第百四十九話
顔の辺りに体温を感じる。なんというか……ゴワゴワというか……毛髪感というか……うん。またミラが寝ぼけて回り込んだんだろう。或いは僕が寝ぼけたか。とりあえずアレだ、こう……女の子相手に使う言葉じゃ無いのは重々承知の上で…………
「……ケモノ臭い……」
まあ……仕方の無いことだろう。あ、先に断っておくと、ちゃんといい匂いもしますよ? でもこう……隠しきれない獣感というか……野生感というか。まあ、ギプスしてたりでちゃんと洗えない部分もあるからね。女の子というだけで無条件でいい匂いがするわけではないのだな、うん。
「ばうっ! へっへっ」
「…………ばう?」
顔面をベロベロと舐められた。な、なんだなんだ⁈ いくら食い意地はってるからって、そんな寝ぼけ方は……
「へっへっへっへっ……ワンっ‼︎」
「…………はい?」
目を開けると、そこには目を爛々と輝かせた一頭の犬がいた。なんて犬種だろう、とりあえず垂れ耳の大型犬で…………どこか…………誰かに似ているような…………?
「…………っ⁉︎ お前…………お前なのか……? 前々から犬っぽいとは思ってたけど…………まさかミラ……なのか……?」
「わふ? バウっ!」
頭を撫でてやると嬉しそうに顔を近づけて来た。そんな……なんで……? だって、昨日確かに一緒に……っ。そうだ……と、先代魔術翁のことを思い出す。この世界には獣人という生き物が存在する。そしてそれは、どうしようも無いことに迫害される存在であって……ミラはそれを隠して……っ!
「ミラ……大丈夫だ……俺は一緒にいてやるからな……」
「ばうっ!」
はは、こらこら。顔を舐めるなって。まったく、甘えっぽいのは変わらないんだな。よしよし、でも……もう人間の姿に戻ることは出来ないんだろうか……? もしそうなら……オックス達になんて説明しようか。市長になりたいって言うこいつの夢も……
「んん……むにゃ……アギトぉ…………ケモノ臭いぃ……」
「…………はい?」
首元でなにかがもぞもぞと動いた。いや……うん、当たり前だよね。振り返れば、もう一頭の小型犬……もとい、ちゃんと人間の姿を保ったままのミラが眠りこけていた。はい……流石に一晩で人が犬になるなんて…………ごめん、ミラ。ちょっと本気で心配してたわ。
「くぅーん……わふ……」
「……はは、ありがとうな。起こさない様に静かにしてくれるんだ。賢いやつだな、お前」
わしゃわしゃと撫でてやると……いかん、本当にミラに見える。一度しっかり意識付けをしなければ。ミラは後ろにちゃんといるから……ほら、後ろの今にも噛みつきそうな……いっでぇ! 犬かお前は! 噛むな!
「おはようございまーすっ! お二人とも、朝ですよーっ!」
「お、おはようございます。朝から元気ですね」
元気一番、ギルドの看板娘兼元気印のエルゥさんが飛び込んで来た。はて、今何時だ? と、時計を見ると、もう九時を回っているじゃないか。いかん、昨日長風呂しすぎた。オックスはもうとっくに起きて……っと。先にこれを解決しないといけないな。エルゥさんはすっかり固まって目を丸くして僕らを……否。僕らのすぐそばで尻尾を振っている犬を見つめていた。そうか……この犬はエルゥさんの差し金ではなかったか。
「ワンちゃん! ワンちゃんだーっ! えへへ……ほら、おすわり! お手、おかわり、ちんちん! よしよし、賢い子だ。へへー……かーわいい……どうしたんですかー、この子?」
「いや……起きたらそこにいて……俺にもなにがなにやら……」
ちんちん。ちんちん……ちんちん…………おっと、いかんいかん。それは別にいかがわしい単語として発せられたわけでは無いのだ、違うのだぞリトルアギトよ。お前のことじゃ無い。ごほん。だが……やはりこの犬の場違いなことに変わりは無い。てっきりエルゥさんが脅かす為に……とばかり思っていたが。と言うか、病院内に犬て。衛生意識どうなってんだこの世界は。可愛いからいいけど……いや、ミラとオックスの傷口からばい菌でも入ったら……うん。可哀想だけど、この子には外に出てもらって……
「ばうっ! くぅーん……」
「……んん……」
体を起こした僕から剥がれ落ちる様にミラはベッドに取り残され、それを心配するみたいに、僕とミラとを何度も見比べながらポチ(仮)は小さく鳴いた。違う違う、それは別に僕の体の一部じゃないよ。もげたりちぎれたりしたわけじゃないから、もともと別部品なの。そう諭すとすぐに理解したようで、嬉しそうにミラの首元に鼻先を突っ込んで匂いを嗅ぎ始めた。ああ……そんなに激しくしたら……舐めたりしたら起きた時不機嫌になるって。
「ばふっばふっ……わうっ!」
「…………んん……えへへ……くすぐったいよぉ……むにゃ……」
あ、違う。これはアレだ、子供の毛づくろいをする親犬の姿だ。ベッドに平然と乗り上げてきてミラのそばに腰を落ち着けると、ポチ(仮)は首元やら胸元やら……い、いかん。あまり激しく舐めたらダメだぞ、ポチ(仮)よ。色々と緩いから……その子色々と緩いから! 見えちゃうから……見え……見え……っ! もうちょっと……
「……えへ……もう……くすぐったいってばぁ……あぎとぉ……」
「ばうっ! わふ……ワンっ!」
ん……うん? あれ? 僕と間違えてるの……? 寝ぼけてチョークスリーパーをかけた……もとい、ポチ(仮)に抱き付いたミラは、その感触の違いからか、それとも鳴き声でか、あるいは獣臭でか。とにかく、寝ぼけた顔のままゆっくりと瞼を開けた。
「…………アギト……? アギトっ⁉︎ アンタ……何で……そんな……っ⁈」
「おい」
流石にそれは看過出来ない。と、寝ぼけたミラの背後から脳天にチョップをかます。人を犬と間違えるなんて、失礼なやつだ。ほんと、なんて失礼な……っていうか、僕はそんなに犬っぽさ無いでしょ。間違えようが無いよね? ねえ?
「…………アギト……? わぷっ⁈ えへへ、こら。ひゃうっ! もう、くすぐったいでしょー……えへへ」
「ばうっ! へっへっへっ」
犬と戯れる犬。うん、やっぱりお前の方が犬っぽい。もしかして、僕がミラを撫でてる時ってあんな感じなんだろうか。デレデレとした顔でポチ(仮)の首元をがしゃがしゃ撫で回すミラの姿に、少しだけ恥ずかしくなる。もしそうなら、僕も相当デレデレしてることに……
「えへぇ……アギト、どうしたのこの子? ふわっ⁈ あはは! こーら、もう。くすぐったいって!」
「ああ……朝起きたらなんかそこにいて…………ごくり」
見え……見え……っ⁈ ち、違う! 決してやましい目でなんて見てないぞ! ちょっとこう……アレだ。胸元ゆったりした服着てるから、ちょっとポチ(仮)がぐいぐい行くと……行け……っ! もう少しだポチ(仮)……っ! 押せ……っ!
「ふーん……ほら、よしよーし。なら、飼い主探しに行かなくっちゃね。こんなに人懐っこくて、野良犬って線は薄いでしょう」
「…………はっ⁈ そ、そうだな、うん」
ミラがそう言って振り返るまで、僕はただ一点にのみ集中していた。な、なんだって? バターが……じゃなくて。飼い主を探すんだな、任せろ。ちゃんと話聞いてましたよ……? ええ、なにもやましいことは……ええ。
「でへへ。可愛いですねぇ、ワンちゃん……じゃなかった! おはよう、ミラちゃん……でもなくて! 今日は皆さんに……と言っても怪我人だらけなんで、実質アギトさんにお願いがあって来ました!」
「ああ……やっぱり犬は関係無かったのね……って、俺に?」
犬は関係無いです。と、バッサリ切り捨てるその姿に、少しだけ寂しさを覚えた。仕事は仕事、公私をしっかり分ける出来る女。なるほど、いつまでもポチ(仮)にべったりなミラとは違うのだな。さっきまでの夢中っぷりからの温度差がすごい……
「はい。と言っても、魔獣討伐なんて危険な依頼では無いのでご安心下さい。依頼主はここ、病院の院長です」
「院長……はっ⁉︎ ま、まさか、ミラが毎晩こっそり知らぬ間に食べ物を盗んで……」
脇腹に一発いいのが入った。くっ……こいつ……っ! 回復して来ている……っ! 全快とは程遠いものの……へっ、いいパンチじゃねえか……ぐふぅ。
「あはは……実は最近、雨漏りがするとかで。ほら、先日も雨が降ったでしょう? そろそろ放置出来ない所まで来たので、屋根の補修をお願いしたいそうです。お医者さんは忙しいですし、若者はこの街にいませんからね」
「そこで冒険者に白羽の矢が……まぁ、他の冒険者じゃそんなことやりたがらないだろうなぁ。報酬も少ないだろうし」
はい……ごめんなさいぃ……と、俯いてしまったエルゥさんに大慌てでフォローを入れ、僕はその依頼を快諾した。うん、だってそれくらいしか出来な…………屋根の補修……っ⁈ で、DIY……出来るのか……僕に…………? とにかくやってみよう。その後に……ポチ(仮)の飼い主探しだ。ほら、そんなにべったりだと別れる時辛くなるぞ。聞いてるか? ミラ? おーい?




