第百三十七話
良い。病院という施設は実に良い。清潔な水とたらいと、それから湯を沸かす為の大型ランプに、その他、本来の用途とは違うものの、実に使い勝手の良い道具が揃っている。もしかしたら、私にも医術の真似事が出来るんじゃないかと錯覚を起こす程に。
「ミラちゃん、タオル貰ってきたよ」
「ありがとう。そろそろお湯も沸くから、沸騰したらそこの瓶を、中にお湯が入らないように浸けといて」
ああ、良い。ぱたぱたと忙しなく駆け回る助手の様な存在が実に良い。アギトにもやらせてみようか。いや……危ない。アイツは絶対に何かヘマをする、そんな予感はきっと経験からの予測だろう。あれで意外としっかりしてはいるのだが、やはり抜けているというかなんというか。
「……はぁ。これも楽しいけど、私も早く身体動かしたいなぁ」
「ミラちゃん? どうしたのため息なんてついて」
私は今、鍛錬に出かけた二人を見送って、病室にこもり魔弾の錬成を行なっていた。
彼の身を案じるのならば、彼に力を付けさせるよりも、自分が魔力切れを起こした時の対策を講じるべきだ。だが……とっておきの霊薬を作るには素材が足りない。アギトが質に入れてしまったが為に……いや、アイツは悪くない。説明しなかった私が悪い…………いいや! やっぱりアギトが悪い! いくら事情があったにせよ、人のものを勝手に担保にするなんて! そりゃあ、確かに薄気味悪いだけの瓶詰めに見えたでしょうけど……うん。彼は悪くない。何も知らなければ、その反応は当然だったのだろう。事実、それを飲み込んでいるという事を隠したくて、それが霊薬の材料であるという事を伏せたのだ。私にもまだそんな事を気にするだけの情緒があったのだな。と、自分でも感心する。
「ミーラーちゃん! ねえねえ、これって何してるの? ねーってば」
「あ、こらエルゥ! 危ないから離れてなさい!」
本来は銀の弾頭に陣を描き、薬莢に術式を書き込むのが魔力効率的にも威力的にも理想なのだが、残念ながらそんな素材は無いし加工する設備も無い。鉛を溶かして型に流し込み、叩いた鉄で包んだ簡易魔弾の素体を何発か組み上げる。見てくれは悪いが、直進という命令を書き込まれた弾丸は、こんなんでもしっかり真っ直ぐに放たれる。もちろん、威力減衰は避けられないので……
「…………ふぅ。三発が限界ね、どうしても」
込める魔力の総量を多くしなければいけない。出来上がった不恰好なだるまを、エルゥは興味深そうに眺めていた。この街では錬金術は珍しいのだろうか。出来ればもっと綺麗で、充分な施設を準備した上で組み上げた完成品を見て貰いたいものだ。これではまるで、私がヘボみたいで少し恥ずかしい。
「これはほら、アギトが腰に提げてる銃があるでしょ? アレ専用の特別な弾よ」
「アギトさんの……でへへ」
何故そこで笑うの? 問いただしても、にやけたままはぐらかすだけでエルゥは答えてくれない。まったく、なんだというのか。
「でも、こんなので本当に大丈夫なの? その……暴発したりしない?」
「うっ……まあ見てくれは確かに悪いけど、大丈夫。これは火薬を使ったただの弾丸じゃない。魔力で撃ち出される、魔術を行使する特殊な弾丸。つまりは魔弾ね。私のとっておきの一つでもあるわ」
ふふん。と、鼻を鳴らして、さっき下げた自分の株を少しでも上げようとする。セコイとか言うな! 魔具の精製は、そもそもとして高等技術なのだ。それを、使用者の手から離れた金属球を基点に魔術を発動させようとなると……そこいらの術師が見たら、腰抜かして平伏して、教えを請うくらいには凄い事なのだ。アギトは分かって無さそうだけど。一度、私の凄さを一から説明してやろうか。
「……ふふ、楽しそうだね。嬉しそうだね」
「楽しい……そうね。やっぱり肌に合うっていうか。錬金術も魔術も、私の性に合ってるのよ」
エルゥはなにやらまだニヤニヤしたまま首を横に振った。うん? 一体何を言いたいのだろう。今朝はずっとこの調子で落ち着かないのだけど……
「……でへっ。ミラちゃん……アギトさんの為に……でへへ」
「…………? そう、ね。まあアイツの事は守ってあげるつもりではいるし、そう約束もしたけど。やっぱり私じゃ力不足な時もあるって、思い知らされたから……」
そうだ。私には力がない。彼を守り通すだけの力が、恐ろしい強敵を相手取るだけの力が無い。ゴートマンと名乗ったあの男の繰り出す次の魔獣を、おそらくこのままの私では倒すことが出来ない。そうなれば……っ。
「いいなぁ……私も一度でいいから、勘違いでもいいから恋の一つくらいしてみたいなぁ」
「………………コイ?」
はて……彼女はなにを言っているのだろうか。またまた〜。と、私の頰をつついて、またさっきまでのにやけ顔で遠くを眺めるエルゥの心境がまったく読めない。コイ……鯉……濃い?
「もう、とぼけちゃて。あんなにイチャイチャしといて、アギトさんみたいな事言うつもり?」
「アギトみたいな……? なっ! アイツが勝手に言ってるだけで! 私がお姉さんだからね‼︎」
ふと思い出した今朝のやりとり。不意に耳元で大きな声がして、なにやら恥ずかしい事を言いながらアギトが私を抱き締めていたっけ。そして人の事を妹だなんだと言い出すからつい……つい、顎に一撃を……反省しよう。すぐに手が出るのは悪い癖だ。
「そうじゃなくって! もう、はぐらかすなぁ」
「はぐらかすって……エルゥがはぐらかしてるんじゃない」
ぶぅと頰を膨らませて、エルゥは私の頰をつねった。さっきから頰ばかり触りすぎじゃないだろうか。アギトも頻繁につついてくるのだが……流行っているの? 私もやった方がいいのかな……?
「アギトさんの事、どう思ってるの?」
「アギトの事……?」
さっきまでとは顔つきが違う。なにか真剣に問われているようだ。少しだけ胸がざわつく。違う。彼女は何も知らないのだから……違う。そうじゃない。私が思い浮かべたその尋問とは違う意図で——
「おーい、ミラちゃーん? ねえってば」
「……っ⁉︎ ご、ごめん。なんだっけ? アギトの頼りなさだっけ?」
私は無理矢理話題を逸らそうとした。だが……うん。彼女にその意図が無いのなら、上っ面だけ答えてしまっても良いのかもしれない。彼は私の弟分で、秘書にする予定の頼りない人物だと。そう答えてしまって問題は無いはずだ。
「もー、二人してすぐにはぐらかす。でへへ……分かってるくせに。あれだけおおっぴらに好意を寄せられて、ミラちゃんだって満更じゃないでしょ。ていうか、もう二人はどこまで行ってるの?」
「……どこまで……って、そりゃあ……ここまでだから、フルトまで来たけど……?」
これまで見た中で一番彼女らしく無い、可愛げのない顔でため息をつかれた。まだはぐらかすか、などと言われても。好意……? アイツが、私に? そんなの……
「アイツが私に好意を寄せている様に見えるんなら、それはそうせざるを得なかったからよ。アイツには、私以外頼る相手がいなかったんだから……」
それは嘘だ。私がそうさせたのだ。私が……彼に私以外の誰にも頼れない状況を作ったのだ。ああ、なんて醜い女だ。都合の良い様にばかり嘘を並べる。だから嫌いなのだ。その点、錬金術も、魔術も。機械いじりも勉強も読書も、人と関わらなくて済むならなんだって楽しい。こんなに醜いと、自分で分かっていながら止められない。やはり私は——
「だーかーらーーーっ! そう言うのいいからっ‼︎ いっつもイチャコライチャコラ……見せつけやがって! このやろっ!」
「へっ……? エルゥ……? やっ⁉︎ あははっ! こら、くすぐり……ひんっ! あははは!」
エルゥは何を思ったか、私の脇やら首元やらをくすぐり始めた。これは予想外だったし、今は体を麻痺させていないから……くすぐったい! やめっ……やめなさい!
「ミラちゃんはアギトさんの事好きなんでしょ? アギトさんだってどう見ても同じだし、それってもうそう言う事じゃないの?」
「ひぃ、ひぃ……どう言う事よ! アイツがどうかは知らないけど、私はアイツの事……」
好きでもなんでも無い。そう言いかけた口が止まる。好き……な訳では無い。だが、嫌いになどなるわけが無い。だってそうだろう。彼は……彼は私の大切な居場所で、私が唯一安らいでいられる場所で。私の大切な…………
「……ああ、うん。言いたい事は分かったわ、ようやく。残念ながら、私とアイツはそんなロマンチックな関係じゃない。相互利用か相互依存が良いとこでしょ」
「えー、もう二人ともそんなのばっかりー!」
彼女が求めている答えがなんなのかは理解したが……残念ながら、そんな綺麗な答えは返せそうに無い。彼の事は関係無く、私の問題。もうじきに私は……ミラ=ハークスは無くなってしまうのだから。