第百二十九話
「アギトっ! 右! 右‼︎ ああっ……ひぃい! 左左! あ、こらバカ! よそ見しない‼︎」
ぜえ……ぜえ……僕は今、何をやっているんだ。ええと……ええと……
「ひぃいい! バカバカ! 来てるって‼︎ 後ろ! そっちじゃない! うひぃ!」
ええと…………そうだ。うん、魔獣の討伐に……来て…………
「賑やかなオーディエンスねぇ。妬けちゃうわ、もう」
「だっはっは! 可愛らしい監督役だ! だーっはっはっは‼︎」
アギト! アギト‼︎ と、さっきから真っ青な顔で悲鳴をあげているミラを見て、頼れる冒険者達は笑った。ええと…………これは……ええと…………
「ああっ……ぁああぁぁ……ひぃっ⁉︎ アギト……ひいいぃっ‼︎ ほらもうそこ! 来てるから‼︎」
「うるさいなぁお前は! 運動会のお母さんかっ‼︎」
我が子の活躍やアクシデントに、本人の何倍も一喜一憂する保護者の様な。うん。過保護め。
僕らはまたトグの大山の麓まで来ていた。この街にこぞっていた冒険者はもういない。他の冒険者もいる事だから。と、大見栄を切って一人で戦うと言ったものの、果たしてどれだけの人数が集まってくれることやら。
「アギトさん。リラックスっスよ。肩の力を抜いて、重心は低く。斜面なんで、後ろに飛ぶときは着地気を付けて」
「お、おう……分かってる……」
最後の確認では無いが、ゲンさんの教えをオックスと復習する。恥じらう乙女の構えなんて名前さえ無ければ……もっとカッコいい、流水の構えとかさ。護身の構え、柳の型とかさ……
「あ、あああアギトっ⁉︎ お、落ち着いて。おおおおお落ち着いて行くのよ⁈ ぜぜぜぜ絶対に無理はしないの!」
「お、おう……お前が落ち着け……」
オックスに支えられて立っているミラも、真っ青な顔でガタガタ震えながらそう言った。全くと言っていいほど信頼されていない。泣くぞぼかぁ。
「あらぁん? 坊や達、同業者かしら? やーねぇ……こんな小さい子まで徴集されて」
「だっはっは! 小僧二人に娘が一人か! なに、魔獣は我らが殲滅する! 子供に怪我などさせぬさ! だーっはっは!」
背後から独特なキャラの声が聞こえた。振り返れば、細身ながら服の上からでも鍛え上げられていることがよく分かる、長身で筋肉質な男…………男……だと思う。うん。ピンク色の髪を刈って……坊主頭をピンクに染めたのか? どっちでもいいや。ともかく、ピンク坊主の男…………推定オネエ冒険者と、こちらは横にも縦にも大きい、見てすぐわかる筋骨隆々な、たっぷりの黒いヒゲを蓄えたスキンヘッドのむさ苦しい大男。そんな二人の冒険者が僕らを見下ろしていた。オックスよりもさらに背の高い二人組の接近に、三人揃って気付けない程緊張しているのか。特に、ミラの動揺は顕著だ。匂いとかですぐに気付きそうなコイツが驚いているというのが……そんなに信頼してないの? 泣くぞ?
「は、はじめまして。こっちの二人は怪我してるんで、今日は見学というか……」
体育の授業か。僕は気圧されてしまって、何処か間抜けな事を言ってしまった。だが、どうやら悪い人達では無さそうだ。うん、なんとなく。どこかこう……ネタキャラ感をひしひしと感じさせる見た目と喋り方に、それもどうかとは思うが安心感を覚える。ゴートマンがあからさまな悪者だっただけに。
「そうなの……残念ねぇ」
「だっはっは! 残念か! それもそうだなぁ、だーはっはっは‼︎」
はは……と、愛想笑いする他無い。いかん、キャラが濃すぎる。名も知らぬ二人組にペースを握られっぱなしだ。
「ボク、名前は? 最後になるかもしれないし、聞いとかないと。お祈りの時、名無しじゃ嫌でしょう?」
「ああ、俺は…………最後?」
聞き捨てならない事を言われた。なんだなんだ、喧嘩売ってんのか? 僕は生きて帰れないってか? ゴートマンの様にむき出しの敵意では無いが、よく考えれば僕らは競争相手。ここでぶちのめして報酬独り占めってか? やんならやるぞ? いっとっくけど強いぞ? うちの子は。怪我してても噛まれるとそれなりに痛いぞ?
「そうでしょう? そっちの二人は怪我してて、アナタは怪我してない……って事は、アナタは戦わない人間って事じゃない。それが今日に限ってアナタだけ戦うなんて……どうしたら生きて帰れるなんて自信が湧くの?」
「だーっはっは! だから我らで守ってやれば良いではないか! そっちのちびっ子も含めて! だーーーはっはっは‼︎」
それは……はい、仰る通りです。と、押し黙る他に無い。彼らの言う通り、虫がいいのは分かっている。危険も承知。だけど……
「…………でも、コイツらを——大怪我したばっかりのコイツらを戦わせるよりはずっと良い。それに、一級の指導官に逃げる事だけは習ってるから。運も悪く無い。生きて帰るだけなら、なんとかする自信はあるよ」
「だーーーーーーはっはっは‼︎ いいな! いい坊主だ! 心地いいくらいのバカな坊主だ‼︎ だーーはっはっは‼︎」
ん? それは……バカにしてる? それとも褒めてる? 後ろでやいやい言って僕の袖を引っ張るミラを一度無視するとして……はいはい、もう分かったって。後でね。後で……もう! なにさ! 無視しきれずに結局振り向いてしまった。
「良い? 絶対にあの二人組からはぐれちゃダメよ? アンタは逃げる事は出来ても、戦う力は無いんだから。魔具だってもう……」
「……分かってるよ。過保護が過ぎるって」
心配なものは心配なの! と、襟元に縋り付いて今にも泣きそうになるミラを見てか、背後の大男二人組とオックスが何やらヤラシイ顔をしている。オックス。おいオックス。お前もういい加減に……
「お揃いですか? では出発しましょう」
「……へ? あれ、お姉さん……?」
また新たな声が聞こえた。大男が岩戸のような巨体を横にズラすと、その向こうからはアマテラス……では無いが、明るい顔で笑う受付のお姉さんが顔を覗かせた。
「さっきぶりです、皆さん。監督役のエルゥです。さあ、張り切って! 怪我の無い様に気を付けて行きましょう!」
「お、おおー……?」
監督役……そういえば付くって言っていたけど…………
「ええっ⁉︎ お、お姉さんが監督役⁉︎」
「はい! フルトのクエストギルド、唯一の看板娘! 不肖エルゥ・ウェンディ、皆様のガイドと討伐数のカウントをさせて頂きます!」
なんて……なんていい笑顔だ。弾ける様な笑顔にこう……最近足りていなかったものが一気に補充されていくのがわかる。ああ……そうだよ。そういうのだよ。そういう……愛嬌というか。ほら、うちの子最近湿っぽかったから。
「それじゃあ気を取り直して。張り切って行きましょう!」
「あっ……」
それはミラの……ほら。やっぱりむくれちゃって。アテレコするなら……何よあの女! 後から出てきて仕切ってんじゃないわよ! だろうか。いや、そんな複雑な事考えてやいないな、コイツは。
そうして僕らは山を登り始めた。登り始めて……すぐに思い知る。ここは既に魔獣の巣窟であると。具体的には…………
「……ぉぉおおおおおおっ⁉︎」
ミニブタ程度の大きさの魔猪の群れに。小さくとも魔猪は魔猪。魔獣は魔獣。噛まれたら指が千切れるし、突き上げられれば肉が抉れる。突進も小さくて軽い割りに……避け損なうと吹っ飛ばされる!
「ちょっ……これ、思ってた以上に……よっ……手強い……ほっ」
「アギト! 後ろ! 後ろから来てる‼︎ 二匹‼︎」
分かってる! 分かってるから! 過保護! 僕は懸命に猪の猛進を飛び越え続けた。小さいおかげで、倒すのは別としても逃げる分には楽だ。うん、あの大型とかに比べれば、だけど。
「だーはっはっは! 良い逃げっぷりだ! だーはっはっは!」
「んもう、ヤラシイお尻してっ。そんなに振り回されると興奮しちゃう!」
悪寒がッ⁉︎ 何か別の、魔獣とは別の危険が僕に迫っている⁉︎ だがやはりネタキャラとはいえ剛腕冒険者。魔猪の突進など片手で受け止めて簡単に斬り伏せてみせる。よし……僕も……っ!
「こらアギト! 逃げるのよ! 戦えるわけないじゃないの! そんな小さいのに当てられるわけ無いんだから! 逃げなさいってば‼︎」
「うるさいなぁもう! ほんと泣いてやるからな⁉︎」
構えたナイフも御構い無しに突っ込んでくる魔猪を、クルリと回って華麗に鈍臭く避けた。泣くぞ! そりゃ当てる自信は無いけどさぁ!
「アギト……っ⁉︎ アギトこら! 後ろ……ひぃっ⁉︎」
どうも緊張感に欠ける運動会みたいな魔獣退治が、僕の初めての魔獣退治が始まった。過保護か!




