第百八十一話
ガタガタと揺れる荷物だらけで狭い馬車の中、僕達の視線はマーリンさんに注がれていた。興奮に鼻息を荒くするもの、浪漫に目を輝かせるもの。僕は…………別件で目が離せない。なんで胡座なんてかくんだ!
「かくして僕達は遂に王様からの命令を受け、魔王を倒す為の旅を始めたんだ。いやぁ、そこからの旅路も中々どうして大変愉快なものだったよ」
「おお……おおーっ!」
彼女が語るのはかつての話。ミラやオックス曰く、子供の頃に勇者の伝説は聞かされるのが当たり前。所謂、当時の流行だったのだ。勇ましい者、賢しこき者、そして強き者。勇者とマーリンさんと、それからフリードという男の三人で彼らは旅をしたそうな。人数と性別はあってるんだけど……僕らとは何処か違うなぁ。いや、歩いて旅をするってところには親近感を覚えるんだけどね。
「マーリン様! 勇者様とフリード様って一体どのくらい強かったんスか? やっぱり一人で大型魔獣も倒しちゃうような豪腕だったり……」
「ああ、そうだね。フリードについては、伝わっている話以上の強さだと思ってくれて良い。あいつは武によって自然に至ろうなんて馬鹿げたことを考える程の傑物さ。ただまあ、性格に難があるのと、みんなが思っているより小柄だったってくらいかな。今じゃオックスくらい大きくなったけど、当時は僕より小さかったんだぜ?」
英雄フリード。オックスが拳を握りながら目を輝かせる、この国で一番強いと言われる戦士とのことだ。長く伸びた金の髪、敵を射殺す金の瞳から彼を黄金騎士と呼ぶとかなんとか。しかし、マーリンさんより小柄でそんな派手なカラーリングで、その上強いなんて……もう殆どミラじゃないか。性格に難……ミラも戦士と言うには甘えん坊が過ぎるし、ほら。
「けど……うーん。がっかりさせたら申し訳無いけど、勇者はさして強くは無かったよ。剣術は素人、魔術も使えない。特技と言えば、場を和ませることくらいかな。いや、こいつもこいつで女誑しだったんだけどさ。アイツら、揃いも揃って顔だけは良かったからさ……」
「勇者様は……強く無かった……んですか」
意外そうな声を出したのはミラだった。はて、ならば何故こんなにも人気なのだろう。案外人気取りの為に脚色された、作り上げられたヒーローだったりするのだろうか。もしそうならマーリンさんの心中はいかに。
「……ただ、アイツは特殊な能力を持っていてね。呪いと言うべきか。かの勇者は決して倒れなかった。魔獣の角に腹を突き破られても、猛毒に侵されても、全身を焼かれながらだってアイツは突き進んだよ。お話では語られない本当の話。かの勇者には、自己治癒の呪いがかけられていたんだ」
「自己治癒の…………呪い? そんな便利なものなら呪いなんて……むしろ祝福とか……」
僕のそんな言葉に、マーリンさんは困った様に笑った。その力……呪いだっけ。それが僕に備わってたらなぁ。多少の怪我なんて無視出来るし、風邪も引かないし。何よりミラの足を引っ張らなくて済むのに。何も持ってない僕からすれば、もうそれは神から授けられた祝福にしか聞こえなかった。続くマーリンさんの言葉を聞くまでは。
「…………アイツが勇者と呼ばれる理由でもあるんだけどさ。幾ら治癒するからって、痛いもんは痛いんだ。それに、治癒する前に死んでしまえば元も子も無い。アイツは腹を貫かれた痛みも、身体を蝕み続ける毒の苦しみも耐え、自らが焼けていく感覚も臭いも、何もかもを乗り越えて突き進んだんだよ。僕には到底出来ない、頭のネジが一本残して全部飛んでたんだ。アイツは自らが傷付くことを厭わない。文字通り、盾として僕らの前に立っていた男なんだよ」
まったく、耳が痛い話だ。大きな力には相応の精神力、か。甘い考えが見透かされていたみたいで少し恥ずかしくなってくる。だが……うん。似た話を、似た奴を僕は知っている。勇者と言うには随分泣き虫だけど。
「マーリン様! 私は……私はマーリン様のお話も聞きたいです! 勇者様を見出して、共に旅を始めた伝説の魔術師。この国で最も魔法に、魔術の頂点に近いと言われるマーリン様の話が!」
「うえぇ⁉︎ い、いやぁ……僕の話か。興味を持って貰えるのは嬉しいんだけど……本当のところ、お話と一番かけ離れてるから恥ずかしいんだよね。盛り過ぎなんだよ、あの話は」
ほら、ステイだぞミラ。僕はグイグイ近付いていくミラの首根っこを捕まえてお尻を床につけさせる。それ以上行くと、話を聞くどころじゃなくなるから……
「……ごほん。そうだね、僕はご存知の通り大魔導士マーリンな訳だ。五属性を知り尽くした、莫大な魔力を備える超一流の魔術師、ってとこまではお話と同じ。違うのは…………精神性かな。僕はあのお話ほど勇敢では無かったし、それに常識にも疎かった。いっぱい迷惑をかけたし、足も引っ張った。でも……お陰で強くもなった」
窓から何処か遠くを見ながら語るマーリンさんの横顔は、とても寂しげだった。この二人からしたら、マーリンさんは偉い人以前に御伽噺の凄い人なんだろう。だからちょっと気が付かないのかもしれない。僕はほら、全然知らないわけだから気付いたんだけども。うーん、まあ本人が乗り気だったからほっといたけど……
「……あの、マーリンさん……」
「うん? ああ……意外と見るとこ見てるね、アギトは。大丈夫だよ、なにせもう十六年も前の話さ。それに、彼のことをちゃんと知ってもらうのは僕としても望ましい限りだからね」
その言葉に嘘は無い様だった。彼女が嬉しそうに語る勇者様、マーリンさんの大切な仲間はもういない。十六年前に亡くなって、その結果二人がよく知る勇者の話が生まれたのだろう。二人にとってそれは現実味の無いワクワクさせてくれる冒険譚で、悲しい事実と目の前の人とが上手く噛み合わないのだろう。まだまだ子供なんだな。と、少しだけ微笑ましくもなる。
「僕は……うーん、なんて話をしようか。自分の若い頃の話なんて恥ずかしくて……」
「マーリンさんは今も随分若く見えますけどね」
おっと、なんだい。口説いてるのかな? なんてからかわれて、ようやく自分が口にした言葉の意味を理解した。ち、違う! 子供っぽいの! えー、そんな年には見えなーい! みたいな話じゃなくって! うん、肌もツルツルだし……若々しいと言うか……若いと言うか。この人本当は偽物じゃなかろうか……
「今じゃ星見の巫女様だなんて呼ばれて王都で良い暮らしをさせて貰ってるけどさ、僕はそもそも山奥で育ったんだ。だからもう、ドレスだとか堅苦しいのは苦手でさぁ。でも、王宮から出るにはそれなりの理由も必要だったし。ほんと、ミラちゃんが中々来ないのには焦ったけど、同時に感謝もしてるよ。お陰でこうして久しぶりの外出が出来てるんだから」
「ううっ……も、申し訳ありません。お金の事情と色々トラブルに巻き込まれてしまって……」
いやもうほんと、大変な道のりだった。そんなつもりは無かった。と、落ち込むミラの頭を撫でようか撫でまいかと狼狽えるマーリンさんを見ながら、僕もそんなことを思う。もしかしたら、僕らのこの旅もいつか物語として語られる様になったりしないだろうか。わがまま市長の家出録、みたいな。うーん……僕がモブキャラ過ぎるな、ミラ一人で旅に出た事にされそうだ。
「……ほら、あそこ見てごらん。小さいけど山があるだろう?」
「山……? ああ、あの雲が掛かった……」
視線をマーリンさんの緩い胸元から外へと向けると、出発前に言われた通り、草木の一つも生えない乾いた地面が広がっていた。そしてその先、少し遠くに真っ白な雲に覆われた小さな山が見える。あれが…………なんなのだ?
「あれは雲じゃない、山から吹き出す蒸気なんだ。ここら一帯を荒らしてた、毒を持つ魔獣の話はしただろう? それを率いている人間が……魔人なんて名乗る馬鹿が居たんだ」
「っ! 魔人……」
ミラもオックスも、勿論僕も背筋が強張った。かつてゴートマンから寄越された手紙には魔人の集いと書かれていた。もしやそれと関わりのある……いや、無かったとしてもだ。魔獣を率いているなんて、まったく笑えない。その凶悪さも残忍さもあの男と変わりない。
「…………実は、さ。うん……そいつをやっつけたのは僕なんだけど………………その。やり過ぎちゃって…………さ。今もまだあの山の下で沸騰してるんだ…………」
「……沸騰?」
沸騰……とは? もしや毒沼が沸騰して毒の雨が、なんて話だろうか。それならば、うん。怒られろ。怒られて……怒られろ!
「えっと…………その時はちょっと嫌なこともあってさ。そんな時に現れて、彼に毒を浴びせたりなんかして…………その、ね。怒っちゃって……生きたまま沸騰し続ける呪いを掛けたんだ。寿命が尽きるまでだから…………もう二、三十年かな……」
「…………沸騰って……うん? マーリンさん、話が見えない。まるで人間が沸騰するみたいな言い草だけど……」
マーリンさんは目を逸らした。うん、うん? はは、何をおっしゃる。人間は水じゃ無いんだから、百度に熱してもボコボコ沸いたりしませんぞ。あ、もしかして山の中腹でバイブスアゲアゲで、フロアを沸騰させ…………はい。
「……………………人間はね、水分が多いんだ」
「……………………ひえっ」
ここら辺が蒸し暑いのとか、ボルツで雨が降りにくくなったのとか。いろんな疑問の答えを次々にマーリンさんは答えてくれた。そうか……人間は沸騰するのか……………………
この人は怒らせない様にしよう。そう腹を括って、僕らはまた彼女が勇者の話を再開するのを待った。




