第百七十四話
しばらく待っていると、見知った顔が現れた。見知ったと言うか…………こいつの為にここまで来たと言うか……
「……? アギト…………オックスも…………な、なんか二人ともホカホカしてない……?」
拝謁の為に身嗜みを……では無かったのかと突っ込みたくなる、ボロ着のままのミラがひょっこりと顔を出したのだった。随分間抜けな登場に、つい頰も緩んでしまうが……多分理由はそれだけでは無いのだろうな。
「お前こそ。今から偉い人と会うってのに、そんな泥だらけで大丈夫か?」
「……マズイ……わよね……普通。なんでも、これまでの旅を見てみたいから……とかなんとかで、このまま連れてくる様になんて言われたみたいで……」
それってやっぱりユーリさんだった? と、尋ねると、ミラは少しだけ苦い顔をして頷いた。やはり彼女の前にもあの疲れ切った顔の中間管理職の騎士は現れたのだろう。多分……いや、間違いなく。乱暴に連れて帰ったことを深く謝罪なんかして……ああ、なんて不憫なユーリさん。
さて、ミラも無事だったことだし……本格的にどうしてこうなったのかを考えないといけないな。コトの発端はガラガダの蛇の魔女まで遡るのだろうが……
「…………ごめん。さっきは取り乱して悪かったわ。だからそんな泣きそうな顔しないでよ」
「……ん? 泣き……っ⁈ なっ、泣いてないけどっ⁉︎ 泣い……泣いてんのっ⁈ えっ、俺泣いて……泣いてないしっ‼︎」
ほら、よしよし。なんて子供をあやすみたいに、ミラは僕の頰に手を当てて涙を拭った。濡れた彼女の指を見るに、本当に僕は泣きそうになっていたらしい。そんなバカな。いや、まあ確かに……ミラが無事そうでホッとしたり、もうすっかりいつものミラに戻ってて緊張も解けたけど……泣く程……泣く程心配してたのか……
「……で、大丈夫なのか……?」
からかう様にはにかんだミラの手を払って頭を撫で返すと、ミラは小さく頷いた。取り乱した、と言うにはあまりにも……いや、止そう。レヴの件は今は一度忘れよう。これは僕らが首を突っ込むべき問題では無いのかもしれない。いつかこいつが僕を頼って、そのことを相談してくれるならその時は……
コンコンとドアが鳴った。そして中間管理職こと騎士団長のユーリさんの姿が現れる。団長とは………っ。武装を解除して重苦しい甲冑から立派な洋服に着替えたその姿は、なるほど巫女様の側近といった趣の厳格さだ。
「お待たせしました。では、こちらへ……」
警備の騎士が見張っている廊下を、僕らは案内のまま進む。巫女様は最奥の部屋におられます。どうか粗相の無い様に。と、ユーリさんが言ったすぐ後のことだった。
「おーい、ユーリ。あの飾り知らないー? 頭に乗せる、あのじゃらじゃらした……」
「………………ティアラなら先日、邪魔だと言って壊してしまいました。巫女様が……」
曲がり角を曲がると、そこには綺麗なドレスに身を包んだ黒髪の女性が立っていた。鴉の様な艶のある黒い髪を首元で切り揃えた、女性というにはまだあどけなさの残る……地母神様より少し若いか、同じくらいの年齢の少女と言って差し支えないかもしれない。大きな黒い瞳でキョトンとこちらを見つめて立っていた……のだが。
「………………おっ……ゆ、ユーリ……っ! こらユーリ! まだ支度も出来てないのに連れて来るとはどう言う了見だ! まだ化粧だって……っ!」
「……いえ、先程伺った際には早く連れて参れと……」
連れて参れと…………? え…………? と言うと……何か? このちんまい……ちんまいって言っても、うちにはもっとちまっこいのが居るんだけど……ではなくて。このどう見てもまだ未成年である少女が……巫女様…………っ⁈
「〜〜っ! ああ言えばこう言う…………っ! ごほん。見苦しところを見せたね。初めまして。待っていたよ、ミラ=ハークス。僕こそが星見の巫女、大魔導士マーリンだ。勇者と共に冒険をした魔術師といえば、多少は馴染みがあるのかな?」
全く威厳など無いポンコツなやり取りの後に少女は胸を張り、手にしていた大きな杖をついてそう名乗った。そうか……このポンコツっぽい少女が…………問題の…………なんて、僕にはもうどうでも良かった。
「……………………ぼっ……」
「…………ぼ? えーと……君は——」
そう——その事実の前にはどんな事も————
「————ボクっ娘キタァァーーーーー——ッッッッ‼︎」
ボクっ娘! ボクっ娘っ! ボクっ娘ッ‼︎ それも黒髪清純派と見せかけておてんば系ポンコツ美少女! 話によれば十六年前に勇者と冒険していた……ってなれば合法ロリ! ワンチャンロリババア! ヒャッホウ! そいつぁ僕の大好物で……………………おや?
「…………アギト…………さん……………………?」
「……アギト殿…………」
おっとぉ…………? なんだいなんだい、みんなしてそんな冷たい目をしてさ。ははぁー、さては……成る程ね。異世界転生(?)だもんね、言わなくっちゃいけないよね。みんな欲しがりなんだからー、まったく。いい? 一回しか言わないからちゃんと聞いてるんだよ? ごほん、えーと。あれっ? また俺、何かしちゃいまし————
「——ァアギトぉぁーーッッ‼︎ アンタ——ッ! アンタ何言っ……っ! も、申し訳ありません! この男に悪気は無いんです! ただちょっと頭がおかしくて……ちょっと常識が足りてないものでして……本当に申し訳ありません! 以後こういうことの無い様に厳しく言って聞かせますので……っ!」
ちょっと。ちょっと言い過ぎじゃないですかい、ミラさんよ。そんな感想を遠く遠く、めり込んだ廊下の壁からでは遠くに感じる場所に抱く。遠くに感じるというか……物理的に遠くに蹴飛ばされたというか…………
「…………あのっ……? 巫女様……?」
平謝りするミラに、巫女様は呆然として目を丸くしていた。そりゃあそうだろう。さしもの勇者様の仲間といえど、まさか人がこんなに遠くまで蹴飛ばされるなんて状況には出会ったことあるまい。なにせ息が出来ないくらい思い切り脇腹を蹴飛ばされたからね。ちっ……あばらの二、三本はイったな。なんてセリフも、今なら冗談では済まないくらいの威力だった。雷属性の強化魔術も使えない状態で、一体どこからそんな力が……
「…………ぷっ……」
「……ほぇっ⁈ み、巫女様……?」
巫女様は口元を抑えて俯いてしまった。ショッキングな映像に気分を悪くしてしまっただろうか。ほら、ミラもちゃんと謝って。僕、軽く十八禁みたいな挙動したよ? 今だってちょっと星が見えるくらいにはダメージが残っててだな。
「……ぷふっ——あっはっはっは! ボクっ娘……ぶふっ! ふふ……あーっはっは!」
「…………えと……あの…………? 巫女様……? あの……どちらへ……?」
巫女様はお腹を抱えて大笑いしながら僕の方へと歩いてきた。ほら、ミラ。いくらなんでも蹴飛ばし過ぎだって。あんまりにも遠いから、歩いてる最中にもまた笑いだしちゃったよ? え? 多分原因はそこじゃない? そんなバカな⁈
「ふふ……そんなことを言ったのは君が二人目だよ。それも一言一句違わず同じなんてね……ぷくく……ふふっ……な、名前を……ぷふっ……名前を聞こうじゃないか……くくっ……」
「え……? えーと……っ! は、初めまして! 俺……わ、私はアギトと申すますです!」
おっと、オックスの方がずっとちゃんと自己紹介出来ていたな? 遠くから睨みつけるミラの威圧感に、僕は飛び起きて姿勢を正した。そんな僕をジロジロと興味深そうに見回す、巫女様と呼ばれる少女は……あっ……すっげ……いい匂いする……っ。
「なるほど。なるほど……興味深い作りをしているね。君がいつも彼女の隣にいた……ふーん……」
ひとしきり僕の体を見ると、彼女は踵を返してミラの元へと戻って行った。どうやら不敬罪で投獄、という最悪は回避できた様だ。ナイス……ナイスラックだ僕。
「では改めて。よろしく、ミラ=ハークス。僕のことは気軽にマーリンさんと呼んでおくれよ。これからきっと長い付き合いになるだろうからさ。堅苦しいのは無しにしよう」
「へえっ⁈ よ、よろしくお願いします……その……ま、マーリン様……」
なんだろう。ギクシャクしているというか……よそよそしいというか。ミラの様子が変だ。まあ一人だけ汚い格好しているし、相手はとても偉い人で……それなのに連れが余計なこと言って失礼を働くし。緊張するのも無理は無いんだけど。ごめんなさいしておこう、あとでたっぷり。
「じゃあ奥の部屋へ、僕の部屋へ案内しよう。ユーリ、二人をきちんと送り届けるんだよ」
「は、はい……へ? 二人を…………? あの、二人は私の仲間で……」
知ってるよ? と、巫女様ことマーリン様はミラの背中を押した。うん、分かってなくない? ユーリさんに送り届ける様に言った僕らがその子の仲間であってね? もしもし?
「……あの、巫女様。ミラの言う通り、俺達は旅の仲間で…………そいつと離れ離れになるのは困るって言うか……」
「ああ、そうなの。でもごめん。僕、女の子にしか興味無いからさ」
なんだって——ッッ⁉︎ 百合なのか…………百合百合なのか……っ⁉︎ いかん……いかんですぞ……っ⁈ それ以上はいけない、ボクっ娘な上にドジっ子でちょっと偉そうにしていてかつ百合の波動に目覚めているだと⁉︎ なんたら細胞で同性でも子供が云々とか言い出すタイプ⁈ だがそれはまずい……拙者は百合の間に入りたがる業の者を許さない男。もしも巫女様とミラで巫女ミラなんて……あ、いや。ミラ巫女も惜しい…………じゃなくって!
「ちょっ…………ちょっと⁈ 興味無いとかじゃなくって! アーヴィンの時から思ってたけど、ちょっと強引過ぎやしないか⁉︎ こっちの都合なんて御構い無しに…………いえ、あの……」
言葉遣い、直そう。ちょっとこれはやらかしたのかも。さっきまでのにこやかな笑顔が嘘の様に真顔になってしまった巫女様は、ツカツカと僕の方へ早足で歩み寄ってきた。すいません、遠くて。
「…………はぁ。いいよ、見せてあげよう」
「見せて……? あの、一体……?」
巫女様はそう言って杖を掲げた。すると頭上に光の玉の様な……鏡の様な……違う。これは……何か、どこかの映像が流れて……
「………………っ! アギトさん!」
オックスの声は危険を知らせる物だったのだろう。息が詰まる。脳天まで電流が流れたみたいだった。立っていられない……気付いた時には僕は膝をついて蹲っていた。下腹部に走る激痛、吐き気。視界が歪む。脂汗が滝の様に流れ出てくる。こいつ……この女…………っ!
「言い直そう。僕は……僕は男が嫌いなんだよ」
「——ぁがっ————ぃっ——ぐぁ————っ」
何か汚い物でもふき取るみたいに、彼女は僕を見下したまま杖を袖で拭った。この女……僕の……僕の大切な…………っ! このクソアマ——っ! よりにもよって、杖の硬そうな出っ張ってる所で——僕のリトルアギトを思い切りカチ上げやがった————ッ‼︎
「じゃあ行こうか、ミラちゃん。ほらほら、ゴーゴー」
「えっ…………あの……あ、アギトっ……⁈」
止めに入ったオックスもひと睨みで退散させて、巫女様はミラを奥の部屋へと連れて行ってしまった。二人の姿が見えなくなると、ユーリさんが飛んできて膝をついて謝罪してくれたのだが……残念ながら僕は今そんな状況に無い。アギトが…………一番大切な左右のアギトが……ッ‼︎