ……いいや、僕はこれも知っている。彼女は今、僕とミラとを天秤にかけてミラを取った。あの時僕が出来なかった選択を、彼女は当然のこととして行ったに過ぎない。僕がロイドさんに出来なかった強制を、マーリンさんはたった今僕にしているのだ。
「……アギト。あの子が君に向けているのはただの愛情じゃない、もう執着と言ってもいい。そのあり方は親愛による共生では無い、最早依存や寄生と呼べるものだ。分かるかい、アギト。彼女にとって君は、ただの隣人でも仲間でも、家族でも無い。もう君は彼女にとって体の一部とすら誤認させかねないくらい近しい人物なんだよ」
ふっと表情に熱が戻ったのがわかった。そしてマーリンさんは僕をぎゅうと抱き締めてそう囁いた。暖かい、それでもアイツ程体温は高くない。優しい匂いがして、やはり何処かか細くて。柔らかくて、包み込む様な愛情を一身に受けても…………それでも、僕の心は晴れなかった。
「…………でも……俺はアイツを……」
「うん、分かってる。一緒に探そう。精神的にだけじゃない、彼女に訪れる危険を払いのける為の手段を」
わしゃわしゃと髪を掻き乱された。その間だけは少しだけ気持ちが落ち着いた。最後に少し強く抱き締めるとマーリンさんはまたにこにこと優しい笑顔を浮かべ、鼻歌を歌いながら果物を剥き始めた。
「…………ゆっくりでいいんだよ。君は歳の割に焦りすぎだ。もっとも、焦りは若さの特権だけどね」
「………………それは…………」
ほら剥けたよ。と、随分と小さくなってしまったミカンをずいと突き出して、マーリンさんは口を開けろと悪戯っぽく笑って要求してきた。ちょっと待って欲しい、さっき剥いてたリンゴは……? え? さっきリンゴ……っていうかミカンをナイフで剥いてたの? あれ……え? なんだ、何が起きた……? なにか……認識を歪める魔術でも使われたのか…………? 困惑を抑えられない僕を見て、マーリンさんは声を上げて笑った。そしてすぐにネタバラシと言わんばかりに自分の陰に潜ませていた大玉のグレープフルーツを取り出し…………リンゴはっ⁉︎ リンゴをどうしたのっ⁉︎ なんてバカみたいなやり取りをしばらくしているうちに、僕の心の棘は少しだけ和らいでいった気がした。しかし、結局僕はリンゴを口にすることも目にすることすらも叶わなかった。一体どこへやったんだ………………




