第百四話
街の人曰く、山より北では——正確には、北東にあたるこのフルト以北では、ボルツ周辺の様な干ばつは見られないらしい。どうやら、トグの大山にぶつかった西からの風で此方側には雨が降るらしい。本来今のような暖かい時期は逆で、ボルツに雨季を、フルトに乾季をもたらしてきたそうなのだが……
「しかし……本当にどこに入って行くんっスかねぇ……」
「考えるなオックス。これはもう、そういうものとして受け入れろ」
雨の恵みで豊かに育った作物の恩寵を一人占めする卑しん坊、もといさっきから食ってばっかの食いしん坊は、そんな僕らの会話もそっちのけでフルーツとバタークリームのたっぷり挟まったふかふかのパンケーキに貪り付いていた。アレだ、きっと別腹てやつなんだろう。だから……そう、別腹なんだから…………目の前に積まれたピザの皿とは多分別問題なんだろう。
「美味しいのは分かるけど、あんまりがっつくと太るぞーお前。いや、食わないといつまでもチビのままかもしれんな」
「っ!」
机の下で無言の抗議を受ける。分かった分かった、お願いだから脛はやめてくださいお願いします。さて、この街についてはそこそこ理解を深めた。本来ならこの時期は乾季の筈が、ここ十数年は雨に恵まれ、夏場でも農業に支障が出ないため野菜や果物といった物も食べられ……違う! ミラの食い気に釣られすぎた。建物はやはり赤煉瓦造りのものが主流で、どの店、宿、家庭にも煖炉が設置されているそうな。どうやら冬は厳しい寒さになるらしい。雪もよく降るらしく、きっとこれもミラは見たらはしゃぐんだろうなとか考えたりもした。アーヴィンにも雪は降るんだろうか?
「……ごくん。それより気になるのは、雨季と乾季の逆転……はして無いか。どうして此方側にばかり雨が降る様になったか、よね。人為的に操作出来るものでも無いだろうけど、自然に起こる現象としてはちょっと異常だわ」
「ここは願ったり叶ったりかも知れないから大きな声じゃ言えないけど、あの干害はちょっと悲惨だったもんな。あのままだと、いつかボルツも干上がっちゃうよ」
もともと乾燥帯ではあるそうなのだが、それでも気にかかる。この世界でも流石に自然現象くらいは同じだと信じるなら、やはり北の方で何かあって、南から来る暖気が押し負けている結果雲が北側でばかり発生しているとも考えられるが……南からの海風より強い暖気なんて中々考えられない。というか僕は天気予報士でもないし分かってたまるかって話でもあるんだが。
「問題の帽子の男についても収穫は無し。道を間違えたのか、或いはもうとっくに通り過ぎた後なのか」
問題の。と、彼女が強調する魔獣の卵を売りさばく男。僕らの追っている、現状の目的みたいなものだ。ところで……王都にはいつ頃着きそうですか……?
「ご飯も食べたし、一度役所に寄って今日は休みましょう」
そう言ってミラは、懐からすっかり痩せ細った巾着を取り出した。あれ……? おかしいな、ボルツに着いた時にはもっと丸々していたような……?
「何言ってんの、これは私のお小遣い財布よ。共有のお金はちゃんと別に分けたじゃない」
「…………で、その共有のお財布は……?」
しばらくの沈黙が続いた。はて……? 財布……サイフ……? 僕はそもそも財布なんて物持ち合わせていないし、オックスに預けて…………も無さそうだ。そもそもあの時はオックスが一緒に来ると決まっていたわけではないし。僕らは勝手に来るもんだと思ってたけど。そうなると……
「……あれー……? もしかして分けておいたお金……忘れてきた……?」
「…………嘘でしょ……?」
忘れたぁ⁉︎ ちょ、ちょっと待て! ポーチの中……無い! 僕のポーチは⁉︎ うわっなんだこれ⁉︎ 赤黒い液体が入った瓶が……ああ、あの時の……うぷっ。それと魔具のナイフ一本、薬瓶が数本、ホルスターに銃一丁と弾入れに魔弾三発。僕の持ち物これだけか! ほとんどミラの小道具じゃ無いか! 僕は青くなっているミラの全身を隈なく探した。だがズボンのポッケにもシャツのポッケにも、さっき見たポーチの中にもない。もうこうなったらズボンの中とか……痛い痛い! 冗談です! 本当に中覗いたりしないから!
「……っ⁉︎ そうだ……私夜中にアギトの部屋に行って……その時普段の荷物しか持ってかなかったから……」
「夜中に……? アギトさんやっぱり……」
ちっっっっがぁーーーうっ‼︎ いや違わないんだけど! 間違いなくそれだ! あの時の寝ぼけ娘が大事な大事なお金をまるっと置いてきたんだ! それはそれとして違うんだオォーーックス‼︎
「あ……あわわわわわどどどどどどうしよう⁉︎ ここのお金くらいはまだあるけど、今日泊まったらもう明日から食べるものも無いわよ⁉︎」
「お、落ち着けミラ。あの旅館はオックスのお爺さんの旅館なんだ、今から電話して……電話って何だ⁉︎ 無いわそんなもん!」
い、いいいいいい今から戻るってどれだけかかる? と言うか、こっちからボーロヌイに向かう船って出てるのか? 話ではあの船は遠洋に出かけるって話だったし……いや、一緒に降りた商人さんがいるんだから帰りの船は来るはずだ。いつ来るかが分かんないから問題なんだけどさ!
「今から帰っても従業員の懐っスよ、きっと。多分、今頃感謝されてるっスね、ミラさん。こんなにチップを貰ったのは初めて! まさか割引分よりずっと多く置いて行ってくださるなんて! ってな具合に」
「にゃああああっ! お金がぁああ! おかねが……ない……」
ちょっと流石に可哀想なくらい取り乱すミラに、僕も内心ドン引きである。お金の魔力に取り憑かれ過ぎた。もう、あの純粋で無垢な少女は帰ってこない。いえ、初めて会った時から赤貧のけちんぼだった気はするが。ともかく僕らは折角稼いだ路銀の大半を紛失し、もう一度路頭に迷い金無い……おっと。迷いかねない事態に陥った。
「こうなったら……もう一度稼ぐしかないわよね……」
「……いいよ、そういう覚悟はもとよりしてきたつもりだから」
とても申し訳なさそうな顔で僕の方をちらりと見るミラにそう答えた。確かに痛かったし、激しい激痛が痛過ぎてもう二度とゴメンだとは思ったけど、それはそれ。必要とあればいくらでもやりましょう、魔術の使い過ぎで動けなくなったミラの運搬を。今ならオックスもいるしね。
「……だ、大丈夫なんっスか? 二人とも顔色悪いっスけど……」
そんなオックスの心配を他所に、僕達は決意を固める。もう一度魔獣どもを狩り尽くす、そして報奨金でウハウハの左団扇な旅に戻るんだ! 僕とミラは固い握手を交わして、この街の詰所か役所か、或いはクエストカウンターを目指して店を飛び出した。ピザが案外安くて助かったよ、ありがとう謎に包まれた夏の雨季。
しばらく歩くと、僕らは人で賑わっている大きな建物を見つけた。どうやら目的地はここで間違いなさそうなのだが……どうにも今までとは雰囲気が違い過ぎる。こんなに活気付いた役所なんて見たことが無い。どこかの街では、今頃無人で寂れたボロ役所がぽつんと立っているだろうに。
「すいませーん……通し……わぷっ! 通りまー……通して……通……アギトーーーっ!」
「しょうがないって。諦めなさい」
さしものミラのフットワークをもってしても、この渋滞は抜けられない様だ。人の波に押し返されて、涙ながらに帰ってきた少女を慰める。しかし、本当にこれはどうしたものか。
「もし。貴方がたも冒険者で?」
後ろから優しげな男の声がした。振り返れば黒いコートに身を包んだ長身の男がニコニコして立ってるではないか。ミラはどうやら彼を警戒しているようで、いえ、旅のものです。色々入り用になったので、仕事を斡旋して貰おうと。と、答えた。こういう時に僕より前に出て手を握られるととても安心するのだが、同時にとても情けなくなるのでそろそろ何とかしたいこの頃。
「最近はトグ山も随分物騒になりましたからねぇ。掛けられる報奨金も高い、ご飯は美味しい、宿は頑丈で隙間風も無く暖かい、そして海が近くて釣りも楽しめる。と、冒険者が集まる街になったそうなんですよ、ここ数年で」
「なったそうなんですよ、ね。貴方もその口かしら?」
警戒心丸出しのミラに男はゆっくり頷いた。このミラのあからさま過ぎる態度は、多分警告も兼ねているのだろう。私達に危害を加えるなら容赦はしない、私達はお前を許容しない、と。警戒する気持ちもわかるが……しかし、もうちょっと礼儀正しい子じゃありませんでした? 初めてユーリさんに出会った時も、警戒こそすれもう少し友好的な態度だったじゃないか。
「アギ……二人とも、今日はもう休みましょう。明日また朝一で出直すわ」
「え……おいミっ——」
ミラは名前を呼ぼうとした僕の口を塞ぐ様に片手で覆い、さっきとった宿とは全然別の方向に引っ張り出した。男が僕らについて来る気配は無い。幾ら何でも警戒しすぎじゃないかと思いながら、僕らはただ黙ってミラについて行った。そうして遠回りして戻った宿で僕らはいつも通り、いつも通りに眠りについた。分かってたよ! だってまた二部屋しか取らなかったもんね、貴女!




