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異世界転々  作者: 赤井天狐
異世界転々
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第二十話


 少しして母さんも起きてきた。今朝は少し体調が優れないのか顔色が悪い。それでもそんなことを微塵も感じさせず、優しく笑っておはようと言った。兄さんは昔みたいにスクランブルエッグをトーストに乗せて、たっぷりケチャップをかけて食べていた。母さんはスープだけ飲んでご馳走さまとお皿を片付けてしまった。

「アキ。今朝でダメなら俺はお前の主張を認められない。ちゃんと母さんにも説明するんだ」

 兄さんはアイスコーヒーを一口飲んでそう言った。そう、僕は二人にもう少し甘えていたいとお願いしなければならない。彼女のことを説明できない以上、何も変わっていないとそしられることも覚悟の上だ。僕は真剣な顔の兄さんに向かって頷いて、母さんをもう一度テーブルに呼び戻す。

「母さん。二人に話したい、お願いしたいことがあるんだ」

 母さんは意外そうな顔もせず、頷いて戻ってきてくれた。また三人がテーブルを挟んで揃ったのを確認して、僕は腹を括って口を開く。

「二人ともごめん、もう少しだけ時間が欲しいんだ。きっと……きっとこれを本気でやらないと変われない気がする。今どうしてもやらなくちゃいけないことがあるんだ」

 今まで散々してきた言い訳と何も変わらない、自分勝手なことをこの期に及んで。側から見たらそう感じるのかもしれない。いや、きっとそれは事実なのだろう。それでも、怠け者と二人に呆れられようと、僕は彼女のために出来る事を出来る限り全部やって蛇の魔女と魔獣の討伐にあたらなければならない。きっとこれを適当に、彼女に依存してやってしまえば僕は何も変わらない。

 そしてもう一つ。向こうの世界でもし死んだら、アギトが死んだら秋人はどうなるのだろうか。彼女の身を案じているのは事実だし第一優先事項だ。しかし同時に僕は自分の事も守らなければならない。なにがどう転ぶのかもはっきり分からない今、慎重に過ぎることはない。

 二人はもちろん良い顔をしなかった。それもそうだ、僕は何一つ二人に説明出来ていない。それでも黙って僕を見つめているのは、こんなになってしまった僕への気遣いだろうか。僕が自分できちんと説明するのを二人は待っている。

「詳しくは……話せない。僕が変わろうと思える出来事があって、変わりたいと思わせてくれた人がいて、ようやく二人の前に出てこられたのはその人のおかげなんだ」

 精一杯二人が信じられそうな範囲でミラの事とアーヴィンでの出来事を説明した。彼女に言われたこと、彼女が見せてくれたもの、街で見たもの、聞いたもの。それにロイドさんが信じてくれた僕の弱さのこと。ありったけを話した。二人からすればネットで誰かに相談して、説教されたり優しい事を言われた程度に伝わるだろう。相変わらずその世界(パソコン)から出てこられないのかと言われてしまったら、もう何も言えなくなってしまうが、それでも二人に信じて貰えない彼女の事を話そうと思ったらこれしか無かった。

「……だから、僕はその人に恩返しをしたいんだ。もちろん二人の方がもっと長く迷惑をかけたし、先に恩返しするべきなのも分かってる。それでも、彼女に今手を差し伸べないと、二人に何かを返すなんて出来る筈がない。そう思うんだ」

 精一杯の、説明か言い訳かもわからない話を終える。母さんは笑って僕を見ていてくれる。だが、兄さんはまだ暗い顔のままだった。

「…………説明、出来ないんだな? お前、まだ全部は話してないだろう」

 ギクリとした。今更僕の薄っぺらい言い訳なんて兄さんにはお見通しなのだろう。だけど僕にはこれ以上話せることはない。情けなく口をもごもご言わせて俯くしかなかった。

「……アキ、お前が言いたいことはわかった。お前が言わなかったことはもちろんわからない。だけどこれだけははっきり言っておく」

 やり場がなくてテーブルの上で遊ばせていた僕の手を、兄さんは両手で挟む様に掴んで僕に顔を上げさせた。この時、僕はやっと兄さんの目を見た。そうか、取り繕った話なんてバレるわけだ。僕は顔色こそ伺えど、二人の顔を、目を今になるまで一度も見ていなかったのだ。

「お前がその人に何かを返したいのも、何かの助けになりたいのも俺は応援する。だけどな。その人のために他の事をないがしろにするお前を、その人は喜ぶのか?」

 それは……と、僕は半開きの口で言い淀んだ。いや、その一言も言えなかった。兄さんが言おうとしていることを、僕はつい最近になって理解した。今僕がしているのは老神官と同じ。彼女のために僕は二人を犠牲にしようとしている。もちろんことが済めばこちらの世界でも頑張ろうとは思っているが、結局二人よりも彼女を優先していることは変わらない。だからもう僕には何も言い返せない。

「……お前は昔から、一度そうと決めて考えてしまったら他の考え方が出来なくなる悪い癖があるな。いいかアキ。誰かの為に頑張る、何かを頑張る為には他の何かを犠牲にしていてはダメなんだ」

 兄さんの口調は優しく、それでいて僕の知らない世界の話のようだった。何かをする、助けるということはその間に他のことを出来ない、助けられないという事だ。兄さんはそんな事分かっている筈で、それはどうしたって覆せないはずなんだ。

「それは……どういうこと?」

 だからこんな間抜けな事を聞き返した。子供が大人に説明を求めているようでひどく滑稽に見えたかもしれないが、二人は僕を見下すでも見限るでもなくまだきちんとまっすぐに見ている。

「何かを頑張るというのは、他の何かを頑張らないことになる。お前が昔俺に言ったこの言葉は正しいし、俺もそう思ってた。だけどそれはそこで終わりじゃない。何かを頑張ったから他の何かに頑張れる。誰かを助けたことが他の誰かの助けになることがある。親父が死に際に言ってた言葉を、俺も最近やっと理解した」

 それは……そうだろう。経験を積むことが次の何かの助けになるというのは当然だ。でも結局時間は限られているし、事実僕が散々頑張ってきたFPSが二人の為の何かになるか。と、聞かれれば、なんの足しにもならないと言わざるを得ない。兄さんが、父さんが言ったその言葉は結局未来の話なのだ。今更になって、こんなに手遅れになってから出会ってももう遅いのだ。

「アキ。本気で頑張れるんだな? 終わった後、その人の為に胸を張って頑張ったと言える自信があるんなら、俺はお前が言うもう少しを待ってやる」

 それは意外な返答だった。さっきまでの兄さんの口ぶりは僕の主張を否定するものだった。それなのにその答えになるのはおかしい。だから僕は混乱して、どうして? と、聞き返してしまった。兄さんはたった今二人の為に頑張ることが彼女の為になると、そう僕に言おうとしていたんじゃないのか、と。

「良いんだ。今更もう一週間も一ヶ月も、もう一年だってそう変わらん。待てるさ、たった一人の弟だ。だから俺達の為にも、その人の為に頑張るんだ」

「兄さん……」

 逆だったのか。兄さんは手を離して席を立った。すれ違いざまに肩を叩かれて僕はそう思う。母さんもニコニコしながら、頑張りなさい。と、そう言って僕と兄さんの食器を片付けてくれた。あんなに長い間迷惑をかけられてなお、二人は僕のことを信じて待ってくれると言う。二人がいなくなったリビングで僕は一人ボロボロと泣き崩れた。

 頑張らないと。そう決意して僕は部屋に戻る。二人の行ってきますに部屋の中から返事して、僕はPCの電源を入れる。AoWの為じゃない、本当に彼女の為に頑張る為に。今日やっと僕はゲームを立ち上げずに目的を果たす。しかし、僕はこの時まだ分かっていなかった。頑張ると言うことの本当の意味と、その難しさを。


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