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異世界転々  作者: 赤井天狐
異世界転々
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第二十三話


 ガラガダ。僕達が向かっている街の名前だ。言いにくいし、建て付けの悪そうな名前だ。と、老爺の口から初めて耳にした時思った。僕は今、隣で足をぶらつかせて空を見ているミラに言おうかどうか迷っていることがある。ガラガダ行きの馬車はガタガタ。そりゃあガラガラにもなるよね。うん、やめておこう。不意に浮かんだしょうもないオヤジギャグの、どうでもいい思索に耽る。

 相も変わらず朝の礼拝と入浴を。違ったことといえばミラの口から“これが最後かもね”なんて軽口が飛び出したことか。彼女はこう、不謹慎なことは言わないタイプだと思っていただけに面食らった。すぐに“冗談よ冗談。守ったげるから安心してなさい”と、焦った様子で付け加えられた辺り、僕の方に余程余裕が無かったのだろう。あれは彼女なりに僕をリラックスさせようとしていたのかもしれない、なんて考えてみるも、流石にもう緊張感が違う。ボーッとしている様で、彼女の目は空を飛ぶ鳥を射落とさんばかりに鋭く研ぎ澄まされ、今更僕が緊張をほぐそうとか余計な気を回す余地はない。

 終始無言のまま、馬車はアーヴィンを出て一時間以上走った。もう後ろに街は見えず、蹄の音と車輪の音以外の全部が僕の知らない世界のものになっていた。枝葉の擦れる音、鳥の鳴き声に至るまでにいちいちビクついていると、馬車はゆっくりと停止した。

「……すみません市長。馬車ではこれ以上……」

「はい、わかっています。ありがとう、くれぐれも気をつけて帰ってください」

 僕らは馬車を降り獣道の真ん中に取り残された。戻っていく馬車の行く先に第二の故郷があるのだと思うと、凄く心細くてホームシックになりそうだったが、前を向けば遠くに煙と街並みが見えてくれた。あれが、あれこそが目的地ガラガダ。他に人が住めそうな場所も見当たらず、消去法で僕はそう確信した。

「……行くわよ!」

 彼女はそう言って僕の手を取って歩き始める。普段より冷たい白い手に彼女の緊張がうかがえる。そう、ガラガダは既に魔獣の巣に包囲されかけている。或いはもう……っ。

 僕らはロイド氏に聞いたゲンという御隠居を探し出し、そして増援をお願いする。その為に街へ向かう。つまり、街に着くまでの間、二人きりでの魔獣との戦闘は避けては通れないのだろう。いつもより強く彼女の手を握って、歩きにくい獣臭い草原を進む。

 ギュッと彼女が僕の手を強く握り、段々と速めていた足をピタリと止める。僕にも察しはついた。遂に魔獣と初顔合わせとなるのだ。

「…………ここを動かないで」

 そう言って彼女は手を離し拳を構える。彼女の体温を感じられないのは心細かったが、彼女の放つ鋭い闘気がそれ以上に頼もしかった。

 ギィ、ギギィ! と、錆びたトタンが軋む様な音がした。そしてすぐにその正体は明らかになる。長い手足を揺らし二足で歩く姿は猿の様で、長く突き出た鼻と大きく裂けた真っ赤な口から覗くナイフみたいな牙は狼の様な。顔の正面から飛び出した一つの大きな眼球と、その脇に並ぶ小さな四つの目でそれは僕らを見ている。ギィギィいっているのはそれの牙が擦れる音の様だった。

「……我らが父よ。どうかこの身を守りたまえ——」

 彼女はいつもするように天に向けて祈った。僕はそれからのことを目で追えなかった。なるほど、彼女がいつものスカートではなくパンツスタイルだったのはこういうことか。と、一頭目の魔獣がそこに転がる頃に理解した。てっきり彼女は錬金術や魔術で戦う僧侶タイプだとばかり思っていたが、うん。やはりあの時襲わなくて正解だった。

「——シャァッ!」

 百獣の王……とは似ても似つかない可憐な少女は、掛け声と風切り音とともに二頭目の側頭部へ見覚えのある——しかし、それとは比べ物にならぬ鋭く疾く、そして重い回し蹴りを叩き込んだ。魔獣の顔面は大きくひしゃげ、飛び出していた眼球は文字通り飛び出し過ぎてすぐにぎょろぎょろ動くのをやめる。

 彼女を囲んだのは当初四頭の魔獣だった。一頭目はわからない、気付いた時には転がっていた。二頭目は顔面の左半分を滅茶苦茶に潰されて今倒れた。三頭目は……いや、三頭目もいつのまにか転がっている。何があったか察するのも嫌になる程無残な、顔がはじめ向いていた方とあべこべについている。四頭目は……

「ハァ——ッッ‼︎」

 たった今、彼女の脚に腹を貫かれて……うぷ……見ていられない。結局、彼女は右脚一本だけ汚して四頭を始末してしまった。なるほどこれなら一人で行くと言ったのも頷ける。転がっている獣を見るその冷徹で鋭い眼に、僕はあの時の態度に納得して——

「…………ごめん、そんなに青い顔されると……うん。ごめんね?」

 僕の背後で何か、およそ四十キログラム程の肉がトラックに跳ね飛ばされた様な音がした。彼女の脚が僕の顔のすぐ横を貫いているのに気付いたのはその後。まさに音すら置き去りにする一撃だろう。僕に向けられているのではないかと錯覚する程すぐ背後の魔獣を蹴り殺した彼女の視線に、僕は死さえ覚悟したのだ。ころっといつもの可愛らしい顔で謝ってくる彼女の姿に、女って恐ろしい……と、少し間違っている気がする認識をする。

「……その、違うのよ? 本当はもっと魔術とか使って……おしとや……か……? 今のよりはお淑やかに倒しても良いんだけど。連戦になるし、魔力も魔具も温存しようと思って、ね?」

 なるほど、まだ全力じゃないとおっしゃる。一体どうなっているんだ、この世界の住人の戦闘力は。

「もう! 違うんだってば! 私だって本当は武術より音楽とか絵の勉強したかったんだってば!」

「ははは、今更何を言っても遅お美しいと思いますですぅ〜はぁい」

 笑顔のまま脇腹を小突いてくる少女の脅しに僕は屈した。そういうとこだぞ! なんて口が裂けても言えるわけがない……

「兎に角この調子で街まで突っ切るわ……よ……」

「……ミラ? どうし……た……」

 進行方向。つまり彼女の背後に新たに五頭、先ほどの猿型狼魔獣の姿を確認した。しかし問題はそこじゃない。彼女は僕の背後を見て先程見せた臨戦態勢の時の眼をしている。僕らは魔獣に取り囲まれていた。

「この音……もしかしなくても仲間を呼んでたって事で間違いなさそう?」

「もしくはお前の脚についた臭いのせいかも……」

 ギィギィ、ギギィギィ、ギィィ。僕らの周りは、いつの間にか奴らの出す不快な音で埋め尽くされていた。それが仲間を呼ぶ号令なのか、威嚇なのか、はたまた獲物を見つけた歓喜の声なのかはわからない。今わかっているのは、いくら彼女が化け物じみた強さでもこの数は相手出来ないであろう事だけだ……!

「…………すぅ、走ってアギト——ッ!」

 彼女は深呼吸一つして叫んだ。そして反転しながら何か小さくブツブツと呟き走り出す。僕も後ろから迫る歯軋りから逃げるように彼女の後を追った。

「——爆ぜ散る春蘭(オクト・エクスルーダ)!——」

 突如僕の視界は真っ白になった。立ち止まりそうになる僕を何かが思い切り引っ張って、光の中を突き抜けて行く。

 熱い。驚いて眼を開くとそこには枝垂るいくつもの白炎の球が燃えていた。辺り一面が焼き尽くされる。肉の焼ける芳ばしい……いや、とても良い匂いではない! 恐らく生きたまま、火葬場も真っ青な火力で吹き飛ばされる魔獣達のニオイだ。これが…………全然お淑やかじゃない、穏やかじゃないこれが……魔術……っ!

 一面を覆った熱と煙を走り抜け、僕を引っ張っていた少女の脚が止まった。ようやく回復した視界にその理由を悟る。ここが目的地。遥か高く積み上げられた砦。それは鉱山と兵士の街、ガラガダ。


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