第百四十八話
さて、こんなもんだろうか。なんて一息入れたいのだけど、後ろの少女がそれを許さない。見張られていて手を休められないとかそんなんでは無く、花渕さんがせっせせっせとポップを作っているからだ。僕はこんなもんでいいか、なんて気の抜けたことは出来ない。僕も一緒に頑張ろう。
「とりあえずチラシは作れたから、あとは印刷して配るだけだね。これは業者にお願いしとくよ。そっちはどうだい?」
「こっちもぼちぼち終わりますよ。これ終わったら陳列の仕方を考えないといけないし。店長、どれがよく売れたとか客観的に見れる伝票とか残ってる?」
いやぁ、ははは。と、笑う店長に、花渕さんの機嫌は悪くなった。うん……だって、この店のシステム的にそれは無理だ。バーコードで管理されてるわけでも無い、アナログに一個一個値札を貼って値段だけレジに打ちこんで……うん。個人店なんてどこもこんなもんじゃないのかな? んまあバーコードなんてもの、僕はしばらく目にしてないけど……
「ま……それもそうだよね。でも、何がよく売れてるかってくらいは多少覚えてるでしょ?」
「うん、それは大丈夫。僕の方でも売れ筋はいくつかピックアップしておくから、二人もお客さんの反応が良かったパンに覚えがあればお願い」
はーい。なるほど、お客さんの反応が良かった…………くっ、そんな細かいとこまで見る余裕なんて無かった……っ! 粗相しないことばかり考えてやってましたとも……
「じゃあおっさんは…………」
こうしてついに動き出した板山ベーカリー再建……復興…………? どちらにせよ、出来たてのパン屋に使う言葉じゃないな。ごほん。売り出し計画をついに始動させた。うん……本当に長かった。
死んだように眠って次の日、さあやるぞ! と言いたいところだが、僕はお休み。なんでかって? 人手が余ってるんだよ、売り上げの都合で。あとは連勤がどうのこうので。ともかく、せっかくのやる気を持て余した僕の一日が始まる。もはや人として終わってないか?
「くそぅ……こんな日は一日中ゲームするしか……」
デンデン氏も、基本的に日中は一緒に遊べない。仕方ない……いや、むしろこれが自然な展開だ。僕と言えば——アギト(ゲー廃のすがた)といえばFPSで、つまりAoWだ。随分久しぶりにやる気がするが、果たしてアップデートとか入ってないだろうか。ゲームで一番嫌いなのは理不尽ラグで、次点にクソ長ダウンロードだ。モチベーションが……っと、よしよし。ちゃんと起動出来るな。おーし、早速フレを募って……
「アキ。ちょっといいか」
僕の至福のひと時は、兄さんの一声に邪魔された。はいはい、何でしょう。どうせ僕は一日中暇なので、ちょっとどころか大体いいですよ。
「うん、なに? 兄さん」
「ちょっと久しぶりにな、二人で出かけないかと思って。俺も今日は休みだからさ」
それは久しぶりも久しぶりな兄弟揃っての外出の誘いだった。うん、全然行く。ゲームもそりゃ惜しいけど、やっぱり兄さんとは色々したい話もあるし。ところで、兄さんってなんの仕事してるんだろう、とか。家族のことを一切知らない。そういう時間も、これからは取り戻していかないと。
「行くか、そうか。なら支度が出来たら言ってくれ、俺ももう準備しちゃうから。動きやすい格好で……帰りに服も買ってくるか」
「ははは……いや、本当に気を使わせて申し訳ない……」
動きやすい格好もなにも、外に出られる格好をすると、二人に買ってきて貰ったお外行き用の服しかないのだ。お外行きとかなんとか言っても、全然大したブランド品みたいな物とかでもないけど。だから、本当に動きやすいも何も……ジーパンとポロシャツしかないんだ!
さて、兄さんは支度が出来たら呼んでくれと言っていたが、果たして何をするのだろう。重労働は嫌だなぁなんて考えながら兄さんの部屋に向かうと、少しだけ嬉しそうな声で返事が返ってきた。何か楽しいことをするんだろう……楽しいことをするんであって欲しいな……
「よし、じゃあ行くか」
「車で行くの……?」
兄さんは、玄関に置いてある鍵入れのカゴから車のキーと家の鍵と、それからいくつか僕の知らない用途不明の鍵のついたキーケースを手に家を出た。頷く兄さんに僕も続いて家を出て……鍵よし。しっかり指差呼称して、兄さんに言われるがままに車に乗り込んだ。どこに行くのだろうという僕の疑問は、あっさりとそこで晴れることとなった。見れば、後部座席に釣り具が積まれているじゃないか。なるほど。
「久しぶりだなぁ、お前と釣りに行くなんて。小学生の時に親父に連れて行って貰った時以来か?」
「かなぁ……そうだね」
随分と昔のことだ。兄さんは何回か友達と一緒に川釣りをしたことがあって、全然餌もなにも付けられない僕の手伝いをしてくれて。はて、このころから既に大分おんぶに抱っこな感じが……?
車でしばらく走って、ようやく見覚えと言えるくらいに馴染んできた街並みも抜けて。さっき思い出した、父さんに連れられてやってきた河川敷に到着した。うん、ここは変わってない…………と、思う。うむむ、流石に昔の記憶過ぎる。それも一度見ただけの景色だからそんなに覚えてない……
「ここも随分変わったな……」
「…………っ⁉︎ そ、そうだねっ」
変わっていたらしい。なんてこったよ、もう全然わかんない。一体何が変わったっていうんだ。別に堤防が必要な程大きな川でも無いし、実際そんな新しく作られた物があるようにも見えない。水が汚くなって魚が少なくなったとか、そういう話なら僕にはてんで分からな…………いや。ふむ……昔と比べてという意味なら全然分からないけど、この川が綺麗かどうかということならよく分かる。
胸が少しだけ痛んだ。僕は本当に綺麗な川……清流とでもいうのかな? とにかく、生き物の豊富な河川をあちらの世界でいっぱい目にしてきた。つい最近は船に乗って海にも出た。だからこそ、見た目こそ綺麗でも、生き物の感じがあまりしないこの川の寂しさを肌で感じることが出来る。きっとこの川には、そう多くの生き物は住んでいないのだろう。兄さんが言いたいのはそういう……
「昔はもっと人がいたもんだけどな。今の子供には川釣りなんて流行らないのかな……」
「ッッ⁉︎ そ、そうだねっ!」
全然違ったわ。恥ずかしい! 穴があったら入りたい! なんだったんださっきの僕の傷心は! 自然愛護の心を大切にしよう、みたいな学校の授業で使うペラい冊子に載ってる漫画みたいな思いはなんだったんだ!
「……言ってても仕方ないか。アキ、荷物下ろすの手伝ってくれ」
「うん、分かった」
そしてすぐに僕らは釣りを始めた。だが……やはり僕の感じた通りこの川には中々魚なんていない様で、小一時間しても竿はピクリともしなかった。もしかしたら、釣れなくなってしまったから人気も少なくなったのかもしれないな。
「……釣れないなぁ。まあそんなもんか。子供の時とは違うんだろうな、川そのものが。見た目じゃわからない変化が起きてるんだろう」
「…………そうだね。少し寂しいね、それは」
兄さんはリールを巻いて竿を引き上げた。どうやら場所を変えるらしい。僕も移動してみようか……っ⁈ 足がっ! 足が痺れっ⁉︎
兄さんは少しだけ上流に行った。僕もついて行ったのだが……ここにも魚のいる感じはしない。もう少しだけ歩いてみる。と、兄さんに伝えて、僕はまたさっきまで座っていた場所に戻る。そして目を瞑って……あの山でやった様に、自分の身を守る為に全神経を研ぎ澄ませる。やはりと言うべきか、意外なことにと言うべきか。アギトとして培った感覚が、秋人にも多少は備わっているらしい。分かる。魚のいる場所がよく分かる。そこからさらに少し下流へと向かえば、確かに魚の跳ねる音がした。姿も見える。ここなら……
「……兄さんより先に釣ったら、どんな顔するかな。意外と負けず嫌いだからな……」
さあ、勝負だ兄さん。そして現代の自然よ。僕はあの雄大な自然に揉まれて生きているんだ。お前達のことなんて手に取るように分かる。さぁ……さあ‼︎
僕らはしょんぼりした顔で帰途就いた。釣果は兄さんがハゼか何かを二匹釣って、肝心の僕はボウズ。魚の居場所も動きも感知出来ているのに……何故だっ‼︎ 僕の感覚は間違ってなかった筈なのに!
「釣れなくなったなぁ……川も、俺も」
「うう……あそこにいた筈なのに……」
兄さんは笑ってまだ経験値が足りんなと言った。釣りか……あの少年を誘ってやってみようかな。案外そういうの得意そうだが……うーん。生まれは内地、育ちも山の麓。川らしい川もそう多くなかったし、案外やったこと無いのかも。川辺は危ないとかあるかもしれないし。
「……楽しくは無かっただろうけど、ちょっとは気分転換になったか? 自然の中でボーッとするだけでも、多少頭がスッキリするから。お前は昔から考え過ぎるきらいもあるし、たまには散歩とかもいいぞ」
「はは……確かに、引きこもってばっかりじゃね」
はい、知っておりますとも。貴方の居ないところで、貴方の知らない場所で。僕はとても綺麗な自然に囲まれた生活をしていますもの。うん……とてもおっかない場所だけど。だが……そうだな。たまには、この現代の自然を感じるのも悪くないかもしれない。秋人の生まれた、この世界の自然を。
さぁて、晩御飯に兄さんの釣ったハゼと、帰りに買ったキスと椎茸とサツマイモの天ぷらをたらふく食べて現代も満喫したことだし……
「ゲームもいいけど……明日は多分、早いからな」
デンデン氏のお誘いも断って、僕は眠りに就くことにした。うん……生活サイクルがおじいちゃんだ。まだ九時前だって言うのに、もう結構眠たいし……このまま…………はっ! 風呂! 着替え!




