第二百十六話
クリフィアを出発して半日程で、僕らはオソリアという街に辿り着いた。街の規模としては決して大きく無いが、随分と活気に満ちた街であるというのが第一印象だ。
「さて、いつも通り役所へ向かいましょう。当面の旅費の確保と、ここらの地理を調べること。それから、宿の確保が今日のノルマね」
そう言ってミラはズイズイと人混みの中を突き進み始めた。ボルツ程の人口では無いし、フルトのクエストカウンター程混み合ってもいない。だが……どういうわけか、やたらと活気に満ちているというか。どちらにも劣らないだけの熱量を感じる。
「なんと言うか、元気な街ですね。ここはどんな街なんですか?」
「うん、そうだね。ここオソリアは地理条件に恵まれていてね。そもそも作物の育ちにくいクリフィアを始め、北のキリエへも道が通じている。それに、君達のよく知るガラガダにアーヴィン。一言で表すなら、貿易の中継点と言ったところかな。これからもこんな場所を何度か訪れることになるだろう」
中継点、ですか。中継点、さ。そんなおうむ返しをし合っているうちに、僕らは役所へ辿り着いた。ううむ、大きな役所だ。きっとここで交易品の管理や制限なんかもやっているんだろう。となれば、僕達は案外いい道を選んだのかもしれない。旅の途中の馭者が寝泊まりする為の宿。その護衛や荷物の積み降ろしといった仕事なら、きっといつだって人手を求めている筈だ。例えば、次の街までは護衛がてら馬車に乗せて貰えば、すぐに着く上にお金まで貰えてしまう。あ、その場合報告の為に一度帰ってこないといけないのかな? もしそうなら、そう気楽に護衛系の依頼は受けられないか……
「おーい、何かいい仕事はあったかー? 出来れば魔獣退治みたいなのは避けたいんだけど」
「ん、やっと来たわね。丁度一気に稼げそうなクエストを受注しようとしてたところよ」
ふむ、一気に稼げそうな、か。なんて甘い響きだろう。しかし気になるのは、受注しようとしていたという言い方。それは単純に、丁度いいタイミングで僕らが追い付いたということ? はたまた…………あんまりいい予感がしないんだけど。
「ほら、これ持って受付行って。何度も言うけど、私じゃ門前払いなんだから」
「…………大百足の討伐。魔蟻の巣駆除。怪鳥の駆除。沼地の調査………………はあ。まあ、そんな気はしてたけどさ」
ミラに押し付けられた受注書には、びっしりと魔獣討伐系の依頼が書き込まれていた。お願いだからもう少し安全にだなぁ、なんてのは今更だろうか。いいや、そんなことは無い。いつだってお兄ちゃんは妹が心配なんだから。
「……俺は今、なんの魔具も持ってない。あんまり力になれないんだからさ。出来ればもうちょっと、自分の安全も考慮してくれよ」
「分かってる。ここで多めに稼げたらまた弾丸の補充もするから。安心しなさい、今の私はフルトの時よりずっと強いんだから」
それはまたどうして? と、尋ねると、嬉しそうに内緒とだけ言ってまた僕の背中を押し始めるミラに、どうにも不安が募る。調子に乗ると痛い目を見るんだから、もうちょっと慎重になりなさいな。魔獣討伐という依頼には、正直もういいイメージが無いんだ。あんなに酷い目に遭ったってのに、トラウマになっててもおかしくない筈なんだけどなぁ……
「アギト。安心して、ミラちゃんには万に一つのことも起こさせないさ。僕も約束があるからね」
「うう……マーリンさんのくせに頼もしい……」
くせにってどういうことさっ! と、杖で頭を小突かれた。だって……ねえ。だが、このポンコツ大魔導士の存在は本当に頼もしい。正直に言ってしまえば、ミラが戦わなくても彼女に全部任せてしまったっていい。流石にそんな酷いことしないけどさ。叶うなら、僕とミラでマーリンさんを守って、遠距離攻撃で殲滅して貰う……なんて戦い方が良い。その時はまた僕にも強化をかけて貰って。
クエストは無事受注され、僕らはさっき入ってきた街の西外れにやって来ていた。ここから大回りして街の北へ向かいながら、道中にある魔虫の湧いているという雑木林で大百足と蟻の巣を駆除し、そのまま沼地を調査する段取りだそうな。怪鳥については、真反対の東側に巣を作っているらしいから後回し。いいのか、そんな大雑把な作戦で。
「ほら、さっさと行くわよ。はあ、虫かあ。林の中で虫の駆除なんて……マーリン様、火事を鎮火させる魔術なんてご存知ありませんか?」
「あはは、燃やす気満々だね。だけど残念、僕も燃やすのは得意だけど消火は苦手でね。爆破して燃えるもの全部吹き飛ばすくらいのやり方なら出来るけど、他のやり方じゃ燃え広がる方が早そうだ」
ですよねぇ。なんてミラは落ち込んで、トボトボと歩き始めた。怪我したらどうしよう。またゴートマンみたいな奴が現れたらどうしよう。みたいな不安や恐怖は無いんだろうか。なんで真っ先に浮かぶ不安が、火事にしてしまったらどうしよう、なんだ。
「………………アンタねぇ。一体何を心配してるのか知らないけど、もうあんなことは起きないわよ。ううん、起こさせない。あんなのが出て来たんなら、もう躊躇も容赦も無し、初対面からボッコボコにしてやるんだから。アンタには擦り傷一つ作らせないわよ」
「なんておっかない奴だ……ま、頼もしいけどさ」
平然とカッコいいこと言うんじゃ無い、キュンとしちゃうだろ。あんまり不安ばっかり考えて暗い顔してるのもコイツのモチベーションに障るよな。よし、切り替えよう。僕は何にもしなくてもお金いっぱい手に入って、安全な部屋で寝泊まり出来るんだ。ミラ、早く魔具作ってください。情けなさ過ぎて涙が出ちゃう……
そんなゆるいやりとりも、前方に深い緑の林が見えて来た頃には少なくなった。口ではああ言っていたが、ミラも全然油断なんかしていない。きっちり目の前の問題を解決する為に集中出来ている。マーリンさんも、周囲にしっかり目を配って危険が迫っていないかを確認している様だ。僕は……うん、ミラの心配をするくらいしか出来ないけど。
「ミラちゃん。折角だ、君に課題を与えよう」
「課題……ですか?」
おや、一体どうしたことか。足下に茎の太い雑草が多く見られるくらい林に近づいた頃、マーリンさんが突如そんなことを言い出した。課題、とは。魔獣退治が既に課題……というか、試練みたいなもんなんだけどな。
「うん、そうだな。雷魔術の使用を禁止とする。それから炎魔術も。ま、これは地理条件的にそうせざるを得ないだけなんだけどさ」
「……雷魔術を、ですか」
おっと、本当に課題だった。まるでゲームの縛りプレイ……いや、どちらかというと条件付きクエストといったイメージかな? とにかく雷魔術を使うな、そして火事になるから炎もやめておけ。といった課題が、マーリンさんの口から告げられ………………
「か、雷魔術使用禁止⁉︎ だ、ダメですよマーリンさん! そんなことしたらコイツ、ただのわがまま小娘ですよ⁉︎」
誰が小娘よ! と、首元に噛み付いて来たミラは一度無視しよう。痛いし、とても痛いし、更にはめっちゃ痛いけど無視だ。魔虫駆除だけに。虫だけに! では無く。
「あはは。でも、雷魔術に頼っているとまた魔力切れを起こしかねないからね。と言うか、これについては君だって知っているだろう? 彼女にとっての雷魔術がなんであるのか、を」
「ミラにとっての雷魔術……? そりゃあ……一番得意な…………」
ああ、違う違う。マーリンさんは未だに噛み付いて離さないミラの頭を、恐る恐る撫でてそう言った。あ、触れる様になったんですね。良かった、じゃあこれからも噛み付かれた時はそうやってなだめてやってください。もう左手が痺れて感覚が……じゃなかった。ミラにとっての雷魔術ってのは、そりゃあ一番得意で一番強い…………
「……本来、雷魔術を得意としていたのはミラちゃんの内にいるもう一人の人格、レヴちゃんの方だ。アーヴィンで見た時から感じていたけど、ミラちゃんは彼女の十分の一程の魔力すら有していない。おそらく、彼女が意図的に蓋をしているんだろう。強過ぎる力は人と接する際には必要無い、と。そういう話だっただろう? ミラちゃんの生まれた経緯については」
「ちょ、ちょっと……で、出来ればその話は本人のいないところで…………」
もう平気よ。ありがとう。と、ミラは噛むのをやめて頬ずりをして来た。何もこんな時に甘えてこなくても。しかし、本当に平気なんだろうか……だって、あんなに怖がって……
「……乗り越えないといけないもの。いつまでも怖がってばかりはいられない。そうですよね、マーリン様」
「…………ああ、そうだね。君はまず、レヴちゃんという見えない過去を克服しなければならない。次に、レヴちゃんが培った技術や魔術に頼らない、ミラちゃんだけのスタイルを確立しなければならない。魔術翁に匹敵する魔力を有するレヴちゃんと同じ戦い方は、今の君には不可能だ」
なるほど…………な? 魔術翁に匹敵する魔力、というのがとんでもない量ということだけは分かるのだ。他は……ちんぷんかんぷん、まるで話が飲み込めてない。飲み込めてない立場で…………その、申し訳ないんだけど……
「あの…………あのですね? 前々から思ってたんですけど、どうしてマーリンさんはミラを戦わせようとするんですか? 自分でも言ってたじゃないですか、ミラは戦うには向いてないって。それなのに……その、随分と前線に送り出そうとして見えるっていうか……」
どうしても解せない。君は戦わない方がいいと面と向かって言い切った程だというのに、どうして? マーリンさんは僕のそんな疑問に、目を丸くして固まってしまった。ミラは僕の首についた噛み跡を舐めていた。なんだそれは。心配してくれてありがとうって奴か? 犬かお前は。
「…………あ、いや。そうだね。うん……それについてはちゃんと説明しないと、だ。ごめん」
「いえいえ……そんな」
慌てた様子でマーリン様は頭を下げた。そしてすぐに顔を上げてごほんと咳払いをする。その表情は和やかなお姉さんでもポンコツ童貞でも無い、時たま見せる勇者の仲間、星見の巫女の顔だった。
「前にも言った通り、僕はミラちゃんを徴兵する為に来たわけじゃない。でも、ミラちゃんには共に戦って貰いたい……いや、共に戦えるだけの人物かを確かめたいと言うべきか。訳あって、僕は一緒に戦う仲間を探しているのさ」
「一緒に戦う仲間……? それはその……徴兵と一体何が違うんでしょう?」
う……そうだよね。同じ様なもんだよね……なんてマーリンさんは肩を落として、申し訳無さそうにまた頭を下げた。訳あってと言うのも気になる。彼女は一体何を企んでいるんだろう。ずっと考え続けていた疑問の答えに繋がるのだろうか。
「……この話は断って貰っても構わない。もし嫌だと君が言うのなら、僕は大人しく引き下がるし、王様にも口利きをして徴兵なんてことの無い様には取り計らって貰う。徴兵なんかよりずっと危険かもしれないからね」
徴兵より危険……って? それじゃあ同じ様なもんどころか、徴兵の方がマシじゃないか! とは言わずに彼女の言葉を待った。これだけの前置きをして、一体どんな話をしようというのだろう。
「ごほん。ここなら他に人もいないし、ちょうど良い。僕は……いいや、この国は。かつて倒せなかった魔の王を討伐する為の精鋭を探しているんだ。勇者と僕とフリードの三人では倒せなかった魔王を、今度こそ倒す。そして、魔獣の脅威から国を救う。そう、新たな勇者を探して、僕は蛇の魔女を討伐した君に白羽の矢を立てた」
なん……だって……? 今なんて言った……? 魔王を倒す為の……仲間を探しているだってーーーっ⁉︎
「………………あー……」
「あれぇっ⁉︎ アギト話聞いてた? 僕、結構凄いこと言ったと思ったけど⁈ 魔王だよ魔王⁉︎ 僕ら三人でも敵わなかった魔獣の王だよ⁉︎ リアクション薄くない⁉︎」
だって……そうは言ってもなあ。徴兵より危険、とか。一緒に戦う仲間、とか。それを確かめる、とかさ。うん……言いたか無いんだけど………………
「……はい。いや、驚いてはいるけど……前置きのおかげで予想は出来たって言うか。正直、ミラでいいのかなってとこは驚いてるんですけど…………」
「え、ええー……」
だって、ねえ。こんな言い方はメタいかもしれないけどさ、テンプレじゃない。ほら、ミラの話じゃマーリンさんが勇者様を見つけ出して、魔王を倒す為の冒険を始めたんでしょ? そんな人が一緒に戦う仲間を……とか前置きしちゃったら、さ。その前置きが無かったら驚いたよ? でも…………うん、気を遣ってくれたんだろうな。いきなりそんなこと言われたら怖いし、断り辛いし。うん、そうだろう。これは気が利かなかった。彼女は僕らに配慮してくれたんんだ、なら…………
「…………ごほん。な、なんだってーーーっ(棒)マーリンさんはミラを勇者候補として迎えに来たって言うんですかーーーっ(棒)」
「よっし、歯を食いしばれ。バカにしてるだろう? バカにしてるね? バカにしやがって! せめてもうちょっと真剣にやってくれ、そしてもう少し前にやってくれ!」
べしべしとマーリンさんは顔を真っ赤にしながら僕の頭を叩いた。ははは、ポンコツ魔導士め。こちとらミラの鉄拳で鍛えられてるんだ、その程度…………あっ。おほっ…………揺れ………………っ!
「……ごほん。ま、まあ話が早いに越したことは無い。現段階では、まだミラちゃんはその大役に相応しくない。ただ、伸び代がとんでもないからね。だから君達に同行して、その成長をこの目で見て、それから判断しようと思うんだ。君達の力が通用するのかどうか……というのはもちろん。君達の精神性がこの戦いに向いているのかどうかと言うのもね」
「成る程。だからわざわざキリエまでやってきて、アーヴィンにも一緒に来てくれて。その上こうやって一緒に徒歩で…………君達?」
君………………………………達? ミラ……達? 僕達? 僕もっ⁉︎ なんっ……⁉︎ なんで⁈ なんでなんで⁈ なんで僕もっ⁉︎
「えっ⁈ あの、君達って……ミラとオックスのこと……ですか? ですよね? あ、それとも他にももう候補が……」
「何言ってるんだよ。君以外いないだろ? これまでを見ていて確信した。どんなに成長したとしても、ミラちゃんには君がいないとダメだ。その子は君の為にこそ全力を出せる。でもミラちゃんの全力を引き出す為の装置としてだけじゃない、ミラちゃんの精神的な支えとしても君の力は必要になる。というか、君。その子が一人でそんな危ない所に行くの、放っておけないだろう?」
う、それはまあ。いや、でも……僕がマーリンさん達と一緒に魔王討伐に……? いやいや。いやいやいやいや⁈ そんな主人公みたいな……異世界転生でやってきた勇者みたいな話…………
「ともかく、僕の目的は話したんだから。これからは信用しておくれよ? 本当はもうちょっと様子を見てから話をする予定だったんだけどなぁ。なんて言うか、ミラちゃんのことになるとちょっとだけ鋭くなるよね」
そう言って、マーリンさんは杖で雑草を薙ぎ払いながら林の中へと向かって行った。い、今の話聞いてたか? と、ミラに尋ねようとしたが、もう彼女もその後を追いかけてしまっていた。僕が…………勇者(の添え物)として………………? いやいや…………いやいやいやいや………………




