第二百十七話
新たな勇者を探している。マーリンさんはその候補にミラ……と、なぜか一緒に僕をリストアップしていると言った。ミラは分かる、強いし勇敢だし。それに正義感が強くて、人の不幸に涙を流せる優しい子だ。自慢の妹です、えへん。だけど……僕はそうじゃない。そりゃあミラがそんな危ないことをするとなれば絶対について行くし、きっとミラだってまだ僕無しじゃ夜も眠れないだろうから。布団変わると眠れないタイプだもんな、どう見ても。でも……
「——斬り断つ北風!」
甲高い風切り音と共に、リスくらいの大きさの魔蟻が細切れにされて行く。うう……そのサイズは想定していなかった……キモい…………ではなく。ミラは雷魔術と炎魔術を取り上げられても、こうして平然と魔獣を倒している。だから……ミラは分かるんだ。でも僕は……それを見て気持ち悪いと顔を青くするばかりで……
「表に出てるのは大体潰したわね。さて、巣をどうしましょうか。とりあえず、手持ちの材料で毒を作って流し込むしかないかなぁ」
ナイフをポーチにしまって、ミラはそんな物騒なことを言いながら薬瓶や金属の器を取り出していた。毒って……それ、他に被害出ない? 生態系壊さない? なんて心配をしていると、マーリンさんがコソコソと近付いてきた。あ、あんまり近付かないで……色々問題が生じてしまう……
「……ミラちゃんにはああ言ったけどさ。やっぱりレヴちゃんのことはちゃんと解決すべきだと思う。あの子もミラちゃんなんだ。乗り越えるだとか克服するなんて方法じゃなく、きちんと面と向かってさ。君だって、あのまま放ってはおけないだろう?」
「え……? あ、ああ。そう……ですよね?」
なんだよぉ、歯切れ悪いなあ。と、マーリンさんは不服そうに頬を膨らませた。だから近いんだってば! 大っきいんだから! 貴女、どことは言わないけど大っきいんだから! 近付けないで! 動けなくなるんだよ! 分かるだろ!
「とにかく、これは巫女としての仕事でも勇者の仲間としての責務でも無い、僕個人の願いだ。レヴちゃんの件はゆっくり時間をかけて解決する。きっと、ミラちゃんもあの子のことを受け入れられる日が来る筈だから……」
「…………そう、ですね。やっぱり、レヴもミラなんだと俺も思います。アイツはあの時、自分に名前は無いって言ったけど……初めて会った時、アイツはミラ=ハークス=レヴと名乗った。それは……レヴにとって、ミラは憧れの——なりたかった理想の自分だからなんだと思うから。きっと分かり合える日が…………分かり合う……で、良いんですかね? この場合って」
締まらないなぁ……と、マーリンさんに怪訝な顔をされてしまった。しょうがないじゃん。だって、一応二重人格みたいなものなわけだし。分かり合うって表現が正しいのか分かんないじゃない。レヴはもう出てこないとは言っていたけど、もしまたミラに何かあれば出てきて力を貸してくれるのかもしれない。或いは、マーリンさんを見てその必要が無さそうだと判断したとか?
「とにかく。ミラちゃんのこと、ちゃんと頼んだよ? 僕も精一杯サポートするけど、一番近くにいて一番彼女のことを分かっているのは君なんだ。絶対に……げほっ! げほっげほっ⁉︎ な、なんだ……⁈ 何この煙……げほっ!」
「あっ、すみませんマーリン様。そこ、風下なので危ないですよ。早くこちらへ」
げほげほとマーリンさんと一緒にむせていると、随分手遅れなミラの声が聞こえた。見れば、なにやら蟻塚から紫の煙が出ているじゃないか。中から悶え苦しみながら逃げ出して来る蟻達は、無残にも巣から逃げ出したあたりでみんなひっくり返って死んでしまっている。成る程、毒を本当に流し込んだのね。なんて酷い! 蟻の巣に水を流し込む小学生のマッドサイエンティスト版だ! っていうか先に僕らに言え! げほっ……ああっ! 目が! 目が痛い!
「うう……えらい目にあった。ミラちゃん、君の思い切りの良さは時に短所にもなるよ。相談と事前報告はしっかりね……げほっ」
「うう、ごめんなさい……」
ほら、あざとい。そうやってしょげていればマーリンさんは許してくれるって、分かっててやってるだろ。事実、マーリンさんはアタフタしながらなんとか励まそうと色々言葉をかけているじゃないか。なんてあざとい、悪女め! そんな悪い妹には、お兄ちゃんからキツくお説教しなくちゃな。
「まったく、ダメだぞ。いつもいつも………………もう、しょうがない奴だなぁ」
ダメなお兄ちゃんだ……僕は……っ。しょぼんと俯いてしまったミラを見て、追い討ちの様な説教なんて出来ない、出来るわけがない。ついつい甘やかしてしまうぅ……うう。頭を撫でると嬉しそうに抱き着いて来る様は、もう本当に人懐っこい小型犬だ。ああ、可愛い。うちの妹可愛いっ! じゃないんだって。毒薬使ってたんだから、勝手に。怒らないと…………怒らないといけないのに………………
「さ、次行くわよ。って言っても、ここら辺に住み着いてるって話だったんだけど。大百足か……出来れば、脚の何本かは持って行きたいけど」
「脚…………? ああ、なにかの材料に使うの? 申し訳無いけど、俺のカバンには入れないからな⁈ そんなキモいの絶対に入れないからな⁉︎」
分かってるわよ。と、そう言った後、気の所為だろうか、舌打ちが聞こえた気がした。甘える時はあんなに猫撫で声なのに……どんどん表裏が酷いことになっていくな。ぶりっ子と呼ぶにはニュートラルが凶暴過ぎる。
「…………どうやら、その依頼はもう良さそうだね。蟻塚の側を見てごらん」
はて? マーリンさんの言葉に、僕らは目を凝らして紫の煙の向こう側を見つめた。するとどうだろう、なんとそこにはピクピクと痙攣している百足……と、思しき脚が顔を覗かせているではないか。というか、よく見たら頭……お尻? 百足ってどっちが頭か分かんないんだよ、そんなに凝視したくない見た目してるし。ともかく、どちらかの先端も出ていて、それがもう瀕死であることが窺えた。そうか、毒で一緒に死んでしまったのか……
「念の為、もう一度直接かけておきましょうか。でも……これじゃ使い物にならなさそう。はぁ……もったいない」
「百足の死体を前にもったいないとか言わないで。女の子なんだから……」
ミラは大きなため息を何度もついて、少しだけ残っていた赤い薬品を飛び出している百足の胴体にかけた。夢に出てきたら飛び起きてしまいそうな程ビクンと大きく跳ねて、大百足は完全に動きを止めた。一応、まだ生きてはいたんだ……かわいそうに。ああ……どんどん溶け…………うぷっ。これ以上見んとこ…………
「あはは、なんともワイルドだね。それにひきかえ……アギト、君ってば……」
「うう……キモい…………そもそも、あのサイズの百足がもうキモい…………」
だらしないわねえ。と、ミラに引っ張られながら僕達は林を抜けた。どうしてこの人達は小動物サイズの蟻だとか、それと同じ縮尺で拡大された百足を見て平気なんだ。かなりショッキングでグロテスク極まりないというか……これはもうCERO引っかかるぞ。十五禁は固い、最後のなんてもう十八禁だ。いや、僕三十なんだけどさ。
「本当にあれが問題の大百足だったみたいだね。ここらは馬車の護衛で付いて来た冒険者や騎士なんかがよく出入りするから、あんまり問題になるような魔獣は小さいうちに狩っているのかな。うん、きちんと危機管理出来ている証拠だ」
「まあ、安全に越したことは無いですよね。どっかの誰かさんは不服そうだけど」
不服じゃないけど……と、ミラは浮かない顔で次の目的地を地図で確認していた。分かるぞ……僕には分かる。お前はもうお金の魔力に取り憑かれてしまったからな…………魔獣が少ないと稼ぎも少ないなんて考えているんだろう。アーヴィンでの生活は本当に貧しかったし、旅の途中大量の報酬を手に入れた時の生活は……っていうか食事は本当に豪華だったからな。その温度差を実感している分、なおさらがめつくなってしまったんだな。お兄ちゃんは悲しいよ……
「んん……? もうそろそろ沼地が見えてくる筈なんだけど。そもそも木も見えないし、本当にここら辺なのかしら。それとももっと離れた——」
じっと目を凝らしていたミラが、突然黙って僕の目の前に止まれとハンドサインを出した。沼地の調査ということで、街の北にある筈のそこを目指して歩いていたのだが……これは一体どういったことだろう。見渡す限り特に沼地なんて無い、背の低い植物ばかりの平野に見えるが…………
「…………っ。そうか、沼地の調査ってそういうことか。アギト、僕らの後ろに。これは……ひょっとするとひょっとするぞ。ミラちゃん、君も無理はしないように」
「え……? え……え、え? な、何が? なんなんですか?」
待ってよ、僕だけ置いてけぼりじゃないか。ちゃんと説明してってば、なんて喚く暇も無くミラは走り出した。マーリンさんも杖を握りしめてそれを追いかけ、僕に少しだけ後ろをついてくるようにと言った。少し後ろって……一体どうしたんだろう。僕の疑問は、ミラが言霊を唱え終わった後に晴れた。
「三又の槍灼っ!」
轟々と燃え盛る炎の槍は、三又に割れて地面を貫いた。いや……地面に飲み込まれた……? じゅうじゅうと音を立てながら、地面は煙を上げて………………違う! これは…………
「成る程、拡大しているのか。沼地に何か住み着いているな……それも、厄介なことにココを罠に使おうとしている。調査とはまったく、なんともずる賢い依頼主だ」
「マーリン様、下がってください。ここは私が。この程度の魔獣なら、私一人で十分です」
拡大というのが何かはいまいち分からない。多分、沼地を広げている何かがいる、ということだろう。だが……問題はこの沼地にいるそのなにか、だ。罠にしようとしている、とは我ながらよく言ったものだ。まるでそこが固い地面であるかの様に——他の場所と変わらぬ、草が生えている大地に見せかけている何かがいる。煙が——湯気が立ち上ったことでハッキリした。たしかに、そこには沼地がある。見た目を地面に擬態させた、なにも知らぬ者を捉えるための罠がそこにあるのだ。
「頼もしいね。策はあるのかい?」
はい。と、ミラは自信満々に頷いた。相手はまだ見えもいないというのに……いや。もしかして、もう見えているのか? ミラの超人的で野生的な五感と第六感を以ってすれば、僕らには見えない沼地の主人の姿が…………
「————この沼を干上がらせれば解決です! 爆ぜ散る春蘭ッ‼︎」
「…………は?」
ミラはミラのままだった。沼地の主は魔獣……というよりも魔魚? ええと……こんがり焼けたナマズの様な魔獣だった。こんがり焼け……いや、煮上がっているのかな? ええっと…………
「…………この脳筋。マジで沼を沸騰させるとか……」
「いいじゃない、この方が手っ取り早いんだから」
やはり脳筋は変わらない様だ。呆れて立ち尽くしているマーリンさんを他所に、ぐったりして動かない魔獣の生死を確かめるミラに僕はそう言った。手っ取り早いとかそういう話じゃ……なんて思っていると、ミラは随分真剣な表情で考え込んでしまった。
「……? どうした? もしかしてそれ、まだ生きてるとか?」
「ううん、これは間違いなく死んでる。でも…………そうじゃなくって」
そうじゃない? なにを悩んでいるんだ? 問いかける僕の肩をマーリンさんは掴んだ。そして僕の代わりに……というよりも、僕より相応しい立場の人間としてミラに正しい問いを投げ掛ける。
「……成る程。確かにそれは杞憂で済ませてはいけないだろうね。恐らくは他にもいるだろう。これまで一度も発見例が無かったとされる、これと同じ様な水棲の魔獣が」
水棲の……そうだった。魔獣はまだ水中には適応出来ていないって……っ! ってことは……
「……やっぱり急がないとな。早い所魔王を倒さないと、この国は潰されてしまう。水場を失って生きていられる人間は居ないからね」
これはまだ、水分の多い泥に住んでいたに過ぎない。だが……確かに水中に適応しようとしているのは見て取れる。エラが見られないことから、きっとまだ肺呼吸ではあるのかもしれない。それでも……これは沼地に潜んでいたのだ。僕らはその後、少しだけ暗い空気の中怪鳥の退治を済ませて宿屋へと向かった。




