第二百四話
ミラちゃん。と、神殿を後にしようとした僕らをマーリンさんは呼び止めた。振り返ると、そこには暗い顔で俯いて、悔しそうに拳を握った巫女様の姿があった。
「……本当に申し訳ない。今回の件、僕の油断が招いたことだ。あの晩、僕だけでも先にザックと共にここに向かっていれば間に合ったかもしれない。まだ時間はあるからと、星見を過信してしまった。君の未来が見えにくい物だって、他とは違うって分かっていたのに……」
姿勢を正してマーリンさんは深く頭を下げた。ミラは慌ててそんな彼女に顔を上げる様に言うが……どうやら人一倍責任感が強いのか、マーリンさんはそれでも頭を上げなかった。
「…………では、私からも。マーリン様、この度は本当にありがとうございます。マーリン様があの晩に気付いて下さらなければ、この街は……私の故郷はもっと酷いことになっていたでしょう。マーリン様のおかげで街は救われました。本当に……本当にありがとうございます」
「……ミラちゃん。ありがとう、でもこの償いは必ず。二度と君を悲しませないと、星見の巫女としてここに約束する。これから先のあらゆる不幸を払いのけると」
あ、それかっこいいやつ。というか、そういうのが言いたかったんだよ僕も、なんて。マーリンさんと別れると、僕らはもう一度ダリアさんに挨拶をして部屋の掃除の為に家に帰ることにした。
「はぁ、もうあの部屋はよくない……? ほら、これからは一部屋で良いわけだし……」
「良いわけないだろ、まったく。あの部屋には必死に作った住民票だってあるんだ。いざ市長になれば、必要になるものは他にもあるだろ? やんなきゃダメだよ」
はぁあ。と、長いため息をついて、ミラは小さい体を更に小さくしながらとぼとぼと僕の前を歩く。頼もしいといつも追いかけ続けた背中が凄く小さく見えて少し寂しい気もしたけど、これはこれできっと僕がこいつに追い付きつつある証拠なんだろう。
「……はぁ。ただいまー」
「はいはい、おかえり」
一階もきちんと掃除して使えるようにしないとなぁ。なんてことも話しながらミラの部屋に向かうと…………僕らは一度開けたドアをすぐに閉めてしまった。もう一度開ける勇気はある? と、ミラは青い顔で僕の方を振り返ったが………………そんな勇気は必要無い。
「………………俺達まだ、これから王都に向かうわけだよな。エルゥさんとの約束もあるし、マーリンさんの口ぶり的にもやっぱり連れて行く気みたいだし」
「そうね、そうよ。だったら……結局同じことなんだから、帰ってきてからにしましょうか。二度手間だもの、効率を優先しましょう」
うんうんと二人して頷いて、僕達は現実逃避を決め込んだ。誰も悪くない、強いて言えばこんなボロな建物をいつまでも使っていたこの街の過去の役人達が悪い。僕らはまだ、もうしばらくはこの街を離れることになるのだ。帰ってきてから……きっとやるから。絶対、帰ってきて……色々落ち着いたらやるから…………
「……ふふ。あははは」
「なんだよ。はは、あっはっはっは」
何がおかしかったのかは分からない。ミラが突然笑いだすもんだから、ついつられて笑ってしまっただけだ。ああ、僕達は帰ってきた。日常に帰ってきたんだ。街の未来と自分の生活を考える平和な日常に。もう少しの間寄り道もするけど、それだってきっと楽しいイベントに違いない。ここならオックスが帰ってもすぐに遊びに来られるし、いつだって三人でまた楽しく笑いあえる。そんな日常が帰ってきたんだ。
「……そうだ、服選んでくれない? このシャツ、お姉ちゃんのだったんだけど……大きいし、ボロボロだし。それに……もう、無くても大丈夫だから」
「服、か。女の子の服選ぶのなんか初めてだし、変だと思っても笑うなよ……?」
それはその時になってみないと。と、ミラは意地悪な笑みを浮かべて僕の手を引いてまた家を飛び出した。選んでくれ、か。いつかこいつが落ち着いたら、髪飾りのことも受け入れられるようになるだろうか。そうしたら……また、今度はもうちょっと良い奴を買ってやろう。僕のネックレスも壊れちゃったし、兄妹でお揃いなんてちょっと照れくさいけど……まあ、そのくらいはさ。
はて、お金はあるのか? そういえば全部キリエでおばあさんにあげちゃったけど。と、尋ねると、マーリン様がある程度融通してくれた。と、返事が返ってきた。貢がれてるな、お前。なんて言うと、真っ赤になって否定された。でも間違いなく貢がれてる。マーリンパパ…………
「こんにちはー。さあ、アギトのファッションセンスを見てやろうじゃない」
「微妙に緊張すること言うなよ。いつも短パン小僧みたいな格好のくせに……」
はて、本当に女物の服なんて分からないぞ……? ふりふりした可愛いやつとか似合うだろうか? 似合ったとして、果たして着るだろうか。邪魔になりそうとか言って髪飾りを外してしまうような奴に、そんな動きにくそうな服装が我慢出来るだろうか。無理だろう。となれば……やはりパンツルックのまま…………
「……アギトー? 上着を見て欲しいんだけどー? なに? 全身着せ替えてくれるの?」
「………………悪い。ちょっとテンパってる……」
そうだ、上着がボロボロだから…………今羽織ってるそれ、上着じゃねえからな⁉︎ 普通の長袖シャツだからな、それ。ちょっと大きさが合ってないからコートみたいな丈になってるだけで、上着はそれの上から着るやつだからな⁈
「……上着上着………………上着……?」
はて、困った。そうなると子供用の上着を探さなければならない。もうすぐ涼しくなるのだろう、秋物とでも言った薄手の……こう……なんて言うの? こう、カーディガン……では無いけど。その、あれだよ。服の名前とか分かんないよ! 上から着るやつだよ! それの子供用を選ぶことになるんだろうけど……
「……? どうしたの……?」
「いや……なにが似合うかなーって……」
とても子供用の服を見る勇気は無い。自分のサイズ感はこいつが一番知っているから、いつもそこから選んでいるのかもしれないし大丈夫かもしれない。が! ダメだった場合だ! もし、誰が子供よーーーっ! とかなって噛みつかれでもしたら…………そして、ついに耐えられなくなった僕の皮膚と血管が破れて血が出ようものなら……
「…………弁償だけは避けねば………………」
考えろ。策はある筈だ。およそ小学生低学年みたいなサイズ感の少女に着せられる大人用の服を…………なんとかして見付け出せ…………っ!
「…………それ? アンタ、もしかしてこの格好気に入ってんの? まぁ、見慣れてるとは思うけど……」
「へ……? あ、これは…………ああ。これ……じゃない?」
なにも考えてなんていなかった。とりあえず選んでいる風に見せられればなんでも良かったから、手近にあった白いシャツを手にとって考え込んでいたんだけど……無意識にこれが一番ミラらしいと選んでいたのかもしれないと思ってしまう程、丈も色もそっくりなシャツを広げていた。
「…………ちょっと失礼。えーと…………はいはい、後ろ向いて。あー…………」
「な、なによ。ええー、本当にこれなの? たまにはちょっと違う格好もしてみたいんだけど……」
いや、こうなってしまったらもう他は無い。シルエットが完全に一致する。っていうか、もう同じ服じゃない? でも材質が違うぞ、こっちの方がサラサラしてて涼しげだ。ってことは、今まで着ていたのは冬用のシャツだったのかな? そんな些細なことはどうでもよくて。
「良いじゃんか、これで。やっぱお前はボタン全開でバタバタはためかせてるのが似合ってるよ」
「…………それは褒めてるの?」
褒めてますとも。凄くガキ大将って感じでよく似合う。ミラと言えばこのダイナミック少年スタイルな着こなしだよ。うん、間違いない。というかこれ以上下手を打って地雷踏みたくないし、女物の服を選ぶなんていう羞恥プレイを味わいたくない。しかもこの服、僕が買ってプレゼントするんじゃなくてこの子が自分でお金払うんですよ⁈ 全然カッコつかないんだもん!
「……ま、好意的に受け取っておくわ。私のこの格好、大好きだったんだ、って」
「いや、まあ……ほら、オシャレ着じゃなくて普段着買いにきてるんだし。あんまり綺麗なの買って汚れても嫌だろ?」
それはそうだけど。と、ミラは渋々と言った顔でお会計を済ませた。だが、紙袋を受け取る時の横顔と、大切そうにそれを抱える笑顔はどこか嬉しそうだった。何だかんだ自分でも気に入っていたんじゃないか、その格好……
「で、早速着てみて……」
「いやよ、今日もあそこで寝るんでしょ? 汚れるじゃない、明日出発の時に着るわよ」
それは本当にごもっともです。それからもマーリンさんに貰ったお小遣いを持って、いつもの安食堂で昼食を済ませて商店街をブラブラと見て回った。マーリンパパ、財布の紐緩過ぎない……? 大丈夫? 法に触れない? なんてことを次から次へと色んな雑貨を買い込むミラの姿に思っていると、気付けばもう夕暮が迫っていた。
「……ミラ、最後に一軒寄るところがあるんだ。そこ行ったら今日はもう帰ろう。明日は朝早いし」
「いいけど……どこ行くの?」
内緒。と、僕はミラの抱えたいっぱいの荷物を半分持ってその手を取った。




