第二百話
トレーよし、ポップも持った、埃を立てないように……慎重にGO!
「……原口くん……張り切ってるねぇ」
手を動かせ、手を。そしてその間にも頭をフル回転させろ。僕の能力が足りていないのなら、せめて人一倍動け。アギトはもう腹を括った、あとは僕だけだ。僕は二人の為、この店の為に……
「……見違えたよ、秋人さん。やればできるじゃん」
まだまだ、これからさ。これまで何も積み上げて来なかった男が一人前になるには、積まなくちゃならないものが多過ぎる。一歩づつでも……今は……
「…………でも……」
「おっさん。張り切るのは良いけどさ、トレーの向きグチャグチャだし。ポップも傾いて、っていうか全然違うとこにあるし。あと埃立てない様にしてるんだろうけど、メチャメチャ挙動不審じゃん。失敗作の忍者ロボットみたいだし」
「なんでそんなこと言……失敗作の忍者ロボットって何っ⁉︎」
まだまだ……まだまだこれからのようだ……
お疲れ様。と、店長に声を掛けられたのは夕方のことだった。最後のピーク時間も過ぎて、僕達にやれる仕事はもう無いという宣告だ。より正確には、僕達を残してまでやることが無い、だけど。売り上げが上がらない限り、僕らの人件費だけでいっぱいいっぱいになってしまう。どうしても朝夕にピークがくる都合、お昼にあがりとはいかないからここまで残しては貰えてるけど……
「それにしてもなんかあったの、おっさん。使えないけど随分張り切ってたし。使えないけど」
「おひゅぅ……使えない…………」
どうしてこの子は的確に人の急所を抉り抜いて来るんだ。でも、何かあったのは僕ではなくて……なんて説明はしてもしょうがないしなぁ。なんて躱そうか。
「えっと、ちょっと頑張らないとなーって。昨日の話を聞いたらさ」
「随分殊勝なこと言うじゃん。まぁ、おっさんくらいになるとバイト探すのにも苦労しそうだもんね」
おひゅぅ…………ど、どうしてこの子はこんなにも容赦無く人の急所に全力ボディブロウを振り抜いて来るんだ。息も絶え絶えなんですけど……
「ま、見てなって。明日、この店の行き着く先……目指すべき先を見せてやるし」
「ず、随分張り切ってるね……花渕さんこそ……」
鼻息を荒げて手のひらを拳で叩きながらそう言った花渕さんの目は、何やら野心の様なもので炎が灯って見えた。彼女も彼女でこの店に愛着があったりするんだろう。なんとも頼もしい限りだが…………情けなくなってくるよ、ほんと。
去り際に思い切り背中を叩かれて、また明日。と、元気に帰っていく花渕さんを見送って僕も帰宅した。初めて会った時から考えれば随分打ち解けたなぁ……打ち解けた…………? い、いや、打ち解けてるんだよ、これは。決して上下関係がはっきりしたとかでは無い……筈だ……よね…………?
「はぁ。十六歳に弱過ぎるな、ちょっと。ただいまー」
一人地面に向かって心中を吐露し、僕はスイッチを切り替えて玄関の扉を開けた。ほう、この匂いは……カレーですなぁ。はたまたカレーうどんですかな? カレー鍋ですかな? なんにせよカレーは良いですなぁ。カレーは飲み物なんて言った偉人がいた気がしますが、それすらヌルい。カレーは酸素ですぞ。無ければ死んでしまう。
「おかえり、アキちゃん。もうすぐ晩御飯出来るから、着替えてらっしゃい」
はーい。なんて小学生みたいな返事をして、僕は自室に飛び込んだ。カレーだカレーだ! なんてはしゃいじゃって、まったく………………
「……そりゃ十六歳が歳上に感じもするよ…………十歳じゃないか、精神年齢が……」
大人になろう。カレーにらっきょう入れ過ぎて酸っぱいとか、馬鹿なことしない大人になろう。食後にコーヒーでも嗜む大人になろう、決してコーラとかそんな子供みたいな真似はしないでおこう。そう決意して僕は晩御飯に臨んだ。
「ご馳走さまー。ぷはー、コーラ最高。らっきょう入れ過ぎたかなぁ、それでも美味しいってやっぱり母さんのカレーは最高だね」
「まぁまぁ、鏡見ておいで。口の周りそんなに汚して。子供じゃないんだから」
へへ、いっけねー。なんて………………洗面台に向かった先、鏡に映っていたのは小学三年生みたいな三十路のおっさんだった。おかしい。何かがおかしい。そうだ……これは夢なんだ……目が覚めるとまだ僕は小学生で、夏休みももう終わるからとみんなで一緒になって宿題をやって……我慢出来なくなってセミ取りに…………
現実に帰ってきたのは、部屋で膝を抱えている時に届いたデンデン氏からのDMを見たときだった。相変わらずのゲームのお誘い。わーい、混ぜてー。なんてテンションで僕は大慌てでPCを起動した。さて、でもちょっと待ってデンデン氏。やることがあるんだ。
「……えーと、背は……高くないんだよなぁ、うぐぐ。髪色は……目は…………」
おっけー。久々にクラサガやりましょうぞー。なんて返信をしたのは十数分後。慣れてきたのもある、でもそれ以上にアイツ以上に手をかける気にならなかったのが本音。まぁ……男キャラとか……動けばなんでも、ね。
『ミラちゃん久しぶ……え、なんですかなこれは? 喧嘩売ってるんですかな? ちびっこ魔法戦士を何処へやった貴殿』
「いやぁ、たまには男キャラも良いかと」
画面に移されたのは、どろしぃと並んで立つ初期装備のアギトという名の戦士。うん、僕にはこれがちょうど良い。散々やり込んで体験版で遊ぶには強くなり過ぎたミラ(ゲームキャラ)の代わりに、これからはアギトが戦うんだ。うん、やっぱりこれで良い。前に感じた嫌な苦しさもない。これでいいんだ、これで。
「これでいいの。これがいいの。ミラはもう戦わせたくないのー!」
『アギト氏のいけず! どろしぃたんと一緒にイチャイチャスクショ撮るって約束はどうするでござるか! 拙者絶対嫌でござるよ! どろしぃたんが他の男と一緒に居るところとか見たくないでござるよ‼︎ っていうかアギトってこれ、もしかして自分モチーフキャラですかな? 流石にいい歳してこの美化の仕方はやばいでござるよ?』
おう、的確に痛いとこ突くんじゃないよ。そんなこと言われたらこう……やばい、目の前のアギトがとても恥ずかしいものに思えてきた。でも美化とかしてないし⁈ これちゃんと実在する非実在少年の僕だし⁈ 女の子といっぱい触れ合ってる、割と美味しい思いしてる方の僕だし⁉︎ 三十路童貞とは無関係の同一人物ですから‼︎
どろしぃたんは男キャラとは遊ばないでござる。と、デンデン氏は新たに金髪の男キャラ……ショタキャラとでも言うべきか。小柄な少年キャラクターをクリエイトして合流した。そういえば金髪の少年出てきたね、小説でも。まだ謎の少年で止まってるけど……続きが気になってきたじゃないか。ソウルメ伊藤というよくわからない名前のデンデン氏のセカンドキャラとともに、アギトは必死にレベル上げに勤しんだ。男と女でモーション違うのか……一撃の威力は大きいけど、もっさりしてて当てにくいって言うか…………やっぱりミラ(ゲームキャラ)って強いんだなって……
気付けばもういい時間じゃないか。と、慌てて布団に入ったのは十二時を過ぎてから一時間近く経った後のこと。そして目が覚めたのは、九時を後五分後に控えた時のこと。あー、これは……いや、セーフ! 今日は花渕さんが朝で僕は昼前からだから、セーフ! でもそろそろ支度しないと。
「……枕カバー買ってこよ……うえっ……」
ぐるんと体を半回転させると、そのむせかえる様な酸っぱい匂いに意識が無理矢理覚醒させられた。これはキツイ…………
シャワーを浴びて、綺麗な服に着替えて。ようやく馴染んできた当たり前をこなして、僕は家を出た。花渕さん随分張り切ってたし、きっと今日は何かあるんだろう。僕もしっかり気合いを入れていかないと、だ。
「よし、行ってきまーす」
顔を二回手のひらで叩いて、僕は誰もいない我が家に挨拶をして……やっべ、ガスの元栓閉めてない! 閉まってた! 多分、母さんが閉めてったんだろうな。一応もう一回鍵と窓見ていくか……
「……今度こそ、よし。鍵もよし、行ってきます」
ガチャリという音を確認して、指差呼称もして。その上でがちゃがちゃとドアが開かないことを確認して、やっと僕は家を出た。毎度これやらないと不安で不安で仕方ないんだよ……分かるだろ? こちとら二十年近く引きこもってたんだぞ……? 外の世界は怖いものだと思ってたんだから、ガッツリ警戒するよそりゃあ……
「おはようございます!」
「お、今朝も張り切ってるね。悪いけどそのまま、張り切ったまま急いで着替えてきて」
おや、急いでとな? 張り切っているのはもちろんですが……はて、なんでしょう? 慌ただしく動き回っている店長にただごとならざる気配を感じて、僕は急いで控え室で着替えを済ませた。花渕さんの言っていた答えってのが関係しているんですかな……?




