第三百七十九話【紅蓮】
「——うげっ……遅延……こんな時にかよ……」
駅に到着してすぐ、僕達を襲ったのは電車の遅延という現代の刺客だった。
何やら線路に誰かが入り込んだらしくて、ふたつ前の駅で緊急停止、確認作業中だそうな。
まさか……もう魔獣が出てるんじゃないだろうな……
「アキト、どうかしたの? 遅延? 何か遅れさせてるの?」
「う、うん……乗る筈だった電車がな……ちょっと……」
そりゃあ電車だもの、準備もあるでしょうし。と、未来は分かってない風だが……いや、この反応が一番平和か。
同じ時間に来るのが当たり前で慣れてるから、こういう遅延にガッカリしてしまうわけだけど。
向こうの汽車は、なんだかんだで時間ズレまくるから。未来にとってはこれは当たり前なんだ。
「ただその……遅延の理由がな。うーん……何も無いと良いけど……」
「大丈夫よ。もしそうだとしても、これから私達で解決すれば問題無くなるわ」
やだ、かっこいい。なんて頼もしい妹だろう。
けどそうだな、二駅離れたここであたふたしても始まらないか。
ドンと構えて……は、ちょっと無理だけど。
「向こうが水族館に着くまでには間に合うだろ。電話出来ないからな、電車乗ってたら」
「そうなの? やっぱり速く動いてると難しいとかあるのね」
いや、技術的な話じゃなくてね。と、これを説明している暇は……無い筈だったけど、たった今出来ちゃったから。
未来に現代のマナーやらモラルをちょっとだけ教えながら、僕達はのんびりと電車が来るのを待つ羽目になった。
い、意気込んで出て来たのになぁ……
それは少しだけ懐かしい景色だった。
芳香剤の匂いがして、ちょっと古い音楽が流れてて、ハンドルを握る誰かの頭が目の前にある。
小さい頃はずっとこうだったのに、気付いたらこの頭は隣にあったんだ。
でも、今日は前にある。
「真鈴、そんなずっとはしゃいでると疲れるよ」
「ま、そういう子供らしいとこ見せてくれると、こっちも安心だけどさ」
「子供じゃないよ! 小さいからって子供扱い……わぁ……おおっ……」
で、隣には楽しそうに窓の外を眺める子供がいる。これは人生初。
それに、前にある頭にも馴染みが無い、これもレアケース。
ちょっと古いとこは同じでも、細かい年代は違うプレイリストも新鮮だ、何気に。
「美菜ちゃん、真鈴ちゃんの様子が変だったら言ってね。どこか停めて休憩するから」
「預かってる子供に何かあったら、原口さんに申し訳ないし」
「ん、そだね。アキトさん、この子らに対して思ったより愛情満載だったもんね」
「いやー……人って変わるもんだね、マジで。あのアキトさんに、こんな甲斐性あったとは」
こっちも見ずに安全運転のまま声を掛けたのは、交通ルールに厳しい婦警のジュンだった。
親以外の車に乗るの、マジでレアよ。
なんかの時に近所の子らで乗り合わせて……みたいなのはあったけど、それもうちが車出してたし。
しかし、それは別件としても……
「……なんか、ジュンの車に乗せられてんの、悪いことしたみたいに感じるわ」
「婦警って知ってるからかな。捕まった感ある、遺憾」
「え、ええ……いやでも、そうかもしれませんね」
「今日は手帳は持ってないですけど、何かあったら出動もするから、この車もある意味パトカーみたいなものかも」
え、マジ? それは聞いてない。いや、私は悪いことせんから。
けど……なんだろね、若干後ろめたい。そういうの聞くとなんか罪悪感出る。
はー、休みでもなんかあったら出なきゃなんないんだ。
えー……うわー……そんな人足に使ってんの、申し訳な。
「っと、話をしてたらそろそろですね。真鈴ちゃん、降りる準備しておいてくださいね」
「うん、分かった。わあ……」
え、早。
マンション出たのがちょっと前、高速乗ったのがついさっきくらいの感覚だったわ。
でも、ちゃんと時間を見たら納得。
真鈴見てると時間消えるわ、面白過ぎて。
未来もそうだったけど、子供の相手してると時間感覚ぶっ壊れる。一瞬だわ。
駐車場で車が停まれば、真鈴はすぐに飛び出して行った。
ちょっ——待って! はぐれないでよ⁉︎
子供のフットワーク舐め過ぎた、マジで速い!
私もジュンも大急ぎで車から出て、最高速は大したことないちびっ子の背中を追い掛ける。
これ、未来だったら見失ってるとこだわ。
あー、マジで心臓縮み上がった。次からもう油断せんとこ。
「こら、真鈴。勝手に行ったらダメ、一緒に行こ」
「うん……ごめんなさい」
はー、かわいい。
ちょっとだけしょぼくれた真鈴は怒ってないよって伝えると、すぐににこにこ笑って私の手を握ってきた。
もう一方の手でジュンの手も握って、すっかり心を開いてくれた感じある。
うちで養いたい……っ。
マジで未来と一緒にうちに来てくんないかな……
「水族館入る……前に海が見たいのね」
「んー……や、私も久しぶりだわ、海。潮の香りっていうの? こう……うん」
生臭。いやでも、言わんとこ。真鈴に悪影響。
いやしかし臭い。全然いい匂いとは思わん、ジュンの車の芳香剤のがマシ。
いや、その……悪く言うつもりは無くて。
ただ……うん。芳香剤、ちょっと匂い強過ぎることない? とはツッコミたかった。
乗せて貰ってる身でそうそう言えないけど。
「……海はどこも変わんないね。でも、ちょっとだけ狭いかな。それでも、ちゃんと生き物の匂いがする」
「そだね……うん? どこも……って、どっか行ったことあんの?」
「それは……あれだよね、アキトさんに……じゃないよね。ってか、生き物の匂い……?」
この子ちょこちょこ不思議ちゃんになるよね。
いやま、そもそもミラとかマーリンとか呼び合ってたし、そんな年頃かなとも思うけど。
にしても……ふーん。
一応、ホントの親との思い出みたいなのはあるんだ。
ちょい安心……して良いんだよね、これ。
良い話だよね? なんか、寂しい話にはなんないよね……?
「……ミナ、ジュン。ふたりともありがとう。ここまで連れて来てくれて、本当にありがとう」
「っとと、そうだそうだ。アキトに連絡したいんだ。ミナ、すまほを貸しておくれよ」
「ん、そうだったね。ちょい待ち、今掛けるから」
ありがとうがちゃんと言える子、素直で好きだわ。
いや、自分が言えないタイプだからアレだけど。それはよくて。
ちょい忘れてたわ、電話すんの。言われなかったらスルーしそうだった、ナイス真鈴。
そうだね、ちゃんと報告はしないとね。
親の気持ちよく分かってるわ、この子。
「……ん、出た出た。おす、アキトさん。こっちは着いたよ」
電話掛けて数コールで通話が始まって、そんでうだつの上がらないおっさん……だと思ってた、二児のパパの声が聞こえた。
うん、すっかりお父さん。或いはおかん。
そんなアキトさんの声が聞きたいと、真鈴が私の周りをうろちょろし始める。
あー、かわいい。ちょい待ち、スピーカーにするから。
「んじゃちょっと代わるね。ほら、真鈴。そのまま喋ったら大丈夫だから」
「うん、ありがとう。あー、あー……ごほん。えっと……」
いや、挨拶に迷うな。
どうやって話したら良いのか分からない……か。電話もしたことなかったんだ。
戸惑って黙っちゃった真鈴に声を掛けたのは、私でもジュンでもなく、電話越しのアキトさんだった。
『真鈴? おーい、真鈴? こっちももうすぐ着くとこ、今バス降りて歩いて向かってるとこだ』
『いや、その……うん。想定外のアクシデントがあって、電車が来なくて……』
「……あー……えー……うんと……む、難しいね、これ。普通に話しても平気なんだよね?」
「なんだか変な感じだ。小さな箱からアキトの声がする。こういうの、向こうじゃ自分でも作ったのに」
向こう。や、どこよ。
大丈夫? とか、普通に話して平気だよ、とか。ジュンが必死にサポートするけど、真鈴はまだ微妙に困った顔のまま。
んで……なんか焦り出したのはアキトさん。
あれ? これスピーカーホン? みんな聞こえてる? とかなんとか。
うん、聞こえてる。ばっちり。
遅延あったんだ、ふーん。くらいしか情報無いけど、まだ。
「……ごほん。アキト、ちょっとだけ目を瞑って欲しい。それで、僕の姿を思い浮かべて欲しい。この小さな姿じゃないよ、本当の僕の姿だ」
「君のよく知るマーリンさんの姿。思い浮かべられたら、次は名前を呼んで欲しい」
『……真鈴……? えっと……目を瞑って……?』
そうだよ。目を瞑って、いつもみたいに呼んでおくれ。
真鈴はどこか大人びた口調でそう言った。
なんか……どうしてだろ、違和感は無かった。
子供なのに、大人に見える。
それに違和感を覚えなかった。
「いつも通りで良い。いつもみたいに、無礼にも僕を叱って欲しい」
「いつもいつも……そう、いつも。君が僕によく言う言葉を、この小さな箱越しに伝えて欲しい」
「ちゃんと僕の姿を思い浮かべて、それに文句を言って欲しいんだ。今回は不敬を咎めないからさ」
『……えっと……いつも……ごほん』
『いつまでもダラダラしてないで、ちゃんとしてください。偉い人なんでしょ、マーリンさんは』
偉い人ってのは分かんなかった。
ダラダラしてるってのもイメージと違う。
ちゃんとしてってのも、子供に使う言葉にしては漠然としてる。
だけど……なんでだろう。
マーリンって名前と、アキトさんの微妙な敬語には違和感が無かった。
それが普通だと思えた。
「……うん。ありがとう、アキト。それじゃあ、僕からのお願いはこれで終わりだ」
「ああ、でも……そうだなぁ。一個だけ、お小言をあげよう。励みになると幸いだ」
『真鈴……? 真鈴、どうしたんだよ。遊びに行ってる……だけだよな? 真鈴ってば』
これだけだから、ちゃんと聞いておくれよ。と、真鈴は笑った。
確かに子供の笑顔で、だけど……
小さな手を胸の前でギュッと握って、身体を逸らして深呼吸をして。
それで、真鈴はそのお小言ってのを口にする。
「——世界を救えるのは君達だけだ」
「それは僕には出来ない。だから、覚悟を持って取り掛かるように」
「安心しておくれ。世界を——何かを壊す戦いは僕の本分だ」
「だから、安心して前を向いていたまえ」
『——真鈴……っ⁉︎ 真鈴、何考えてるんだ、お前……? 何やろうとしてるんだ』
『何が視えたんですか! マーリンさん! まさか——』
この赤いので良いんだよね。と、真鈴は誰の了承も得ずに通話を終わらせた。
アキトさんの慌てぶり、真鈴の落ち着きぶり。
そのどっちもが変なのに、どっちも普通に見えた。
普通じゃないのに、当たり前に見えて——
「——ありがとう、アギト。それと、ごめんね」
「だけど、これだけ離れていればそう影響も無いだろうから」
「だから、許しておくれよ。これしかなかったんだ」
————ドバァ————と、重たい音と一緒に水飛沫が舞った。
イルカショーの比じゃない、壊れた水道管みたいな勢いで海の水が噴き上がったんだ。
真鈴とアキトさんのやりとりと、それからそれを成立させたスマホに夢中で気付くのが遅れたけど、何かそういう理解不能な現象が起こった——起こってしまった。
「——ちょっ……あれ——何——っ!」
「——っ! 美菜ちゃん、真鈴ちゃん! 車に乗って! 避難しましょう!」
イカかタコ……に見えた。
でも、そういうサイズ感じゃなかった。
アキトさんが好きそうなゲームに出てくる、そういうのの化け物。そんなシルエットだった。
海から伸びてるのは電信柱より太い何かで、それの本体がまだ海面下にあるのもすぐ分かった。
そういうのが——アキトさんが起きてすぐ、変な化け物を見たことを思い出した。
アキトさんが怪我させられたことを思い出して————
「————契約————」
音は無かった。
けれど、さっきより更に大きな水柱が噴き上がって——その中から真っ赤な炎が突き抜けてきたのが見えた。
何も理解出来なかった。
だけど、直感的に分かったことがある。
これは——夢じゃない。
ほろ。と、こんなとこじゃ珍しいフクロウの鳴き声がして、それが私とジュンの目の前に降り立って。
それで——小さな背中が、いつの間にかどこにも見当たらなくて——
「——ありがとう。ミナ、ジュン。君達の助力もあって、この瞬間だけは世界を守れそうだよ」
「だから——僕の後ろに隠れていておくれ——」
「————マ——リン————?」
黒い髪のちびっ子はいなかった。
そこにいたのは、銀色の髪の女の人だった。
背は高くないけど、大人の人だってのはすぐ分かった。
ファンタジー映画の悪い魔女みたいな服装で、背中には大きな“銀色”の翼が生えていた。
だけど、それがマリンだってのはすぐに分かった。
「————我が真名は——紅蓮の魔女——っ! 夢想より生まれた最強の魔女だ」
「さあ——幾らでも出てくるといい——偽物の魔獣よ————っ!」
ザバ——ッ! と、海面にまた水飛沫が舞って、そして今度はそれが何かも分からないうちに焼き尽くされた。
でも——音も、風も、熱も無かった。
まるで幻みたいだった。
でも、その人の翼から舞い落ちた綺麗な羽根は、確かに質量を持って私の目の前にある。
何か嫌なことが起こっている。
そしてそれを、この人は防ごうとしてくれている。
キラキラ光る綺麗な髪の、綺麗な羽の女の人が。
この天使みたいな人が——マリンが、私達を————




