第百八十四話
車内に射し込んでくる光も赤くなった頃、馬車はその日最後の停車をした。緊急停止だったさっきとは違う、優しくゆっくり配慮の行き届いたブレーキングが心地好い。ふざけて立ち上がってたマーリンさんがバランスを崩して、ちょっとヒヤヒヤしたりもあったけど……
「さ、着いたね。ここはヤツク。街の規模は大したこと無いけど、畜産が盛んでね。君達の知ってるところで言えば……ボルツには訪れたんだったね。砂鶏ってあっただろう? あれの原種は、元々ここで育てられていたんだ。乾燥帯でも飼育出来る様に改良されたのが、今はボルツ周辺で特産品になってるわけだ。ここのはそれよりも美味い、そして何より安い」
「砂鶏……じゅる。えへへ……美味しかったなぁ……パリパリで……ぴりっとしてて……」
幸せそうなミラを見て、食い意地張ってんな相変わらず。なんて考えたのはどうやら悟られてしまったみたいで、肘で脇をつつかれた。貴女、意外と僕の考え見通してくるよね。だが……うん、あれは美味かった。
「宿は準備させておくから、僕らは先に食事にしよう。ユーリ、構わないだろ?」
「……はあ。アギト殿……どうか巫女様を見張っていてください」
なんて不敬なこと言うんだお前は! と、マーリンさんは憤慨していたが……ごめんなさい、ユーリさんの気持ちがよく分かります。そして、ユーリさんにもごめんなさい。なんかあったら……止められる自信無いです……っ。
「まったく……じゃあ行こうか。の前に、っと。よし」
マーリンさんは折角取り返した杖をユーリさんに返して、フードを深く被った。うーん……魔女っ子って感じで良いですなぁ……ではなく。
「えっと……どうかしたんですか?」
「うん? ああ、こうしとかないとユーリがうるさいからさ。ここらは僕の顔を知ってる人も多いからねぇ。有名人は辛いってことだよ」
なるほど、テレビもカメラも無い……いや、カメラくらいはあるのかも。だが、国の要人である星見の巫女様といえど、その素顔を知る人はそう多くは無いということか。さっき立ち寄った街では被っていなかったし、彼女とゆかりのある場所だけ警戒していれば良い、と。パパラッチとかいないよね、そりゃ。
僕は少しだけ勘違いをしていた。と、認識を改めたのは食後のことだった。うん……人目を引くんだ、悪い意味で。ここらでは有名、そこらでは無名、とかそんな問題じゃ無い。マーリンさんはコレを一度見て分かっていたから、対策をきちんと立てたんだろう。本当に……人目を引くんだ、コレは。
「いやぁ、本当によく食べる……」
「すいません……ご馳走になってるのに……遠慮無しで…………」
お金のことは気にしないでよ。と、笑ってくれたが……お前は気にしてくれと、幸せそうに頬を膨らませるミラを心の中で毒づいた。何度見てもおかしい光景は、初見にはあまりにも衝撃が強過ぎる。コレがやたらと目を引くから、マーリンさんも素顔を出来るだけ隠す必要があったのだ。
「…………? ふぁふぃふぉ? ごくん……アギト? どうしたの?」
「どうもしないって、いっぱい食べて大きくなれよ」
どうかしてるのはお前の腹だよ。それでよく太らないな、というか成長しないな。どことは言わんが発育は絶無だし、細いし、小さいし。ただまあ脚、と言うか太ももは太いんだよな。あれだけ跳び回るし走り回るし、蹴りの威力だって魔術無しでも結構あるし。ムチムチ、というよりはムキムキ一歩手前の鍛え上げられた脚に、僕はいつもいつも助けられているわけだ。うん……個人的には…………アリ。
僕らは食事を済ませると逃げるように店を後にした。あんまりな量を食べ過ぎて視線が集まり過ぎている、ちょっと居心地悪いくらいに。そしてユーリさんと合流して、それはそれは立派な旅館に案内された。相も変わらずそれぞれ個室を与えられると、ミラはうんざりしたような顔をしていたが…………本来、年頃の男女は別の部屋なんだぞ? 分かってるかお前? 分かってないんだろうな、お前は。
「荷物置いたらちょっと来てくれ。中庭を借りたから、少しだけ試しておきたいことがあるんだ」
マーリンさんはそう言って自分の部屋に入っていった。ユーリさんは、もっと警備しやすい奥まった部屋に。と、説得を試みていたのだが、彼女は頑なにミラの隣の部屋を譲らなかった。ごめん……マーリンさん。そいつそこでは寝泊まりしないんだ……
部屋に入り、夜のことを考えて僕は一度ポーチを開けた。エンエズさんの店で買った諸々は殆どミラに渡してしまって、ポーションが二本と魔力を失ったナイフ。それから……
「……ミラ」
もうボロボロになってしまったけど、綺麗な群青色の髪飾り。彼女に返すべき……では無いだろう。あんなに喜んでいたのに。あんなに嬉しそうにしていたのに、もうこれはミラにとって不安と恐怖の対象でしか無くなってしまった。だからこそ……アイツはあの時……
「アーギートー。まだー? 先に行くわよー?」
「っ! お、おう。もう行く!」
まだ、アイツの中にはレヴへの恐怖心が残っている。何の問題も解決していない。あの時アイツは、自分だけの居場所でいてと僕に言った。やっと彼女が僕を頼ってくれているんだ。下手なことをして不安にさせてはならない。僕は髪飾りをポーチの奥に突っ込んで、簡単には見つからない様に上から食堂でちょっと多めに貰ってきた紙ナプキンとナイフを突っ込んだ。
「悪い、待たせた。オックスも、もういたんだな」
「オレも大した荷物は持ってないっスからね。しかし……中庭なんて、何するんスかね?」
中庭……試す……全然予想がつかん。なんだろう……サッカーでもやるのかな。新しいフェイント考えたからちょっと試させてよ、みたいな。中学生の昼休みか。
「お、来たね。早速やっていこうか」
中庭に向かうと、そこにはローブを脱いだマーリンさんと革鎧を着たユーリさんが待っていた。中に着てたワンピース、そんながっつり肩出してたんだ……ほう。二の腕が若干だらしない感じなのは、拙者的には好印象ですなぁ。
「マーリン様、あの……一体何をするんですか……?」
「よくぞ聞いてくれたね、ミラちゃん。いや、そんなに難しいことじゃないんだけどさ。同じ魔術師として、君の実力に興味があってね」
魔術師として、という前置きから察するに……要はミラの魔術が見たいということか。さっき大惨事を引き起こしたばかりじゃないか! と、多分ユーリさんは内心穏やかでは無いのだろうな。本当にご苦労様です……はい。
「今出せる全力の魔術を僕にぶつけてごらん。防御も相殺も得意分野だ。安心して、殺すつもりで撃ち込んできてくれて構わないよ」
「こっ……⁉︎ いえ……でも、そんな危険なこと……」
そうだ、その反応は正しい。言葉の方は、だけど。否定的な言葉とは裏腹に、ずいぶんウキウキした表情をしたミラの姿に頭が痛くなってきた。コイツは基本的に好奇心に素直だからなぁ。マーリンさんの魔術を見られるかも、とか。マーリンさんに魔術を教えて貰えるかも、とか。そんな呑気なこと考えてるんだろう。馬車の中での様子を見るに、大魔導士マーリンとは全ての術師の憧れみたいだったし。ミラも随分食い入る様に彼女の話を聞いていた。
「はっはっは。危険は慣れっこだよ。何度も言うが、僕は大魔導士マーリンさんだからね。彼とともに歩んだ冒険の道に、安全なんてものは無かったんだから」
それについてはとてもよく分かる。ええ……本当に、安全なんて全く無いんですよねこの旅。ユーリさんも諦めた様にため息をついて、ミラはワクワクを抑えきれないと言った顔で僕らに離れるよう指示を出した。はぁ……こんな街中で超獣大決戦みたいなのを見る羽目になるとは……
「いきます! ふう…………っ! 爆ぜ散る春蘭っ!」
「さっきも見たやつだね……これは……」
何度も目にした巨大な白炎は、一度も爆発すること無く消え去った。驚いた、というのはもちろん当たり前なんだけど……僕以上に驚いていなくちゃいけないミラの顔が、キラキラ輝いてうずうずしてるのが目に見えちゃったことへの驚きが強過ぎて…………
「っ! 次行きます! 荒れ狂う——っ⁉︎ うぐっ……」
「ミラ! あのバカ……今はそれ使えないって……」
電気を纏った暴風の言霊を唱えかけて、ミラはぐらりとよろけた。雷魔術は使えない……って、分かっていても試したかったのかもしれない。コイツにとっては一番得意な分野で、一番見て貰いたい——見せたい魔術なのだから。
「……今のは……雷魔術かな? 属性は火、風、土か。いや、水と金も……なるほど。高出力を安定させる為に、五属性全部動員して環境状況を整えるのか。相当鍛錬を積んだろう、勉学に励んだろう。うんうん……」
未発動だった魔術にも、マーリンさんは目を輝かせて腕を組んでいた。なにやら嬉しそうだが……僕にはなにを言っているのかさっぱりだ。
「でも……どういうわけかな。ブレーキが掛かっているね。君の属性痕を見るに、雷魔術を多用しているのは間違いないみたいだけど……今は使えない。原因は……どうだろう、精神的なものかな?」
「……っ! 原因が分かるんですか⁉︎」
つい声を荒げてしまった。おっと、君が食いつくとは。と、マーリンさんにも驚かれてしまった。だが……精神的な問題……? ミラにとって、魔術の行使に歯止めをかけなくてはならない理由……? やっぱりあの時の魔竜との戦闘がトラウマに……?
「……うん、分かった。君は凄い魔術師だ。いつかは僕をも超えるかもしれないね」
そう言ってマーリンさんは離れて見ていたユーリさんを手招いた。何かするんだろうか? 別に何もせずにただ近くに寄せたかっただけ……なのか? 彼女は特に何を指示するでも無く、もう一度ミラの方へ視線を戻し口を開いた。
「ハッキリ言うね。君はもう、戦わない方がいい」
「…………え…………っ?」
さっきまでキラキラしていたミラの顔がどんどん曇っていくのが分かる。一体どういうことだろうか。マーリンさんはニコニコしたまま、残酷な現実を——僕の知らないミラの話を始めるのだった。