第三百八十九話【prologue end——】
「——すみません! 遅くなりました!」
フリードさんとの歓談もそこそこに、僕はマーリンさんの仕事部屋へと向かった。
ユーリさんについて知りたいなら、これ以上の適任があるものか。と、ヘインスさん達も呼び集めて、ユーリさんの墓前でまた宴会を開いてたんだ。
それで、楽しくなっちゃって、ついつい時間を忘れて、フリードさんに言われるまで遊び呆けちゃって……
「——遅いわよ! このバカアギト! 何やってたのよ!」
「ひぃん! ご、ごめん……ちょっと大切な……めっちゃ大切な用事があって……」
嘘は言ってない。
だって、フリードさんにお願いされたんだ。
これが大切でないわけがない。
それに、ユーリさんのことはミラだって好きだろ? マーリンさんなんて言わずもがな。
じゃあ、あの宴会は大切なものだったんだ。
秋人としての戦いを終え、僕はアギトの世界に帰ってきた。
で、昼過ぎに起きて、マーリン様に呼び出されてるから……と、ミラに連れられて王宮へと入っていた。
んだけど、その途中で寂しげな顔のフリードさんとすれ違って……
「まあまあ、落ち着いて落ち着いて」
「アギト、調子はどうだい。身体に異常は無いかな?」
「それと——君にはまだ、僕が幼い子供に見えてたりしないかな?」
「身体は……大丈夫、問題無いです。マーリンさんは……真鈴には見えないですね」
「でも、あの後ちょっと大変だったんですよ。そうだ、それについても聞きたいことがあったんだ」
未来と真鈴のことをみんなが忘れてしまっていた。
それを伝えると、意外なことに驚いたのはマーリンさんだけだった。
ミラは普通にしてて……え? なんで?
お前も驚けよ。え、そうなの? ってなるとこだけど?
「……そうか、ふむ。いや、なるほど、道理か」
「かつての勇者や君は、死亡という形で証を残した。退去ではなかったというのがミソだろう」
「亡骸があるんだ、それが誰だか分からないなんて話は通じない」
「でも、今回は完全に消えて無くなったわけだからね」
「そうですね。因果もろとも消滅した……と、そう考えるのが自然でしょう」
「となると……アギト、眼鏡は⁈ すいまーさんの眼鏡は無事でしょうね⁈」
おう、しっかり残ってるよ。
部屋もそのままだし、お前が食べ散らかしたハンバーガーのゴミもしっかり残ってたわい。
ったく、食ったら片付けろっての。
「それで……ほら、真鈴から俺に名義変えたから……部屋がそのまま残ってて……っ」
「あ、ああ……ごめん、変なものを押し付けちゃったね」
いえ、そこ自体はいいんです。
良い部屋だし、幸い独身無趣味男には貯金もあるので。
でも、問題なのは……めっちゃ寂しいこと……っ。
こっちに帰ったらそうでもないけど、秋人でいる間はめっちゃ寂しいんだよぅ。
娘がふたりいなくなっちゃった独身三十路男の心の隙間は、そう簡単には埋まらないのだよ。
「それにしても、困ったものだ」
「それなりに長くいたからね、あっちの生活に身体が少しだけ馴染んでしまった。いやはや、冷蔵庫や洗濯機が恋しいよ」
「えあこんだって無いし、あの絵が動く箱も、もっといっぱい使っておけばよかった」
「あはは……真鈴はすぐ寝ちゃってたから、あんまり見てなかったですよね、DVD」
「覆面バイカーとか、未来と花渕さんと望月さんばっかり盛り上がってたし」
損した! と、マーリンさんは口を尖らせて拗ねたフリをする。
いや、フリじゃない、本気で拗ねてる。
拗ねてるけど、それは子供みたいかなと建前を気にして、これはフリですよという顔をしている。
なんか……真鈴を長く見てたからかな、心の底が分かりやすくなった気がする。まるで我が子のよう。
「……さて、思い出話はここまでだ」
「アギト、まずはいつもの健康診断だよ。身体の調子と心の調子、どっちもしっかり見ていこう」
「はい。えーっと……いつもの健康体操からで良いですよね?」
両腕を身体の前で伸ばして、手を合わせて頭の上に持っていく。
ふふ……ふふふ……身体かるーい、肩かるーい。
もうね、ほんと……現代人の肩、ヤバいから。全然上がんないから。
それに比べて、アギトのこの若々しい肉体の素晴らしきかな…………運動しよ、秋人も。体力はしっかり落ちてるままだし。
「うん、問題無いね」
「で、心の方……だけど……ふむ。むしろ、今までで一番良好かな」
「いや、当然か。君にとって、あの世界とこの世界の行き来は当たり前のものだった」
「ずっとここにいる、ずっとアギトのままでいる方が不自然だったんだ」
「なら、馴染んでいるのが普通だよね」
「そうですね。なんて言うか……ちゃんと自分の中で秋人とアギトの区別が付いてるって感じです。良くも悪くも」
マーリンさんは僕の言葉にうんうん頷いていた。
良好良好、万事問題無し、かな?
それからすぐに机の引き出しを開けたと思うと、中からちょっとだけ厚い封筒を取り出した。
なんだか物々しいと言うか……立派な封蝋が見えた気がする。重要書類だろうか。
「……それで、だ」
「ごほん。ここからは、真鈴でも優しいお姉さんでもない、星見の巫女としてのマーリンとして話をする」
「ふたりとも、心して聞いて欲しい」
「星見の巫女として……ですか」
ひええ、本当に重要書類っぽいぞ。
ミラもしゃんとした顔になって、マーリンさんのそばから僕の隣まで走ってきた。
巫女として……か。なんだろう。勇者としての僕達に仕事……とかかな、やっぱり。
「——天の勇者両名に、外国への派遣命令を下す」
「古くからの友好国より、支援要請が来てね。魔獣の被害が抑えられなくなったから、どうか力を貸して欲しいという話だ」
「そこで、王様が僕にこの件を預けてくれたんだ」
「派遣する戦力をお前が決めてみろ、と」
「——外国——ですか……?」
派遣……戦力……うう、やっぱりそうか。魔獣との戦いはまだ続くんだな……はあ。
いや、そもそも魔人の集いの件も解決するってミラは意気込んでたし、覚悟はしてたけど。しかし……
「……ど、どうして俺達が……しかも外国……」
「そ、そんなに落ち込まないでよ」
「ごめん、分かってるよ。急な話だし、それに大変な話だ」
「でも、この件は君達にしか任せられない。そして——君達はこの件に関わるべきだと思ったんだ」
関わる……べき?
した方が良い……って、どういうこと?
だって、マーリンさんは割と穏健派……だいぶ過激なことばっかしてるけど、僕達が戦うのにはあんまり乗り気じゃなかったじゃないか。
子供は戦わなくていい、そういう世界を作りたい、って。
それとも……成果上げ過ぎて戦力として期待されまくってます……?
「うん、ちょっとね。いや、なに、まだ確定ではないんだけど」
「目撃情報があったんだ。新種の魔獣の目撃情報……というのももちろんある。それに、恐らくだが魔人の集いも一枚噛んでいるらしい」
「だけど……」
「——魔人の集い——っ! マーリン様、行きます! 行かせてください!」
「どっちが大元かは知らないけど、やっぱり外国にも拠点があったのね。行って叩き潰すわよ、アギト!」
物騒!
マーリンさんの話をぶった切ってまで挙手したミラを、マーリンさんはちょっとだけ落ち着かせた。
もうちょっとだけ聞いておくれ。僕がそんな嫌な動機だけで君達を向かわせたりしないよ、と。
「ごほん。あくまでも伝聞だ。だけど、可能性は非常に高いと思っている」
「目撃情報は魔獣と魔人、それともうひとつ」
「超常現象——自然発生するものよりも更に強大な雷電を確認している」
「恐らくだが、規格外の魔術によるものだろう、と」
「ふたりとも、身に覚えがあるだろう。そんな真似が出来るのは——レア=ハークスを置いて他にはいない」
「——っ! お姉ちゃんが——っ⁉︎」
レアさんが——っ。
マーリンさんのその言葉に、僕もミラも胸を躍らせた。
あらゆるものを犠牲に、僕をこの世界に召喚してくれたひと。
魔王との戦いの折、記憶と力の全てを取り戻して道を切り拓いてくれたひと。
そして、その後行方知れずとなっていたひと。
レアさんがいるなら、きっと神官さんも——ふたりのお祖父さんもいる筈だ。
「どうかな、ふたりとも」
「命令とは言ったけど、もちろん強制はしない」
「けれど、今回はれっきとした国からの出撃命令だ。莫大な報酬も約束される」
「僕としてはさ、やっぱりもう戦わないで欲しい、アーヴィンでゆっくりして欲しい」
「けど同時に——君達には、奇跡を望み続けて欲しいとも思う」
「——もちろん行きます!」
「お姉ちゃんを探したいのもあります。でも、それだけじゃない」
「魔人の集いを放って置けない、魔獣を倒さなくちゃならない」
「それに何より、マーリン様が選んでくださったんですから。誇りを持って、使命を全うしたいです」
君はどうだい。と、マーリンさんはにこにこ笑って僕に尋ねた。
ミラは僕も行くのが当たり前って顔でこっち見てるけど……お前なあ……
「……俺は、戦いたくないです。ミラにも戦わせたくない」
「でも……はあ。そう言ってずーっと旅をして、魔王も倒して、いろんな世界行って、遂には元の世界でまで戦うハメになったんだ」
「じゃあもう、今更何も変わんないですよ」
「レアさんには俺もちゃんとお礼を言えてない、そこには悔いがある。だったら、行くしかないです」
「……うん、分かった。紹介状を書いておくから、後日僕の隊と一緒に出発して欲しい」
「準備にはそれなりに時間も掛かるからね、エルゥや他の知り合いに挨拶をしてくると良い」
「ガラガダへ行ってオックスと会う時間も作れる筈だよ」
挨拶か。
そうだなぁ……まずはやっぱりエルゥさん達だろう。
きっと知ってるだろうけど、フリードさんにも僕達から話さないとな。
んで、ヘインスさん達。
それが終わったら、ベルベット君とマグルさんに会いに、マーリンさんの研究所へ。
で、クリフィア行って、アーヴィンに帰って、ガラガダに立ち寄って……
「そうと決まったら早速荷造りして出発ね!」
「アギト、さっさとしなさい! のんびりしてる暇無いわよ!」
「えっ? あ、ああ。いやでも、今日中に出るのは無理じゃないか? いろんなとこに挨拶行かないと……」
だから、そんな暇無いって言ってるのよ! と、ミラはずいぶん張り切って……はい?
いやいや、そんな暇って、どんな……
「マーリン様、私達はふたりで先行します。場所はどこですか?」
「隊を組んだり荷物を準備したり、手続きも考えると、かなり時間が掛かるでしょう」
「だったら——歩いて行っても、今からなら間に合いますよね。隊とは現地で合流します」
「……はい? ミラ? おい? ちょっと?」
歩いて……? うん? ちょ——ちょっと⁈
何言ってんの⁉︎ 観光じゃないよ⁉︎ 戦いに行くんだよ⁉︎
いや、レアさん探す方がメインな気分はあるけど。じゃなくて!
「何ボケてんのよ、このバカアギト」
「私はアーヴィンの市長よ、そこは変わらない。あの街をより良くする為には、色んなものを見るのが一番だって今回の召喚で分かった」
「じゃあ、またやるしかないじゃない! もう一度、私達の旅を!」
「……ふふ、あはは! ミラちゃんらしいね、その考え方は」
「そうだね、君達はかつてもふたりだけで歩いて旅を始めたんだ」
「なら、もう一度同じことが出来ない道理は無い」
そんな筋の通らない話も無いけど——っ⁉︎
規模考えろ! 前は! 国内! あくまでも街から街への移動!
今回は! 国外! どうしようもなく規模が違うだろうが!
え、マジで? マジで行く流れ? ミラさん?
全然思いとどまるつもりは……無い、ですよね……
「しかし、今回は目的地と指定された期限がある。ゆっくり歩き回る余裕は無いから、道は先に決めておかないとね」
「おーい、ザック。地図を持ってきてくれ」
はい、整列。と、指笛を吹いて、マーリンさんは小さなザック達に命令を出す。
うう……小さくてもこもこした、猛禽類とは思えない小鳥達が、地獄の道ゆきを決める地図を運んでくる……っ。
どうして……どうしてこんなことに……
「はいはい、ごくろう……おや? もう一回整列。うん? あれ……?」
「おい、お前達。なんだか数が合わない……せ、整列!」
ぴっ! と、指笛を何度も吹いてザックを並び直させるが……どうやら一羽足りないらしい。
マーリンさん、ザックの数把握してたんだ。いや、そりゃそうか。でも、その割には……
「……ちゃんと管理出来てなかったんですね」
「あ……もしかして、アーヴィンからこっちまで来させる時に逸れたとか……」
「そんなぁ! ザック! ザック! どこだよ、出ておいでよ! うわぁん!」
家族同然……と言うか、文字通り分身なわけだから。いなくなったらそりゃ寂しいよな。じゃなくて。
もう真面目な話どころじゃなくなって、ミラも僕も一緒になってザックを探し始める。
出来ればどっかに隠れてるだけだといいけど……思い当たり過ぎる節があるからなぁ。絶対逸れたよ、これ。
「ザックぅ……うう……どこ行ったんだよぉ……。エルゥのとこかな、それとも……ぐす」
「えっと……ザックってマーリンさんの一部……だったんですよね? それで、離れてても指示が出せる……みたいなこと言ってた……気がするんですけど」
「じゃあ、異常があったら分かったりしないですか? その……助けてーって伝わってくるとか……」
僕の言葉に、ミラは怪訝な顔をした。
そんなメルヘンな話があるかと言いたげだけど……いやでも、ザックって割と一番ファンタジーな存在だったし。
今では見た目もファンシーだけど。
なら、そういう特殊な能力を持ってても……
「……ぐすん。そう……だね。もし死んじゃってたら流石に分かる」
「呼び掛けに応えないってことは、どこかで何かやってるんだろう」
「ザックと纏めて呼んではいるけど、どいつにも自己があるから」
「ぐす……どこかで元気にやってるだろう……ずび」
じゃあ、場所だけ説明するね。と、マーリンさんは泣きべそかきながらまた真面目な話に戻ろうとする。
うん……無理はしないでね。貴女、フィーネの時にもかなり凹んでたし。
僕はそんなに急いでないから。と言うか、急ぎたくないから。ゆっくりさせて……
「ぐす……えっとね、取り敢えずこのまま一度西へ」
「ボーロヌイから船が出てただろう? その定期便に、ええと……ここだ。この街で船に乗って……」
マーリンさんに道を説明されて、船に乗ることも説明されて、その為に必要な紹介状を明日までに準備して貰えると聞かされて。
僕もミラも、今日のところは挨拶回りをすることに決めた。
うん、手を打った……が、正解。
そんなの無くても平気です! むふーっ! と、意気込むミラを説得した……とも。
エルゥさんは笑って見送ってくれた。
ハーグさんは、私達より先に出ちゃうなんてね。なんて、寂しそうに笑ってた。
レイさんはいつも通り豪快に笑って、門出を祝おうとかなんとかでお酒をガボガボ飲んでた。身体に悪いよ……その飲み方は……
で……
「——んー……うん、よし。アギト、準備は出来た?」
「っと……おっけー。さてと……はあ。なあ、マジで歩いて……」
行くのよ! と、ミラは僕のげんなりした心なんて容赦無く蹴っ飛ばす。
そうですよね、貴女はそういう子ですものね。
オックスにくらいは挨拶行きたかったなぁ。はあ……困った妹だ、まったく。
だけど……うん。
僕達はずっと——これまでも——これからも、ずっと——
この異世界を、ふたりで歩いていくんだ——
「——さぁ——行くわよ——っ!」
「——おう!」
——まだ見ぬものを探し出す。まだ見ぬものを手に入れる。
斯くしてふたりは旅立ちに臨む。その糸の先に何を求めるでもなく——