第三百八十二話【背を押すもの】
「——で——デンデン氏——っ⁉︎ なんでこんなとこにいんの⁉︎」
「いえ、ですのでそれを拙者が聞いているのでござるが……」
あまりにも場違い。そして、あまりにも間が悪い。
危険も危険、超危険。たった今から戦場になってしまうかもしれない場所に、僕の親友であるデンデン氏が、めっちゃ呑気な顔で現れた。
ミラが感知してたもうひとりが、まさか知り合いだったなんて……
「————はっ⁈ ち、違うんだよ。デンデン氏、これは違うんだ。この子は……」
誘拐じゃないよ⁉︎
やばい、やばいやばい。焦り過ぎたし、そういえばデンデン氏には未来も真鈴も会ってない。
花渕さんも、多分話したりしてないと思う。
して良いか事前に確認するし、したらちゃんと報告する子だからね。じゃなくて。
「つ、通報は待った! こいつは……こいつは……も、もうじき僕の家族になる子で、今里親とか養子縁組とかでおまわりさんとも相談してて……」
「いえ、まだ何も言っておりませぬし、聞いておりませぬが……しかし、むむむ。そうでしたか」
お? 珍しくスマホを出してこない。
通報しますた。と、ネタでいつもやり合ってるのに、ガチっぽ過ぎて逆に余裕無いのかな。
それとも、今のだけで信じてくれた?
いや、それはない。僕にそこまでの信頼があるとは思えない。
じゃあ……あっ、そっか。ミラの魔術に影響されて、スマホ不具合発生中かな?
「……ところで、まだ拙者の質問に答えていただいておりませぬが。どうしてこんなところに?」
「いえ、拙者は羽休め……もとい、新たな美味の開拓兼野暮用ですな」
「えっ、おっ……僕は……僕も野暮用……かな」
そうでしたか。と、氏は笑いもせずにそう言って、そして僕達の目指していたビルをじっと睨み付ける。
え……? 野暮用……デンデン氏もこのビルに用があるの? えっ⁈
「ど、どうしたの、デンデン氏。ここ、ただの空きビルじゃない? ここに用があったの?」
「……そう……らしいんですな。いえ、ここに思い入れなんかはありませぬが」
「しかし——どうにも、ここらしいんですぞ」
ここらしい……? 何が?
僕の問いになんて答えず、デンデン氏はスタスタとビルの方へ歩いて行ってしまった。
待って! 危ないから! せ、せめて他のビルに……
「——どうやら同じ目的のご様子ですので、もう隠さず話してしまいましょうぞ」
「拙者はあの変な怪獣の出どころを探っていましてな。まあ色々ありまして、この辺りがクサイとアタリを付けたのですぞ。そこへ……」
「……僕? 僕達が来たから……えっ? 変な怪獣の……って……っ⁉︎」
なんで⁈
危ない! やめときなさいよ! 本職パティシエがなんで怪物退治に首突っ込むんだ!
まだ頭がぐるぐるしてて追い付いてない。
こういう時、危ないから退がってなさいと介入してくれるミラも、今回ばかりは驚きのあまり動けないでいるみたいだ。
僕のそばでデンデン氏をジーッと見つめるばかりで、声も掛けず威嚇もせず噛み付きもせずにいる。
「ふむ、睨んだ通りでしたな。鍵、掛かっていませんぞ」
「こういう物件には当然施錠がなされるものですが、誰かが開けて出入りしているんでしょう」
「アギト氏。もし拙者の勘違いでないなら、氏も同行なさるのでしょう。出来れば違ってくれると幸いなのですが……」
「っ。待って! あ、危ないんだよ? デンデン氏、自分で言ってて分かってるよね? あの化け物、ここから出てきてるかもしれなくて……」
ですので、それを解決しに来ましたな。と、氏はそう言ってビルの中へ……っ。
ちょっ、ひとりで行かせるのはマジで危ない。
まだぼーっとしてるミラの手を引いて、僕達もその後を追う。こうなったら……
「……ミラ。もう魔術禁止とか言わない。だから、あの人を全力で守って……ミラ?」
「……えっ? あ、うん。分かってる、誰も怪我させない。うん……」
ミラ……?
様子が変だ。なんだか心ここに在らずというか……はっ⁈
まさか……まさかお前、デンデン氏がイケメンだからビックリしてんのか……っ⁈
顔は良いから。声と身体と顔はマジで良いからな。それに……そういえば……っ。
「……違うぞ? あの人、覆面バイカーじゃないぞ?」
「花渕さんも言ってたな、好きな俳優に似てるって。そうか、これか」
「言われてみると確かにちょっと似てる……けど、あの人は俳優じゃなくてパティシエ……ケーキ屋さんの人だから」
「ほら、前にいっぱい持って帰っただろ? あれの……」
「アギト氏―っ! 早く来ないと心細いでござるよーっ!」
「え? 来ないんですかな? いや、それならちょっと安心は安心ですが……」
行くよ! くそぉ、なんでこう間の抜ける男が来ちゃったんだ。
しかも、なんであんなに魔獣退治に乗り気なんだ。
僕はバイカー全部見たわけじゃないけど、確かにバイカーの俳優とデンデン氏はちょっと似てる。
やや困り顔なのと、彫りが深いのと。
だけど、結局それはイケメンという部分が合致するだけで……じゃなくて!
今はデンデン氏も覆面バイカーもいいんだよ!
「バイカーさんは……えっと……そうそう、坂本隆太だっけ。で、あの人は田原伝助」
「ほら、違う人だから。だから変な緊張しなくていいから。サインも握手も求めなくていいからな?」
「ちょっ、うるさいわねさっきから。何をギャーギャー言ってんのよ」
だってお前がバイカーさん似のイケメンに夢中だから——っ!
ダメだよ、あの男はダメだ。
良いやつだし、親友だし、めっちゃ美味しいケーキ作ってくれるけど、だけどダメです。
違法。うちの妹はやらん。
そもそも蓋を開けると中身めっちゃ悲惨だし。デュフフと笑う男にうちの妹はやらん!
「やっと来ましたな。はてさて……中はこんな様子ですが、アギト氏はどう考えられまする?」
「どうって……」
中。と、氏が睨み付けるのは、もう何も残されていない、空っぽの広い空間だった。
きっと棚がいっぱいあって、商品もいっぱい並んでたんだろうと考えると……ちょっとだけ寂しいかな。じゃなくて。
「秘密基地みたいでワクワクしますな!」
「しかし、もう子供の頃の無邪気さを発揮出来る歳でないという残酷な現実」
「あの頃ならコラーで済んだものの、今やると不法侵入……つまりはおまわりさん案件」
「ということで、外から見えるこの階は、なるたけサクッと通り抜けたいところですが」
「それだけ分かってるならなんだって立ち止まったのさ……こんな、何も無いでしょ。見た通りに」
そう、何も無いんですなぁ。なんて……くそぅ……友達だけど……友達だけどうぜぇ……っ。
何も無いならなんで止まった、なんで見せた、なんで考えさせた、なんで何かある風だったんだ。
「……何も無い……というのが気掛かりでしてな」
「いえ、考え過ぎなら結構。もっとこう、待ち受けるのであれば、備えがあってもおかしくないかと」
「これだけ広い空間があるのなら、せめてあの怪物の一頭でも飼えば良いのに」
「っ! それは……外から見えるから、騒ぎになるのを嫌った……とか?」
もうそこらで騒ぎが起きているのに……?
そこを気にするのはもう少し前……今気にすべきは、騒ぎを片付けようとしてる僕達だ。
じゃあ、ここに魔獣を配備してないのは……
「或いは、手懐けられていないのかもしれませんな。故に、自身も出入りするこの地点に怪物を置くのは下策、と」
「獰猛な番犬を、玄関ではなく自室に置くものはおりませぬ故」
「とすると……もしかして、この先にはもう魔獣はいない……? なら、サクッと解決出来そうだね」
それめっちゃ朗報では?
気掛かりなんて言うから身構えたけど、めちゃめちゃ都合の良い話じゃないか。
デンデン氏がいるとこでは出来るだけ戦いたくないし。
そうと分かったら不安が半分くらい吹っ飛んだ、サクッと上に行こう。
そして、魔獣を呼んでるやつを止めるんだ。
「階段階段……っと、あっちか。外階段じゃなくて助かるね。見られるとちょっと困るし」
「そうですなぁ。外に人の気配はありませんでしたが、しかしこの監視社会で人の目が無いなどという場所も無く」
それ。ほんそれ。それが怖くて魔術封印させてたんだし。
まあ……ビリビリ超特急でここまで来ちゃったけどさ。
部屋の奥にあったドアを開けると、すっかりボロボロになった階段が現れた。
年季入ってるなぁ、やっぱり。
それに、こういう人目に付かないとこはね……掃除もサボっちゃうから傷みが早いんだよね……
「……アキト、ちょっと待って。すん……嫌なニオイがする」
「ふむ、奇遇ですな。重苦しい気配が一気に膨れてきましたぞ」
え? なんて? 嫌なニオイ? 重苦しい気配?
ちょっと、楽勝ムードだったじゃん、なんでいきなり⁈
とにかく進みましょう。と、ミラもデンデン氏もズンズン階段を上がってっちゃって……
嫌な気配があるなら止まって貰ってもいい⁉︎ なんなの、ふたりして⁉︎
「——っ。この先ね。この先に、デカいのがある」
「デカいの……って……っ。それ、つまり……」
魔竜クラス……? ねえ、それってそういうレベルでデカいやつってこと……?
ちょっと、デンデン氏。何頷いてんの。
さっき自分で言ったよね、番犬を部屋の中で飼うやつはいないって。
いるじゃん。より自室に近い部屋で飼ってるやつ、ここにいるじゃん。うそつき!
「……でも、ちょっとだけドジと言うか、間抜けだな」
「じゃあこの部屋に入らなきゃいいんだろ? 幸い、階段はこのまま上に繋がってるんだし」
しかし、ラッキーは僕達に味方してる。
ミラとデンデン氏が警戒する部屋はドアの向こう。なら、そこは無視してしまえばいい。
このビルは階段とフロアが別になってて、上に行くだけなら、わざわざこの危ないらしい部屋を通る必要が無いんだ。
ダンジョンでもあるまいし、非常階段が他に無いんだから当然だよね。
感謝。現代の安全基準に感謝。
「……そうはいきませんな、残念ながら。アギト氏、冷静に考えてみて欲しいでござるよ」
「バカアギト、ちゃんと考えなさい。これを放って上に行けば、当然そこにも何かが待ち構えてるでしょう。とするなら」
もう、魔獣は完全に支配下に置かれているものと考えるべき。と、ミラは怖い顔でそう言った。
えっと……うん、そうだな。
デンデン氏の言ってた番犬理論なら、ここにいる時点で、もう完全に手懐けられてるんだろう。
でなきゃ置けないよ、こんな近くに。
だから、上にも何かはいるだろう……と。
うん。じゃあ、ここで戦わずに温存して、上での戦いに備えて……
「全員で上に向かえば、容赦無く下から挟み討ちを仕掛けてくるでしょうな」
「つまり、ここもしっかり片付ける必要があるってわけ」
……え? ま、マジで?
うぐぐ……そっか、そうだよな。
バグ技使って階層スキップしても、現実じゃそりゃ追っ掛けて来るよな。ダンジョンじゃないんだからな……っ。
「……しかし、残念ながらそう時間も掛けられないでしょう。ここまで迫っているとバレれば、必ず逃げられますな」
「というわけで、ここは二手に分かれる一択」
「ここの魔獣を足止めしながら、上で全部解決してくる。同時進行しかないわね」
ん? え? な、なんて?
同時進行……って、いやいや。
冷静に考えて? 魔獣と戦えるの、ミラだけだよ?
それで……僕とデンデン氏だけで上行くの?
おばか。死んじゃう。死んじゃうに決まってるでしょうが。
と言うか、なんかふたりとも息ピッタリじゃない? なんなの?
はっ。そう言えば、デンデン氏もバイカー視聴済みか。もしかして、それで……
「——となれば、話は早いですな。アギト氏、後は頼みますぞ。むふふ、まさかリアルでこのセリフを口にする時が来るとは」
「では、ごほん————ここは任せて先に行け——ですぞ!」
「——え? デンデン氏……? 何言って……」
ここは任せて……? い、いやいや! 何言ってんだ! 任せられるか!
そんなノリと勢いで友達を危ない目になんて遭わせられるかよ!
上には魔獣がいる……かもしれない。かもしれない止まりだ、まだ。
だったら、ここにミラを投入するのが正解。
ヤバいって分かってるなら、最大戦力投入が基本。それを何言って……
「アギト、アンタは上に行きなさい。ここ片付けたらすぐに行くから」
「っ。ミラ……流石に分かってるな。デンデン氏のこと任せ……待って、それだと僕ひとりにならない? そ、それは……」
それも違う! 待ってよ!
僕とデンデン氏で上に行くの! ミラがここに残って、ふたりで上に……って、駄々をこねたつもりはないけど、当たり前のことを言ったつもりだったけど……
「……アギト氏……よもや、こんな小さな子をここにひとり残すつもりですかな……?」
「分かれるとしたら拙者とアギト氏、この子はどちらかに付くというだけ」
「となったら……拙者、応援が無いと頑張れないタイプなのでして」
「ちょっとだけお借りしてもよろしいですかな? デュフフ」
「デュフフじゃない! でも……うっ……いや、コイツはこれでめっちゃ強くて……」
またまた。と、デンデン氏は真面目には取り合ってくれない。
うぐっ……うぐぐ……そう……だった……っ。
忘れてた、ミラの見た目。ちびっ子だった。
ひとりで残すとか、社会的にダメに決まってた……っ。
でも、当然デンデン氏もひとりには出来ない。じゃあ……え、ええ……っ。マジで……?
「——待ってるから。勝ってきなさい、アギト」
「——っ。うん、分かった。ちゃんと帰るから、今回は」
ぽん。と、背中を叩かれた。
ああ、そうか。今回は逆なんだな。
恐怖心は消えて、不安も消えて、なんとなくの義務感と確信が生まれる。
僕の番なんだ。
「……行ってくる。ふたりとも、早く来てね。本当に急いでよ? マジのやつだからね⁉︎」
「分かってる、さっさと片付けて行くわ。だから、それまでに解決しておきなさい」
スパルタ! 久しぶりにスパルタだなお前!
だけど、やろう。
そうやって勝てってお願いしたんだ、僕が。
じゃあ、今回は僕がお願いされる番だ。
アキトのそれより、そしてアギトのそれより軽い足取りで、僕は三階への階段を駆け昇った。




