第百七十三話
陽もすっかり落ちたキリエの街を走り、僕らは大きな建物の並ぶ区画でも一等大きな豪邸の前…………から、数百メートル離れた曲がり角に隠れていた。
「……あの紋章……さっき来た騎士と同じ。つまり……」
「ああ、でかしたオックス。あの花だか太陽だかの紋章はユーリさんの……王都の騎士団の紋章…………なのかな……?」
知らないんスか……? と、とても訝しげな顔をされてしまった。だってしょうがないじゃない! 他に甲冑を着込んだ騎士なんて見たこと無いんだもの! 王都の騎士団、或いはユーリさんの言っていた巫女様とやらの直属の騎士団の紋章、なのだろう。もしかしたら流行りのマークだったりするかも知れないけど……流石にそんなわけないよね……
「……しかし警備が固いな……どうするか……」
僕らが何も無い曲がり角で立ち往生している理由はたった一つ。見つかればまた取り押さえられて、もう二度と侵入する機会が訪れないであろうからだ。今は国の重要人物の騎士団長であるユーリさん……が、多分いる……と、仮定して。そんな大物が来ているわけだから、暗殺なんてことの無い様に、怪しい人物が近付かぬ為に警戒しているだけだ。そんなところに連行したばかりの要人を取り戻そうとする不審な輩が現れたとなれば……うう。捕まれば最悪牢屋にぶち込まれてしまうし、なんとか逃げ果せても警備はより強固なものになってしまうだろう。そうなったら、二度とミラとは合流出来ない。
「…………しかしさっきから出入りが激しいっスね。何かを探して…………? 案外、脱走したミラさんを探してたり……」
「もしそうならありがたいけどな。でも……流石に今のミラにそんな体力も能力も無いだろうし……」
さて、どうしたものか。僕もオックスも打つ手が無かった。熟練の騎士を相手に正面からカチコミ……なんて、ミラがいたって出来るかどうか。塀をよじ登ろうにも内側にだって監視はいるだろうし、ミラよろしくひとっ飛びで屋根から屋根へ飛び移れたらなぁ……などと、出来もしない解決策をああでも無いこうでも無いと言い続ける。そんな時のことだった。
「居たぞ! 長身の男と拳銃を持った男! こっちだ!」
「——げっ⁉︎」
見つかった⁉︎ と、声のする方を振り返れば、そこにはもう鎧姿の大男が何人も押し寄せていた。探し物…………って、僕らかっ⁈ なんで⁉︎ こうなって仕舞えばもう逃げるしかない。僕もオックスも、脇目も振らずに走り出し…………数秒のうちに足を止めた。僕らはすでに包囲されていたのである。
「……ここまでするかよ……っ。まあ前科持ちだからな…………」
前科って何したんスか⁉︎ と、オックスは剣を抜きながらちょっと呆れた風に怒鳴った。何もしてない、たださっきみたいにミラを引き渡すのを渋っただけだよ。と、答えて、僕も短剣を構える。これの魔力ももう切れて、ただのナイフになってしまった。傷付けるつもりは元より無いけど、こんなんで太刀打ち出来るんだろうか……?
「武器を捨てろ! 大人しくしていれば危害は加えない!」
どの口が! と、つい怒鳴ってしまいそうだ。あんな状態のちっちゃい女の子相手に、いつもいつも偉そうにしやがって。アーヴィンでもここでも、こっちはうらみつらみ溜まってるんだ。僕は威嚇とハッタリの為に、弾丸の入っていない銃を抜いて構える。さあ、これに込められた魔弾の威力、とくとご覧あれ。なんて見得でも張れたならかっこいいだろうが……声が震えてハッタリがバレるだけだからやめておこう。
「——大馬鹿ども——ッ! 話を聞いていなかったのか——ッ!」
聞き覚えのある声が響いた。すぐに騎士達はざわつきだして道を開ける。その声の主が僕達の前にやってくるための道を、たった一人が通るにはあまりにも広い通路を作ったのだ。
「申し訳ございません。お久しぶりですアギト殿。二度もこんな…………っ。面目次第もございません」
現れたのは、一層立派な装備に身を包んだ騎士長、ユリエラ=イルモッドことユーリさんだった。毎度毎度、都合良くギリギリを救われてばかりいるな……なんて考えるのは、少し失礼だろうか……? どうやらこの場も丸く納めてくれそうだ。彼なら、もしかしたらミラとの面会も……
「……アギト殿、それから……貴方はガロン山の……っ。あの時は駆けつけるのが遅れてしまって申し訳ない。共に旅をしていたのですね。私はユリエラ=イルモッド。どうか気軽にユーリとお呼びください」
「……っ。ど、どうもっス。オレ……わ、私はオックスと申します。その節はお世話になりました」
ユーリさんは自己紹介を済ませると、僕らについて来いと手を問題の豪邸の方へと向けた。僕らには拒む理由も怪しむ余裕も無く、微妙に居心地の悪い騎士達の視線の中を進んだ。
「……申し訳無い、どうにも乱暴な連中で。立場にあぐらをかくべからず、とはいつも説いているのですが……私の力が及ばず」
建物の中に入ると、ユーリさんは厳格な騎士の顔から申し訳なさを前面に押し出した疲れ切った男の顔になった。豪華絢爛と言うに相応しいこの豪邸には似つかわしくない、庶民的なとっつきやすい人物像がそこにある。
「いえいえっ、そんな……お疲れ様です。助かりました。今日も、あの時も」
そう言ってもらえると。と、ユーリさんは笑ってくれた。やはりというか、こう……爽やかで気持ちの良い人物だ。騎士道とはこういうものだろうな。と、この人やアーヴィンの隻脚のシェフに思ってしまう。どこぞのがめつい下品なクソジジイとは大違いだ。しかし本当にユーリさんがいて助かった……
「……もしかして、ユーリさんは俺達のことを……?」
「ええ、恥ずかしながら。巫女様の命令に忠実にとばかり鍛えられ融通が利かぬ者揃いで、またこんなご迷惑を。今度は丁重に持て成せ。と、宿泊施設を探させたのですが……またあんなことに……」
はぁ。と、頭を抱えるその姿にも見覚えがある。あの時は巫女様のわがままが原因だったっけ? ともかく、上司と部下の間で板挟みというのはどこの世界にも共通してあるのだな。いや……僕にそんな社会経験は無いんだけどさ……
「……では、先に湯浴みを。着替えも準備させてあります。巫女様に拝謁頂くのですから、出来る限り身嗜みは整えておいてください」
はーい……………………はい? 巫女様に拝謁……? ちょ、ちょっと待ってくださいな? それってミラの話だよね? 蛇の魔女を倒した勇者を一目見たいとかなんとか……そんな理由でミラ一人を……?
「…………? あの、ユーリさん……? その……星見の巫女様は、ミラを一目見てみたい、ってことで……アーヴィンにユーリさん達を送ったんですよね……?」
「ええ、ガラガダの帰りに文が届きまして。近くにいる我々に、ハークス市長を連れて来いと命じられました」
なるほど、じゃあなんで僕らも巫女様と? と、そんな疑問を持っているわけでは無い。多分、巫女様は僕らなんてどうでもいいんだろう。僕やオックスをこうして迎え入れてくれているのは、ただユーリさんの優しさというか、礼儀というか。ミラのおまけ……もとい道連れとして、きちんと対応してくれているに過ぎないのだろう。問題はそこでは無くて。
「……その、すいません。こんなこと聞いて良いのか分かんないんですけど……っ。巫女様は……どうしてミラが蛇の魔女を倒した、って……」
あまりにもタイミングが良過ぎる。そうミラは彼らを警戒していた。まるで全て見ていたかの様に——すぐ側で見ていたかの様に丁度良過ぎるタイミングで現れて、何もかもお見通しと言わんばかりにミラ一人だけを名指しで連れて来いと言った。そのことの異常性にどうやらオックスも気付いたみたいで、僕達は立ち止まってユーリさんと睨み合う格好になった。
「……合えば分かります。星見の巫女と呼ばれたあの方の、未来を見通す力は絶対ですから」
未来を見通す力……? そういえばあの時もそんなことを言っていたっけか。もし本当に未来が見えるのなら……確かにミラが魔女を倒すことも、その後旅に出てフルトで足止めを食らうことも、そしてここキリエで病院に運び込まれることも分かっただろうが……どうだろう。本当にそんな力があるのだろうか。いや、あって良いのだろうか……? それは人間にはあまりにも大き過ぎる力じゃないのか? それに……もしそんな力があるのなら、どうしてもっと早くに僕らを……
「安心してください。ちょっと変わった、そして困った方ですが……頼りになる——いえ、頼りにして良いお方です。ただ、気分屋なのでどうか機嫌を損ねぬ様に……」
「……ご、ご苦労様です」
その言葉の全てが真意なのだろうと伺えた。騎士団長ともなると仕事も多いだろうに、わがままな上司と言うこと聞かない部下、か。本当にご苦労様です。だが……うーむむ。安心しろ、か。ユーリさんは信頼出来そうだが、まだ顔も見たこと無い巫女様なんて信じられるわけも無いし……
「……はぁ、考えても仕方無い、か。機嫌を損なうなってことだし、こんな泥だらけじゃ失礼だよな。巫女様にも、ユーリさんにも」
ユーリさんと別れ、僕らは浴場に来ていた。そして僕は思考を放棄した。考えても考えても答えは出ない。だってしょうがないじゃない! 一目会ってから考える、ムカつくやつならミラを連れて帰る。良い人ならまぁ……話次第かな。巫女、ってことだし女の人かな……? えーっと、勇者と一緒に旅をしてた……とかなんとか言っていたよな。ってなると……十六年前に死んだ勇者の仲間だから……女の人でももうおばはんだなぁ。拙者二次元のお姉さんなら文句ないのですが、三次元のBBAは守備範囲外ですからなぁ。
「……? アギトさん? おーい、アギトさーん?」
「…………はぁ。胃が痛くなってきた」
どうあがいてもエルゥさんの時みたいな楽しい出会いにはならないんだろうなぁ。そう考えると、持病のコミュ障が……うぅ、胃が痛い。初対面の顔も知らない偉い人との対面が待ち受けている状態ではゆっくりなど落ち着けず、僕らは早風呂を済ませてユーリさんに案内された部屋で呼ばれるのを待った。なんだこれは……集団面接か…………?




