第百八十八話
拝啓、ミラちゃん、アギトさん、オックスさん。私はもう、ダメかもしれません。
「ヘッヘーッ! こりゃあいい! 随分金になりそうだ!」
馬車の中には私と数人のお年寄り。それからティーダと、王都に向けて運ばれている最中の荷物箱。それらを見て、男達は口角を釣り上げて邪悪に笑います。金になりそうだー。とは、きっと大量に積まれたその荷物のことでしょうか。でも、これが奪われるとフルトは国に税を収めていないことになってしまうので……それは困っちゃいます! でも……小麦やトウモロコシって本当にそんなにお金になるんでしょうか…………?
「ハッハーッ! 良いもの着てるじゃねぇか爺さんども! おっ、若い娘もいるなぁ! たしかにこれは金になりそうだ!」
「…………へっ? わ、私ですかーっ⁉︎」
拝啓……ミラちゃんへ…………私は…………エルゥはもう、ダメかもしれません…………
パチリと目を覚ますと、まだ空は白んでいました。ああ、期待に胸を膨らませ過ぎてこんなに早起きしちゃったんですねぇ。なんて考えながら、私はあまり膨らまなかった胸を押さえてその高鳴りを実感しました。
「…………遂に、今日かぁ」
少しばかりセンチメンタルに浸っていると、ばうばう! と、頼もしい相棒が顔を見せました。彼は……あ、いえ。彼女はティーダ。人懐っこい可愛い私の同居人…………同居犬? これでも頼りになる小さな家族です。いえ、犬としては大型犬に分類されるんですけどね。
「おはようティーダ。おー、よしよし。まだ早いけど……ご飯にしよっか」
わん! と、元気いっぱいな返事をするティーダを見ると、少しだけ安心した様な、そしてさみしくなってしまう様な。ほんの少しだけ、あの時のミラちゃんを思い出してしまいますね。あんなにボロボロ泣いて、嬉しかったけどちょっとかわいそうだったなぁ……なんて。私はもう別れに慣れ過ぎてしまったから、彼女の純真な姿が少しだけ眩しくも思えました。
「…………待て。おすわり、お手。うん、よし。いっぱい食べるんだぞー?」
戸棚に隠してあった干し肉とトウモロコシのペーストを器に移して、毎朝の習慣を……今日で最後になる、いつもの日常を繰り返した。うん、やっぱり涙は出ないや。
「……よーし、よし」
水浴びでもさせてやればよかったなぁ。なんてことを、ゴワゴワになっているティーダの長い毛に後悔しながら、私は身支度を整える。私は今日、生まれ育ったこの街を——フルトを旅立つのだ。友達との約束の為、自分の夢の為。故郷を離れて馬車に乗り、目指す場所は憧れの地。子供の頃から聞かされていたこの国の都、王都ユーゼシティアに私は向かう。
着替えも持った、お守りも持った。お財布は三つ、旅費と宿泊費の入った大きな財布。食費の入ったお気に入りの財布。そして雑費とお小遣いの入った、子供のころ使っていた小さい財布。うう……これっぽっちしか遊ぶお金ないの……? なんて、めげている場合じゃありません。仲良しな近所のおばあさんに留守の間のお家の管理を任せ、今から役所にティーダを引き渡しに行きます。もともと冒険者さんの飼い犬だったティーダは、なんだかんだと押し付けられる様な形で私の家に転がり込んできました。でも、流石におばあさんにこの子の世話までは頼めません。
「…………いい、ティーダ。良い子にしてるのよ? 帰ってきたらまたいっぱい遊ぼうね」
くぅーん。と、甘えた声を出す姿は、やはりどこかあの子を思わせます。アギトさんはいつもこんな気持ちで彼女に接していたんでしょうか? いやいや、彼の場合は…………うへへ。
「……本当に行くのかい? 危険だよ? いくら国営の馬車と言ったって、魔獣が出ないとも限らないし……それに……」
「はい、分かってます。でも……約束ですから。ティーダのこと、しばらくよろしくお願いします。あっ、食べたりしたらダメですからね⁉︎」
うろうろと私の周りを不安そうに歩き回っていたティーダの頭を撫でてやる。待て、おすわり。うん、良い子。そのまま、ここで待ってるんだよ。
「……もう馬車の時間だ。じゃあ行ってきます。お土産は……うう、すみません。期待しないでくださいぃ……」
お金に余裕がないんです、ごめんなさい。先輩達に頭を下げて、私は大好きな職場を飛び出した。多くの人と出会い、別れ。みんなと出会い、約束をしたこの場所を。そして私は王都に向けて上納品を運ぶ馬車に乗りました。うーん、流石は国営馬車。作りがしっかりしていますね。
「…………フルトともお別れかぁ。ううん、また戻ってくるんだから。うう…………戻ってきた時、また雇って貰えるかなぁ……ドジばっかりしてたからなぁ……」
荷物をいっぱいに詰め込んだ大きなカバンを抱え込んで荷馬車の端に座っていると、なにやら聞き覚えのある声……ばうばうなんて鳴き声が聞こえてきました。
「……ばう? まさか……っ⁈ ティーダ⁉︎」
ばうっ! と、大きな声とともにティーダは私のところへ飛び込んできました。どうして、とは問いません。聞いても答えは、わんわん、ばう! しか返ってきませんし。
「……頼もしいじゃないですか、このこのー。ボディガード、お願いしますね」
ばふばふと息を切らせて、ティーダは私の側に腰を下ろしました。こうして私は頼もしい相棒と共に馬車の旅を始めたのです。馭者の方には最初渋られましたけど、良い子に出来る犬だと認めて貰えて乗車を許していただけました。あんまり吠えると馬がびっくりしちゃいますからね、静かにしてるんだよ? この時の私は、まさかあんな……あんなに早くに危険が襲うとは思いもしませんでした。
馬車がフルトを発ってから数十分程が経った頃のことでした。心地よい二頭の馬の蹄が交互に地面を叩く音と、ちょっと嫌な音が混じる時もあるガラガラという車輪の音の間。随分小さい……でも、段々大きくなる——近付いてくる音があったのです。そう、みんなも心配してくれていた野盗が出たのです。
ぶるるっ! と、気を昂ぶらせた数頭の馬に乗って、彼らはすぐに私達の乗った馬車に並走する様になりました。ああ……どうしてこんなことに。
「止まれ止まれ! 止まらねぇと酷い目にあうぜ!」
がたんがたんと馬車は揺れ、男達の荒げた声に中にいたご老人達はすっかり怯えてしまっていました。孫に会うために王都に向かう。と、出発前楽しそうに語っていた罪もないおばあちゃん達が、どうしてこんな怖い思いをしなければいけないのだろう。ミラちゃんがいたら一緒になって怒ってくれたかもしれません。でも……私にはあの子みたいな力がありません。
「……っ。アギトさん…………」
バウバウッ! と、乗り込んできた男達に向かって勇敢に吠え掛かるティーダを抱き締め、私は彼の姿を思い浮かべました。私と同じ、無力な一般人である彼を。魔獣なんて相手取るには足りないものが多すぎるのに、大切な仲間達を守る為に奮い立った勇敢な少年を。
「…………っ! や、やめなさい! おばあさん達に酷いことをしないで!」
目をギラつかせてか弱いご老人達から金品を巻き上げようとする男達に、遂に私は声を上げてしまいました。うう……ごめん、ミラちゃん。約束……守れないかも……っ。私を見て何やら不穏な会話を繰り返す野蛮な男達は、標的をおばあさんから私へ変えてジリジリと迫ってきました。ううぅ…………
「へへ……よく見りゃ上玉じゃねえか。高く売れるんだよなぁ……若いってだけでも貴重だからなぁ」
売る…………っ⁈ 売られてしまうんですか……? 売られて…………はて、売られたらどうなるんでしょう。食べられるんでしょうか…………? 田舎育ちの人間にも、もっと分かりやすい言葉を使ってください! なんて、吠え掛かる勇気はもう残って無かったのです。
「…………ひっ。うう…………アギトさん……っ」
もう一度、もう何度でも彼の姿を思い浮かべます。彼だけじゃ無い、みんなの——楽しかったあのひと時のことを思い出して、心を奮い立たせようとしました。でも……私は弱虫です。ミラちゃんの様に立ち上がることも、オックスさんの様に戦うことも。アギトさんの様に勇気を振り絞ることも出来ませんでした。
「ああ、鬱陶しいな! 犬っころが! こいつは食っちまっても良いよな⁉︎」
ばうばう。と、私の腕の中で暴れて吠え掛かるティーダに、男達は更に声を荒げました。食っ……っ⁉︎ それはダメ! と、最後の抵抗で、私はティーダを男達から隠すようにぎゅうと抱き締めて背中を向けました。この子は……みんなとの思い出だけは…………っ!
「——最低ね。レディに対して、なんて言葉遣いかしら————」
それは確かに聞き覚えのある声でした。ドバン! と、大きな物音と共に、野盗の一人が馬車から引き摺り下ろされて地面に叩きつけられたのです。
「だーーーはっは…………笑えぬな。その所業は畜生のソレだ。我らはソレを見過ごせぬ。畜生を、魔獣を狩る。そして対価を受け取り生活を潤す。なれば……この場は我らの狩場としても構わんだろう、なあ!」
「……お二人は…………っ!」
彼が乗り込もうとすると、ズシリと車体が傾いたのがわかりました。それを受けて男達は動揺し、そしてもう一人の彼……彼女…………? ええと、どう言いましょうか…………?
「……あら、奇遇ね。ふふ、元気だったかしら?」
「——ハーグざぁんっ! レイざぁぁんっ‼︎」
だーっはっはっ! と、大男は笑いながら野盗を摘まみ上げる様に外へと投げ出してしまいました。桃色の髪の男…………女性…………? ええと……ハーグさんは、さっきまでの冷たい顔から一変、優しいオネエさんの顔つきで震えていたおばあさん達に寄り添って、もう大丈夫と声をかけてくれました。
「盗人などという所業、我らの目の届く内で成せると思うな! 去れ! さもなくば我らハーグ・レイ兄弟、貴様らを獣として相手取る!」
ああ……ああっ、ああっ! 頼もしい口上、勇ましい背中。私は彼らを知っている。たった一度、街が疲弊した時に現れて大切な友達を救ってくれた救世主。ハーグ・レイ兄弟。私は……彼らをよく知っている!
「…………だっはっは! 久しいな監督役の。はて、どうしてこんな所に?」
「……そうよ、ね。貴女フルトの受付でしょう?」
それは…………と、私は仔細を彼らに説明しました。大切な友達との約束の為、王都に向かっているのだ、と。その際に事件に巻き込まれてしまったのだと。彼らは笑って私の背中を叩いて、彼らのことを嬉しそうに語りました。見込みのある坊主だった、と。そして……
「だーはっはっはっ! ならば我らも同行しよう! なに、護衛料は取らん。代わりにまたフルトに寄った際は、割りのいい仕事を振ってくれ! だっはっは!」
「そうねぇ。お嬢さん一人で旅をするのは危ないものね。それに、お年寄りを……弱い者を守ろうとするさっきの貴女、かっこよかったもの。今夜、どう?」
それはご遠慮します。と、ハーグさんのお誘いは断ったものの……私はティーダ以上に…………ああ、ごめんごめん。ティーダと同じくらい頼りになる仲間を味方につけて、旅を再開しました。もっとも、私の意見に関わらず馬車はまた動き出すんですけどね。
ミラちゃん、アギトさん、オックスさん。私はきっと、王都で待っています。しばらくの滞在も可能ですし、王都で仕事を始めてもいい。いつまでだって待っていられるので、ゆっくり安全に、お体に気をつけて。元気な姿でまた会いましょう。エルゥ・ウェンディより。




