第百九十九話
僕らは愕然として膝から崩れ落ちた。こんなことがあっていいのか。いや、いいわけが無い。目の前の惨状は、安堵と安心と、それから期待や希望とあとご飯食べ損ねたとかそんないろんな感情を軒並みなぎ倒していった。とどのつまり……
「……き、きたねえ…………」
「凄い埃…………げほっ。あ、アギト……私達もやっぱり神殿に……」
しばらくぶりに訪れた我が家は、土埃の巣窟と化していた。こんなのって無いよ……あんまりだよ…………っ。
「…………いや、掃除しよう。ここは俺達の家だ。うう……」
「そ、そうよね。家主の大切な使命よ、掃除も。うぅ……」
さっきまでのキラキラした表情も消え失せ、二人ともしょぼしょぼした顔で部屋の掃除を始めた。ん……? あれ……?
「……いや、お前は自分の部屋をやれよ。まあどうせ寝るときはこっち来るんだろうけどさ」
「ええぇぇ…………だって、あっち物多いもん……」
もん、じゃないが。分かった、こうしよう。今日は俺の部屋を片付ける。んで綺麗になった部屋でゆっくり休んで、ミラの部屋は明日やろう。そんな約束をして、僕らは急いで部屋を片付けた。元々何も無かった部屋だ、埃を外に掃き出してしまえば大体おしまい……とは問屋がおろさない。おろせよ! もう疲れてるんだよ! こっちはロクに寝てないんだ!
「…………アギトぉ……これ…………今日これで寝るの…………?」
「うわ…………うわぁ…………うわあぁ……………………」
目の前に現れたのは、押入れに突っ込んであった布団……だったものだ。まあ……隣の部屋に雨水溜まってるからなぁ、なんでか知らんけど。ほんとあのシャワーだけは今は使いたくない……と、今更になってここの生活を具に思い出し始めさせたのは、埃で真っ白になったその下にすでに見える緑色のカビを纏った、可哀想な姿になった煎餅布団だった。キリエのボロ病院の布団の方がまだマシじゃないか……
「………………ミラ、お前の部屋の布団……無事かな?」
「嫌。絶対に入りたくない…………」
おかしい。確かに一ヶ月近く留守にしたとはいえ、こんなになるものだろうか。こんなになるんだろうな。そりゃな、隙間風とかバンバン入って来るもんな。どうしような、ホントこれ。
「……アギト、とりあえず床だけ片付けましょう。そうすれば私は眠れるから」
「ふざけんなお前。そんなことしたらお前……お前あれだぞ。お前…………」
ボキャブラリーも死にますよそりゃあ。しかし、残念ながらいい解決案は浮かばない。神殿に戻って、やっぱり泊めてください、って言うのもなんだかなぁ。格好つかないっていうか……ここに帰ってきた以上、やっぱり我が家で眠りたいわけで。多分、このクソ汚い部屋かフルトの病院のどちらかだからな、僕が一番眠った場所は。うわぁ……こんなとこで寝泊まりしてたの、僕ら。よく病気にならなかったなぁ……
「はぁ、しょうがない。服を床に敷いてその上で寝よう。明日絶対体硬くなってるやつだけど……」
「そうね。とりあえず埃はなんとかなったし……げほっげほっ。しゃがむとまだ漂ってる埃が……」
水拭きしなきゃなぁ……なんてことで、僕らは隣の部屋に貯めてある水を確認しにいった。干上がってるかなぁ、なんて考えすらも甘い。僕らはこの世の終わりの様な惨状を目にし、今自分達が眠ろうしている部屋がいかに贅沢なものであるかを思い知らされた。壁一枚隔てた先にアレがあると思うと……やめよう、この話はやめよう。
「……気分悪い。アギト……背中撫でて……」
「地獄だ。ここはもう地獄だったんだ」
はぁ。と、大きなため息をハモらせて僕らは笑いあった。もう寝ようか。なんて、どっちが言い出したかは忘れたけど、僕らはいつも通り眠りについた。朝目が覚めたら…………隣の部屋から……ひいぃぃっ⁉︎ い、いかん! ホラー映画見た後より全然寝付けない!
ああ、ここも実はアレと変わらないくらい不衛生なんじゃないかなぁ。なんてことを、枕の臭さについ思ってしまう。ゆっくりと背中の涼しい体を起こせば、ちょっと綺麗に感じてしまう……けど、汚らしい散らかった僕の部屋が目に飛び込んできた。
「……掃除しよ」
真剣にこの問題と向き合わなければならない。これの行き着く先を見た気分で昨晩の悲劇を思い出す。だめだ……うぷっ。思い出してはならないものだ、アレは……
「…………さて、と。うん、頑張らないとな。俺も」
ばちん。と、両手で自分の頰を打つ。うわぁ……弛んでるなぁ。じゃなかった。気合いを入れて僕は部屋を出た。二人は……あれ、もういない……? ってやべえっ⁉︎ もうすぐ家出ないといけない時間じゃん⁉︎ そんなに寝付けなかったのか⁈ そりゃそうだろ! あんな部屋だもんな‼︎ くそう、変な見栄とか拘りなんて持つんじゃなかった‼︎ 大慌てで支度して僕は家を出た。頑張るなら遅刻とかしてる場合じゃないもんな。
僕が店に着いた時、ちょうど入れ違いでお客さんが二組帰っていった。おはようございます。と、挨拶する間も無く控え室に飛び込んで、僕は今日もパン屋を守る為の装備に着替える。そうだ、頑張るんだ。アイツが安心していられる立派な人間になるんだ。その為には、僕自身も頑張る必要がある。そう、変わるんだ。もっと、もっともっと!
「おはよう原口くん。今日もよろしく」
「おはようございます! 今日は営業とか無いんですか?」
気合い入ってるねぇ。なんて嬉しそうな店長に、それでも配達は無いと悲しい現実を突きつけられても僕は挫けない。今の僕はもう一人じゃ無い。秋人として、アギトとして。もうウジウジ立ち止まっていられないんだから。
だが、現実は無情である。お昼前に花渕さんがやってくるまでの間、お客さんはゼロ。こんな馬鹿な……
「はよーっす……なに、おっさん随分萎びてるけど。遂にお客さんからクレームでも入った? 汚らしい店員がいるとか」
「違うよ……え? 汚らし…………え? もしかして花渕さん僕のこと…………えっ⁈」
冗談じゃん。と、笑われたが、ちょっとそれはシャレになっていない。心に大きな傷を負いつつも、だがそれでも今の僕は昨日までの僕では無い。その程度ではへこたれない、挫けない! ぐすん。
「いや、お客さんが来ないもんだから……」
「いつものことだし、そんなに気にすることでも無いじゃん? まぁ色々やってるのに成果が見えないのは堪えるけど」
気にしなかったとしても気は遣ってって言ってるでしょ⁉︎ 店長! しっかりして店長‼︎ だが、彼女の言う通り今は我慢の時なのかもしれない。あれ……? 何か忘れているような…………?
「…………そうだ、そうだった……デパートに新しいパン屋さんが…………」
「おいおい、随分ボケてるじゃん。そうだよ、今気にすべきはそっち。売り上げが上がらないことよりも、この先どんどん下がっていく可能性が高いことを危惧すべきだし」
デパートが出来て、商店街や個人でやってる八百屋や魚屋が潰れた。なんてのは聞き飽きた話で、それはもちろんこの店にも関係ある話だ。店長もまさか無策とは思わないけど……どうにかしっかり対策を立てて、今のうちに固定客を確保しておかないと……
「ああ、それね。どうしようねぇ……」
「どうしようね……って、呑気すぎませんか? 一大事ですよ、この店だってまだ軌道に乗ってないのに……新しいパン屋が、よりにもよってデパートなんかに……」
なんて呑気な人なんだ……なんて僕の心配をよそに、店長は何やら涙を浮かべて感じ入っていた。なんだ……どうしたことだこれは……
「二人ともそこまでお店のこと考えていてくれたなんてねぇ……嬉しい限りだよ……」
「まさか店長がここまで店の経営のこと考えてなかったとは思わなかっただけだし。悲しい限りじゃん」
店長―――っ! 無抵抗な店長の鳩尾に、えげつない一撃が放り込まれた。なんて惨いことをするんだこの子は。同い年のチビスケはあんなに無邪気だってのに。
「……いやね、このお店の方針とデパートに入るようなお店の方針じゃ随分違うものになるからさ。僕らは僕らのやり方を確立出来れば、対抗出来ないことは無いと思うんだよ」
「いや……多分、そのやり方の確立が出来てないから花渕さんは……」
はぁ。と、そんな僕たちのやりとりを見て、花渕さんは頭を抱えてしまった。そんなに頼りないか……そうか……
「……いいよ、明日私が答えを見せてやるし。店長は引き続き営業かけて、配達と路上販売で名前を売って。おっさんは……なんかやる気みたいだから、掃除頑張って」
答え……? と、僕と店長は顔を見合わせて花渕さんの言葉の真意を考えた。って、待って花渕さん⁉︎ 今しれっと僕のこと戦力外通告しなかった⁈ ねぇ⁉︎




