第百五十一話
まずは腹ごしらえだ。病室に集まり直し、役所に向かうということで話がまとまりかけた時、僕はそう言った。なんでかって言うと、朝ごはん抜きな所為でシンプルに空腹なのと……
「ばうっ! へっへっへっ」
「あははっ! よしよし、あっこらっ! くすぐったいって! あはは!」
この笑顔を守りたいと思ってしまったからだ。だから……だからもっと早くに行動すべきだったんだ。少なくとも、ミラからポチ(仮)改めヴェルグルハイド(謎)を取り上げておくべきだったんだ。
「ちわーっス。今朝は誰も来ないし、来てみたら犬と遊んでるし。オレ、もうグレるっスよ……?」
「ははは……いや、ごめん。犬で立て込んでるとこに屋根の補修とかあったからつい……」
オックスはからかう様に笑ってそう言った。忘れていたってわけじゃ無いが、行く余裕も無かった。とでも言おうかな。とにかく申し訳無い。もう腹ペコっスよ。なんて嘆く彼の為にも、やはりまずはお昼ご飯にするべきだ。ポチ(仮)は……流石に飲食店に連れ込むのはマズイ気もするがどうだろう。病院が犬を黙認しているこの衛生観念ガバガバな街で、果たしてどこまでが咎められないラインなのか測りかねるな……
「しかし……ミラさんってこうしてると……」
「ストップ。止すんだオックス。それ以上はいけない」
僕は静かに首を横に振って彼の言葉を遮った。いけない……犬に遊んで貰ってる小さい子なんて言っちゃいけない。それは彼女の自尊心を著しく傷付けかねないもので……
「だ・れ・が? 小さい子だって?」
「…………おっとぉ……そうか。声に出ていたのかぁ……そうかぁ……」
久々にいいパンチを貰った。なるほど……もう元気一杯みたいだね。足のギプスさえ取れれば全快って所かな。でもダメだな、腕が落ちている。最近は殴っても鼻血が出ない様に、上手に殴ってたじゃないか……それがこれとは……
「ふっ……ミラも衰えた……な…………がくっ」
「なっ……えっ……ご、ごめん! 加減間違えた⁈」
もうダメだ……膝に来ちまってるよ。崩れ落ちてベッドに寄りかかる僕を、心配そうな顔でミラとヴェルグルハイド(謎)が覗き込んでくる。やっぱり長いし変だって……その名前は……
「くぅーん……」
「はは……お前は利口で優しい奴だな……」
ポチ(仮)はふんふんと鼻を鳴らしながら僕の懐へと潜り込んでくる。ああ……犬、いいなぁ……飼ってみたいなぁ……なんて考えていると、もう一頭の小型犬もオロオロしながら背中をさすったり頭を撫でたりして……犬……いいなぁ……っ!
僕の回復にそう時間はかからなかった。慣れって恐ろしいね。予定通り、僕らは久々に三人で外食に……そう、三人で。エルゥさんはまだお仕事の途中だから帰ってしまったのだ。寂しいが仕方の無いこと。仕方の無いことだから……お願いだから、ポチ(仮)を返す時に駄々こねないでね?
「……久々っスねぇ、こう言うのも。まさか、こんなに長引くとは……」
「無茶なんてするから……」
店に入るや否や、パンチの効いたチーズの匂いに僕らの胃袋は決定権を失う。今日はガッツリコッテリ食うぞ。ピザでもパスタでもなんでも来い! こっちの体はまだまだ脂っこい物も全然苦にならないからな!
「オックスももう大丈夫そうね……うん。名残惜しいけど、明日出発しましょう。あの手紙のこともだけど、何よりゴートマンを放ってはおけない」
「……そう、だな。急がないとって話だったんだもんな」
悪い思い出もたっぷりあるが、名残惜しいと言えるくらいに楽しい滞在だった。エルゥさんの存在は大きかっただろう。少し歳上だが、ミラにも同性の友達が出来たってのは彼女の為にも良い刺激だったと思う。アーヴィンではずっと背伸びして、友達付き合いって感じじゃ無かったし。
「ゴートマン……っスか。その……それで、対策はあるんスか? 前に奇襲で倒すなんて言ってたっスけど……裏を返せば、正面からじゃ分が悪いってことっスよね……?」
「策はあるわ。でも、上手くいく保証は無い。もしダメだったら……二人は全力で逃げること。って言っても、逃げてくれないのは思い知ってるけど」
そう言ってミラは、両手を顔の前で合わせてご飯を食べ始めた。策はある……か。この考えはとても悪いもので、今すぐに自分を殴りつけてやりたくもなるのだが……それでも——それでも、あの力に頼りたいと思ってしまう自分がいる。
——ミラ=ハークス=レヴ。彼女が知らない、もう一人のミラ。彼女は自分を兵器だと呼び、そしてそれに相応しいだけの破壊力を見せつけてくれた。ゴートマンという単語が出る度に、僕は彼女のことを思い出す。だが、それを相談出来る相手もいない。それに……
「……? ふぁふぃふぉ?」
「…………飲み込んでから喋りなさい」
こいつにあまり危険なことをさせたくない。あの少女は、少しと言わず大概が規格外だ。アレが何であれ、ミラにもうあんな顔をして欲しくない。と言うのがまず第一。第二に、ミラが死んじゃうくらいならあの力に頼ってでも生き延びて欲しいと思い、第三でやっと僕が守ってやろうと思えるのは……情けないのか、はたまた自己分析がしっかりしているのか。
「アギトさん、食べないんスか? 早くしないと…………飲み込まれるっスよ……」
「飲み……っ⁈ あれっ⁉︎ 俺のチキンサンドはっ⁈」
考えごとなんてしている場合じゃなかった。ここは戦場だ。オックスの視線の先には嬉しそうにサンドウィッチを……僕のサンドウィッチを貪る少女の姿があった。なんていい笑顔で…………っ⁈ まっ……まままま待って⁉︎ それ僕の食べかけ……なんてもう今更思うまい。よし……そっちがその気なら…………やってやろうじゃねぇか‼︎
「ッ‼︎ むんんーーーっ‼︎ ふぁふぃふぉッ‼︎ 〜〜っ‼︎ ッッ‼︎」
「何言ってるかわかんねえよ! 先に盗ったのお前だろうが!」
騎士たるもの常在戦場の心構えで、などとカッコいい事を言ってるんじゃない。食卓とはつまり戦場、ここは間違いなく奪い合いの場なのだ。なぜ平和に食べさせてくれない。そんなに病院食が不満だったか。
「…………二人とも……もうちょっと静かに食べて欲しいっス」
そんなこと言ったってコイツがっ‼︎ 僕らは心行くまで戦争を……もとい昼食を堪能した。なんていうか……イタリアン! いや、そんな洒落たもの食べたこと無いけど。
昼食を終え外に繋いでおいたポチ(仮)を連れて役所に向かうと、エルゥさんが出迎えてくれた。どうやらこの子の名前はティーダと言うらしく、今はもう飼い主がいないらしい。ミラはそのことを聞いてとても悲しそうな顔をしていたし、僕もオックスも良い気分では無かった。
「……なので、その子は私達が預かります。引き取ってくれる方が現れるまで、ですけどね。なので、ここに来ていただければいつでも会えますよ」
「そう……ね、うん。ばいばい、ヴェル……ティーダ」
ミラは泣かなかった。彼女の強さを見誤ったのは、最近情けない姿ばかり見ていたからだろうか。トボトボと歩くミラのことを励ます様に、ティーダはその背中に吠えて見送ってくれた。さて……それじゃ、僕にも出発に向けてやらなくちゃいけないことがあるよな。
「……なぁ、ミラ。もう一回。最後に一回だけ、強化魔術での訓練をして欲しい」
オックスは新しい力を手に入れようとしている。いや、僕が屋根と格闘しているうちに、案外もうモノにしているかも知れない。彼に置いていかれるのが嫌だとか、そんな思い上がった動機ではない。彼ですら——怪我人のオックスですら頑張って進んだのだ。僕も頑張らないといけない。今朝のエルゥさんの言葉を嘘にしない為にも、二人の為に頑張れる素晴らしい人にならないと。
「分かった。でも、ちょっとだけよ? 魔力も温存したいし、何よりアンタの負担が大きいんだから」
「はは……出来れば最初からそういう方針でいて欲しかったな」
僕らはその足でまたあの空き地へ……あれ? どこ行くの? 空き地はこっち……あ、もしかしてもっと良い場所見つけたとか……
「いませっかくご飯食べたのに、全部出しちゃたらもったいないじゃない。ちゃんと消化してからよ」
「…………失敗する前提かよ。いや、失敗すると思うけど……」
なるほど、彼女の言う通りだ。病院へ帰って理論から説明してくれるんだって、わぁ有難い。有難いけど……きっと期待には答えられないのだろうな。魔術の話は正直言ってちんぷんかんぷんだ。嬉しそうに話すミラが見たいから止めることはしないけど、全然頭に入ってこない。でも、今日の授業はちゃんと聞いておかないと……すぐに小テストあるからなぁ。
その日もやはり、僕は強化状態での運動を会得することは出来なかった。それでもミラは笑って僕の手を引いてくれたから……まだ諦められてはいないんだろうな。と、前向きに受け取ってみる。明日も早いし、もう寝ましょう。なんて言って背中に貼り付いたミラの声が震えていたのは、やはりエルゥさんとの別れが惜しいのだろうな。今日、僕から言っておくべきだった。出発直前にそれを告げさせるのは彼女には少し酷だと、気付いたのはもう眠る直前のことだった。ああ、本当に気の利かない男だな……




