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異世界転々  作者: 赤井天狐
異世界転々
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第百十話


 ——動け——動け————動け——ッ‼︎ 目の前の男を取り逃がしてはならない。今——今なのだ! なんとしてもこの男は討たなければならない——っ! 何度命令してももう体が動かない。砕けた脚の痛みを麻痺させるだけの魔力すらない。目の前の怪物を討ち滅ぼし、邪悪の根源である男を倒す力が残っていない。

「——ぁあ——がぁあああ——ッ!」

 嘘だ——動く——動く、動く筈だ————動け——ッ! たった一撃でいい。たった一撃……ひとりの人間を倒す程度——っ。屈強な魔獣を相手取っているのではない、ただの人間ひとりを屈服させられるだけの一撃でいい。私の体など砕け散っても構わない。この悪を討ち、彼を無事返すことが出来たのなら——

「そうだ、ご挨拶がまだでしたねぇ。私はゴートマン。見ての通り、悪どい錬金術使いでございます。私の事はご存知なくとも、私の作品については一度ご覧頂けたのでは無いでしょうか?」

「——ッ! 黙れっ‼︎ お前は……お——ッ⁉︎」

 喉を生暖かいものが通り過ぎたのが分かった。もう胃液か血かも分からない苦い物を呑み下す余力すらなく、地面に転がって無様に吐き散らした。私はなにをしている。何故、今ここに臥している。歪み、焦点の定まらぬ視界で笑うそれに、どうして飛び掛かれないでいる——

「蛇の魔女——と、お呼びでしたか。酷い話ですよねぇ……彼女には立派な、ビビアンという名前があったと言うのに。皆、その名で彼女を呼ぶ事をやめてしまった」

「黙れ……ゲホッ…………黙れ……っ!」

 どれだけ恨みを込めても男には届かない。這いずって進む先に立っている。すぐそこに見えている。今すぐに首を掴める、射程圏に捉えているのに……っ!

 アギトの声がする。無理をするなと、早く逃げろと。竜に近づくなと——この邪悪に背を向けて生きろと叫ぶ、彼の声がする。だが、それでは……っ。

「……貴女は彼の名を呼んであげられますか? たった一度。たった一度だけ情けをかけた悪党の名を、貴女は——」

「——ッ‼︎ 黙れぇえッ‼︎ 揺蕩う(ドラーフ)——ッ⁉︎」

 世界が百八十度回転した。遅れて右肩に鈍痛がやってきた。もう——届かない。私では届かないのか。硬く逆立った鱗に削られた腕から滲む血に、転げた地面が赤く染まる。ああ……そんな顔をしないで……っ。真っ青な顔の彼が視界に映り込んだ。

「では御機嫌よう、私はこれで。次に会う時はどうお呼びしましょうか。ご希望があれば考えておいて下さい」

「待ッ——ごほっ……」

 男は私達に背を向け、山を降りて行った。追いかけなければ。追いかけて……必ず倒さなければ……っ!

「ミラッ‼︎ もう動くな、ミラッ‼︎」

「……ア……ギト…………」

 何かから守るように彼は私を抱き起こした。ああ、そうだ……彼を……守らなければ……。彼だけは……何があっても……。

「〜〜っ! オーックス! まだ近くに冒険者がいる筈だ! 助けを! 誰でもいいから、助けを呼んで来てくれ‼︎」

「了解っス! すぐに——」

——いけない——っ! 今動いてはいけない! 今それに背を向けては——

「待っ……オックス……待って!」

「ミラ! 喋るな! まだ動いちゃ——っ⁉︎」

 私達の視界を影の様な黒い尾が貫く。手を伸ばしてももう守れない。もう……何も……っ!

「……っ? オックス……?」

「がっ……っ⁈ すんま……せんアギトさん……」

 影は元の位置に戻って行く。ピッと頰に触れたそれが、竜の尾から飛んだオックスの血液だと分かったのは、私の視界の殆どを占めている彼の表情が赤くなった時だった。私にはもう……何も守れない……?

「…………アギト……オックスを……連れて、下山して……」

「ミラ……おいミラ! 動くなって……っ!」

 決めたのだ——守ると、この場所は誰にも、何にも譲らないと——っ! 魔力が無いのならこの身体で。身体が動かないのならこの心で。折れぬ限り守ると——あの時——

「ミラ——っ⁉︎」

「…………アギト……?」

 私の頰を鋭い槍のような尾が掠めた。遠く……遠くに彼の声が聞こえる。振り返ればそこに彼がいない。突き飛ばされ遠くに転がる彼の体に胸の奥が熱くなる。

「この……っ⁉︎」

 睨むことすら許さず、私が顔を前に向けるより先に二撃目がオックスを襲った。体を丸めて耐えようとするその姿を、魔竜は弄ぶように何度も打ち付けた。私は……無力な私はそのついででなぎ倒されて、また地面に臥せってしまった。

「っ! オックス……っ!」

 遂にオックスは吹き飛ばされてグッタリと仰向けになってしまった。次の標的は……

「やめて……っ! なんで……なんで私を狙わないのよ……っ!」

 私に……こんなになってまで私を助けようと手を伸ばす彼を、魔竜はその太い尾で打ち始めた。這いつくばるだけの私になど、なんの関心も無いと言わんばかりに。私など、視界の端にすら留めずに彼を……っ!

「……やめろ……って! 言ってんのよ……っ!」

穿つ雷電(ピアード・ヴォルテガ)——ッ!』

 足元に転がっていた彼の短剣を竜に突き付け、あの人と共に言霊を唱えた。あの人は……あの人ならこんな事にはならなかったのだろうか。だが……ああ、もう遅い。私は私だ。あの人では無い。ハークスの未来を食い潰した私には、これがお似合いの最後なのだろう。

「……アギト……逃げなさい……」

 足に力が入らない。だがやっと……やっとソレは私を見た。ざまあみなさいと小躍りしてやりたくなる。片眼を焼かれてようやく、魔竜は私を敵として認識した。まだ、私にもやれる事がある。ミラ=ハークスとして、最後までやり通すと決めた大切な使命が——

「…………さあ……私はここよ。ゴメンね……お前の……アンタの眼を焼いた悪い魔女はここにいるわ……」

 禁薬。尽きた魔力を他の何かで代替させる、私だけのとっておき。最後の一本を飲み干して、私はまた雷を纏う。もって数秒——だがそれでも——

揺蕩う(ドラーフ)……雷霆(ヴォルテガ)……」

 振り下ろされる尾を私は避ける事も出来ず、両腕で受け止める。踏ん張る脚が悲鳴をあげる。今にも砕かれそうな腕が鈍い音と共に弾かれる。だがまだ……もう少しだけ……ほんの少しでいい——っ!

「——ぁあああッ!」

 戻って行く尾を掴み私は魔竜に飛びかかった。勢いも足りぬ、魔力による補助も無い小娘の拳は、硬い鱗によって逆に割られて血を吹き出した。まだ……まだ終われない!

「——ちょっとは……堪えなさいってのッ‼︎」

 渾身の回し蹴りは鱗ごと竜の顎を砕いた。飛び散る牙と浅黒く濁った泥の様な血飛沫に手応えは感じる。だが……そうか。ここが終着点か。私が——偽物が目指すには、その頂はまばゆすぎた。ただ、それでも……私にはここで朽ちるがお似合いと、貴女に恨まれて逝きたかった。私を睨む、この魔竜の濁ったまなこの様に。

「——ミラーーッ‼︎」

 彼の声が聞こえた。幻聴だろうか。いや、幻聴などでは無い。まったく……最後の最後まで手のかかる。逃げてと言ったのに。生きて、幸せになって欲しいと望んだのに。突き飛ばされ、回る視界の端に叫ぶ彼の姿を見つけた。見つけてしまった——

「…………助けて……アギト……」

 頰を流れたのは涙だろうか。そんな情緒が私に許されるだろうか。請うてしまった。望んでしまった。私が私として……生き残りたいと望んでいるのに——っ!

 私が消える。ミラ=ハークスと言う偽物が消える。飲み込まれる意識の中で、私は彼の涙を見てしまった。こんな私に……出来損ないに泣いてくれる彼の優しさに触れてしまった。生き残りたいと……思って————

 私の意識はここで途絶えた——


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