第三百八十五話【もうひとりのヒーロー】
想像していたのとは全然違った。
そこにいたのは、あまりにも場違いと言うか、魔獣の召喚という暴挙に似つかわしくない、大人しそうな少年だった。
でも、まず、何よりも。確認しなきゃならないことがある。
「——大丈夫だった? 怪我は無い?」
きっと怖かった筈だ。
あんな化け物をいきなり押し付けられて、怖くなかったなんてあるわけない。
慣れない頃に怪我をしたかもしれない。
現れた魔獣に襲われたかもしれない。
怖い思いをするタイミングは幾らでもあっただろう。
「……怪我なんてしてないよ。おじさん、変なこと言うね」
「おじ……ぐすん。そっか、なら良かった」
少年は凄く怪訝な目を僕に向ける。
ごめん……みんなそういう顔で僕を見るんだけど、なんで……?
みんなして僕を変な人扱いするんだ。
いや、ダメな大人ではあると自覚してる。
だけど、割と普通のおっさんじゃない?
ちょっと気が弱いだけの、ただのおっさんだと思うんだけど。
「おじさん、さっき自分で言ったよね。僕があの怪物を召喚してたんだろ、って」
「え? うん、そうだ……ね。あれ? もしかして、君じゃなかった?」
少年は凄く凄く呆れた顔で僕を見ていた。
ごめん、マジでごめん。
みんなしてなんでそういう顔ばかりを僕に向けるの?
泣いちゃう。初対面の子供にまで呆れられて……ああ、いや。ベルベット君にもずっとこんな扱い受けてたっけ。じゃなくて。
「だったら、先に言うことがあるんじゃないの」
「怪我してない? とか、大丈夫? とか。そんなの、僕に言う言葉じゃないよね」
「え……いや、だって……」
あれ? なんか僕、お説教されてない? こ、こんな筈では……っ。
少年は一度ため息をつくと、真っ直ぐで強い目を僕に向けた。
見覚えがあった。どうしてもダブって見えた。
この子は少しだけ、ミラに似てるかもしれない。
「街に怪物を出したのは僕で、それでみんなが困ってる」
「じゃあ、僕は悪いやつだ」
「おじさんが僕を捕まえに来たなら、心配するより先にすることがあるでしょ」
「えっと……うん……うん……ぐすん。なんかデジャヴ……同じことを昔言われた気がする……」
花渕さんに。うん、言われた。
仲良くなる前……と言うか、打ち解けるきっかけになったんだっけ、あの時は。
大人ぶって説教しようとしてたんじゃないの? って、逆にめっちゃ怒られたんだっけな。
うふふ、懐かしい……今は思い出なんてよくて。
「……でも、だって。君は誰も傷付けなかったよ?」
「だって君は、誰も怪我をしないように上手くやってた」
「じゃあ……悪いことはしたかもしれないけど、悪い子だとは思えないから」
魔獣は初め、実体を持たなかった。
僕と花渕さんの身体をすり抜けたアイツは、きっとコンクリートの壁をも通り抜けるのだろう。
何も壊せない、何も傷付けられない、文字通り幻の魔獣だった。
「君はきっと、意図的にやってたんだ。その力が使えるものかどうか、色々試すついでに」
「だから最初、君は魔獣に身体を与えなかった」
「その上で、誰かを襲うところを見てしまったから、それも渋った」
僕が次に見た魔獣は……いや、魔獣の痕跡は、小さな公園での足跡だった。
多分きっと、おそらく、そうだと良いなぁ……って僕の願望コミコミで。
アレはきっと、人目に付かないところで実験をしてたんだ。
雨の日の夜に、人気の無いあの場所で。
「そして君は、ある程度魔獣をコントロール出来るようになった。だから、遂に人がいる場所に召喚したんだ」
「だけど、不安はあった。その為の保険もかけて、君は実験を続けてたんだよね」
そして現れたのは、団地の上を飛行する魔獣だった。
パニックが起こって、きっと怪我人も——直接傷付けたわけじゃないにしても、それが原因で怪我をした人もきっといた。
だから……だよね。
「君はまた、人のいない場所で実験をやることにした。だけど……ごめん。割と全部僕の所為だね」
「僕の所為で、君の力は一気に増幅してしまった」
地下駐輪場への階段で現れた魔獣は、これっぽっちも攻撃性を見せなかった。
追い掛けてくる……と思ったのも、そもそも僕達が誘導したから。
あのまま放置してたら、多分何もせずに消えてたんだろう。
だけど、僕が焦っちゃったばかりに。
「……怖かったよね。きっと君には見えてた筈だから、絶対に怖かったと思う」
「やっと制御出来るようになったと思った力が、いきなり暴走したんだ」
「ドラゴンが出てきて、変な虫がいっぱい出てきて、しかもそれが人を——僕を襲ったんだ。怖くなかったわけがないよ」
だってこの子は、凄く優しい子だから。
初対面でこんなこと言われても困ると思うけど、この子がミラに似てる以上はそうなんだろう。
確信……より、願望が強いのかな。
こういう子はきっと、何も考えずに悪いことはしないだろう、って。
「それで……君の力はどんどん大きくなって、どんどん手から離れていった」
「僕達がここへ来る途中に現れた魔獣、アレは全部君の意図しないものだったんじゃないかな」
「多分……ううん、絶対。僕に引っ張られて出てきたやつだ」
もうこの子は、自分の意図で魔獣を出してはない。
マーリンさんはきっと、他の原因で暴発召喚された魔獣の対処に向かったんだ。
僕じゃない誰か、怖い思いをした人がきっかけになってる魔獣の対処に。
「そして君は、どうやったらそれを抑えられるのかが知りたかった。だけど、もう実験は出来ない——したくない」
「だから、何か知ってそうな僕達を誘導しようとした」
「でも、こうして僕達がここまで来たの自体は予定外だったよね」
「まだ、なんの誘導もしてない。なのに、呼び寄せようと思ってたこの場所に僕達が来た」
人目に付かないところ。を、この子が選ぶ理由。
悪さがバレるのを嫌がった。のでなければ、自ずと答えはひとつに絞られる。
もう、誰も傷付けたくなかった、だ。
「……ごめんね。駐輪場で僕が怪我した時、怖かったよね」
「僕がなんか変なことになった時、アレも自分の所為かと思って不安だったよね」
「でも、もう大丈夫。一緒に解決するから、もうひとりで悩まなくても——」
「——全然違うよ。おじさん、何言ってるの」
……あれ? あれ……あれれ?
お、おかしい。絶対丸く収まったと思った。
ハッピーエンドだ、やったー。で、終わりだと思った。
珍しく頼もしい大人エンドを迎えた気でいた。どうしてこうなった。
見れば少年は怖い顔をしていて……でも、やっぱり悪さを企んでる顔ではなくて……
「僕は悪いやつだ。悪いやつじゃなきゃダメだ。でなきゃ意味が無い。そうでなきゃ、ダメなんだ」
「……えっと……? 君は何か目的があって、魔獣を召喚してた……の?」
「誰かを傷付ける為じゃなくて、誰かを怖がらせる為でもなくて……」
少年はまたため息をついて、ちょっとだけ苦しそうに僕を睨んだ。
そして、こんなとこにこんな子供がいて、おかしいと思わないの? と、なんだか寂しそうにそう言った。
「え……そりゃあ、どうやって入ったの、とか……聞きたいことはあるけど……」
「そうじゃなくて……っ。今日、金曜だよ」
「こんな子供が、どうして学校にも行かずにこんなとこにいるのかって、変に思わないの」
え……あっ、ほんとだ!
僕のリアクションを見てか、少年はまたため息をついた。
ごめんって……いやでも、ほら。
力の制御が出来てない状態で、友達のいる場所にはいたくない……みたいなさ。そういうのかな、って。
「……いじめられてるんだ、僕」
「小学校の頃は仲良かったやつらなんだけど、中学に上がったら、みんなしていじめてくるようになったんだ」
「テストの点がどうとか、宿題がどうとか、何かに付けて気に食わないって」
「別の小学校から上がってきたやつらとつるんでさ」
「……っ。そう……だったんだね。そっか……それは……嫌だね……」
ちょっとだけ身に覚えがあった。僕もそうだったっけ。
小学生の頃は僕を大関って呼んでた友達が、いきなりデブとしか呼ばなくなった。
それに、だんだん声も掛けてこなくなった。
気付いたらコミュニティから外されてて、気付いたら部屋にいて。それで……
「……そんな時に変な化け物が出てきて……それが僕の意思で出たり消えたりすることに気付いたら、どうしてもやらなきゃいけないことがあるって気付いたんだ」
「これを使って、助けたい友達がいるんだ」
「友達……? 助けたい……って……」
言い訳……じゃない。
これは多分、本気で悩んでるから打ち明けてくれてるんだ。
本気で困って、本当にこれで良いのかって葛藤して、それで……
「幼稚園の頃からの友達がいるんだ」
「そいつは……そいつだけは僕をいじめない」
「だけど、僕をいじめないからって理由で、今はそいつがいじめられてる」
「だから、助けなきゃいけないんだ」
「そ、そんな……。でも、魔獣なんて使っていじめっ子を脅かしても、それじゃ何も……」
違うよ! と、少年は初めて大きな声を出した。
そんな考えなしなやり方はしない! と、そう咎められたらしい。
うぐ……口ぶりからして、まだ中学一年生だよな。
なんで……なんで十二、三歳の子に怒られてるんだ、僕は……
「あの怪物を、その友達に倒して貰うんだ」
「そうしたら、きっとその子はもういじめられない」
「僕だけを守っていじめられてるなら、みんなを守ってヒーローになれば良い」
「そしたら……そしたら、もうあいつらも優斗をいじめない。優斗なら……」
「……そっか……。そっか」
そっか。
やべ、納得しちゃった。
こ、この子、割としっかりしてると言うか……もうちょっとわがままにその力使おうとかないの?
え? 怖い。もっとこう……世界征服じゃーっ! みたいな……
「でも、それじゃあ君は……? 君の問題も、それでもしかしたら解決するかもしれない」
「だけど……きっと君は、自分がやったことを自分で責め続けるんじゃないかな」
そんな気がする。でも、きっと間違ってない。
この子はそういう子。
周りに配慮出来る子で、自分がやった悪いことを無視出来ない子。
じゃあ、この作戦は僕が咎めよう。
そんなのダメだ。
だって、自分が大切にされてない。
それじゃあダメだって、ちゃんと教えてあげないと。
「僕なんていい!」
「優斗が……優斗はずっと守ってくれてた。いつの間にか僕より優斗ばっかりいじめられるようになって……っ」
「でも僕はそれを守ってあげなかった、何も出来なかった」
「それで……もう、学校にも行かなくなった」
「だから、こんな僕は別にいい。でも、優斗はヒーローなんだ」
「だから、それをみんなに知らしめたい」
「……ダメだよ、それじゃ。きっとそれは楽しくない選択肢だよ」
教えてあげないと……いけないんだけど……はて。困った。
この子の考え方には、どうしても同調してしまう。
むぐぐ……僕もこんな感じなのかな。
何よりもミラ優先の考え方、外から見るとこんなにも危なっかしいんだな。
それと……くっ。この子、多分花渕さんにも似てる。
頭が良い。何言っても論破されそう感が……っ。
だけど、言わなきゃ。
「……そのやり方だと、きっと優斗くんは喜ばない」
「事情を知らなかったら、多少は……ううん、きっと凄く嬉しいとは思う。みんなに褒められるし、多分」
「でも……優斗くんはきっと、それじゃあ完全には満足しない」
「だってそこに、君がいないじゃないか」
「自分がいじめられてでも守りたかった、大切な友達が」
この子をミラに似てるって思った。
でも、話を聞いたらちょっと変わってきた。
この子は多分、僕に似てる。
僕より賢くて勇敢で若くて太ってもない……ぐすん。
でも、その分自分の考えをしっかり持ち過ぎてて、優柔不断に立ち止まらないから、僕と同じような結果になる。
だから、僕がどうにもマーリンさんみたいなことを言いたくなってしまう。
「自分が大切にされてるんだから、そこにもちゃんと目を向けてあげないと。でなきゃきっと——」
「——僕はいいんだってば! 優斗がヒーローにさえなれば、全部解決するんだ」
「あとは……僕のことはなんだっていいんだ」
よ、よくないよぅ……っ。
でも……これを説得するのは難しそうだなぁ。うーむ、困った。
こういう時——花渕さんの時は、うっかりぽろっと変なこと言っちゃったんだよね。
それでなんか……ごちゃごちゃになって……ダメな大人認定されて、打ち解けたけど……
「……そんな八百長みたいな英雄にならなくても、優斗くんはもうヒーローなのに……」
少年は目を見開いて僕を睨んだ。
いかん……いかん、いかんぞ。
うっかりしちゃダメだと考えてたらうっかりした。
ダメ人間……っ。この……ポンコツダメ人間……っ!
「みんなから認められてるヒーローじゃなかったら意味なんてない!」
「あいつらを見返さないと、なんにも変わらないんだ! だから——っ!」
「ひ、ひぃっ⁈ う、うん、それは分かってる。それも分かってる……けど。それだけじゃないよ……って、言いたくて……」
うわぁん! 大人が子供に言い訳する時間になってる!
どうして……? どうして僕はいつもそうなの……?
「……僕もいじめられてたんだ。それで……僕には味方してくれる人がいなかった」
「だから……そのまま、学校は行ってない。大人になってもずっと部屋にこもってた」
「でも、だけど、今更とは分かってるけど、一年くらい前に、やっとそこから出られたんだ」
出してくれたやつがいたんだ。
それを伝えると、少年はまたため息をついた。
だから、僕がそうなりたいんだ、って。
僕が優斗を守って、救い出したいんだって。
だけど……それは違う、絶対に。伝えなきゃ。
「——そいつはヒーローだった。だけど……色々事情も抱えてた」
「周りの人みんなを敵だと思ってて、実際誰も味方はしてくれてなくて」
「だけど、そいつはそんな状態でも僕を助けてくれた」
「これ、ほら。優斗くんに似てるよね?」
「それで……そう……なんだけどね。これから言うこと、信じられないかもしれないけどさ……」
——僕はそいつを残して死んじゃったんだ——
今度は怪訝な顔をされなかった。
こんな信じられない、くだらない妄言の方が訝しまれないって、普段の僕ってどんだけ変なやつなんだ。じゃなくて。
「……そしたら……そいつは壊れたよ」
「その頃には周りの人もみんな味方になってたけど、でもダメだった」
「優斗くんもそうなっちゃうかもしれない」
「優斗くんは、いじめてくるやつらと仲良くなりたいわけじゃない……わけでもないと思うけど。だけど、一番はそこじゃないと思う」
「一番はやっぱり、一番仲の良い友達と一緒にいたい、だよ」
アキトーっ! と、下の階から声が聞こえた。
ああ、そっち終わったのね。
そっか……もうちょい待ってて⁉︎
お前絶対力尽くで引きずって行こうとするもん! 脳筋だもん!
話を聞いてあげられるのは今だけ……っ。
急げ、ちゃんと伝えて……説得は僕には無理だから、この子に色々……頭の良い子に考えて答えを出して貰おう。
うわぁん! 無力!
「時間いっぱい掛けた方が良い。僕はそれを急ぎ足でやったから、ぐちゃぐちゃになってめちゃめちゃ遠回りした」
「えっと……そうだ! ここからだとちょっと遠い……けど、北雪見に僕が働いてるパン屋があるんだ」
「そこさ、中でパンとかスープとか食べられるから。優斗くん連れて遊びにおいでよ。僕がご馳走する」
「だから……変な戦い方せずに、逃げておいでよ」
「それで良いって、めっちゃ凄い人に教わったんだ」
バカアキト——っ! と、ドアが開いて、騒がしいヒーローが飛び込んできた。
ああっ、もう来た。問題児が、脳筋お化けがもう来てしまった。
無事ね! と、僕を見るなりそう言って、そして……
「……む。その子ね、原因は。むむ……むむ。んー……?」
「アキト、本当に他にいなかった? 魔力痕はあるけど……魔力自体はほとんど感じない」
「まさか、取り逃がしてないでしょうね!」
「えっ⁈ いやいや、誰も他には……いないよね? 君だけだよね⁈」
「えっ……あれ? 魔力を感じない……って……」
その言葉に驚いたのは、僕よりも少年だった。
慌てた様子で目を瞑って、座ったままなにやらジタバタして……おや?
「……怪物……出ない……っ。そんな……これじゃあ……」
「でしょうね。アンタにはそんな変な力は感じないもの」
「となったら、他に共犯がいた筈よ、吐きなさい。庇い立てするなら……」
ちょい待った! 脳筋! この脳筋が!
分かった、僕がその答え分かったから。
僕だよ! 共犯、いるとしたら僕だ!
僕が奇跡の力とかなんとか言われてたやつを捨てたから——それに引っ張られて影響されてたこの子の力も消えたんだ、多分。
干渉力とかマーリンさんが言ってたやつ。
「……えっと、じゃあもうあの作戦は無理そう……だよね。なら、やっぱり時間を掛けてゆっくりやろう」
「僕は……えっとね……名刺がね……ある……と……思ってた……んだけど……ひぃん、せっかく作ったのに持ち歩く癖が無いから……っ」
かっこつかない! 大人っぽいでしょ、名刺とか出しちゃうよ。ってやろうとしたのに! ごほん。
でも、ひとまずこの場を——この問題を終わらせよう。それくらいは今の僕にも出来る。
「ごほん。僕は原口秋人っていうんだ。今更だけど、名前を教えて」
「……翔。溝口翔」
翔くんか。そっか。
じゃあ……この凶暴なチビが噛み付く前に、一緒にここを出よう。それで……
「力になるよ。僕も、僕の周りの人達も」
「だから、優斗くん連れて遊びにおいで。怪しいおじさんじゃないからね……? 通報はしないでね⁈」
ちゃんと私にも説明しなさい! と、我慢出来なかったちびっ子に首を噛まれながら、僕達は四人でビルを後にした。
多分……これっぽっちも信用はされてない。
だけど、うん。
変な力が消えたなら、この子はきっとまともな答えに辿り着くだろう。
なんとなくそんな気がした。




