第7話 打ち上げ会場までの道のり
打ち上げはコミケ会場ビッグサイトから二駅ほど離れた飲み屋に現地集合だ。それを尚貴に伝えると、
「車を待たせていまして、もしお嫌でなければ、一緒に行きましょう」
「それ……すごく助かります」
ということで同乗する流れになった。タクシーはなかなか捕まらないし、一人で乗るとお財布にダメージがあるしで、荷物抱えて大混雑のりんかい線で行くしかないと思っていたのに、非常にラッキーな展開である。
前を行く郡山に案内され、キャリーバッグをコロコロしながら会場を出る。暑い会場の外には、宅配手続き待ちの待機列がまだ続いていた。荷物を積み込まれた輸送トラックが、蟻のように連なって海沿いを何台も走っていく。そんななかなか普段見ることのできない光景を見ると、ふー今年も夏コミが終わったなーという気分になる。コミケには毎年様々な話題が上り、今年は有名芸能人の誰それが来ていたとか、昔アニメ化した漫画家が作品を出してたとかSNSを賑わすが、愛里の今年のナンバーワンはもちろん今横を歩いている明後日の方向からの刺客のことである。世間知らずの御曹司さん。Twitterには畏れ多くて書けないが、個人的になら一生ネタにできるだろうなと思う。
広い敷地を抜けると、すぐにそれらしい高級車が出迎えてくれた。駐車場まで歩く必要さえなかった。おそらく、連絡を取り合って尚貴の到着に合わせ計算されていたのだろう。車の脇には帽子をおろした品のいい白髪の人(たぶん運転手さんだよね)が控えるようにして立っており、深々と一礼してくる。
「すみません、私まで乗せてもらうことになって」
運転手は郡山と協力して荷物の積み込みを全部やってくれ、愛里のためにドアを開け、天井に頭をぶつけぬよう白手袋の手をそっと添えてくれた。
(ひゃー……なんかもう、私、場違いだよ)
いや、どっちかというとこの車の方がコミケ会場にそぐわないことを思い出し、どうにか平静をキープする。
尚貴と愛里を後部座席に、助手席に郡山を乗せると、黒塗りの車は音も振動もなくなめらかに動き出した。
しんと静かな車内は、俗世を離れた上流階級の空間という感じだった。緊張が高まっていくのを感じる。――すると、どこからともなく流れ出すクラシック音楽。エーゼルワーイズ、エーゼルワーイズ……♪ 無音よりはいくらか気が紛れたけど、FMラジオとかがちゃがちゃした音が恋しい。
……行先、チェーン店の居酒屋だけど、いいのかな……。
こういう世界の人達って、普段どんなお店行くんだろう。ビッグサイトの近くでできるだけ安くお酒がのめるところをいつも予約してもらっていて助かっていたけど、もしも「これはのめません。汚水でしょうか?」とか言われたりしたら、みんなにも申し訳ない。だんだん不安になってきた。
そんな心配をよそに、飲み屋にはすぐについてしまった。
心地よい音楽に、心地よい室内温度に浸っているうちになんだかもう少しだけこのまま乗っていたい気持ちになっていたけど、あわてて頭を切り替える。うっかり財布を出しかけて、タクシーじゃないんだったと思い直し、しまう。
「それでは、行ってらっしゃいませ」
またもや丁寧に扉を開けてくれる運転手さんにお礼を言って、愛里はキャリーバッグを曳き曳き、打ち上げ場所を確認する。尚貴の後ろからは当然のように郡山もついてきていた。
「エリンギ! こっちこっち!」
その声に愛里が顔を向けると、店の出口付近で見知った顔が手招きしてくれていた。切り揃えたショートヘアに最低限の化粧を施した小ざっぱりした顔立ち、大荷物をどっこいしょと店内に運び入れている最中だったようだ。
「あー! はなやんありがとう!」
エリンギとは愛里のペンネームで、はなやんは彼女のペンネーム。本名はお互い知らない。でもSNS上で毎日顔を合わせている関係で、仲良しだと断言できる。
「ごめんね、急に増やしちゃって」
「その人? えっと、なんてサークルさんだっけ?」
はなやんは尚貴を見上げて、次いでその後方に立つスーツ男を見上げて、おそるおそるといったように尋ねてくる。尚貴は居住まいをただすと、
「あ、はい。申し遅れました。私はサークル夢屋敷の、なおと申します。エリンギさんのご紹介で、参加させていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします」
そう自己紹介し、ぺこりと頭を下げた。
夢屋敷、たしかお隣はそんなようなサークル名だった。尚貴が本名で、ペンネームはなおっていうらしい。
それで自己紹介は終わり。……のつもりだったのだろうが、はなやんはまだ紹介を待っている。もう一人の男の方の。
「そちらは?」
しかし郡山は黒子に徹するように「わたくしは付き人ですので、どうかお気になさらず」と言って尚貴の後ろに隠れてしまう。
「は、はあ……」
はなやんはめちゃくちゃ気になってる!
常識的なリアクションに、なんかほっとする。
「ねえね……席はどうしたらいいのかな?」
ひそひそ声で尋ねてくるはなやん。顔はこわばっている。
「うーん……」
「付き人って何? もしかして、芸能人?」
「いや、それは違うみたい。なんか、名家のご子息みたいな」
「ぇええええっマジ!?」
驚くよね……。
さっきの高級車の乗り心地とか今日のイベントでのこととか早く話したい!! けど、さすがに今はそれどころではない。
「えっと、郡山さんのお席、増やせばいいのかな……? お店の人に聞いてみるけど」
愛里は一応そう言ってみるが、そういえば尚貴が差し入れてくれた萌えペットボトルも、郡山の分はごく当然のように無かった。尚貴に尋ねると、
「え? ああ、はい。郡山のことは、いないと思ってくだされば大丈夫です」
とのこと。
「わ、わかりました……」
「じゃあ、まあ、中へどうぞ」