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異世界転々  作者: 赤井天狐
異世界転々
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第百二十七話


 首元のチクリと刺す様な痛みと生暖かさで目が覚めた。背中が暖かい。ああ、そういえば……と、嗅ぎ慣れた彼女の匂いに瞼を開ける。

「……昨日、ご飯少なかったもんな。足んなかったか……」

 ああ……あの少女もこいつぐらい簡単にわかる作りなら良かったのに。と、そう思わずにはいられない。首元に噛み付いたミラを引き剥がして、僕は病室のカーテンを思い切り開けた。朝日が遠くに見えている、まだ白んだ街並みを見ると、少しだけ元気が出た。

「……ん、まぶし……アギト……」

「あーはいはい、わかったわかった」

 閉めろというミラのジェスチャーに、ベッドを照らしている日差しを遮る様に半分だけカーテンを閉じる。子供らしく朝から元気に活動したらどうだ、とは言わないでおこう。噛まれる。ボケた顔で手招く姿は、どう見たってあの少女と同い年とは思えない。あまりに無防備で、無邪気な幼子の様だ。

「それじゃ……ふわぁ……今日も特訓…………する……」

「起きろー。起きてー。起きなさーい。特訓するって顔じゃないぞー」

 うつらうつらと開き切らない瞼を今にもくっつけそうにしながら、ミラはそう言った。そうだ、僕は今日も今日とてあの魔術の訓練をしなければならない。いや、魔術はミラがかけてくれるんだから……えーと、魔術が掛かった状態での運動の訓練? 間怠っこしい。ともかく訓練だ、訓練。嫌だなぁ……あれキツイんだよなあ…………

「……アギト……?」

 せねばならないと理解している。必要な事だと、どうしても避けては通れぬと。覚悟も決めた筈だった。のだが……やはりというか、そもそもそういった事を避けて生きてきた人間だ、僕は。悪い考えが浮かんで、体はサボる為にそれを行動へと勝手に移していた。仮病? いえいえ、そんなものよりもっと簡単で単純なものですとも。

「……よしよし」

「んん……アギト…………こら……えへへ。どうしたのよ……もう…………ぐう」

 僕はミラの体を抱きしめて頭を撫でていた。うん、大体予想通りの結果が得られた。単純に出来過ぎている、あまりにも作りが単純化され過ぎているぞお前……と、頭を抱えたくなる。暖かくなれば寝る。気持ちよくなれば寝る。頭を撫でられると寝る。ともかく寝る。寝たら動かない、動けない。そもそも動く気がない、動く気配もない。この少女に対して、最も有効な対処方法を発見してしまったかもしれない。

「…………信じらんねー……本当に……ガチ寝じゃん……」

 もっと警戒心を、というのはもう今更思うまい。存分に甘えなさい、頼りなさい。いつも頼らせて貰っている分、こんな事でしか返せないのだから。だが……うん。やはりもう少し警戒心ってものをだな。

「おはようございまーす…………な、何してんスか朝っぱらから……」

「ち、違うんですよ……」

 この方法は諸刃の剣だったか。朝早くからの来訪者はオックス。随分顔色も良くなって、この調子ならもう数日で全快だろうか。若さの力って凄い。

「いちゃつくのはいいっスけど……怪我だけは長引かせないで下さいよ?」

「ちょっと! ちょっとっ‼︎ 人聞きの悪いことを言わないで頂戴な⁉︎」

 言い訳しようにも、訓練が嫌でなんとかミラを寝かしつけることでそれを先延ばしにしていた……なんて言えるわけもなく。解消されつつあったオックスの誤解もまた深まって……っていうか、もうそういう関係として見られてるっぽい、ぽくない? ともかく、そうではないと苦し紛れの言い訳を繰り返す。

 朝日もすっかり昇り、カーテンの有無など気にせぬ強い光が室内を照らす。ミラも流石に目を覚まして、今にも眠りこけそうな顔で出された朝食を食べ始めた。だが……どう見ても足りないのだろう。しょぼくれている姿は、どこか痛ましさすら感じる。

「朝ごはん買ってくる。二人とも足りないだろうし、何か一緒に買ってくるよ」

「あ、なら俺も行くっス。そろそろ身体動かし始めないと、むしろ気が滅入っちゃうっス」

 うーん、まあ本人が言うなら……と、僕はそれを了承した。本当に大丈夫だろうな? と聞いても、もちろんっス。しか言わないし。あれだけの大怪我した後で、よくもまあ……これがアウトドア派(?)か。僕は日頃の自分の行いを反省する。あんな怪我したら、その場でショック死してしまいそうだ。

「じゃ、すぐに…………すぐに戻るって。そんな顔するなよ」

「何かあったら、今度は絶対逃げるのよ。窓は開けとくから、最悪大声で叫びなさい」

 分かった分かった。と、心配そうに眉をひそめるミラを宥めて、僕らは病院を後にした。街外れで叫んでも聞き取りそうだな。と、オックスと笑いながら、もう何度お世話になったか分からないパン屋に赴く。そろそろなにか、もっとガッツリコッテリしたものを食べたくなってくる。道中嗅ぐ肉やらピザやらクリームやらの匂いに、そんな思いを強めた。

 レタスとトマトと干し肉……ベーコンではなさそうだが、似たようなもんだろう。ともかくBLT的なサンドウィッチを買い込んで、デザートにとグレープフルーツもおまけして貰って、僕らは両手に荷物を抱えて帰宅……? 病院に帰った。そろそろアーヴィンのボロ宿舎が恋しいなんてことも無くなってきたが、寝泊まりする場所が病院というのはイマイチ良い気分ではない。

「ただいまー。おーい、買ってきた……」

「ああ、おかえり。遅かったわね」

 ドアの先の光景に僕は手にしていた果実を取りこぼしてしまった。ミラは……いや、まだそんな……と、混乱する。転がっていったグレープフルーツを、しゃがんで拾い上げるその姿に。立ち上がってストレッチしていたその姿に、僕は心の底から驚いて……そして——

「むぅ……グレープフルーツ……グレープフルーツかぁ…………もうちょっと甘いのが良かっ——」

「——寝てろっ! って‼︎ 言われてんだろうがッ‼︎」

 怒鳴りつけて、その軽い体を抱えてベッドに寝かしつけた。おバカ! この大バカ! 安静にしてなさいって言われたでしょうが! 目を丸くして驚く姿に、こっちがびっくりじゃいとまた怒鳴りそうになる。

「お、落ち着きなさいっ。多少の運動は大事なのよ! 血の巡りを良くしないと治るもんも……」

「じゃあマッサージでもなんでもするからジッとしてなさい! お前は加減をしないから勝手なことしちゃダメ! どうせ痛くても、最悪魔術かなんかで麻痺させれば良いやとか考えてるんだろ! お見通しだぞ‼︎」

 図星だったらしい。図星では無いと嬉しかったのだが。バツの悪そうな顔で渋々布団に包まった少女は、ぶつぶつなにやら文句を言いながらそっぽを向いてしまった。言い過ぎたかな……?

「……悪い、言い過ぎた。ご飯買ってきたから、ほら。食べよう?」

 反応が無い。拗ねてしまったか? ごめん。と、何度か謝っても一向に振り返る気配は無い。これはこれで面白いので放っておこうか、とか考えている自分がいるのをなんとかしたい。

「……あーん」

「あーん?」

 手立てを失って沈黙した僕らの方を彼女が振り返ったのは、それから少しだけ過ぎた後。見覚えのある悪ガキフェイスで、口を大きく開けてミラは僕の方を向いてそう言った。

「ほら、ジッとしてなくちゃいけないんでしょ? だから、ほら。あーん」

「よーし、ミラはもういらないらしいぞ、オックス。もったいないから二人で食べちゃおうか」

 全然余裕じゃないか。心配して損した。僕はミラに背を向ける様にして、サンドウィッチの袋を彼女から隠しながら身体の陰で開けた。後ろで何やら泣き喚いているが、そんなこと知ったこっちゃ……痛い! 痛い痛い! 噛むなっ‼

「わかった! 痛い痛い痛い痛いっ‼︎ わかったから噛むなっ‼︎」

「あんまり暴れると怪我に触るっスよー」

 それを僕に言うんじゃない! 頼むから僕じゃなくて……後ろのカミツキガメに……

「いっっっっっっっでぇ⁉︎」

「ふーーーっ‼︎」

 食い物の恨みは恐ろしい。我を失ったミラの猛攻に僕の左肩は耐えられず、結局僕は朝ごはんを全て奪われてしまった。略奪である。この時はまだ平和な一日が——多少の訓練はあれど、平和な一日が訪れるのだと誰もが思っていたのだろう。そう、誰もが……


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