第百七十七話
「まったく、とんでもないことしてくれて。あー……まだ喉がイガイガするよ、僕も。ミラちゃんは…………なんで平気そうにご飯食べてるんだろうね……」
「……はは」
ミラは残すわけにはいかないと、どういうわけか激辛になってしまった料理を始め、全てのご馳走を綺麗に平らげた。分かっていれば大丈夫、とは本人の談だが……正直、あれを普通に食べられる彼女の味覚はだいぶ麻痺している気がして不安になる。ただまぁ、人並みにはちゃんと味覚も備わっていると分かっただけで、小さな一つのもやもやは晴れた。
「ご馳走さまでした。お食事まで準備していただいてありがとうございます、マーリン様」
「うんうん、礼儀正しい子は好きだよ。礼儀正しくなくても可愛い子は大好きだけど」
おいおい、本音がダダ漏れじゃないか。マーリンさんはすっかり警戒心も緊張も無くなってニコニコしているミラを見て、これまただらしなくニヤニヤしている。暖色イメージなミラとは対照に、黒髪美少女と言った趣のマーリンさんだが……経歴からして、もう大人の筈だ。一体いくつなんだろうかと気になるんだが……そんなこと聞いたら、今度こそ不敬罪かもしれないしなぁ。
「じゃ、今日はもうみんな休むといい。部屋も準備してある。ミラちゃんは先にお風呂かな? 明日は朝早いから、きちんと休むこと。ここまでの旅路は大変なものだっただろう、ゆっくり疲れを取ってくれ」
「…………明日?」
はて、何か忘れて……と、僕とミラは目を丸くして顔を見合わせた。そうだ、そうだった。そもそも僕らは……いや、ミラは巫女様に——マーリンさんに呼ばれて王都を目指し始めたんだ。そのマーリンさんがこうして此処、キリエで待っていて……手紙を寄越してまで道を変えさせた。そうまでして時間を早めたのだ。だが、そんな一大事とも取れる理由を僕らは知らない。徴兵……では無いとさっきマーリンさんは言ったが……
「ああ、言っていなかったね。うん、実は……って、いちから全部説明してもいいんだけどさ。端的に言うと、事情が変わった。君達にはこれからアーヴィンに戻って貰う。それも早急に、ね」
「アーヴィンに……? えっと……マーリン様、それは一体……」
マーリンさんは随分暗い顔で俯いてしまった。そんな様子にミラもおどおどして、少しの間場は沈黙に支配される。だが、やはり流石は立場ある人間と言ったところだろう。さっきまでの親しみやすいお姉さんの顔から威厳のある星見の巫女様の顔になって、彼女は僕らにしっかりと話を聞くようにと姿勢を正させた。
「……ごほん。先日の星見の折にね、嫌な予兆を見たんだ。どうにもミラちゃんの未来は見え辛いんだけど……確かに見えた。ミラちゃん、君が……何かに絶望してしまうという最悪の未来だ」
「……っ? わ、私……ですか?」
ミラが……? 僕の中にずっとあった不安がまた大きくなる。そもそも、ミラとアーヴィンには何かある。ただならぬ因縁ではないが……どうにも腑に落ちない点が多過ぎる。それに加えてレヴの存在と、ハークスの——彼女の過去のこともある。絶望する、というのが一体どういうことかは分からないが……今日目にしたばかりの取り乱す姿を思い出せば、それだってきっと……
「……ごめん、詳細までは分からなくてね。こんなことは初めてだよ。いつもはもっとハッキリ明瞭に見えるんだけど……君についてはどうしてもノイズが多くって。女の子の未来は見え辛いのかな……? いつもは戦地に赴く男どもと王様のことばかり見ている所為で気付かなかったとか」
「いえ……私が…………絶望する…………?」
普段のミラを思えば、そんなのは全くイメージ出来ないのだが……どうにも嫌な予感がする。ゴートマンの件もあるし、マーリンさんはアーヴィンと言ったが、クリフィアで何かある可能性だって捨てきれない。ああ……そういえばゴートマンについても相談しなくっちゃいけないんだった……
「あの……そのことと関係あるか分からないんですけど……ここに来るまでに、俺達はゴートマンという魔竜を従えている危険な男と何度も出くわしていて……」
「ああ、ユーリから聞いているよ。その件で、ミラちゃんが至急警告文を出してくれとお願いしてきたそうだね。なんでも術師を食い物にする悪漢という話だが」
流石、抜かりないな。と、僕は肘でミラをつついた。まぁそもそもの目的だったのだから、彼女にしたら当然のことなのかもしれないが。クリフィアだけじゃない。蛇の魔女のことを考えれば、あの魔竜がそこら中の街に——それこそアーヴィンにだって被害を及ぼすかもしれない。ミラの心が折れるとすれば、そんな惨劇だろう。
「クリフィアに向かったであろうと聞いてはいるが……あそこは大丈夫だよ。魔術翁はこの国で最も優れた術師であると言って過言でない。ま、僕程の大魔導士となればそれも子供の様なものだけどねっ」
「でもっ……でも、今の魔術翁とコイツは一回喧嘩してて。その時はコイツが圧勝でした。そんなミラでも……ゴートマンには一度も……」
はは、喧嘩とは。お転婆なんだね。と、マーリンさんは笑った。その表情は、優しいお姉さんのものに戻っていた。
「……一度も、ね…………なるほど。しかし何度もぶつかるとは随分な縁だね、君達とそのゴートマンとやらは。でも……安心して。と、僕は何度でも言おう。魔術翁は、比肩する者無い最高位の術師の称号だ。魔竜の侵攻なんてそうは許さない。拠点を守るとなれば、それは術師にとって最も得意な分野の一つでもある」
「……そう、ですね。彼の力は間違いなく私なんかよりずっと上でした。不意打ちで一本取ったくらいで、もし彼が殺すことも厭わずにその力を振るったなら……どちらに転んだか」
あはは、負けず嫌いなんだね。と、マーリンさんはまた笑った。確かに、現魔術翁ルーヴィモンド少年は、彼女の言う通り凄い術師……なのだろう。魔術痕というのが見えない僕にとっては、ミラに一瞬でやられた偉い人。街の為に頑張る優しい人。と、その位にしか情報は無い。だが、彼の側にはノーマンさんもいる。一度はミラを押さえ込んだ彼が、術師としての力こそが絶対であるあの街で従っているのだから……やはりかの少年は凄いのだろう。
「さて、もうそろそろお開きだ。みんな早く寝るんだよ。あ、アギトはちょっと残って。言いたいことがあるから、ね」
ちゃんと謝るのよ。と、ミラに脇腹をつつかれた。やっぱり怒ってますよね……? と、僕は一礼して部屋を後にした二人を尻目に、優しい顔で威圧感を放つマーリンさんと二人取り残される様に向き合った。さて、何から謝ろうか……
「……まったく、約束が違うじゃないか。可愛い笑顔が見たいって言ったのに……まぁ泣き顔も可愛かったけど」
「すいません……」
おや、案外怒っていないのかな? マーリンさんはさっきまで放っていた威圧感をしまい込んで、けらけらと笑いながらそんなことを言った。
「…………で、どうだった? 疑念は晴れた?」
「っ⁉︎ それは…………」
いいよ、無理に答えなくても。マーリンさんはまた笑ってそう言った。流石は星見の巫女。未来を見通す力を持つ者、といった所なのだろう。僕の不安や悩みも筒抜け……だったりするのか……?
「どういうことだろうね……? 君達は——君とミラちゃんは、凄く不思議な関係に見える。とても仲良しで、お互いを信頼しあって、お互いを大切に思っている。なのに……」
そこまで口にして、彼女は少し困った顔で頭を抱えた。その先を言うべきか迷っている、という風だが……僕には彼女の真意は分からない。ただ、その口がまた動き出すのを黙って待ち続けた。
「……君達は、互いに大きな隠しごとをしている。お互いが大切過ぎて打ち明けられない。そんな様子に見える」
「…………そんなことは……」
核心を突かれて、どうしても歯切れは悪くなる。そうだ、僕はアイツに大きな隠しごとを二つしている。僕の過去、本当のこと。秋人という本来の僕の世界のこと。それに……レヴのこと。だが……ミラがしている隠しごのとはなんだろう。やはりハークスの、街のことだろうか。レヴの話では、彼女に——ミラに過去は無い。あるのは、街に溶け込もうと頑張ったという所からの記憶だけ。ならば、もう大体の事情は聞いたんじゃ無いだろうか。家族のことや市長になった経緯なんかは一度話してくれたし、そもそも彼女だって知らないという可能性がある。
「何かを確かめようとしたんだろう? 君にとって、それは彼女を守る為に必要な、彼女の幸せの為に避けられないことだった。そういう顔に見えたけど?」
「……泣いてて見てなかったじゃないですか」
あはは、言うねぇ。なんて、彼女はまた大笑いした。でもすぐに優しい顔に戻って、すごく真剣な声で警鐘を鳴らした。
「……君が思っている以上にあの子は複雑だよ。それでもどうか、助けてあげて欲しい」
「…………はい」
マーリンさんはそれで話を打ち切った。ほらほら、さっさと寝なさい。と、部屋を追い出されるとそこにはユーリさんが待っていて、部屋まで案内してくれた。クリフィアの宿よりずっと大きな部屋にベッド。過去最高級の贅沢空間で、僕はゆっくり一人で眠りに就く。ああ、やっと一人で……
一人で眠りになんて就けるとは思っていなかった。ガチャリとドアノブは捻られ、コソコソとそいつは現れる。まったく……部屋の鍵、開けておいて正解だったな……




