第百八十三話
マーリンさんの口から語られる冒険譚はとても愉快で、騒々しくて、和やかなものだった。でも、それもおしまいは悲しい別れと決まってしまっている。それが少しだけ納得いかなくて、僕は彼女の笑顔が怖いものに見えた。
「……と、そろそろ喉が疲れてきたよ。次は君達の話を聞かせておくれ。そうだなぁ……蛇の魔女を討伐した話とか、君達が出会った人の話とか」
「……へ? 私達の話……ですか?」
マーリンさんは喉に手を当てる仕草をしながら頷いた。ミラはそんな彼女の言葉に、目を丸くしてキョトンとしている。まさか自分のこれまでの旅路を語ろうなんて、この少女は夢にも思わなかったのだろう。彼女にとってこれは現実に起きていることで、マーリンさんの冒険は結局物語の中の出来事であると言う認識が抜けないのだ。
「……えーっと……蛇の魔女の話……ですか。うう……思い出すのも嫌になってくる……」
「あはは、そんなに苦戦したんだねぇ。つい最近のことだと、まだ笑い話には出来ないか。いいよ、楽しかった時の話だけで」
楽しかった時の話か……うん、僕は…………とてもじゃないけど人に言えない話からスタートするな。いや…………うん、ごめんね。目に焼き付いて離れないよ…………
「……えっと……初めはコイツが道端で寝てて……それから……」
「話すの下手だなお前……」
マーリンさんとの対比で、余計に不細工な語りについついからかってしまった。むぅと膨れてミラは僕の膝をつつく。なんだよ、その可愛い反撃は。代わりに僕が話せってか?
「そう、ですね。俺は……………………」
しまった。とは口にこそ出さなかったが、態度に出たかもしれない。はて、どう説明しようか。気付いたらアーヴィンにいて、道端で寝ているところをミラに叩き起こされて。それを自然に説明する方法が無い。いや……気付いたら異世界に飛ばされていた、なんてどう説明するも何も無いだろう。これは……話振る相手間違えたぞ、ミラ。助けを求めようともう一度ミラの方を振り返ろうとした時、何か小さいものが飛びついて来るのが見えた。
「——アギトっ! ごめん…………ごめんね……そんなつもりじゃ…………」
ああぁー…………そういえばそんな勘違いされていたんだった…………と、僕は思いっきり抱き締めるミラの腕の力強さに思い出した。はいはい、大丈夫大丈夫。と、頭を撫でても少女は僕を離そうとしない。オックスもマーリンさんもすごく驚いて……とても不安げな表情で僕らを見守っていた。まぁ、コイツがこんな青ざめた顔してたら……ね。
「…………アギトさん……何か……あったんスか……?」
「あ……いや……大したことじゃなくって……」
そう、コイツは僕が魔獣に襲われて命からがら逃げてきた難民だと思っていたのだ。いやもうほんと…………そんな設定完全に忘れていたわ……あとなんだっけ……学生だったって嘘ついたせいで、賢者見習いとか勘違いされてるんだったか…………
「いや……大したことじゃないって様子じゃないけど……本当に大丈夫なのかい?」
「いえいえっ⁈ 本当に大したことじゃ……」
い、いかん……こんなに心配されると心苦しいんだが。遂にミラもシクシクと泣き出してしまったし……ど、どうしよう。いっそここで誤解を解くべきか……? ついでに僕のことを、異世界からやってきたというふざけた素性を打ち明けて…………
「……大丈夫だから……もう絶対危ない目に合わせない。絶対に私が守ったげるからね……」
背中をさすりながらミラはそんなことまで言い出してしまった。あっ……これは……言い出せないわ。なんだか感動的な雰囲気に包まれ始めてしまった場の空気に僕はそう確信する。もしここで、実は勘違いでしたー、魔獣になんて襲われてませーん。とか言い出そうものなら…………あれ? 意外とミラは安心してくれるんじゃないかな……? そりゃ、ちょっとは噛まれるかもしれないけど……他の二人だって、なーんだ。って落胆しておしまいくらいで…………よし。
「……ミラ。じ、実は……」
勇気を振り絞れ。今言わないとどんどん言い出しづらくなる。っていうかもうすっごい言い出しづらい。この先もっと言い出せなくなるぞ。そう腹を括ってミラの頭を撫でた。さあ、言うぞ……と、その時のことだった。うん……タイミング最悪だ。
「——魔獣だ! 巫女様の馬車を守れ! 巫女様、どうか車内にて——」
「魔獣……っ! ごめんみんな、僕も出る。隠れてて!」
ガンっ! と、馬車は大きく揺れて停止した。どうしてこんなタイミングで……などとボケたことをいつまでも考えてはいられない。ゴートマンが絡んでいるのなら、あの見えない魔獣がいるかもしれない。そうなれば……ユーリさん率いる騎士団といえど苦戦は必至だ。
「……っ。マーリン様! 私も戦います! アギト、ちゃんと待ってて! オックスも今回は引っ込んでなさい!」
「あっ……ぐう……ちゃんと帰ってこいよ!」
まだ戦える状態に回復しているとは思えない。もうあんな危険な目に遭って欲しくない。そんな思いは当たり前に持っているが、それでもミラを止めることが出来ない。もし本当にあの不可視の魔獣がいたなら、アイツの感覚は必要になる。それに、大勢が危険にさらされている時に、自分は安全圏で指をくわえているなんて……アイツに出来るわけもない。というか…………
「……それでこそ、だよな。くっそ…………ほんとかっこいいて言うか……ヒロイックだよなぁ……」
颯爽と飛び出していく二人の背中に、僕は悔しさよりも先に頼もしさを覚えてしまった。どうやらそれはオックスも同じ様だ。ミラのことは心配だが……この戦力だ。それに、ただの魔獣なら雷魔術なんて使えなくても相手にならないのは僕が一番知っている。でも……それはそれとして。これは約束でもあるから、さ。
「……オックス。あんなチビにあんなかっこいいこと言われて、大人しくしてられるか……?」
「……まさか!」
僕とオックスは顔を見合わせて一緒に頷いた。考えることは同じだと言わんばかりに、僕らは同時に飛び降りる。今使える魔具は無い。ただのナイフ一本では、僕に出来ることは無いかもしれない。というかただの足手まとい……邪魔というか…………はい。邪魔ですね。でも……もう後悔したくないし、何より一緒に付いていくってのはあの時からの約束だから。今度こそ、今度こそ最後まで。
「……っ!︎ オックス……無茶しな…………ッ⁉︎ あっ……アギトっ⁈ アンタ何してんのよ‼︎」
「ちょっと! そのリアクションすっごい傷付く! オックスにはなんか、無茶しないで的なこと言いかけてたじゃん! 俺にもそういうのくれよ!」
分かってるよぉ! オックスは戦えるもんね、一応。ミラからしたら危なっかしいって話なだけで。でも僕はそうじゃないもんねーっ! 分かってますーっ! はー、キレそう!
「ああもう! 約束だろ! 一緒に行くって、だからちゃんと守ってくれよ! もう俺の目の届かないとこで戦うな!」
「……バカ言って。足震えてるわよ」
しょうがないじゃん! 怖いの! でももっと怖いものを知ったんだ。だからこのくらいは……
「全員退がれ! 一気に吹き飛ばす! 燃え盛る紫陽花!」
「私も……っ! 爆ぜ散る春蘭ッ!」
このくらいは……………………はい。現れた魔獣はどうやら飛行型の……そう、いつか倒したのと似たような個体だった。だった、とは言葉通り過去形で……たった今消し炭となってしまった……と、思う。今現在、僕の目の前に広がっているのは、轟々と燃え上がる火柱と……パニックにもならず冷静に消火活動をしている騎士団の方々の姿だ。
「…………えーっと……あの……」
「……てへ。いやぁ……やりすぎちゃったねぇ」
ああ……なるほど。あの時の騎士が言おうとしていたのは、マーリンさんの身を案じた言葉じゃなかったんだ。そうだな……どうか車内にて大人しくしていてください。とか、だろうか。ああ……あんなにも温厚で礼節のしっかりしたユーリさんが鬼の形相でこちらに向かってくるぅ…………
「巫女様ッ! 何度言ったら分かるのですか! 貴女の! 力は! 星見に限らず強大過ぎるのです! 一体何度森を焼き払ったかお忘れですか‼︎」
「ひーん、ごめんってば。ちょっとみんなの前だからカッコつけたくなっちゃったって言うか……」
問答無用! と、マーリンさんはユーリさんに杖を取り上げられてしまった。お母さんみたいだと。マーリンさんとユーリさんを母と子のようだとさっきは形容したが……これは……
「ユーリさんがお母さんだな……間違いない……」
本当にユーリさんの苦労がうかがえる。しかしさっきの魔術……僕が見たミラの全力は炎じゃなくて雷だったから、安易に比較は出来ないけど……もしかしたら……いや、間違いなくミラのそれよりも遥かに高威力だっただろう。これが伝説の魔術師。大魔導士マーリンの力…………っ。
「ハークス殿! 貴女もです! ちょっとこちらへ来なさい!」
「ひっ⁈ ご、ごめんなさい……」
これが…………大魔導士マーリンの……素顔…………っ。一緒に呼び出されたミラとともに正座させられてお説教を食らう中学生みたいな……あのポンコツが…………大魔導士…………っ! その後火は無事消し止められ、事態は大きくならずに済んだ。ユーリさんの言い様、それと騎士達の手際の良さからして……さては常習犯だな……?