第百五十七話
真っ暗闇の中の行軍、とでも言おうか。僕らは東を目指し夜の道を進む。ミラの灯した火球が無ければ足下すらおぼつかない様な劣悪な視界では、草原を歩くというだけのことがなんとも疲れるものだ。主に精神面が。そして、心疲労の原因は他にもある。
「…………」
昼間は和気藹々としていたというのに、今は誰もその口を開こうとしない。夜の静けさも相まって気が重くなる一方で、それでも軽口を叩ける様な空気でも無くこうしてみんなして黙々と歩いているのだ。
「……二人ともごめん。辛くなったら言って。見張りは私がするから、どこかで仮眠をとるくらいなら……」
「大丈夫っス。フルトでしっかり休んだ分体力は回復してるし、じっとしてる方が辛いくらいっスよ。あんなもん見せられたら……」
オックスは苦い顔でそう言った。それについては僕も同じだ。二人みたいに正義感からそう言っているんでは無いかもしれないけど、それでもあんな惨劇を見せられてのうのうと眠りに就く太い神経は持ってない。どうせうなされて起きるのが関の山。なら……満足するまで進んでやろうじゃないか。オックスに続いて僕も首を縦に振る。ミラは少しだけ困った様な顔をしてから、久しぶりに笑った。
「……ありがとう二人とも。次の街に着いたらしっかり休みましょう。どのみち戦う為には魔力も体力も必要になるんだから」
なら、今日休んでも一緒だったんじゃ? なんて無粋なことは言うまい。こんな嫌な気分で寝たんじゃ体も休まらない。空元気に明るく振舞おうとする彼女の姿を見ていれば嫌でもそう思う。まぁこの状況でぐーぐー寝られでもしたら、僕も人間不信になるけど。
行軍は続く。夜ってこんなに長かったんだな、なんてことをふと思う。かつては徹夜ゲームが当たり前だったと言うのに。久々の徹夜がどうのこうのよりも、自分が今無防備であることの恐怖が大きい。久々だ……それこそ、あの廃屋でミラに抱き付いて眠った時以来か。
「アギトっ! アギト大丈夫⁈ アンタ顔真っ青じゃない……」
「へっ……? あ、ああ……いや。って、お前よく顔色なんて分かるなぁ」
誤魔化さないの! と、ミラは僕の脈やら体温やらを測り始めた。そんなにベタベタくっつくとオックスが……なんてことも無いみたいで、彼も心配そうな顔で僕を見ている。そんなに余裕ない様に見えるんだな、なんて考えられている今のこの状況……もしかして走馬……いやいやいや!
「だ、大丈夫だって。ちょっと暗いの慣れてないだけだから……」
「……私が言うのもおかしな話だけど、無理はしないでね……?」
そうだな。と、頷いて、僕はミラに回れ右をさせた。今向いているべきは僕の方では無く先だ。そりゃあ可能なら早いとこ明るい街で、安全な宿で、いつも通りあったかい枕として眠りたいが……結局あの男の恐怖を振り払わなければ安心とは程遠い。たった数日であれだけの竜を……いや、或いはあの時あの山で出会った時点で……
「……そうだ。ミラ、あの竜相手に対策なんてあるのか……? あの時のあの大型三頭。あれの異常性がやっぱりゴートマンの仕業だとしたら……あんな量の竜があいつらみたいにしぶとく、獰猛に襲ってきたとしたら……」
「…………私達に出来ることは一つ。ゴートマンを叩く。魔竜の相手は極力避けて、最優先で本体を叩く。勿論、竜だって放ってはおけないけど……」
やはり正面衝突は厳しいと言うわけか。以前言っていた通り奇襲であの男を討ち倒し、魔竜は後々に一頭ずつ仕留める他無い。願わくば、飼い主の不在で竜の敵対心が無くなってくれたらいいのだが……
「それも込みでまずはキリエ、よ。なにも考え無しに出発したわけじゃないわ」
「……と、言いますと?」
はぁ。と、ため息をついてミラは僕の胸を小突いた。なんども言うけど、いつも説明が一言だなぁ。
「あの手紙がもし王都の騎士団からの……ユリエラ=イルモッド卿からのものだとしたなら、事情を話せば各方面へ使いを出して貰える。危険人物がいるから警戒する様に。と、私達なんかよりもずっと早く、確実に。そして何より、情報に信憑性を持たせられる」
「……なるほど」
まずは周囲の人々の安全を。そう考えるのは実に彼女らしい。確かに、竜を引き連れた怪しい男がいるなんて僕達が言っても、相手にして貰えない上に声が届くのは街一つで精一杯だ。だが、あの手紙が僕たちの元に届いた様に、ユーリさん達の力を借りれば手早く広範囲に情報を拡散出来る。あわよくば術師をこれ以上魔獣に変えられずに済む。敵の戦力増強を抑えつつ被害も減らすことが叶うと言うわけだ。
「それから……これは難しかもしれないけど、馬車を貸して貰えるかもしれない。戦力を貸して貰えるなんてことも……それはちょっと夢見過ぎかな。でも……今はそんな不確定でも縋るしか無い」
「…………蛇の魔女の時のことか……?」
オックスに聞こえない様に耳打ちすると、ミラはコクリと頷いた。あの時ミラは、ユーリさんを疑って掛かれと言った。タイミングが良すぎる、と。あれだけの戦力を僕達の救援に投入するくらいなら、何故最初から自分達で戦わなかったのか、と。そして何より、騎士団長自らが王都から離れたガラガダやアーヴィンにまで赴いたのか、と言う点も不審だ。もっと下っ端の仕事だろうし、あの時僕に斬り掛かってきたあの騎士を止めなければそれで話は済んだ筈だ。ミラを連行することだけが目的ならば、僕はそこらに落ちている小石と変わらないのだから。
「まるっきり信じ切っていい相手かどうかはこの際どうでもいい。呼び出しが何の為かも考えない。国の一大事になり得ると知れば動いてくれる相手と言うだけで、今は頼りにするしかないのよ」
悪どい奴め。なんてからかおうかと迷ったが……今は止そう。あんまり良い表情は見られそうに無いし。それよりもなによりも、早い所安全と言っていい場所に辿り着くことが先決だ。夜通し歩いた結果、ヘロヘロなままゴートマンと鉢合わせた。なんて事態だけは何としても避けたいが……それは向こうの魔獣の鼻と、ミラの本能との精度の比べっこだ。過信してはならないが、ミラの目も鼻も、僕からしたら第六感じみた魔力痕を見る目も頼りにしていい。
「……それにしても暑いっスね……フルトはこんなに蒸さなかったのに」
「そう……言われると確かに。風が少ないって言うか……湿度が高いって言うか……」
ほか三方の事情は知らないが、西は大山に塞がれている。海風が入って来難いという点では、どちらかと言えば盆地ということになるのだろうか? 大山にぶつかった暖気が雲になって、そのままこちら側に雨をもたらしているとか……
「……アギト、魔弾の管理しっかりね。たまに湿気を逃がしてやらないと威力も落ちちゃうの。雷魔術は天候の影響を受けやすいから」
「ああ、前に言ってた、その場の環境に応じて微調整が必要。ってやつっスね?」
そうよ。なんて、ちょっと嬉しそうにオックスの言葉に振り返ったミラの楽しそうな顔たるや。僕がどうにかして場を和ませようと、無い頭ひねって画策してたっていうのに……ちょっと魔術やら錬金術の話題になると機嫌が良くなって……オックスにばっかり……ぶつぶつ……
「魔具は後から調整効かないからね。環境の方を調整してあげないと、思った効果が得られないのよ。だから、ってわけじゃ無いけど……いつでも同じ様な威力が出るとは思わないで。振れ幅の少ない様に造ってはあるけど限界もある。思いもよらぬ威力が出て自爆した、なんてことの無い様に」
「ぶ、物騒なこと言うなよ……」
そんなやわには造ってないから安心なさい。可能性の話よ。なんて言われたが……なんでそんな不安を煽る様なこと言うの⁈ ちょっと⁉︎ もう腰に提げてるだけでも怖いんですけど⁉︎
「…………だから、なるたけアンタがそれを抜かなくても良い様にはするから」
「……っ! ミラ、まさか……」
コクリと頷いた少女の真剣な表情に、僕もオックスも背筋を伸ばして武器を構える。構えた魔具がナイフなのは……別にさっきの話でビビってるからじゃないぞ。使い慣れてるからであって……
「……もしかして、さっきの見えない……」
「ううん、違う。もっと大きい……うまくやり過ごせればそれに越したことは無いわね。二人とも、足音を立て無い様に」
もっと大きい…………? ふと、林にで見つけた大きな爪痕を思い出す。いや、まさか。だって林に住んでいるんなら、こんな何もない草原で出くわす筈が無い。それに街一つ挟んだ場所へそうそう移動なんて……
「…………っ! 下っ! バレてる……二人とも走って!」
ミラは突然大声をあげて僕の手を引いた。下……ということは、地中にいるってことか。いつか路銀稼ぎに倒した、サソリの様なカニの様な魔獣を思い出す。こんな見晴らしのいい場所で見えないってことは、そりゃそうだよな……なんて、感心している場合じゃないぞ、アギトよ。ぐんぐん加速するミラの背中を追って、僕らは短い草を踏みしめて走った。真夜中の行軍はまだまだ続く。