第三百七十八話【最終公演】
僕は僕の戦いを——
真鈴は真面目な顔でそう言った。
穏やかだけど、確かに覚悟の決まった顔だった。
けれど、その言葉の指すものが分からなかった。
彼女が気合を入れて待ち受けていたものが、もしも本当にこの来客なのだとしたら……
「ミナ! ミナ! えへへー。ジュンーっ!」
「おー、よしよし。朝から元気だね、未来は。真鈴もおはよ。アキトさんも、元気そうじゃん。いや、よかったよかった」
ついさっきまでこの後のことで真面目な話をしてたのに、花渕さんが現れるや否や、未来はすっかり甘えん坊に戻ってしまった。コイツは本当に……
僕の戦いを……なんて言ってた真鈴も、カーテンの後ろに隠れちゃったし。
え? もしかして、これを切り抜けて出発するのが第一関門だったりします⁈
「ちょ、ちょっと、未来? おーい、未来ってば。遊んでる場合じゃなくて……」
「んふふ……えへへー。あったかーい」
あったかーい。じゃないが。
こう……あれだ。やめろ、お前。マジでやめて。
未来はいつもみたいに花渕さんにぎゅーっと抱き着いて……で……その……うん。
これ以上は……おまわりさんいる前でこれ以上は言えない……っ。
痴漢になってしまう……捕まりたくない……っ!
とにかく、幸せそうにすりすりむぎゅーと抱き着いて動かなくなってしまった。
動いて、お前が動いて。
いつもお前がみんなを引っ張ってたでしょ、自覚持って。お前が先頭なの。
「店長から聞いたよ。なんか……なんかさ、やっぱり変なことしようとしてんでしょ」
「やめときって言ってんのに、聞かない人だよね。ま……いいけどさ」
「っ。いや、その……ごめん。ちゃんと説明出来たら良いんだけど……」
いいって。と、花渕さんは笑って、甘えん坊でしかない未来をひたすらに撫で回す。
もう、勇者じゃない。これは勇者でも市長でも、ましてや救世主でもない。
子供。キッズ、チャイルド。
お願いだから帰ってきて欲しい。と、そんな恨み言を言う間も無く、今度は望月さんが未来を撫で始めた。
もうダメだ……おしまいだ……っ。
「何してんのかは知らないけど、なんにせよ勉強見てあげるのは大事かなって」
「ほら、未来。遊ぶのも良いけど、また英語の——ぉおっ⁈」
未来はこのまま寝る。絶対寝る。で、起きても多分遊ぶ。間違いなく。
半分くらい本気でそう思って、諦めてた時だった。
未来に構いっぱなしだった花渕さんに、真鈴が突進して行ったのだ。
お、おお……っ。未来を放せ、やることがあるんだ! ってことか!
偉い! 偉いぞ真鈴! そういうの僕が言わないとダメだった気もするけど、とにかく偉いぞ! 真——
「——僕も遊びたい——っ! 僕もミナと遊びたい!」
「…………ん?」
あれ? なんか、流れ変わったな……?
ぴぃ! と、真鈴は半泣きでそんな宣言をぶち上げる。
僕とも遊んで! 僕も構って! と。
いや……あれ? おや? 自分の戦いを全うする……とは?
「……真鈴……っ! うん、良いよ。遊ぼう、一緒に」
「おー、よしよしよし。なんだ、やっぱり寂しかったんじゃん。素直が一番、よーしよしよしよし」
「ん……わっ……あぅ……」
真鈴のタックル(?)を受け、花渕さんも最初は驚いていたものの、すぐにいつもの甘やかしぃな顔で真鈴の頭も撫で始めた。
しかし、未来が離れる様子は無い。
未来じゃなくて僕に構って! と、好意的に解釈するなら、そういう意図で甘えたであろう真鈴の目論見も虚しく、ちびっ子ふたりを纏めて甘やかすお姉ちゃんの図式が出来上がってしまっている。
「ふふふ……何する? 真鈴は何したい? なんでもしたげるよ」
「未来と一緒にお勉強する? それともDVD見る? それとも……」
「——海——っ! 海に行きたいの! 海に行きたいのに——っ……」
うん? 海? 海とな? それは初耳だな。
ちょっと待ってね、色々とこっちの頭が追いついてないからね。
えー……真鈴は何をしようとして……
「……海……行きたいのに……っ。アキトとミライちゃんはやることがあるって……っ。行くとこがあるからダメって……っ」
「——っ! その手が——っ。真鈴、あんまり無茶言っちゃダメだぞ。海なんてそんな近くもないんだし」
「ごめんなさい、ふたりとも。海の動物の動画見たせいで、昨日の晩からこんな感じで……」
この迷女優が——っ!
そうか、そういうことか。理解した。完全に理解したぞ。
真鈴の戦い——それは、花渕さんと望月さんを僕達から遠ざけること。
つまり——魔獣との戦いに巻き込まれないようにすることだったんだ。
それにしたってやり方が強引と言うか、それについてもうちょっと事前に相談出来なかったんか! 二回目だぞ! これ!
「僕だって……僕だってミナと遊びたいんだもん……。海っ。海行きたいっ。ミナっ」
「こら、真鈴ってば。海ならまた連れてってやるから」
「今日は行くとこあるって、前から話してただろ。お留守番しろなんて言わないから、一緒に行けば良いだろ。な?」
んーっ! と、真鈴は迫真の演技なのか、それとも役得と思っているのか、花渕さんに思いっきり抱き着いて離れない。
こう……アレだな。
今は微笑ましい図で済んでるけど、リアルを思い返すとキツイな。
マーリンさんも割と小柄とはいえ、駄々こねて女子高生に抱き着いてる大人……いや、やめておこう。
「真鈴。ほら、未来もいるから、な? うーん……意外と頑固だよなぁ、お前も。いつもは隠れてばっかなのに」
「……ふふ。アキトさん、やっぱ思ったより親してるね。似合うわ、微妙に」
え? ほんと? 甲斐性あるように見える? なんて言葉は、そんなことはないとバッサリ切り捨てられた……ぐすん。
しかし、真鈴の演技はかなりの効果があったみたいで、望月さんも花渕さんもすっかり真鈴を甘やかすのに夢中な様子だ。
これは……これなら……っ。
「……あー……あのさ、もし良かったら私らで真鈴預かろっか?」
「目離したくないって気持ちは分かるけど、これだとちょい可哀想だし」
「こんな小さいうちくらいはさ、好きにやらせてあげたいじゃん? そればっかりでも良くないとは思うけど」
「そうですよ。わがままを全部聞くのが教育上良いとは思いませんが、しかし今回は私達がいますから」
「おひとりでは難しくても、周りの協力があれば大丈夫だと、原口さんにも意識していただきたいですし」
この名女優が————っ!
ほんと? いいの? と、嬉しそうに繰り返す真鈴を前には、花渕さんも望月さんもすっかり骨抜きだ。
すごい……すごいぞポンコツ子役……っ。
その実三十路であったり、若い子に抱き着いて、もう限界ギリギリだったりするのは一度忘れ——殺気っ⁉︎
やめっ……今は抑えて! もうちょっとだから!
「……だ、大丈夫ですか? その……真鈴、意外とわがままですよ?」
「花渕さんだって勉強しなきゃいけないだろうし、望月さんも一応仕事の一環で来てるわけだから……」
「任せとき。わがままは子供の特権、それが普通っしょ」
「勉強だって帰ってやれば良いし。息抜きも必要じゃん、誰にでも」
「それに、わがままとは言うけど、もしかしたら真鈴なりにいつも我慢してるのかもよ?」
「だとしたら、たまにはさ」
そうです。ここで無理に我慢させる方が保護者としてはマイナスですよ。と、望月さんも乗っかってきて……あれ?
思ったよりみんな真鈴の味方…………はっ⁉︎
そ、そう言えば……なんか恐ろしいこと言われた覚えがあるぞ……っ⁈
なんか、常識を書き換える……とか。
そういう認識を、他者の精神に植え付ける……みたいな……っ。
「じゃあ私らと見に行こうか、海。や、海の生き物……なら、水族館のが良い? としたら……」
「だったら私、車出しますよ。ちょっと遠いけど、港のすぐ側にあるじゃないですか、水族館。そこなら海も魚も見られますよ」
良いの? あざ。と、花渕さんと望月さんは着々と話を進めていって、どうやら真鈴を預かって水族館へ連れて行ってくれる流れで決定したらしい。
恐ろしすぎる……魔女の力……っ。
で、だ。そうなったら……
「……おい、こら。未来。お前はこっち。お前の用事で出かけるんだからな」
「良いなぁ……って顔しない。また連れてってやるから」
「……むぅ」
自分の役割を忘れてんじゃないのかってくらい羨ましそうに三人を見つめてる未来を宥めて、とりあえず花渕さんから離れさせる。
くっ付いてると一生このままだからな、こいつ。
「……ねえ、ミナ。あのすまほって、離れてても連絡出来るよね?」
「海に着いたらアキトと話したいんだ。良いかな?」
「ん? ああ、良いよ。アキトさんも平気? 電話出来ないとこ行く予定とかじゃない?」
あ、うん。それは大丈夫。
これは……あれか? 一緒には行けないけど、出せるだけの指示は出すから。みたいな?
た、頼もしいな。なんか、今日の真鈴は過去一頼もしい。
マーリンさんの頃を含めても。
「っと、そうなったら早めに出発しましょう。帰りが遅くなるといけませんからね」
「原口さん、ご帰宅は何時ごろになりそうですか?」
「あっ……えー……ごめん、花渕さん。帰る頃になったらまた連絡入れても良い? ちょっと、どのくらいかかるか分かんなくて……」
ん、はいはい。と、軽く了承を貰って、早速と言わんばかりに望月さんは部屋を飛び出して行った。
すぐに車を取ってきますから、外で待っててください、と。
「じゃ、そういうことで。今度また未来も連れてってやんなよ」
「もし厳しかったら、また私が連れてくんでも良いけど」
「あ、あはは……ありがとう、花渕さん。感謝してもしきれないよ」
うん、感謝だ。
真鈴が別行動を取らなくちゃならないくらい、僕達を心配してくれてるんだから。
ふたりもすぐに出て行って、そして部屋の中には僕と未来だけが残された。
こっちに来てからは初めてかな、ふたりだけになるのは。
「……まったく、もっと早めに相談して欲しいもんだけどな。でも……」
「これも全部見えてたんでしょうね。それで……事前に知らせると、アンタはすぐボロ出すから」
ぐっ……そ、そういうこと……?
でも、その配慮のおかげでうまくいった……いってるんだろう。
じゃあ、僕達は僕達のやるべきことを、だな。
「久しぶりにふたりだけだな、ミラ。で……ふたりだけだとあんま良い思い出無いな、ちくしょう」
「そうね。いい加減自分達だけで解決しましょうか。失敗続きだったけど、ここらでバシッと」
行くわよ。と、未来は僕の背中を叩いて、僕も自分の頬を叩く。
最終決戦だ。
今日全部終わらせて、のんびりした日常へ帰る。
何も無い部屋を後にして、僕達は昨日の地下通路を目指してバスに乗った。