第百三十九話
さて、しまったな。オックスがあんな事になってしまったから、今日は外食でもするかなんて言える状況じゃなくなってしまった。ううん……美味しいんだけど、そろそろサンドウィッチ以外の物も食べたい。色々良い匂いが漂ってて誘惑が……などと考えながら僕は病室のドアを開けた。ミラの病室のドアを。
「おーい、戻ったぞ……」
「あ、お帰りなさい。あれ……? オックスさんは?」
これは一体どういうことだろう。目の前には二人の美少女、ミラとエルゥさんか絡み合っているじゃないか。どうしてだろう、何故だか部屋全体がピンク色の照明に照らされている様な気がしてくる。無抵抗なミラをエルゥさんが抱き締めて、頭を撫でたり頰を寄せたり……ほう。
「ほう、女の子同士ですか。大したものですね」
「ん、もうエルゥったら。あれ、アギト。サボりなんて随分余裕ね」
うん……これは。これはすごく…………
「…………良いッ‼︎」
「っ⁉︎」
僕は、近くを通った看護婦さんにちょっと本気で怒られるくらい大きな声で感動を口にした。女の子同士も……良いよね!
さて、そんなこんなで未だにミラから離れないエルゥさんのことは一度置いておくとして。いや、置いてはおけないな。百合百合な波動を感じる。拙僧、女の子同士の間に入る業の者を絶対に許さない男。もし二人がそういう関係に発展するのなら、全てを断ち切りましょう。例えそれが、あのゴートマンであっても。
「その……何してんの? 随分…………よろしい光景が広がってるんですが」
「へ……? あっ……あう、すいません! すぐに離れますね‼︎ でへへ」
違う! 離れないで! もっと……もっとその柔肌同士がもちもちとくっ付くくらい濃厚に絡み合って! じゃなかった。いえ、本当に触れてる肌同士が同化するくらいに二人とももち肌で……ごくり。でもなくて。それは誤解だと何度説明すれば。すいません、お邪魔しちゃいました。ささ、ミラちゃんをどうぞ、アギトさん。みたいなにやけ顔とジェスチャーをやめるんだ。そして、やっぱり女の子同士の絡みの再開をっ‼︎
「ほら、今朝アギトさんがあまりに力説するもんだから……どんなものかと気になってしまって」
「力説……はて? 今朝、何かありましたかな? 全く覚えが無いなー。ミラは何か思い当たる節あったりする?」
力一杯ミラは首を横に振った。ほら、何も無かったんだよ。今朝は何も無かった。だから、今すぐにその間違った記憶を抹消するんだ、エルゥさん。そして早く百合を……いや、もうそれは良い。過ぎたるは及ばざるが如し……とは違うけど、人前だと普通に接してるのに、二人きりになるとイチャイチャして……みたいな関係も…………良いよねッッ‼︎
「あー、はいはい。でも、アギトさんの言う通り、ミラちゃんは可愛いですねぇ。髪もふわふわしてて……ちっちゃくて……まつげも長いし目もこんなにクリクリして、綺麗な宝石みたいな色で……一個くらい分けてくれれば良いのに…………」
「え、エルゥ……?」
おっと、何やら変な地雷を自ら踏み抜いたか? 確かにミラはとびきり美人だろう。ふふん、うちの妹は世界一美人だからな。と、胸を張って自慢出来る。まつげが長いのも、翡翠色の瞳が綺麗なのも、ふわふわ髪質もちっちゃくて軽いのも全部よく知っている。あれ……? なんだろう、僕が言うと犯罪の匂いがするな? ごほん。でも、エルゥさんだって間違いなく美少女だ。まつげも長いし目も大きいし。くるくる弄ってるのは、コンプレックスなのだろうが、クセが強くて襟足が外っぱねしてたりするのもチャームポイントとしてとても良い。最高。元気な子は、髪型ちょっとも元気なくらいで良いんだ。あと、ミラに無い強みとしては、鼻が高いのと、こう……全体的な肉感が……むふぅ。
「ああ……ギュってすると細くてちっちゃくて……確かに、これは庇護欲掻き立てられますね……私なんて、最近お腹周りが…………」
「んむぅ……もう、エルゥってば。ちっちゃいは余分よ、ちっちゃいは」
あらぁ〜……んもう、そうよ、これよこれ。女の子同士の遠慮無いスキンシップとでも言うのか。ううん、これは金賞ですね。プレミアムです。愛おしそうにミラを抱き締めるエルゥさんと、満更でも無さそうなミラのツーショットにこう、尊みが有り余る!
「……あれ? そうだ、そうでした。アギトさんがどうしてここに?」
「そうよ。アンタ、サボるならせめて私に見つからない様にしなさいよ。もしかして怒って欲しいの?」
違うやい。お説教されるのは別に好きでもなんでも無いやい。ああ……いや、ムチムチお姉さんに見下されて罵倒されたりとかは全然ご褒美です。何を考えているんだ僕は。
「違う違う。オックスがちょっと無理してたみたいでさ。今日は安静にしてなきゃってことで、とりあえず解散したんだよ。もうお昼だし、どのみちご飯買ってこなくちゃいけないからさ」
ご飯という言葉に目を輝かせたミラの単純なこと。だが、それもミラの魅力だよネ! いかん、やっぱり僕が言うと犯罪の臭いが……
「あ、じゃあ私も一緒に行きますよ。一人じゃ大変でしょう?」
「えっ⁉︎ 良いの⁉︎ ごほん……いや、慣れてるし大丈夫だよ」
突如降って湧いたドキドキイベントに、僕の声量は自動で最大に調整された。ドン引きしてるミラに、急いで咳払い一つ挟んで冷静に対処する。分かってる。大丈夫、俺はミラ一筋だよ。え? そういう事じゃない? エルゥさんに変なことしたら許さないって顔してる? ははは。僕もそうだと思う……
「……? じゃ、早速行きましょう! ミラちゃん、食べたいものある?」
「あー、そいつは腹に入ればなんでも食べ……痛い! こら、ゴミを投げるんじゃない!」
アップルパイ! と、大きな声で高らかに好物を宣言したミラに手を振って、僕とエルゥさんは病室を後にした。うん、そういえば甘いもの好きだったね。それにしてもアップルパイとは……うん、似合う。おばあちゃんが作ってくれたアップルパイを独り占めして、お母さんに怒られてる絵が簡単に予想出来る。いや、家族の顔なんて全然知らないんだけど。
「……ミラちゃん、実は凄い子……凄い人だったんですね。錬金術なんて全然分かんないけど、すっごく集中してて……かっこいいなって、思いました。ちっちゃいのに」
「ああ……ミラは凄いよ。錬金術だけじゃない。いっつも胸張っててさ。魔獣相手にも一歩も引かずに、アイツだって怖い筈なのに、俺を……みんなを守る為に頑張ってくれるんだ。ちっちゃいクセに」
僕らは一緒になって笑った。エルゥさんも、もうミラの魅力に取り憑かれている様だ。アイツは可愛いとか人懐っこいとか以前に、人に愛される様に出来ている。なんというか……精神が綺麗なのだ。見ていて気持ちが良い生き方をしていて、どうしても嫌いになんてなれない。
「…………あーあ。アギトさんが羨ましいなー」
「羨ましい……? ああ。まあ、アイツとはずっと一緒だからな。見てて飽きないし、お陰で旅も退屈せずに済んでるよ」
エルゥさんは、何やら不敵な笑みを浮かべてくるりと振り向いた。立ち止まったら危ないよ、と言う程の人通りも無い、閑散とした街だとまた改めて実感する。彼女が出会いに飢えていると言っていたのも、なるほど納得だ。
「……知らないんですかぁ? ミラちゃん、アギトさんにしか甘えないんですよぉ?」
「な、何そのキャラ……? って、アイツは誰にでもべったりな甘えん坊だろ。事実、さっきだってエルゥさんに……」
にまにまと僕の顔を見て猫なで声でそんなことを言うエルゥさんに、慌てて誤解を解こうとする。何度も言うが、アイツにそんな感情は無いし、僕も期待していない。それに今言った通り、アイツは抱き締められて頭を撫でられれば誰にだって甘えて……
「ミラちゃん。アギトさん以外にはぜーったい、ぜーーーったいに甘えないんです。見てて分かんなかったですか? 分かんなかったですよね? もーーーっ! 近過ぎて見えてないってんですか⁉︎ 恋は盲目ですかっ⁉︎ でへへへ……」
「こっ⁉︎ 見てたから分かってるよ! アイツは頭撫でられればごろごろすり寄って、気持ち良さそうにすぐ寝ちゃ……う……?」
あれ……寝てなかったな。いやいや、すぐ寝ちゃうってのは言葉の綾だ。あれは眠たい時にたまたまあったかくなって寝ちゃったんだ。子供だから睡魔に勝てないだけだ。真昼間で、それも錬金術なんて使ってた直後なら、まだ頭もフル回転してるだろうし、眠らない条件が揃ってただけで……
「……私が抱き締めてた時、そんな風に見えました? 頭を撫でてた時。背中を撫でてた時。いつもみたいな甘えた顔で、体を預けてる様に見えました?」
「そっ……それはほら、人前じゃ恥ずかしいとか……そういうのがアイツにも多少はあって……」
そうだ。アイツはなんやかんやと人目を憚らないところもあるが、それでも恥ずかしいという感情はある。ほら、今朝は顔を真っ赤にして隠れてしまったじゃないか。だからそれの延長であって……普段一緒にいて、それもカッコつけてる僕の前だから、あんまり甘えてる顔を見せたくなくて…………?
「いい加減、気付いてあげてくださいよ。ミラちゃんにとって、それは無意識かもしれないですけど、アギトさんは間違いなく特別なんですよ」
「特別……? 俺が……?」
否応にも鼓動が早くなる。それは……そうだ。だって、僕はアイツの秘書で、家族で。あの街で、アーヴィンで唯一アイツの側にいた。ミラと一緒に旅に出た。ただ……それだけで…………
「……まぁ、アギトさんがそれで良いならいいです。でも、ミラちゃんは泣かせないでくださいね? もしそんなことしたら……私も怒っちゃいます」
「いや……だって、アイツは……」
違う、違う違う。違う……って、思ってた僕が違うのか……? もしかして……いや、そんな訳は無い。だって僕だ。僕が……誰かに好かれるなんて……今まで、家族以外の誰にも……っ