第百八十二話
勇者と巫女、それから豪傑の物語は、ガタンという音で馬車とともに停止する。行くよ。と、話を切り上げて、マーリンさんは外に飛び出していった。まさかもう着いたのか? クリフィアってそんなに近かったの? ってことは、僕達そんな距離進んでなかったんじゃ……
「さて、お昼にしよう。若者はいっぱい食べないとね」
日は中天、短い影をぐるぐる踊らせながらマーリンさんはそんなことを言った。はて、こんな場所クリフィアにあっただろうか? まぁ行ってない場所の方が多いんだから、見覚えの無い場所なんて不思議でもなんでも無いんだけど……こんな雰囲気だっけ? 目の前に広がる人で賑わった街並みに、そんな意味の無い疑問を抱いた。
「あの、マーリンさん。急ぐんじゃなかったんですか……? クリフィアって後どのくらいで……」
「のんのん。急ぐのは急ぐけど、休むことも必要だよ。人も、馬だって。それに……」
それに? マーリンさんは少し意味深に言葉を溜めた。なんだよ……気になるな。馬車の中でも思ったけど、この人は話をするのが上手いんだな。気になると言うか、引き込まれると言うか……
「……うん、これが最も重要。星見は絶対で、これまでに一度も外れたことは無い。ただ、今回は別だ。今回は意図的に星見の結果をズラそうと僕らは動いている。逐一確認しなくちゃいけないんだよ。僕らの行動によってズレた未来ってのを」
「なるほど…………? えーと……?」
あはは。と、笑ってマーリンさんは、とりあえず大切なこととだけ思って。と、言った。見えた未来を変えられるのかどうかは、彼女にとってもまだ未知数と言うことか。しかし……尚更疑問が大きくなるのは、どうしてミラの為にそこまでしてくれるのかということだが……
「…………アギト? ちょっと、そんなとこで立ってたら後ろつかえるってば。アーギートー…………はぁ」
「……っ⁉︎ いっっ——ってえ⁉︎」
路上で考えごとは良くない。そう言わんばかりに背後から急襲を受けた。具体的には、飛びつかれて首元を噛まれた。さてはさっき首根っこ捕まえたの根に持ってるな? なんとか振り払うと、ミラはちょっと不機嫌そうに僕の背中を押した。
「少し休んだらまた出発しよう。二日もあればクリフィアには着くだろうし、現段階の星見ではそれで十分に間に合うはずだ」
「二日………クリフィアからキリエまであんなにかかったのに……」
もともと道を模索しながらの旅ではあったが……思ったより進んでなかったんだな。と、少しだけヘコむ。野宿するわけにはいかない都合、遅い時間まで進めないってのもあったんだけど。色々、足が止まる案件も多かったからなぁ。主にフルトで、だけど。
僕らはマーリンさんの案内のもと街の食堂に入った。果たしてこんな大衆食堂に星見の巫女なんて連れ込んでいいんだろうかと疑問にも思ったが……やはり良くなかったみたいで、戻るや否やマーリンさんはユーリさんに叱られていた。話によれば、彼女の方が歳上だそうだが……そして偉い筈なのだが…………
「まったく、ユーリは心配性が過ぎるんだよ。言っとくけど、僕の方がお前より強いからな! いつもいつも泣きながら僕の後ろについて回ってたのはどこの誰だよ!」
「そういう話では無いのです。貴女はこの国の未来、王と並び政に関与する重要な役職に就いておられるのです。そんな方が護衛も無しに勝手にウロついては、住民に迷惑がかかると言っているのです」
どう見たって言うことを聞かない子供じゃないか。ユーリさんの苦労が垣間見えた瞬間である。本当に……本当にお疲れさまです……
「護衛ならいたさ! ほら見ろ、この頼もしい若者達を!」
「……ってぇ、俺達のこと⁈ いや、ミラは頼もしいけど……」
巻き込まれた。美味しそうにフルーツとたっぷりのクリームが入ったクレープを頬張るミラをオックスと取り囲んでいると、よくわからないタイミングで火の粉が降り注いだ。ユーリさんをそれ以上困らせないであげてよ……あ、ちなみにミラを取り囲んでたのはマーリンさんに見つからないように、です。過去一で間抜けなツラしやがて……そんなに美味しいか……
「……あ、マーリンさんとユーリさんって古くからの知り合いなんですか? 聞いてた感じ、付き合いが長いみたいですけど……」
「うん? ああ、そうだね……そうだねぇ、次は騎士団長ユーリの恥ずかしい子供の頃のお話でもしようか。いやぁ、出発が楽しみだ」
はぁ。と、頭を抱えるユーリさんを尻目に、マーリンさんは嬉しそうにそんなことを言った。仲良いんだなぁ……エルゥさんいなくて良かった。いたらさぞ鬱陶しい反応をしただろう。
補給が終わったと連絡が入って、ユーリさんは持ち場に戻って行った。もしかして騎士団長ってマーリンさんのお目付役なんじゃ……なんて考えながら、僕らもさっき乗っていた馬車に戻る。名前も聞かなかったが良い街だった。ありがとう。美味しかったよ、クレープ。僕は食べてないけど。食べられなかったけど。
「…………全員いるー? ミラちゃん、オックス、アギト。よし、みんないるね」
だからスカート! こっちは座ってんだから目の前で立つんじゃない! 点呼をとって、マーリンさんはまた今朝同様出発の合図を送った。それから少しすると、馬車もまた動き出す。どのくらい来たのだろうか。街を見ても、地図が分からないから実感が湧かないんだよな。
「…………さて、お待ちかね。ユーリ卿の恥ずかしいお話といこうじゃないか」
「子供じゃないんだから……」
ちょっと突っ込んだだけなのに、胡座を組んだまま足をバタバタさせて、マーリンさんはブー垂れ始めてしまった。子供か。そして何度も言うが、スカートでそんな脚を広げ…………ッ! もうちょい…………もっとイライラして……あっ、中にズボン履いてたの…………そう…………
「……ユーリと初めて会ったのは十六年前。魔王討伐に失敗し、勇者を失った僕らが王都に帰った後の話だ」
少しだけ声のトーンが落ちているのが分かった。彼女にとってユーリさんとの出逢いは、その悲しい思い出と紐付けられてしまっているのか。そう考えると、少しだけ寂しい気持ちにもなる。
「失敗したとはいえど、たった三人で多くの魔獣を倒し、あと一歩のところまで魔王にも迫ったんだ。王命ということもあったし、王様は僕に今の立場を……巫女という立場を与え、形式上は僕の活躍を認めた格好になった。んまぁ、星見の力は王様にとっても便利だったからね。手放したくないってのが目的だったんだろうけど」
「しれっと重たい話しますね……」
ここはそう重要でもないからね。と、彼女は笑った。女は強いとここ最近で何度思っただろうか。しかし……うん、王様の気持ちは分かる。未来が見えるっていうのが本当なら、絶対に近くに置いておきたい。政治に取り込みたいなんて当たり前、敵に回したく無いとさえ考えただろう。
「断れば逃げ帰った臆病者として首を刎ねられるだけだしね。彼を失って気が滅入っていた所に生活の保障とくれば、迷うことなく受けるよ。それからだよね…………周りにごつい、むさい男しかいない灰色の生活が始まったのは……」
脱線の仕方がエゲツない。なんだお前は、男子校の生徒か。というか王様も、女の人の世話役なんだから女の人を付けてあげなよ。それは普通に配慮不足だろ。
「……そんな時だよ、ユーリは現れた。王様の余計な計らいでね……彼と歳の近い、若い騎士見習いを僕の側近として送って来たんだ。アイツは修行を始めるのが遅かったのもあって、同い年の中じゃ抜きん出てヘッポコで弱々しかったもんだ。今にしてみれば、要らないからくれてやるってことだったんじゃないかな……あのクソ王…………」
「クソ…………」
なんて汚い言葉を使うんだ。この人も割と上司に困らされてるんだな。しかし、ユーリさんがヘッポコとは……まったく想像が出来ないというか…………
「はじめの頃はそれはもう王様の目論見通り、ユーリを見ると彼の姿がチラついてね。それが不快で不快で仕方無かったよ。僕の仲間は死んでしまったのに、どうして同じ様な年頃で彼よりも貧弱なこの男が生き残っているんだろうって。ヒステリックになって八つ当たりも…………あれ、ユーリの恥ずかしい話をする筈が、僕の恥ずかしい話になってる……?」
「リアクションしづらいです、マーリンさん。普通に話が重いんで、なんて言ったらいいか分かんないです」
君のそういう所は彼にそっくりだよ。と、マーリンさんはまた脚をばたつかせながら笑った。脚! やめろ! ズボンだってわかってても心臓に悪いし見ちゃうんだよ! あと太もも! 全体のシルエットとか肌ツヤとか含めて、脚めっちゃ綺麗ですね! ド変態みたいだな今のっ!
「あっはは……ひぃ。アイツ、昔は本当に泣き虫でさ。いじめる度に真っ赤になって、ボロボロ泣いててさ。それが鬱陶しくて、またいじめて。どうしてこいつはこんな嫌な女から逃げ出してどこかへ行かないんだろう、って。王様の命令だからしょうがなくやってるのかって、一回だけ聞いたんだ。そしたらさ……」
きっといい話をしている。ミラもオックスも食い入る様に聞いているし、僕も続きは気になるが…………ダメだな僕は。そろそろ吹っ切らねば。自分の過去と微妙に被せてしまって嫌な気分になっている。そういう話では無いって分かってんだけど……ええい。はよ! ハッピーな感じに繋がるんだろ? それ聞けばとりあえずこのモヤりは無くなるから。単純だから、僕は。
「……泣きながらさ、言うんだよ。初めて見た時から綺麗な人だと思っていた、だから笑っていて欲しい。巫女様の気が晴れるなら、私はいくら打たれても構わない……ってさ。まさかそんな……ね。ぶふっ……そんなタイミングで……くくっ…………そんなこと言うとは思わなかったからさ…………ぷぷ……」
「笑うなぁ! ユーリさんの勇気を笑うんじゃないよ!」
つい声を荒げてしまったじゃないか。なんて性悪女だ。分かってる分かってる。と、口ではそう言いながら、マーリンさんは息をするのも苦しいと言わんばかりにのたうち回った。そっ……そんなに笑うなよぉ……っ。僕だって本当はあの時ユリちゃんに告白したかったけど、勇気が足りなくて出来なかったんだぞぅ……え? 聞いてない? 失敬。
「…………それ聞いて、全部馬鹿らしくなったよ。何をそんなにヒステリックになっていたんだろうって。生前、彼にもよく言われてたんだよ。もっと笑って欲しい……って。そんなとこまでダブってきてさ……腹が立ったから、その時はもうコテンパンにしたんだけど」
「ちょっと。ハッピーエンドは?」
まあ待って。と、急かす僕をマーリンさんはなだめた。なんでコテンパンにしちゃったんだよ。ユーリさんじゃなかったら自殺してるぞ、それ。僕なら絶対引きこもりになってたね、間違いなく。え? 無くてもなったじゃないかって? 失敬。
「それからはなんか……自然と仲良くなったよ。星見を王様に伝える時間以外はずっと一緒にいたからね。いつもいつも彼とフリードの話を聞かせてやった。稽古でぼこぼこにされて帰ってきた時には、アップルパイを焼いてやった。あ、そうそう。アイツ十六にもなって寝小便してさ。それをからかった日はずーっとベソかいてたなぁ」
懐かしい思い出に浸るマーリンさんの顔は、さっき冒険の話をしている時のそれとは少し違う、でも嬉しそうな……幸せそうな顔だった。そうか……マーリンさんとユーリさんは……
「お母さんみたいですね、マーリンさん」
「だれが一児の母だ。アイツとそう歳は変わんないよ」
だってどこをどう切り取ってもお母さんじゃん! アイツの母親じゃもう五十手前じゃないか! ふざけるな! と、取っ組み合い…………は流石に出来ないので、一方的に詰め寄られる形で僕とマーリンさんはメンチを切りあった。いや……僕は顔見れないんで、完全に絡まれてるオタクの図なんだけど……と、そんなやりとりをしていると、すぐ側ですすり泣く声が聞こえた。
「…………? おう? ミラ……?」
「……ぐず……ひぐ…………お二人にはそんな過去があったなんて…………ひっく……」
泣くところ……あっただろうか…………? 僕の感受性が乏しいの? ねえ、答えてオックス。そんな冷ややかな目で僕を見てないで答えて。どうやらミラはさっきの話の何かに感動した……らしい。よく分からんな……最近の子の感性は……
馬車はその後も走り続けた。次に泊まるのは夕方、宿を取る為に街に寄る時だよ。とは、暇を持て余してゴロゴロしだしたマーリンさんの談だ。仰向けになると…………そうか……それが当たってたのか……あの時の二の腕には…………ごくり。