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異世界転々  作者: 赤井天狐
異世界転々
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第百四十一話


 ふわぁ……と、間抜けな欠伸が聞こえたのは、多分日が昇ってからしばらくした後のこと。この角度からだと、時計も確認出来ないからいけない。久しぶりだ……この、寝不足で目がパサパサする感じ。パサパサ? しょぼしょぼ? ともかく、瞼がヒリヒリする。原因はまあ、いつも通り後ろで欠伸してるチビ助なんだけど……

「むにゃ……アギト…………」

「…………っ」

 ああっ! もうっ! エルゥさんめ! 余計な置き土産をしていきやがって! 今までは気にならなかった……気にしないでいられたのに! すっかり忘れていた。首元にぐりぐり頭を押し付けてくるミラを、その子供らしい体温を感じていると僕は……僕は、眠るに眠れないんだよ! 寝言で名前を呼ばれる度に心臓が跳ねる。どういうことだこれは、まるでコイツが……妹がヒロインレースに参加してきたみたいじゃないか。お、落ち着けアギト。古今東西、妹とは古くより攻略対象であるものだ……しまった! そうだ! 血の繋がらない妹なんて、どう足掻いたってヒロイン候補に決まってるじゃないか! そんな常識も忘れていたのか僕は!

「……むにゃむにゃ……ふわぁ…………んん。ちょっと……逃げないでよ……」

「逃げっ……逃げてないわ! って、起きたならそのまま……こら、寝るな!」

 そりゃ逃げもするよ。無意識に体を反らしてミラの体温を遠ざけていた僕に、ミラは容赦無くくっ付いて、そして優雅に二度寝の準備に入った。そうはさせない。そもそも、もうすっかり朝なんだから。

「んむぅ……なに……もう朝……?」

「朝だよ。すっかり朝だ。朝だから……いい加減離れなさいって」

 昨日のことはどうやらもう忘れているのか、それともそれは別として甘えたいものは甘えたいのか。ともかく、エルゥさんの所為ではっきりと分かってしまった。すっかり慣れて麻痺していたが、コイツの甘えっぷりは確かに常軌を逸している。いかん……今そんな可愛いことされると…………お兄ちゃんは一線を超えてしまいそうだ。

「ほら、起きてって。じゃ、じゃあ俺は朝ごはん買ってくるから……っ」

 無理矢理引き剥がして、僕はミラから逃れるべくベッドから立ち上がった。だがそんな僕の服を掴んで、ミラは寝ぼけた顔で何かを要求する様に僕を見つめていた。くそう……間抜け面しやがって……

「……役所でエルゥさんに挨拶して、今の俺達にも出来そうなクエストが無いか見てくる。それから、いつも通り朝ごはんを買って帰るから。三十分くらいでちゃんと帰る。約束する」

「…………ん」

 だらんと、僕の後ろ髪を物理的に引いていた小さい手が、力無く降ろされる。何時までには帰るなんて、小学生じゃあるまいし……とも言っていられない。あいつが度を越した心配性なのは間違いないが、やはり危険なものは危険であると自覚しなければ。あの男は——ゴートマンは、何を考えているのか全く分からなかった。気が変わった。とか、新しい魔獣が準備出来た。とか、何かちょっとした理由で襲ってきてもおかしく無い。なにせ、僕らの居場所は割れているんだ。そういう意味でも、やはり早いとこ訓練を終えてこの街を出たいところだが……

「行ってらっしゃーい! 次の方どうぞー……ああ、アギトさん! おはようございます!」

「おはようございます。昨日はよくも……じゃなかった」

 おやおや、でへへ。昨晩はお楽しみでしたか? なんて、僕の顔色を見ながら笑うエルゥさんに、恨み言の一つでも言ってやりたいが……今は先にやる事がある。

「……昨日言ったばかりだったのに。早速泣かすなんて、この甲斐性なし。ちゃんと謝ってきましたか?」

「うっ…………その、本当に申し訳なく……」

 謝る相手が違いますよ! と、またからかわれた。そう、今日の一番の目的は、エルゥさんに謝ることだった。一応、約束の様なことはしていたし、その上でまたミラに心配掛けて泣かせてしまって…………いや、原因はエルゥさんにもあるんだけど。

「……今日はどこで何してくるか、いつ頃帰るか。言うまで離して貰えなかったよ。どれだけ信用を失ったんだろうな……」

 自虐のつもりも無いし、否定して欲しかったつもりでも無かった。笑って欲しいなんて以ての外だったが、彼女なら笑って励ましてくれると思っていた。そんなことないですよ。とか、これからまた挽回しましょう。とか、何か明るい言葉を笑顔でかけてくるものだと思っていたから……その沈黙と切なげな表情は、少し意外だった。

「……エルゥさん?」

「…………信じていても、どうしようも無いことだってあるんです」

 沈痛な面持ちで彼女は切り出した。ぎゅっと自分の体を抱き締めて、彼女は嫌な思い出でも語る様に話をしてくれた。

「私はここで、多くの冒険者さんの出発を見送ってきました。誰も彼もが腕自慢の屈強な戦士です。私のお腹周りより太い腕で、私よりも大きな大剣を振り回す様な。そんな背中を、私は無事帰ってきてくれると信じて送り出しています。今までも。今も。これからも」

 エルゥさんは次第に青ざめた顔になっていった。ああ、やはり彼女にはこの仕事は向いていない。そう確信する。確信してしまう。

「……それでも…………どんなに信頼していても、信用があったとしても。どうしようも無い時はどうしようも無いんです。私は待つしか出来ない。皆さんを信じて送り出すしか無い。それしか……信じるしか出来ない人間は、怖くて堪らないんですよ……っ」

「エルゥさん……」

 昨日見た、明るくて活発で、とぼけた様な姿とは違う。彼女の本質的な強さの根幹を見た気がした。体を、声を震わせながら、彼女は涙だけは絶対に見せなかった。

「……あの時だって、顔馴染みの凄腕の冒険者さんが何人も出発して行きました。その結果は、アギトさんもご存知の通りです。今のミラちゃんは私と同じ……いえ。危険を肌で感じてきたからこそ、私以上に怖いんだと思います。アギトさんに迫る危険を、危機を。本来なら自分で振り払わなければならない多くの災厄を、手の届かないところで祈るしか出来ないことを……」

「……ごめんっ。エルゥさん……ごめん。もう……無理しなくてもいい。ごめんなさい……」

 遂にしゃがみ込んでしまった彼女に、僕は待ったをかけた。私以上に。と、彼女は言ったが、僕なら顔も名前も覚えきれない程の人数の冒険者全員を——いちいち全員の身を案じている彼女の恐怖だって大したものだろうに。辛いことを言わせてしまったと思う反面、こんな物を抱えながら彼女はあれだけ明るく振舞っていたのかと胸が痛くなった。

「……だーかーらーっ。謝る相手が違いますよっ!」

「…………そうだな。うん、帰ったらしっかり謝るよ」

 ほら、これだ。さっき震えて竦んでしまっていた少女とは思えない、溌剌とした笑顔で僕は見送られた。その姿を僕は素直にかっこいいと思ったし、怖いとも思った。この世界はやはり余裕が無く、人の心にどこかしら暗く影を落としてしまっている様に感じる。別にこっちだけが特別とも思わないが、目で見てわかる恐怖というものはそれだけ大きい。

 さて、クエストも目ぼしいものは見つからず、仕方無しと僕はいつも通りのサンドウィッチを五人前買って帰路を急いだ。まだまだ約束の時間には余裕があったが……あの話の後でこれ以上心配かけるのもな。さっさと帰ってご飯にしよう。

「ただいま。オックスのとこにも置いてくるから、すぐ戻る」

「……ん」

 出発前より少しだけ上機嫌な、半音高い返事を貰って僕はオックスの部屋へと急いだ。何かからかわれるだろうか。と、少しだけ身構えていたが……どうやら彼は、結構大きなやらかしをしたらしい。昨日よりぐるぐるに巻かれた包帯と、動くなと言わんばかりに見張っている看護師さんを見つけて、僕は二人前のサンドウィッチを差し出した。はい、お世話になってますから。看護師さんも召し上がってください。え? オックスに二人前? いえいえ、怪我人ですから。最初から貴方にも召し上がって貰おうと。ははは、本当ですとも。

「さてさて、と」

 僕は色々あったオックスとの面会をそこそこに、またこの部屋へと戻ってきた。窓から外を眺めるミラの姿に、ふとあの時のことを思い出す。そうだ……エルゥさんの言うことに覚えがある。僕はいつだって……

「ほら、早く早く。お腹空いたんだから——」

 僕は駆け寄った先でミラに思い切り抱き付いた。そうなんだ……僕は……僕だっていつも……

「ごめん……ごめんミラ……っ。心配掛けて……本当にごめん……」

「…………ん」

 今朝よりも、さっきよりも。一番上機嫌な返事をして、ミラは僕の背中を撫でた。そうだ。それは分かっていたことなんだ。ミラならどんな相手にも負けないと信頼していた。何があっても笑って帰ってくると信用していた。信じて待っていたのは、いつも僕だったんだから。あの時の恐怖を、僕は確かに知っているのだから。

「……信じてくれる? まだ、私のこと」

「……当たり前だろ……」

 バシバシと頭を叩かれた。ほら、ご飯。と、急かすその変わり様は、さっき見たエルゥさんに負けず劣らずのものだ。うん……女は強い。僕が弱すぎるのか? せっかちなミラにサンドウィッチを渡して……あっ。そういえば……

「……信じるとは言ったけど……意外とお前って負けっぱなしだよな。蛇の魔女の時も、ノーマンさんにも一回。あの古代蛇とか呼ばれてた蛇も、親は倒したけど子供に撤退させられたし。それからこの間も……」

 無言の鉄拳は珍しいパターンだな。などと思うのは、サンドウィッチを食べるのに苦労するくらい頰が腫れ上がってからのことだった。うん……思い返すと…………勝ってもその後動けないみたいなのばっかりだ。僕もしっかりしないとな。


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