第百三十五話
うむ、あったかい。あったかいのは分かったんだが……ううむ。
「お、おおおオックスさーんっ⁉︎ 大変です! アギトさんがっ‼︎ ミラちゃんがっ⁉︎」
「あー……いつも通りっスから、大丈夫っスよ。すいません、見せつけるのが好きみたいで」
お願いだから、人が来るよりは早くに起きて欲しかった。
珍しく、快眠娘が後ろでは無く正面からへばりついていた今朝の事。その圧倒的可動域に、僕はついミラを起こす事を忘れていた。ああ、可動域と言うのは僕の行動出来る範囲的な意味で、最悪抱えればなんでも出来るどこでも行けると言う、頑張っておぶらなくて良い事への僕なりの感想なのだが。まあ、それはそれ。起こさなくても不都合が無かったから——不都合が無い様に思えたから、僕は鼻歌交じりにミラにせがまれて借りてきた本なんか読んだりしていたのだ。いたのだが……
「ええっ……ええーっ! や、やっぱりお二人はそういう……きゃーっ‼︎」
「そうなんっス。まったく……気を遣うこっちの身にもなって欲しいっスよ」
今朝のモーニングコールは、ギルドの看板娘ことエルゥさんだった。オックスでも同じ様な、ただちょっと呆れた様な感情が混じったリアクションをした事だろう。だが……ううん……エルゥさんのリアクションのみずみずしい事。それが見られただけで、もういっそこの勘違いも悪いものじゃ無いんじゃないかなどと……なんだか惰性で生きている気がしてきたな。ミラの事は明日からちゃんと起こすとして、なあなあにせずちゃんと誤解は解いておこう、今。うん、これからもしばらく厄介になると言うのだから。
「……あはは、盛り上がってるとこ申し訳ないけど、これはそんなロマンチックなものじゃ……」
「まだその設定押し通すつもりなんっスか? 流石に苦しくなってきてるって、自覚ぐらいしてそうなもんっスけど……」
うるさいやい。設定じゃないって何度言ったら。と言うか、これにそんな甘いイベント発生させるよな情緒があるように見えるか。
「オックス……なんども言うけどこいつは……」
「そう言うならせめて離したらどうっスか……?」
頭を抱えるオックスと頰を赤らめてわちゃわちゃしてるエルゥさんの視線の向いている場所に——わしゃわしゃと僕に撫でられている頭に、その言葉でやっと気が付いた。ああ、うん。そうそう、こう言う時に僕の名台詞(?)が、ね。
「…………ち、違うんですよ……」
「ほらほら、オックスさん。お邪魔しちゃいけないですって! でへへ……」
ああ、待って! 話を聞いて! 違うんだって! 僕の望む望まないでこいつは離れないんだって! 頭撫でてたのは……こう、ペン回し的な、ハンドスピナー的な。電話のコードくるくるしてる様なもんだから! 何かいじりながらの方が話しやすいんだって!
「ちょっ……ちょっと! 誤解だって! エルゥさん戻ってきて! オックス! お前! 余計な事ばっかり吹き込むな!」
「見たまんま事実っスよ……人聞きの悪い」
それについては今から説明するから! 二人とも戻ってきなさい! ええと……どこから説明したらいいかな。
「まず、誤解を解くところからだ。俺とこいつはあくまで寝具と寝太郎の関係であって、決して男女の良い関係ではない。あくまで、寝具。オレハ、マクラ。マクラ……ナゼ……シャベッテル?」
「……戻ってきてください」
……はっ⁉︎ いかんいかん、心を枕にしすぎていた。ああっ! そんな顔をしないでオックス! そんな悲しそうな、哀れな生き物を見る目をしないで!
「理由はよく分かってない……まあ、初めはちょっと良いベッドに戸惑って寝付けないって話から始まったんだ。その後は、多分寒いとか、枕が低いとか。色々事情があったんだろうけど……とにかく、快眠の為に始めたものが、ちょっと習慣付いちゃってるだけだから!」
「普通は寝付けないからって人に抱き付いたりしないっスよ……」
あれ、そうなの? オックスの当然過ぎる発言に、今更そんな常識を再認識する。そう言われてみれば……普通は人を枕にはしないな。いやいや、それはコイツが常識知らずのお転婆娘と言うだけで、事実こいつは僕の事を枕か布団かという扱いをしているのだから。
「百歩譲って枕だったとしても、アギトさんのその対応は枕の対応じゃないっスよね?」
「うぐぅっ⁉︎ そ……そんな事……」
そんな事はある。と言うか、オックスには一度ぶちまけてるしな、下心はあるって。そうでは無い……そう言う意味では無いのだ……いやさ、そう意味なんだけど。言いたいことはそういうんじゃなくて……仕方ない。
「……ミラー……? 起きて……無いかな? 無いな? もうしばらく寝てろよ?」
「アギトさん……?」
僕はミラがしっかり夢の世界にいる事を確認して、首をかしげる二人に全て打ち明けることにした。もっとも、全てと言ってもこっちに来てからの話であって、あっちの話をするわけでは無いが。ああ……いつコイツにそのことを説明しようか。すっかりタイミングを逃してしまったな……
「…………ごほん。えっとな、こいつは……ミラは、俺にとって恩人なんだ」
気付けば、ミラの背中の上下に合わせて頭を撫でていた。自分でも予想外の行動だったし、こういうのが誤解の原因だってのは分かったが……話を優先しよう。あの少女に話した事で、自分の中のその感情がより鮮明に浮かんでいる今だからこそ。
「こいつは文字通り命の恩人で、何回だって俺の事を助けてくれた。命だけじゃ無い、生きている意味をくれた。意義をくれた。道を見失った俺の手を引っ張って連れ出してくれた」
そうだ。僕はこの少女に、生きていることを許された様な気さえした。変わりたいと思わせてくれた。変わるきっかけをくれた。だから僕は、この小さな恩人の傷付くところが見たくなくて、守ろうって決めたんだ。
「……こいつは、憧れなんだ。いつか追い付きたい、って。こんな小さいくせに、顔を上げた先にある背中はいっつも大きくてさ。いつか……あんな人になれたらって」
すぅすぅと寝息を立てているこの少女の体のどこにあんな勇気が詰め込まれているのだろう。口にすると、余計に謎が深まってつい笑ってしまいそうだ。でもやっぱり……こいつは僕にとっての英雄なんだ。どんな御伽噺の勇者よりも。歴史上の偉人よりも。
「だから……俺はこいつを守りたい。うん……本人には黙っててください。口にしたら、なんか恥ずかしくなってきた……」
「普通に恥ずかしい事言ってるんで、大丈夫っスよ」
ひどぉい! オックスの対応がどんどん塩っ辛くなっていく! エルゥさんを見習え! ちょっと僕も意味分かんないけど、泣いてるじゃないか! 感動する様な話だったかなぁ⁉︎ もしそうならありがとうだよ!
「……で、結局その話じゃ誤解とやらは解けないと思うっスけど、大丈夫っスか?」
「ええぇ⁉︎ 嘘でしょ⁉︎ 今説明したじゃん! こいつは憧れる対象で……」
はあーーーっと、めちゃくちゃデカイため息をついたオックスは、頭を抱えてしゃがみこんでしまった。そんな……体調に異常をきたす程変なこと言ったか⁈
「だって、俺はミラちゃんのこと大好きだ! って言ってるようなものじゃないですかー! もー! でへへへ」
「…………はて?」
うん? そういうことになるの? そんなつもりは……そういう風に聞こえちゃうの⁉︎ 違うじゃん! 多分! それはあれだよ、先入観があるからそういう風に聞こえるんであって‼︎
「…………それに、ミラさんがアギトさんをどう思ってるか。については、何も触れてないっスから」
「ミラが……俺を……? そんなの……」
その切り口は斬新だ。だ! が! それは! なんども説明した通りに!
「そんなの! 寝具に! 決まってるだろ!」
「普通は人を寝具扱いしないってさっきから言ってんでしょうが! バカっスか⁉︎ もしかしなくても、二人揃ってバカなんスか⁉︎」
バカとはなんだい! ミラはそりゃちょっと脳筋なとこあるけど! おバカさんだから僕の事を枕と勘違いしてるけど‼︎
「とにかくこれはそう言うんじゃないから! こいつはあくまで可愛い妹——」
「——誰が……妹よ……」
突然胸元でした声に背筋が凍る。おまっ……いつから起きて……っ⁉︎ と、急いで目を手元にやると、そこには……
「私が……お姉さん…………むにゃ……でしょぉ……」
「………………こんなでも、そんな感情がある様に見えるか?」
寝ぼけててもしっかりそれには反応するのか、とは今更言うまい。誤解は……解けているとしよう。解けろ。間抜けな顔をしてはいるが、これでも僕の憧れな事に変わりはない。はっきり口にして覚悟も強くなった。僕は……アギトはこいつの様に、誰かを守る為に強くなるんだって。だから……オックスはそんな顔してないで、歩法のコツの一つでも教えなさーい!