第百七十話
「ミラを……製った……? いや、待て。おかしい。お前もミラなんだろ……? なら……自分を作るとか……何言って……」
「……すみません、これ以上は。主人……これでは撫でて頂けませんか……?」
しょんぼりした顔で可愛いことを言いながら僕を見上げる姿に……撫でないわけにはいかなかった。なんだこの可愛い生き物は。いつもの生意気なミラも捨てがたいが、従順で素直なこのミラも…………はっ⁈ ち、違う! 今はそんな話をしてるんじゃない! 周囲の確認! 遠くから魔竜の毒ブレスとかで全滅……なんてことも無いみたいだ。もう周囲に竜の影は無い。でも、この建物自体に罠が……あったら気付いてるか。レヴにもミラ同様の危機察知能力は備わっているだろうし。
「……? そうでした。えっと……これは……こうですか……?」
「それ……あの時の……」
レヴはずっと握り締めていた手を開いて、あの時行商から買った群青色のリボンを髪につけた。もしかして、守っていたものはコレだったのだろうか。随分ボロボロにされてしまって千切れそうになっている髪飾りには、もう飾り石はほとんど付いていなかった。
「……似合いますか? 似合いますか?」
「っ! ああ、似合うよ」
彼女と同じ言葉をレヴは口にした。嬉しそうにくるくる回って、見せびらかす様に髪飾りを撫でて笑う姿はミラと区別なんてつかない。彼女がミラを製った、などと言われても……
「…………そう、ですね。私自身の成り立ちについてこれ以上の説明は出来ません。ですが、彼女と私の関係についてはもう少しだけ。申し訳ありません、主人の持つ第三級管理権ではこれ以上の閲覧は承認出来ないのです」
「……閲覧……か。分かった、もう深くは聞かない。その……レヴとミラの関係について聞いたら、もう何も詮索はしない。女の子にそんなことするのも失礼だもんな」
女の子という単語に、レヴはまた首を傾げた。また、首を傾げたのだ。彼女が自分のことを人間だと思っていないんじゃないかとさえ思ってしまう。そんな悲しい話があってたまるか。と、僕は首を振る。それは……ただの逃避だとわかっていても。
「私……レヴとミラは、同じ肉体に住む二つの人格です。他方は他方の記憶を持たない。過去の記録の一部を共有しているだけの、全く別の存在と扱っていただければ」
「二重人格……ってやつっスか……?」
はい。と、レヴは頷いた。記憶を共有しない二重人格。やはり彼女はあの時のことを覚えていない。そして、今のことも知らないのだろう。となるとやはり……
「……四発目の魔弾。あれはレヴの仕業か……?」
「…………はい、申し訳ありません。彼女に出せる出力では、主人を守りきれない恐れがあると判断しました。故に、彼女の起動中でも私を——兵器を強制起動出来る術式を展開する魔具を仕込ませていただきました」
やはりあの晩出会ったのはレヴの方……か。彼女についての謎はまだまだ多いが、約束は約束だからなぁ。これ以上の詮索は無し、と言うことにしたいのだが……
「…………最後に一つ。その……ミラは……居なくなるのか……?」
「……っ⁈ アギトさん……?」
レヴは言った。ミラを作った、と。もしそれが“ミラ=ハークスという人格を作った”ということなら、本来の人格は彼女では無くこのレヴなのではないだろうか。そして……今になってレヴが表に出てくるようになったということは……っ。
「…………居なくはなりません。ですが……私達は次第に一つに戻ります。本来ありえぬ筈の二人分の人格、そしてその記憶。いつか綻びが生まれ……互いの存在を認知した時、私達は溶け合って消える。一つの……ミラ=ハークスでもレヴでも無い何かになってしまうかもしれませんね」
「それは……」
俯いてそんなことを言うと、レヴはもう終わりと言わんばかりにまた僕に抱き付いてきた。もっと撫でろとねだる様にグリグリすりすりとじゃれついてくる姿を見ると、もしかしたらエルゥさんの言っていた甘えているミラの姿はレヴの名残なのかもしれないと思ってしまう。管理権とやらを持つ僕にだけ、レヴの人格が漏れ出しているのかも…………管理権?
「……あー、えっと。ごめん、もう一個だけ気になることがあるんだけど……」
「これ以上は更なる補填を望みます。もっと強く抱き締めて、そのまま眠らせてください。いつもの様に」
オォォオオオアーーーーッッッッッックスっ‼︎ 違う! 違うんだ! それは本当に誤解だ! いや、さっきまでのも誤解だけど! いつもはミラが勝手に抱き付いて寝てるだけだから! 僕は! 僕から抱き付いたことは! ちょっと特殊なケースを除いて、基本的には無いんだ!
「……いや、今眠られると困るって言うか……今日の晩に…………? レヴ……その……お前が必要無いとか、お前よりミラの方が、とか言うんじゃないんだ。そうじゃないんだけど……」
「はい、私の稼働時間はそう長く残されていません。ですので、別れ際に抱き締めて頂ければ。いつも通り、ぎゅうと。愛情を込めて抱き締めて頂ければ、それで」
お願いだから誤解を招く様なことを……ええい、もういい! 分かりましたよ、抱き締めますよ。言われなくても多分おんぶすることにはなるんだから、今更もうなんの抵抗がありましょうか。僕は割としっかり悩んだ末に首を縦に振った。そんなに嬉しそうな顔しないでよ……
「……じゃあ聞くよ。その……管理権ってのはなんなんだ? どうしてそんな物が俺に?」
「管理権……ですか。その名の通り、兵器として危険すぎる私を管理、行使する権利の事です。主人に与えられている第三級管理権は一番下、出力制限の第三限定までの解除と戦闘許可、及び破壊許可の権利を有します。同様に停止命令も。何故、主人に管理権があるのか……については、申し訳ありません。兵器には分からないのです」
ちょっとちんぷんかんぷんな単語が並んだ。何度も言うが、それは果たしてこの少女に向けるに相応しい言葉なんだろうか。確かにレヴは強い。見た通り危険な力を持っているかもしれないが……だからって兵器だとか管理だとか……そんな物みたいな扱いは酷いんじゃないだろうか。
「……では、主人」
「…………もう、時間なのか……?」
少しだけ寂しそうな顔で頷いたレヴを、僕は優しく抱き締めた。約束が違います。と、少し膨れっ面で駄々をこねる少女を仕方無く思い切り抱き締めると、そのまま彼女は寝息を立て始めた。レヴの言う通りなら……おそらく次に目を覚ました時にはミラに戻っているのだろう。
「……オックス」
「へ? か、からかいすぎたっスかね……? いや、でも……」
違うやい。それについても色々言いたいけど……今はそれじゃない。ちょっと真剣な話だからと、ちゃんと向き合って僕はオックスに頭を下げた。
「……レヴのこと、ミラには黙っててくれ。分かんないけど……ただの杞憂かもしれないけど……嫌な予感がするんだ……」
「嫌な予感……っスか。まあ……さっき見事に的中させてますからね。分かりました、この件は誰にも」
誰にも、とは本当に話の早いやつだ。気の利くいい男だよ、お前は。なんてオックスに感謝して、僕らは急いで建物を出た。そして……
「……えーと…………こうで……こうで……それ」
オックスはうろ覚えながら魔術陣を描き、そして炎魔術を行使した。小さな小さな弱々しい炎だったが、それでも乾燥した空気と古い木造建築相手には問題無かった。僕達はその悪魔の研究の跡に火を放ち、急ぎ東へと向かう。理想は、ミラが起きた時ベッドの上に寝かしてやれていることだ。
ぎゅうと胸が締め付けられる様だった。レヴは言った。いつかは一つになると。そして、どちらでも無いものになるかもしれないと。失うのだろうか。この大切な恩人を、何の恩も返せていない彼女を……失ってしまうのだろうか……?
手が、背中が、全身が冷えて凍っていく様な気分だった。背中に感じるこの体温をいつか感じられなくなってしまうのかと思ったら、恐怖は際限無く湧いてくる様だった。まだ、なんの説明もしていない。まだありがとうすら言ってない。まだ……
彼女は言った。温度を感じられない、と。男は言った。非人道的だ、と。彼女は……レヴは、触覚を失っているのだとしたら……ミラは……? 味覚は……? 視覚、聴覚、嗅覚は確かにある。ある様に見える。だが……もし……もしも…………




