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異世界転々  作者: 赤井天狐
異世界転々
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第百六十一話


 アラーム直前に目が覚めた時の気分の良さと言ったらない。優越感というか……毎朝毎朝無機質に人の眠りを奪うこいつに勝ったのだという達成感と言うか。なんの話だ。ともかく、だ。

「あー……いかん。目覚めが最高すぎる。良いことあるぞこれ」

 三、二、一……スイッと。よしよし、一コールすらまともに鳴らせずに黙ったスマホを見てニヤニヤする怪しいおっさん。いかんな、現実を見たらとてもじゃないけど良いこと無さそうだわ。厄日か。

 そんなこんなも過ぎ去って、朝ごはんも過ぎ去って。もう三人で囲む食卓にも感動しなくなったな、なんて考えながら二人を見送って、僕も自分の支度を済ませる。さぁ今日もやるぞと言う気持ちと、本当にお客さんは来るのかと言う気持ちと。ともかく色々併せ持って、今朝は絶対に遅刻しないんだと鋼の決意を秘めてちょっと早めに家を出た。あ……ガスは…………切った。やっべ窓閉まってなかったかも……閉まってるな。えーと鍵はどこへやったかな……いかん、老いが……っ! 忍び寄る老いが……っ‼︎

 おはようございます。と、なるべく元気に挨拶をする。訓練の一環だと思え、サー! そんな僕を、店長も笑って迎え入れてくれる。さて、今日の仕事はなんだ! また営業に出かけるのか⁉︎ それは……それはぁ…………ちょっと心の準備がいるやつだなぁ。

「おはよう原口くん。今日も営業あるから、花渕さんも来たら二人で事務所まで来て」

「はい、わかりました」

 やっぱりあるよなぁ……そりゃそうだよ。だけど……うん。やるって決めたことだからな。頑張らないと、兄さんに申し訳が立たない。兄さんだけじゃない、僕がこうして立ち直ったきっかけをくれたあらゆる人の為にも。こっちにはそんな居ないな……床屋のオヤジはカウントしても大丈夫かな……?

 しばらくして花渕さんもやってきた。今朝は随分眠たそうだが……夜更かしは美容の大敵だゾ。若いからって無茶すると体壊すよ。最近、若い体で無茶して辛い思いしたからよく分かる。秋人なら幾らでも問題無いんだけどなぁ……若さの問題じゃないのかなぁ。

「おはようございまーす。おっさんもはよーっす」

「おはよう花渕さん。着替えたら二人で事務所まで来てくれる?」

 わぁい、ついでって感じがひしひしと伝わってくる、挨拶に。壁が無くなったとは言え扱い悪いままなの、なんとかしなければ。何が悲しくて十五の小娘のご機嫌を……あっちでもこっちでも窺わなくちゃならんのだ! まあでも? こっちよりあっちの方が解決しやすそうだし、今日のところはこのままで勘弁してやるよ! べ、別にビビってないし⁉︎

 僕らが事務所へ入ると、店長は立派なキーケースを持って待っていた。なんだろう、車の鍵かな? キーケース新しくしたんだー、かっこいいでしょ? みたいな自慢話って訳でも無いだろうし……はて、呼び出されたのとこの鍵は関係あるんだろうか。

「来たね。昨日一昨日とやってもらった通り、これからは足でお客さんを捕まえに行く方針を取ろうと思う。そこで、二人に今日の営業を任せたいんだ。別に失敗しても良いし、売り上げ上がらなかったら何かペナルティがあるなんてことも勿論無い。売れたら売れた分だけ手当は出す予定ではあるけど……それはもうちょっとお店が上向いてからになっちゃうかな」

「二人で……僕と花渕さんだけで、ってことですか……」

 大きく頷いた店長には何か勝算があるのだろうか。それとも、単に社会経験の一つとして体験しておいて貰おうみたいな話なんだろうか。どちらにせよ、これはまた大きな話が来たもんだ。花渕さんに頼りっきりにならないようにしないと……足を引っ張らないように……あれ、なんだか既視感が……

「……店長店長。一個聞いて良い?」

「うん? どうしたの? 一昨日の感じを見るに、花渕さんなら問題無いと思って提案したんだけど……」

 僕も問題無い判定なんだよねそれ? ねえ店長? ちょっとダメそうだけど、花渕さんならなんとかしてくれるだろう。みたいな考えじゃないよね? そうだと言って? きっとそうだろうと勝手な解釈をして、僕はものぐさそうにポッケに手を突っ込んだ花渕さんの言葉を待つ。何か問題が……僕が役に立たなさそうだから要らない、なんて話じゃないよね? 自分一人だと不安だからやっぱり店長が行くべきだ、なんて話じゃないよね⁈ 二人でも、不安なんだ、って。そういう話だよね⁉︎

「……いや。問題って言うかさ…………車、誰が出すの……?」

「…………あっ」

 あっ……あー…………そうだったね。店長は意気消沈してキーケースをデスクの引き出しにしまいこんでしまった。完全に忘れていたな? そう、彼女はまだ十五で自動車免許なんて持っているわけがない。僕なんてもう言うまでもないだろう。今この場にいる人間で営業に出ようと思ったなら、店長は必ず動かないといけないんだ。流石に自転車で運べる量には限りがあるし……運んでる最中にパンが潰れてもダメだもんね。

「あー……完全に忘れてた。そりゃそうだよ、うっかりだ。会社じゃ大体みんな免許なんて持ってたから……そうか……まだ十五歳だもんね……」

「しっかりしてよ店長。まだボケるには早いじゃん?」

 うっ……花渕さんの何気無い一言が僕の胸をえぐる。そう……まだ痴呆症には早いのだ……うう。だが、そうなると困ったな。また一人で店番……となると、彼女は良くても僕は全然自信無いぞ? ひとりふたりならいざ知らず、十人も来たら泣き出す自信すらある。なんて情けない自信だろうか。

「……ってなると……うーん……僕が営業に出て……二人にお店を任せたら…………あ、それで良いのか」

あたしは一人で全然問題ないんだけど。まあおっさん連れてっても役に立たなかったってことじゃん?」

 そんなことないよ⁉︎ と、慌ててフォローを入れてくれる店長の優しさだけで、僕はもう満足だった。くそう……厄日だ。まあ役に立ったかどうかって話なら、特にいてもいなくても問題ない。当たり障りのない……あ、パンを運ぶ手間は少しだけ軽減されたかも。くらいの働きしかしてないですけど。

「……もしお店で何かあった時、一人は辛いだろうし危ないからね。その方向で良いんじゃないかな。うまく行けばお客さんも増えるだろうし」

「良い方へばっかり考えてると、現実を知った時辛いじゃん?」

 どうしてそうキツイことばかり言うの貴女は。なんて突っ込む度胸も無く、僕は店長同様閉口した。ともかくこれで決まりだ。店長は営業回りとそれから配達を一人でこなす。僕らはその間店を守る。なかなかどうして破天荒な店だな……個人店じゃなかったらこうはならないんだろうな……

「じゃあ行ってくるから。二人とも仲良くね」

「他に心配することあるじゃん。別に良いけど」

 店長とパンを乗せた車は遠くへと消えて行った。さて……二人きりか。店長がバックヤードに引っ込んでいるから表には二人だけ、と言うんではない。この店自体に僕らしかいない状況になってしまった。

「……さーて、どうしようか花渕さん。とりあえずいつも通り掃除でも……」

「………………それだ!」

 へっ? それって……掃除? クリーニング業でも始めるの? なんて尋ねると、凄く怪訝な顔をされた。それって……だってそれって言ったから……

「移動販売だし! 今、店長パン持って配達行ったけど、よく考えたら売り歩けば良いじゃん! あ、いや……車だから歩いてるわけじゃないのか。でも、車に店名も電話番号も載せてるんだから宣伝になるし、それなら立地の問題は全部解決するじゃん。お昼時は駅付近で売って、夕方になったらここらを回ってれば……」

「あー……」

 リアクション薄くない⁈ もっとあるじゃん! と、怒られてしまった。そうか……いや、移動販売なんて竹竿売ってるスピーカーの音しか知らないから……っとと。だけどそれは良いアイデアだと思う。店長と僕の二人じゃどうあっても出来なかったことだが、もう一人頼りになる従業員が入った今なら出来る。目新しいアイデアってわけでも無いのだが、今欲しいアイデアの一つなのだろう。ごめん……経営のことはよく分かんないからなんとなくだけど。

「店長帰って来たら直談判するじゃん。店長ほんと抜けてるし、勢いだけで店出したって感じだよね」

「はは……出来ればそういうことは、本人にはオブラートに包んで言ってあげてね……」

 はいはい。と、流されてしまった。昨日店長が言っていた通りだ。花渕さんは、やはりと言うべきか頭が回る。年相応の知識しか無いというのは前提として、持っている知識のやりくりが上手いとでも言おうか。いや……知識量もやりくりも全く歯が立たない僕が言ってもって感じではあるんだけど……

「なんて言うか……やっぱり賢いよね、花渕さん。学校どこ行ってたの……? それならどこの学校行っても困らなかっただろうに……」

「ん? 学校って高校? 高校ならシラジョだけど」

 シラジョ……? はて……聞いたことがあるような……無いような? ごめん、正式名称でお願いしても良い? と、尋ね直すと、少し嫌そうな顔をした。ごめんなさい……

「シラジョはシラジョだし。白鷺女学院高等部。エスカレーターじゃなくて外部受験だから、居た期間は本当に短いんだけどね」

「白鷺……あー、なんか聞いたことがある……」

 えーっと……なんだったかな。確か……中高一貫の女子校で……お嬢様学校ってわけじゃなかった気がしたけど、なんか有名だったんだよな、中学の頃。いや、僕も中学にいた期間は短いんだけど。えーとなんだっけ……部活動だっけ……確かバレー部が強いとか……弱いとか……あとは偏差値が………………っ!

「それだ⁉︎」

「ど、どれだし⁈」

 そうだ……そうだ思い出した。ここらじゃ一番偏差値が高い高校。共学だとちょっと離れた所の高校が有名だったんだけど、遠いからね。駅の向こうとかだったし。じゃなくて!

「シラジョって……白鷺って……っ! めちゃめちゃ頭良いとこだったよね⁉︎ え……もしかしてすごい子だったの……?」

「結果はドロップアウトだから、凄くもなんとも無いし。おっさんと同じ落伍者コースだよ、今乗ってるレールは」

 僕と一緒なわけあるかい! それだけの頭があってなんで……いや、むしろそれだけの頭があるから店長にもあれだけ強気に。それだけの学校に行く為の努力をして来た、だからこそ……

「……おっさん?」

「…………どうして?」

 それは聞いちゃいけないことだと思う。でも、僕の口はとても残酷な質問を容赦無くぶつけてしまった。自分がされた時のことを考えたら、いくらでも自制が効いた筈なのに。それでも……僕の勝手な口が、僕とは違う、本当ならこんな道にこなくてよかった筈の彼女の現状に疑問で斬りつけてしまう。

「どうして……辞めちゃったの……?」

 しまったと思った時には、花渕さんは眉間にしわを寄せて俯いてしまっていた。


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