第百五十八話
ミラに手を引かれて走っていた筈が、気付くと僕はミラの手を引く様に走っていた。ダメだ……やはりまだ彼女の体力は戻っていない。息を切らして青い顔で走る少女の姿にそんな確信を得る。同時にこの、地中にいるという魔獣との戦闘が避けられないことも。
「ミラさん! 今、魔獣はどの辺にいるかわかりますか?」
オックスはそう言って足を止め、後ろを振り返った。彼も同じ結論に至ったのだろう。こうなれば、ここで打ち倒す他無い。逃げた先でまたさっきのような悲劇が起きるのももう見たくない。最初は逃げるように言っていたミラもそれは同じみたいで、ぐっと食いしばって僕らに指示を出す。
「……っ! オックスはそのまま正面警戒! アギト、アンタはここからオックスの援護。私が引きずり出すから、合図したら一斉に叩いて!」
そう言ってミラは僕らとは全然違う方へ駆け出した。引きずり出す、とは言ったものの一体どうやって。答えは……一度見ている。
「——揺蕩う————っ——雷霆ッ!」
バチバチと青くスパークしながらミラは高く跳んだ。そしてその拳を勢いよく地面に向ける。何か特大の魔術を行使するわけではない、それは強化魔術の延長なのだろう。追加の言霊は無しに拳を開き、手のひらが地面に向いた途端地面とミラの間に雷が走った。
「——良し——っ! これなら————っ⁈」
「……っ‼︎ ミラッ!」
そのままミラの体は地面に叩きつけられた。受け身を取ることも出来ないまま打ち付けられた少女は、苦悶の表情を浮かべながらその場で動けないでいた。
「アギトさんっ! 来ます! オレはいいからミラさんをっ!」
「っ! ごめんオックス!」
ミラの側に駆けつけるよりも先にそれは姿を現した。なるほど、地中に生息するならその形は正しい進化だ。と、憎たらしいくらいに感心してしまう。流線型で細長い、下肢を失ったモグラのような姿に、身の丈ほどもある巨大な前肢。太く短い、平たいスコップみたいな爪は、地面を掘り進む為に発達したものが過剰に進化したものだろうか。
「ミラ! しっかりしろ!」
「ぁぐ——っ。ぐっ……ア……アギト……」
やはりこれは想定外の様だ。触れてももう静電気の一つも起きないミラの姿にそう思う。なんとか発動させた魔術がすぐに時間切れになってしまったのだろうか。息をするのも苦しそうなミラの体を抱き上げて魔獣の方へと向き直せば、それは僕らではなくオックスの方を睨みつけていた。だが、ぱっと見がモグラなのだから、視力は退化していてもおかしくはない。顔が向いていないからと言って下手なことは……
「がっ……アギト……っ! 急いで……オックスが……」
「自分の心配をしてろ、お前は。分かってる。みんな無事で進むぞ」
巨大……と言うには小さな身体の、それでも小型であるとは口が裂けても言えないその爪に恐怖は拭えない。いつこちらに飛び掛って来てもおかしくないソレを警戒しながら、急いでオックスの元へと戻った。どうやらまだ痺れが残っている様子で、動こうとする気配は無い。この間に逃げてしまえないものかとも思うのだが……今のミラを連れたままでは、追いつかれるのは時間の問題だろう。
「……よし……オックス、ちょっと下がっててくれ」
と、なればやはり倒すしかない。幸いミラが痺れさせてくれたお陰で動きは鈍い。今なら……魔竜の鱗すら突き破った魔弾なら……
「……落ち着け……落ち着け……」
「アギト……アンタ……」
この一発を外せば、またあの時のように警戒される。痺れだっていつまでも続かない。この一発が実質唯一の……っ。手が震える、あの時と同じだ。こんな強力な力を貸して貰っておいて、誰一人守れなかったあの時と……
「…………アギトさん! 次はオレにも撃たせてくださいよ! 交代で!」
「……っ⁉︎ はあっ⁈ オックスお前何言ってっ⁉︎」
オックスは突然手拍子をしながら外せコールをし始めた。おまっ……お前っ! 人が真剣にやってるってのに! 外さねぇよ! 外せないんだから!
「おまっ……ああ、もう! バカ! っ……魔弾の射手!」
引き金は随分軽く感じた。魔弾は轟音と共に魔獣の腹を突き破る。焼き貫かれた傷口から血を吹き出すことも、その痛みに身をよじることも無く魔獣は力尽きて地面に倒れた。だが、オックスよ……もうちょっとスマートと言うか……かっこいいやり方は無かったのか……?
「ああ……なんて間抜けな…………あんなので緊張がほぐれるとか……」
「いやー……撃ってみたかったのはホントなんっスけどね。アギトさん、真っ青な顔してたから……」
感謝……しなきゃダメかなぁ。いや……うん、感謝しよう。とりあえず、これであの時のトラウマは克服出来た、と思うし。新しいトラウマが出来そうなくらいグロい結果が目の前に転がってるのは……うえぇ……
「……しかし本当にすごい威力っスね……あの竜だってこれなら……」
「まぁ……動いてる相手に当てられる自信は無いんだけどさ。お前らのこと避けて魔獣にだけ命中させるなんてのも無理……考えただけで吐きそう……」
そう、この魔弾はとんでもない威力なんだ。ミラの作ったものなのだからある意味当然ではあるのだが、それこそ彼女の魔術と同じくらいの威力は出ている。そんなとんでもないものを素人に持たせるなんて、とも思わなくも無いが……
「…………ない……」
「……? ミラ……?」
ボソリとミラは何かを呟いた。オックスと盛り上がっていたのと、さっきの魔弾の影響で耳鳴りがしているのとでよく聞こえなかったのだが……と。目を丸くしているミラに、何か言ったかと問いかける。
「……っ⁉︎ ううん、なんでもない! なんでもないのっ‼︎」
「……そう……か」
ぼうっと魔獣を眺めていたミラは、ハッとした様に僕の方を見て両手をブンブン振って否定した。なんでもない、とは思えない慌てぶりだったが……嘘つくの下手だなぁなんて考えながら、この場はスルーを選択した。変に問い詰める様なことでも無いだろうし。
「でも……いや、うへへ……魔具さまさま、ミラさまさまだよ。これなら俺も戦える。ちょっとはお前らのことも守ってやれる」
「アギトさん……」
少し照れくさいことを言ったかな。いや、でも実際そうだしな。この銃と魔弾があれば……うん。ミラの援護が無いといけないのは変わって無いんだけど、でもミラ一人を戦わせなくても……
「……アンタが言っても全然頼もしくないわね。もし全部使い切ったらちゃんと守ってあげるから、無理はしないでよ?」
「なんてこと言うんだお前は」
くそぉ! 全然頼もしい! まだ戦えるほど回復してないって言うのに! 笑いながら頼もしく無いと言われたことより、こんな状態のミラがまだ頼もしく見えることが大問題だ。長い間こいつに頼りきっていたせいで……いかんぞ、今はミラもロクに戦えないんだから。僕がしっかりしないと……
「……頼りにしてるわよ。私もすぐに回復するから」
「っ! おう、まかせろ!」
不意打ちにそんなことを言われると、嫌が応にも顔が熱くなるんでやめてください。不意打ちじゃ無かったら良いかって聞かれると……多分それも照れくさいんだけど。ミラの調子が戻るまでの間は、僕とオックスでこいつを守らないといけない。ミラの調子が…………?
「……ミラ? お前……魔力……」
「へ? ああ、うん。魔力切れじゃ無い……のよね。多分……」
再び灯った火球に、僕はふと疑問を……いや、もっと前からか。魔力切れでは無いことはあの医者に言われた時から分かっていたし、エンエズさんに言われたことで確信した。街で魔術が使えなかった時には、もしやと思いもしたけど……ランタン替わりに火球を出したことで、もう確定していた。さっきも途中で切れてしまったみたいだったが、魔術を発動させられていた訳だし……
「派手に魔力使ったから、どっかおかしいのかもしれないわね。ゴートマンに追いつくまでにはなんとかしたいとこだけど……」
そうだな。と、頷いて、僕らはまた夜の草原を歩き出した。使い切った筈の魔力が回復していた……ということと今の状態は関係しているのだろうか。それと……あの時のミラのことも……
この感情が不安なのかどうか。それが分からないことを、僕はたまらなく怖いと思った。




