第二百三十七話
僕が守るんだ——
足を庇う様に転がって魔獣から離れるミラに駆け寄り、僕はその大きな四つのハサミを睨みつけた。足元が足元だ、ミラはもう戦えないと思った方がいい。少なくとも、マーリンさんの決めた制限の中では……
「……っ。やめろ……縋るな…………っ!」
それでも——以前のミラなら——。制限も忠告も無視して、今まで通りフルパワーで戦ったならなんの問題も無くこんな窮地を脱してくれるだろう。そんな毒気が内側から湧いてくる。違う、そうじゃない。僕が……僕がミラを守るんだ。
「この……っ。アギト、退がってなさい。って言っても……退がる場所なんて無いんだけど……」
冗談を言うだけの余裕があるのか、それとも冗談を言うしかないのか。既に火炎魔術は防がれた。無制限で放った魔術すら躱された。魔弾の射程は、この穴の中にいる限りは問題無い。問題なのは、落ちたと注意された威力の方だ。カマキリの頭を吹き飛ばすことは出来たが、確かに魔竜の鱗を貫いたあの時に比べてはいささか威力にかける。ミラの課した弾数制限など今は気にかけている場合じゃない。何発撃ち込んででもこの状況を……
——僕が守るんだ————
「——っ! 魔弾の射手!」
あの時とは違う、世界がゆっくり見えたりなんて奇跡は起きない。あれは本当にたまたまだった、たまたま集中力が最高値まで高まっていたから起きたんだろう。狙って起こせるものじゃないなら、頼るべきじゃない。そんなのは分かっていた筈なのに。
「な——っ⁈ バカアギト——」
雷弾は蠍の大バサミに直撃した。端的に言ってしまえば“外した”のだ。致命傷を与えられなかった、仕留められなかった。真正面から撃ち込んで、ともかく一頭倒そうと考えた。考えて…………僕はその方法を模索しようとして…………? なんで…………?
——僕が————
「クソ……っ!」
「……っ! アギト! 一発だけって——」
大蠍は大きく抉られたハサミを気にもかけず、大きく振り回して僕らに近付いてきた。単純に今の魔弾の威力ではこの魔獣の甲殻を貫ききれない、致命傷には至らないのだろう。そんなの見たら分かる、だからその対策を————
——守るんだ————
「魔弾の射手ッ!」
二射目は大きく逸れて泥の壁に大穴を開けた。だが、それもすぐに崩れてまた綺麗なすり鉢状に戻ってしまう。手が震える、指先が痺れる。なんだ、これはどうしたことだ。まただ、また————
————僕が——————僕が僕が僕が——————ッ!
「————ッ‼︎ 魔弾の————」
「バカアギト——ッ! 退がれって言ってんのよッ!」
体が宙に浮いた。そして視界は魔獣と泥とを見失って、狭くなった空を映し出す。首元が苦しい、ミラに襟を掴まれて投げ飛ばされたんだ。
「——っ。ミラ——」
——守らなきゃ————
飛び起きた僕の視界に最初に入ってきたのは、地中から突き出した鋭いトゲに貫かれたミラの姿だった。踏ん張りの効かない片足を庇って体勢を崩したのだろう、脇腹を貫かれて両足共が地面から離れてしまっていた。見れば、大蠍は尻尾を地面に深く刺しているではないか。どうして……こんなにも目の前で起きている出来事が見えていなかったのだ。
——守——————
「——ミラ…………」
自分を貫いている尾先から抜け出そうと必死でもがくミラの姿を見て、僕の頭はどんどん冷静から遠ざかっていく。だが……それでももう魔弾は使えない。約束だとか課題だとかの話では無い、今の僕の命中精度ではミラを巻き込まずに魔獣を撃ち抜けないのだ。僕の力では——
——————僕の所為だ————————
——違う——ッ! 違う違う違う——っ! 僕は変わったんだ。僕は——俺はもう、守られてばかりじゃない、ミラを守るために今ここに————
「——うぁあああ——ッ!」
——守れ——守れ守れ守れ守れ守れ守れ守れ————————ミラを————オマエが————————ッ
「——バカ——アギト————っ」
気付いた時には飛び掛かっていた。気付いた時には叩き伏せられていた。守れない。守れない……? 僕は…………ミラを………………————
————オマエの所為だ————————
「俺が————守らなきゃ————」
バツンッと何かが切れる音がした。視界の端に千切れ飛んだ何かを見つける。ああ、ホルスターだ。しまった、魔弾の予備が……っ! これじゃミラを助けても、僕には攻撃手段が…………
「——アギト——ッ‼︎」
「………………ミラ……?」
バチバチと空気が切り裂かれる音がした。ああ、なんだ。なんで泣いて——ああ、そうか。魔獣は二頭、尻尾は二本。となったらそりゃあ…………
「——っ痛…………ミラ————っ」
尻餅をついていた僕の背中に熱が走っていた。血が吹き出していた。縫い付けられた様に動かないんじゃない、縫い止められたから体が動かせないんだ。ああ、まただ。また……誰かが…………煩い………………
——僕の所為だ————
「————ぁあ——あぁあああ——ッ! 荒れ狂う雷霆——ッッッ‼︎」
慟哭にも似た言霊が響く。なんだ、ダメじゃないか。マーリンさんとの約束が————
お腹が苦しい。なにか……金縛りにでもあったみたいに体が動かない。指先が……いや、体が痺れて…………
「目が覚めたかい、アギト」
「……マーリンさん…………?」
取り憑いた霊の正体はもう分かっていた。仰向けに寝かされていた僕の上で、蹲る様にミラが抱き着いていたのだ。ああ、でもちょっと退いてくれ……血が止まって体が痺れちゃって。
「…………ごめんよ、アギト。試験にかまけて助けるのが遅れた。幸い毒の無い個体で助かったけど……今回の一件は僕に責任がある。本当に申し訳無い」
「……いえ、俺が出しゃばったから…………」
眠っているわけでは無い。ただ、それでも僕の上から動こうとしないミラを、そのまま抱きかかえて僕は体を起こした。脇腹にズキズキと痛みが走る。ここは……病院だろうか。大きなベッドが二つあって、清潔そうな白いタオルの山が見える。棚の方に目をやれば銃もホルスターもちゃんとある。そうか……結局、僕はまた助けられたのか。
「…………幸いミラちゃんは軽傷で済んだ。いや、お腹を貫かれて軽傷ってのも変な話だね。治癒魔術と持ち前の体力でほとんど無傷みたいな状態まで戻したと言うべきか」
「そう……ですか」
ぽんぽんと頭を撫でてもなんの反応も無い。ぎゅうと力強く抱き着いたまま、たまにすすり泣く声が聞こえるだけでミラは一言も発することは無かった。
「さて、本題だ。どうやら僕は君を見誤ったらしい。午後の予定は変更、僕とミラちゃんだけで依頼をこなしてくる。どのみちその体じゃロクに動けないだろうしね」
「……っ。いけますっ! 動けます、動きます! まだ俺は——痛ッ⁉︎」
今まで味わってきたものとは根本的に違う痛みが首元に走った。じゃれつくのでも甘えるのでも無い、心の底からの怒りを込めてミラは僕の首元に噛み付いた。強く抱き締めても頭を撫でても離さず、ただひたすらに噛み付き続けた。
「先も言った通り、今回の一件は全て僕の責任だ。君は前線に立たせるべきで無いという彼女の意見を聞き入れておくべきだった。君は戦うという行為に向いていない」
「…………それは…………でも……っ! 戦えます! 戦わせてください! 俺が……守るんだ…………っ」
ぎりっ——と、更に噛み付く力が強くなった。そしてすぐにびくっと驚いた様な仕草を見せ、ミラは優しく僕の首元を舐め始めた。ああ……血が出たのか。これまで何度噛み付いてもそこまでは至らなかったのに。それ程にまで彼女の怒りは大きいのか。
「……魔弾もまだある。今度こそ……絶対に…………絶対に守るんだ……っ! 俺が————」
ゆらりとミラの体が僕から剥がれた。大粒の涙を溢しながら、ミラはゆっくりと体を起こし……そして、今までよりもずっと重く、ずっと冷たい。ああ、いや……フルトで一度だけ。僕はそれも知っていた。弱々しく握られた拳で、ミラは僕の頰を思い切り殴りつけた。痛くは……無かった。
「…………ふざけないで…………ふざけないでよっ! バカアギトッ!」
「……ミラ…………」
彼女は僕から飛び降りて、そのままマーリンさんの横を通ってホルスターへと手を伸ばした。そうだ、それをこっちへ。まだ魔弾はある。七発も作ってくれたんだ、まだ僕は——
「——あんな目に遭わせる為に作ったんじゃない——っ! 私は……っ! アンタを危ない目に合わせる為にコレを渡したんじゃない! こんなもの…………こんなものもう要らない——ッ‼︎」
そう怒鳴りつけて、ミラは銃を差したままのホルスターを窓から投げ捨てた。ばしゃんと水音がした。川かため池か、分からないけれど……それはもう、取り返しの付かない音の様な気がした。
「はあ……はあ……っ。もう…………アンタは……」
アンタは戦わなくていい。危ない目に遭わなくていい。待っていてくれるだけでいい。沸騰した脳みそでも、ミラが言わんとすることなんて全部分かった。分かっても……僕には止められなかった。止めてはいけないことだと思ったんだ。
「——なに——してんだよ…………っ! 何してんだよ——ッ‼︎ アレは……アレがないと俺は——ッ!」
体の痛みなんて関係無かった。僕は急いで飛び起きて窓から身を乗り出してそれを探した。ミラから貰った大切なもの。僕がミラを守るのに必要なもの。僕が唯一彼女を守ってやれるもの。三階だろうか、四階だろうか。分からないけど、高い、高い場所にいた。すぐ近くに川が流れているのも見えた。この高さから落ちたんじゃ……もう…………
「アンタはもう戦わなくていい! もう危ない目に遭わなくていい! 待っててくれなくたって構わない……だから…………」
ガーンと金槌で頭を殴られた様な衝撃が走った。違う、違うんだ。そうじゃない。俺は…………お前を守らなくちゃならないんだ——
「——ふざけんな——っ! 俺はもう守って貰うばっかりじゃない! 俺は……俺が————」
一度はミラの胸ぐらを掴み上げた。小さくて軽い体は簡単に持ち上がって、それでも物怖じせぬ強い瞳が僕を見つめていた。それが怖くなって……僕は逃げ出す様に病室を飛び出した。
「アギト——ッ!」
二人の制止など御構い無しに、僕は階段を二段跳びで駆け下りてさっき見た川へと向かった。病室があの辺りだったから、きっとこの辺に……と、そうやって当たりを付け、僕は川に飛び込んで大切なものを探し始めた。川の流れは急だけど……きっと見つかる筈なんだ。だってアレは…………
————僕の所為だ——————




