第百八十五話
君はもう戦わない方がいい。マーリンさんはそう言った。そりゃあ……こんな小さな女の子が戦っている方が変なんだ。僕としてはその方が良い。けれど……それってつまり……ミラの身体の不調は深刻なものってことなんじゃ……
「どう……してですか? 今は……その……確かに発動出来ないですけど……」
「ああ、違う違う。その魔術が発動しないこととは関係無いよ」
ならどうして! と、ミラは食ってかかる。雷魔術が無いから戦うべきでは無い、のでは無いのなら……精神的な話だろうか? さっき言っていた魔術が不発に終わる原因が関係して……いや、でもそれなら関係無いなんて言わないよな……?
「うん、もっとシンプルな問題だ。君には役割が無い。はっきり言って君は役に立たない。そうだな……ユーリはおろか、君が大事に大事に守ろうとしているアギトにだって敵いやしないだろうね」
「…………っ! 何を言って……っ! 私は戦えます! アギトより弱いなんて……そんなこと——っ」
ミラは言いかけた言葉を飲み込んだ。マーリンさんの顔が変わったんだ。にこにこと、飄々と笑っていたさっきまでのマーリンさんはどこかへ消えて、そこには凛と張り詰めた魔導士の姿があった。
「まず二つの選択肢がある。どうやら強化魔術が得意なようだね、それもまた雷魔術によるものだ。それを活かした近接戦闘、これが一つ目の選択肢。もう一つはさっきの爆撃魔術なんかを多用した遠距離からの広範囲攻撃。まずはこちらから説明しようか」
そう言ってマーリンさんは地面にあぐらをかいだ。ミラも僕もオックスも慌てて座り込む。
「さっきは不発に終わったけど、あの魔術相当な威力と範囲だね。魔力も属性も高いレベルで練り上げられている。芸術と言って良い、素晴らしい魔術だ。でも……君はそれを何回発動出来る?」
「それは……っ」
なるほど、確かにそれは問題だ。あの荒れ狂う雷霆は広範囲を巻き込む暴風魔術だ。だが……それを連続で使用したのは、多分二回が最大じゃないかな……? いつか飛行型魔獣を相手取った時に、それも一晩時間を空けてのことだ。やはり雷魔術は消費が……
「自分の事だ、分かっているだろう。まず一つ目、そして最大の弱点。君は……魔術師としてはあまりにも魔力が少ない」
「っ……それは……」
魔力が少ない…………? 少ない……のか。他の魔術師なんて数えるくらいしか知らないし、そもそも僕には魔力痕だとか魔力量だとかは分からないからピンとこないけど……ミラって魔力多いんじゃなかったの? だって……クリフィアではあんなに色んな人に……
「不思議なのはその魔力量で、どうしてそんなにも高出力な魔術ばかり使うのか、ってとこだよね。雷魔術だってもっと属性を減らして精度を落とせば、身の丈にあったものを練習していればもう少し燃費も良くなったろうに。尤も、それじゃ君は凡以下の魔術師になってしまうわけだけどさ……」
ミラはしょぼんと落ち込んで何も言い返さなかった。その、魔力が少ないってのはマーリンさんみたいな凄腕と比べて、って話なのだろうか。僕の問いにマーリンさんは静かに首を横に振った。
「第二に強化魔術を使っての近接戦闘だね。これは……もう実践した方が早いだろう」
そう言ってマーリンさんはゆっくり立ち上がった。実践ってことは……ああ、成る程。その為にユーリさんを……いやいや⁉︎ ユーリさんでも危ないし、そもそもミラはその強化魔術を……
「揺蕩う雷霆・Ⅱ!」
「っ! これ……」
聞き覚えのある言霊はミラのものではなかった。だが、ミラの身体には赤い稲妻が走り、まさしく見慣れた彼女の戦闘形態……の色違いとでも言うべき姿になっていた。
「君の属性痕を見たときは驚いたよ。僕もよく使ったんだ、雷の強化魔術。ただ、僕の場合は誰かに付与する形で、だけどね」
「……すごい。私のなんかとは出力が違う……それに負担も少ない……」
えへん。と、マーリンさんは胸を張った。そしてもう一度言霊を唱えようと杖を構える。強化状態のユーリさんとミラの組手なんて……そんな危険なこと止めるべきだよね……? 止めないと……て言うかユーリさんはなんで黙認なのさ⁉︎
「さて、いくよ。揺蕩う雷霆!」
「へ……? マーリン様…………っ⁉︎ なにやって……」
バチっと耳元で何かが爆ぜる音がした。そして……体がなにやらぴりぴりと…………? あれ…………? ユーリさんなにも変わってない……? あれ………………?
「言っただろう、敵わないって。それを証明してあげよう」
「…………はい? あの…………マーリンさん……?」
指を動かすたび青白い稲妻がバチバチと空気を震わせる。まさか……さっきのは本気で……? この人は本気で僕がミラよりも強いだなんて言っているのか…………⁉︎ ちょ、ちょっと待ってほしい! そもそも僕はまだこれ使いこなせないんだけど⁉︎
「ほら、アギト。ちょっとこっちに来たまえ。作戦を伝えるから」
「来たまえって……これ全然まともに動け…………あれ?」
恐る恐る足を一歩踏み…………出せる。一歩、もう一歩。歩ける、走れる! 跳び回れる⁉︎ なんで⁉︎ もしかして、この短い間にめっちゃ成長したとか⁉︎
「ああ、うん。君でも扱える様にリミッターをかけたからね。それよりほら、もっとこっちへ来なって」
「あっ、はい」
違った。ちょっと浮かれたのに……って、リミッター? そんなもの付けられたのか。ミラも意外そうな……と言うか、その発想は無かったみたいな顔でぽけーっとしている。お前がこれに気付いてくれていれば、僕はあんな無様で苦しい思いをしなくても済んだのに…………
「いいかい、アギト。今の君は視力だとか反射神経も強化されている。ミラちゃんの動きは見える筈だ。でも待っちゃダメだ、先手必勝は彼女の得意分野だからね。君が取るべき行動は……」
「…………うええっ⁉︎ それ……本気ですか……? 死にたくないんですけど……」
作戦は極秘に伝えられた。正直、上手くいくビジョンは全く見えないのだけど……自信満々に背中を叩かれると、無条件にその気になってしまう。ほんと簡単だなぁ、僕の精神。
「じゃあ二人とも構えて。はい、見合って見合ってー……」
どこで聞いて来たんだそれ。案外こっちにもあるのか? いや、それは今はよくって。マーリンさんが言うには勝負は一瞬。合図と同時に…………
「……はじめ!」
「————っ⁉︎ な——っ! この——」
僕は蹴りをケアしながら思い切り飛びついた。指示は一つ。蹴りに気を付けて先に額に手を伸ばせ、だった。だったんだけど……女の子を殴るとか出来るわけもなく……
「…………あはは、随分情熱的な感じになったね」
「いや、これは……違くて……」
僕は防御の姿勢をとったミラをそのまま抱き締める格好でホールドした。うん……あの……飛び出したはいいけど、その後どうするか決まってなくって……って、おや?
「……………………あれ? これって……」
「まあ…………変な形にはなったけど、君の勝ちだよ。そりゃあアギト相手に手を出しにくかったのもあるだろうけど、そこは彼も同条件だ。これが二つ目、速度で振り切れない相手には肉弾戦も厳しい」
すうっと体からあのビリビリ感が抜けていくのがわかった。ミラにかけられていた強化も同時に切れたようで、なにかと頻発するあの割とシャレにならない痛さの静電気は発生しなかった。しかし……僕もミラも納得がいってない。今のは不意打ちみたいなものだったし、大体ミラに速さで追いつけるやつなんて……っ!
「気付いたね。そう、ミラちゃんは自身の体の小ささを補う為に強化魔術を使っている。結局、どこまで行っても君はまだ小さな女の子だ。長期戦になれば不利になる以上、そうやって短期決戦に持ち込むしか選択肢は無い。でも、もし相手に僕がいたなら……」
そうだ。あの時、ゴートマンの手によって凶暴化した大型魔獣三頭を相手取って、ミラはとても苦戦していた。結果魔力も枯れ果て、魔竜を相手になすすべも無くやられてしまったんだ。でもそんなの…………あんなの、誰にもなんともならなかった……
「まあ、それでも君は強い。格下の、そして知性を持たない魔獣相手なら遅れを取るなんてまず無いだろう。でも、いつもそうとは限らないって……気付かされて焦ってるんだろう?」
「……それは…………」
焦って……? ぎゅうと拳を握ってミラは僕から飛び退いた。いかん……なんか、抱き付いてるのに違和感無さ過ぎて全然離れるの忘れてた……こういうのが誤解の原因なんだよな……
「だから、はっきりと言っておく。君は前線に立つべきでは無い。オックスやアギトの補助に回って、強化魔術と治療に専念すべきだ」
オックスはともかく僕も……? 僕が待ち望んだミラを守れるシチュエーションではあるんだが……僕も彼女も揃って肩を落としてしまった。これまでの旅を、苦労を、戦いを否定されてしまったみたいで悔しかった……のかもしれない。マーリンさんはそんな僕らに、しょげないで。ちゃんとその解決までサポートするから。と、笑ったが……