第百四十二話
「オックスー。入るぞー」
昨晩、ミラは言っていた。医者も驚く程の回復力を見せていると。それが若さの力なのか、本人の言う通り鍛えているからなのかはわからない。むしろ、あの過剰とも言える栄養のお陰なのでは無いか、と。成長には使われない癖に、行き場を無くしていたカロリー達が総動員でその体を修復しているのでは無いかという説を僕は推していきたい。ごほん。オックスの返事を待って、僕らは病室へと入った。
「おはようっス。って、ミラさん。もう歩いて大丈夫なんスね」
「ええ、先生はギプスはまだ取っちゃダメって言ってたけど。もう普通にしてる分には痛くもないわ」
そんな彼女はもう一人で立って歩いて……うーん、なんというか…………少しだけ名残惜しいと言ったら不謹慎だろうか。もうちょっとだけ頼って貰えるシチュエーションが続いてくれても良いのに。
今朝からオックスの部屋に来た理由を、僕はまだ聞いていなかった。オックスはミラと違ってまだ無茶出来無いのも、先日目で見て理解している。そんな彼に、一体なんの用事だろうか。
「ボルツを出る時言ったわよね、剣術は教えらんないけど魔術なら教えてあげられるって。どうせジッとしてるだけじゃ落ち着かないでしょ、お互いに」
「……ってコトは……っ! なんか教えて貰えるんスね⁉︎」
その言葉にオックスは目を輝かせて、ミラもそんな彼の姿に笑顔で頷いた。オックスはそもそも、ゲンさんが戦い方を教えてくれないと、強くなりたいと言って付いてきたことは忘れていない。だが……魔術ということは、だ。
「あのさ……その、俺にも出来る魔術って……」
「アンタには無理よ。難しいとかそう言うんじゃなくて、根本的にそう出来てない。前魔術翁も言ってた通りよ。アンタはどうあっても魔術の類は使えない」
ですよね……と、肩を落とす。と言うことはアレか、僕は仲間はずれか。そうですか……
「あの時使ってた魔術、アレはご老人から習ったの?」
「そうっス。オレは元々魔術を少しだけ齧ってたから……本当に少しだけ、子供のお遊び程度っスけど。風魔術の触りだけ少し出来たんで、先生が面白そうだからって」
面白そうだから……とは。いや、確かに凄く——すっごくカッコ良いし、そういう意味ではとても面白い技だとは思うけど。なんともゲンさんらしい理由というか……
「魔術は未熟でも剣術に……いえ、剣自体に魔力を乗せて斬撃と共に解放させる。一時的に、剣に魔具の様な特性を付与させていたってわけね」
「魔具の様な……って、魔具の精製って難しいんじゃなかったのか?」
余計な口を挟まない。とか怒られるかと思ったが、どうやら彼女は好奇心に対してとても寛容な様だ。ふふんと鼻を鳴らして、誇らしげに説明をしてくれる。
「魔具の精製が難しいのは、魔力特性を付与する点じゃないわ。付与した特性を維持することが難しいの。だから、下手くそが作ったポーションなんかは時間が経つにつれて効能も減っていくし、最悪すぐに腐った水になるわ」
「……なるほど。発電は簡単でも蓄電するのは難しいと」
そんなところ。と、彼女は頷いた。手回し発電機は防災用のラジオに付いていたっけ。だが、それで充電するとなると、電力も多量に必要だし、専用の充電器と対応した電池と……色々要るのだ。なるほど、そう考えれば納得だ。
「魔具は込めた魔力を長い間保持しなくちゃいけないからね。さて、話を戻すわね。見たところ、オックスは魔力量も並程度にはあるし……と言っても、術師から見たら全然少ないんだけど。それでも、ある程度の魔術なら行使出来るくらいの量は持ってる」
「魔力量っスか」
うんうん、楽しいよな。楽しいとも。パワーアップイベントは胸が踊るよな。前のめりになって聞いているオックスに、僕は一人そんなことを考える。うんうん……そうさ、パワーアップイベントは……楽しいんだ……ぐすん。
「だから……その魔術を練習する傍ら、新しい魔術を覚えてみない? 他の属性の適性は分からないけど、風属性は鍛えて来た分馴染んでるから、それを活かした魔術を」
「っ! 是非っス!」
新しい魔術を覚える……と、そうあっさり言ったが、そう言えばまだ僕はそのことを全然知らない。魔術って……あれってどうやって習得するんだ……? レベルアップで自動的に覚えるなんてことも無さそうだし……折角だ。と、それについてもミラに尋ねてみた。
「魔術を覚えるってのは、魔術式を覚えることと同義と思っていいわ。魔術式ってのは言霊や魔術陣のことね。どっちでも構わないけど、簡単なのは魔術陣を描く方。言霊だけで済ませるのなら、その分の魔力変換は頭の中で自分でやんなくちゃいけないからね」
「…………よし、全然分からん」
少しだけ元気になって威力の戻ったツッコミを脇腹に貰った。息がっ……息が止まるっ! と、なりかねないあの頃の威力とは程遠い、可愛いものだが……地味に痛い!
「必要なのは魔力の発生と変換、そして放出。必要な分だけの魔力を、必要な属性や特性に変換して、必要な分だけ放出する。多くても少なくても望んだ結果は得られないわ。この時に、個人の持ってる魔力特性によって、得意な魔術と、苦手か、最悪まったく出来ない属性の魔術が出てくるのよ」
「あー……えっと、あれか。ボガードさんは水が苦手って言ってた奴だ」
よく覚えてたわね。と、少しだけ嬉しそうに驚いたミラに僕も嬉しくなる。この先生は良い。褒めて伸ばすタイプだ。可能ならつきっきりで僕も教えて貰いたいのだが……何故、僕には魔術を一切使えないなんてバッドステータスが付いているんだ!
「……って、もう。アギトの所為で話が進まないじゃない。なんだったっけ。そうそう、新しい魔術を、って話だったわね」
「忘れないで欲しいっス……」
それについては本当にごめん。暫く僕は黙るとしよう。オックスにミラは一体どんな魔術を教えようと言うのだろうか。それは僕もとても気になっているのだし。
「ズバリ、強化魔術よ。魔術師になろうなんて人間は基本的に体を鍛えるなんてしないし、魔力量もズバ抜けてるから普通の術師に弟子入りしたんじゃ絶対に教わらない。でも、これは魔力消費の少ない便利な魔術なのよ。体術や剣術も練習しなくちゃならない、有り余る魔力も有効活用出来ない。そんな魔術師が本来なら目もくれないような魔術を、私は貴方に教えることが出来る」
「……強化魔術……っスか……」
それって……いつもの揺蕩う雷霆って奴のことっスか? と、オックスは尋ねた。ミラはそれに小さく頷いてまた説明に戻る。
「そうね、あんな感じの。それで風属性の魔術ね。雷魔術は複数属性を纏めなくちゃならないから難しいのよ。天候や気温なんかの環境条件によって、その場その場での調整も必要だしね」
そうだったのか……と、一人頷いてみる。なに、仲間はずれで寂しいとかそう言うんではない。ミラの言っていた五属性に雷とか電とか無かったよなー、って普段から気にはなってたんだ。寂しいとかじゃないって……本当だって……ぐすん。
「風属性は少し難しいけど、応用が効きやすいのも特徴ね。さて、教える魔術なんだけど……取り敢えず、やって見せましょうか」
「「…………え? ここでやるの…………?」」
そんなに危ない奴じゃないから安心しなさい。と、困った顔で彼女は笑った。普段目にしている強化魔術がアレなもんだから……どうにも安心出来ない。
「……ふーっ……掬い上げる南風——」
突風が吹き荒れるのではないかと身構えていた僕らの頰を、爽やかな風が撫でた。そしてバタバタとシャツをはためかせて……ボタン留めてからやればよかったのに。いや、それもかっこいいけどさ……男心くすぐるけどさ! でも、邪魔そうに見える。ともかく、シャツをはためかせてミラは小さく浮遊した。
「…………っ⁉︎ 飛んっ…………っ⁉︎」
「飛んではないわよ……姿勢さえ維持すれば、少し浮くくらいなら出来るってだけ。これは、自分の体を風に支えて貰う魔術とでも説明しようかしら」
そう言ってミラはゆっくり、それはそれはゆっくり。風に舞っていた綿ぼこりの様にゆっくり着地して、そのまま……仰向けに倒れていった。
「っ⁈ ミラっ!」
「大丈夫だって。これはね……」
咄嗟に伸ばした腕の少し上でミラの体が止まる。足を踏ん張っている様子も無い。その体は、まるで見えない背もたれにでも寄っかかっているかの様に空中で静止した。足は……やはり踵だけしか地面に着いていない。
「これなら、普通ならありえない姿勢からでも剣を振るえるわ。それに、応用して風に押して貰うことで、飛ぶ様に走ることも出来る。まあそれは少し難しけど……でも、覚えてみる価値はあるでしょ?」
ふわっとまた少し強く風が舞って、ミラはもたれた様な姿勢のまま真っ直ぐに立ち上がった。うん……これはすごい。すごいのだが…………惜しむらくは、旅に出て以降彼女が一度もスカートを履いてはくれないことか。結構凄そうな魔術を目の当たりにして最初思ったことは、絶対に口に出さないでおこうと決意するしょうもないスケベ心だった。いやその……初めて会った時のことがと言うか……その、ね?




